第5話 贅沢な憂鬱

 平和なことは良いことだよね?

 何故か憂鬱そうな王子の横顔を盗み見ながら、私は相槌をうつ。


「そうですわね」

「前世での俺は、明けても暮れても戦ばかりの毎日だった」

「はい。先日もそうお聞きしました」

「戦に勝つことが、俺の生きている意味だった」


 ああ、なるほどー。

 勉強嫌いで型破りで、やる気の無い王子様。良いか悪いかは別として、事情を知ってしまえば理解できないことはない。織田信長として戦国時代を生きていた彼にとって、『平和な世界の王子様』の人生はきっと退屈でしかないんだ。

 でもさ、平和が退屈なんて贅沢な話だよね。


「…ユージィン様は、信長様だった時、何のために戦っていましたの?」

「なに?」

「何のために戦をしていたのでしょう?」

「それは……天下を統一するためだ」

「統一したら、戦は無くなりますわよね?」

「ああ、そうだな」

「戦が無くなったあとはどうするおつもりでしたの?」

「戦が無くなっても、やるべきことはたくさんある。国を富ませ、長い戦乱に苦しんできた民の暮らしを楽にしてやらねばならん。再び争いが起こらぬよう、制度を定め、守らせ、政を安定させる。仕事は山ほどある」

「この国も同じことではないでしょうか」


 殿下が首を巡らせて私のほうを見た。

 心中はさておき、ここは貴族のお嬢様らしくふわふわ笑っておこう。


「私の父の領地は、南の国境沿いにあるんです」

「領地?ああ、南の国境か…そう遠くはないな」


 そう、南の国境は王都から近い。その昔、隣国バルティアとは戦争をしていたこともある。その戦争の勲功で、お祖父様は爵位と領地を賜ったのだ。生まれる前のことだから、私は知らないけれどね。その名残なのか、我が領地には常に王国の部隊が常駐していた。


「争いはなくとも、領地にはいつも王国の兵士の方々がいらして、不審なものが出入りしないか見張って下さっています。土地の名産は葡萄で、良いワインができますのよ。周囲の国との交易にも出されていて、少しは国の利益に貢献しているはずですわ」

「何が言いたい?」

「先ほど、ユージィン様も仰ってましたでしょう?戦は無くても、平和で豊かな生活を維持するためにするべきことはたくさんあるって」

「……」

「国王陛下をはじめ、国を平和に、豊かに治めて下さっている皆様に、私たちは感謝して暮らしています」

「……そうか」

「私は、この国が好きですわ」


 王子様の視線がわずかに揺らいだ。

 彼は織田信長だった人。平和な世界にずっと馴染めなかったのも無理はない。

 でもね、この年齢になるまでずっと前世に囚われっぱなしって、それはものすごく損をしていると思う。


「ユージィン様は、この国がお嫌いですか?」


 殿下は私の問いに答えなかった。






 帰りの馬車の中、王子様は無口だった。

 ああ、やっちゃったかなー。言い過ぎたかなー。でも、同じ前世持ちとしてはこのままじゃなんかマズイって気がしたんだもの。大丈夫、そこまでの無礼は働いていないはず。あ、お昼の代金を返さなきゃ…と、途中で思いついたけれどそんなことを言い出す雰囲気でもなく、邸に到着してしまう。

 王子は礼にのっとって、馬車を降りる私に手を貸してくれた。たぶんやきもきして帰りを待っていたのだろう、門の前でアルが私を迎えた。


「お帰りなさいませ、お嬢様」

「ただいま、アル」


 あなたがいなかったせいで今日は大変だったんだから。後で文句の百も言ってやろう。八つ当たり気味に睨みつけると、アルは口をへの字にして私の背後のユージィン様を睨んだ。ちょっ、アル、この人王子様だからね。大慌てでユージィン様ににっこりしてみせる。


「ユージィン様、今日はお誘い頂きありがとうございました」

「いや、良い。またな、アリア」

「え…、はい」


 ええ~、またなって言った?社交辞令ですよね?

 しかしユージィン様はそれだけ言うとさっさと馬車に乗り込んで去って行った。アルと二人で遠くなっていく馬車を見送る。


「お嬢様」

「なあに、アル」

「どういうことですか?」

「どうもこうも、市場に行ってお昼をご一緒しただけよ?」

「てか、まさかとは思いますけど、あれって…」


 目が合う。

 あ、ヤバいなこの会話。周囲に隠密でもいたらアルが不敬罪で連行されそうな予感。


「と、とにかく屋敷に入りましょう。疲れちゃった」

「……畏まりました」

「夕食の前にお風呂に入りたいわ」

「心得ております」


 うわー、敬語なアル、怖い!

 アルは機嫌の悪い時ほど上品になる傾向がある。

 でもさ、私も被害者なんだよ?王子様が迎えに来て出かけるぞって引っ張られたら、田舎貴族の娘としては抵抗のしようがないじゃない。

 心の中で言い訳を考えながら、私はアルに付き添われて屋敷へと歩いた。




「どういうことなのか、説明していただけますか?」

「え、説明って、さっきした通りよ?」


 お風呂に入ってさっぱりしたところで、アルが仏頂面のままお茶を用意してくれた。未だ不機嫌なままらしい。まあねえ…、アルにも心配かけちゃったかも。トマスに至っては涙を流して私の無事を喜んでくれたし。


「さっきのアレが王子で、お嬢様を市場に連れていったというところまでは理解しました。問題は、その方法と理由です」

「そうね、ちょっと常識外れなお誘いではあったわね」

「ちょっと?」

「うーん、かなり……、かしら」

「一歩間違えば誘拐です。王宮の馬車でなかったら、伯爵にお知らせするところでした」

「お父様に?やめてよ、大事になっちゃう。これからは気を付けるから」


 とはいえ何に気を付けたら良いのかはわからない。

 すべては王子様の気まぐれのせいなのだ、私がコントロールできることは少ない。


「これから?」

「うん…、まあ、もう次は無いと思うけどね」


 話しながら思い出した。

 そういえば王子様も不機嫌にしちゃったんだっけ。あれ、やっぱり怒らせちゃったかなあ。やんわりとオブラートに包んだとはいえ、言い過ぎた感はある。


「別れ際に『またな』とか言ってたのが聞こえましたけど?」

「あんなの社交辞令よ。あのね…、王子様、怒ってるかも」

「は?怒っている?」

「ええ」

「無理矢理連れ出されたことに抗議したのなら、こちらに非はありません。大丈夫です」

「違うの、もっと違う話」

「違う話?具体的に」

「ええっとねえ」


 私は王子様との会話を思い出しながら、頭の中で簡単にまとめる。


「国民の税金で贅沢に暮らしているんだから、フラフラ遊んでないでそろそろ国のために働くべきじゃないかというお話を……」

「はあ!?」

「だから、そういう苦言をふんわりやんわり、微妙に匂わせてみたかな、って感じ?さすがにストレートには言えないもの」

「当たり前です」


 アルはどーしようもないなーと言わんばかりにかぶりを振った。


「確かに王子の行動も異常ですけど、お嬢様も相当だってこと忘れてました」

「あら、忘れっぽいわね」

「混ぜっ返さない」

「はぁい」


 間延びした返事を返すと、アルは諦めたようにひょいと肩を竦める。どうやらご機嫌は治りつつあるらしい。ちょっと甘えてみても大丈夫かな。


「ね、お菓子は無いの?」

「もうじき夕食です」

「えー、ケチ」

「太りますよ」


 うっ、それを言う?

 私はアルを睨みつけながら、大人しく紅茶のカップを傾けることにした。


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