第42話 心とは反比例



『失礼しまーす』


 社会科準備室のドアを開けると、案の定残っているのは秋山先生ひとりだ。

 机に向かって、今日も分厚い本をペラペラとめくっている。


『ああ、君か。何か用かな?』

『これ、教室に置いてありました。秋山先生の本でしょう?』


 正式な教材ではない、新書版の歴史研究書だ。タイトルは『信長の家系図』。7限は日本史だったから、まず秋山先生で間違いないと、届けに来たのである。


『あれ、忘れてきたっけ。わざわざありがとう』

『いえ。面白そうな本ですね』

『そう思う?』


 秋山先生の表情が、ぱあっと明るくなった。ここまでわかりやすいと、ちょっと可笑しい。


『この本は、信長というより、父親の信秀と母親の土田御前について詳しくてね』

『へえ……。織田信長のお母さんって、どんな人なんですか?』

『どんな人物か、というのは難しいな。たいていの人物像は史料からの推測だからね。しかも、女性の記述は多くない。それでも敢えて言うならば、彼女は、信長よりも弟の信勝を可愛がっていた。溺愛していた。思いあまって家督争いをけしかけるんだから、相当なものだよ』

『ええ?信長も、その人の子供なんですか?』

『そう、文献によれば、二人とも実の息子だ』


 それはかなり複雑だな。土田御前の名前ははじめてきいたけど、自分の息子二人への愛情に、どうしてそこまで差がついたのか、見当もつかない。


『母のとりなしもあったのか、信長は弟の謀反を許した。一度目は』

『一度目……ってことは、二度目があったんですか?』

『そう。なかなか壮絶だよね。二度目の時は、さすがに弟を処断している』

『二度とも、お母さん……、土田御前がけしかけたんでしょうか?』

『さあ、どうだろう。だけど面白いことに、土田御前は本能寺の変までは信長の庇護下で、その後も一族のもとで生き延びている』

『ええ……?』


 戦国時代、半端ない!

 溺愛していた弟を処断した兄のもとで、母親は何を思って生きたんだろう。


『謀反を起こした弟のことも一度は許しているんだ、信長は意外に情にもろいところがあったんだろうね』

『冷酷非情なイメージですけど』

『そうでもないよ。身内のみならず、立場の弱い者には優しい一面もあった、という逸話は色々と残っている。有名なところなら、山中の猿かな』

『猿ですか?』


 猿っていうと、秀吉かなと思ったけど違うらしい。

 秋山先生は立て板に水のごとく話を続ける。


『人間だけどね。信長は、山中という場所で物乞いをしていた、体の不自由な男に施しをしたんだ。山中は信長が京都に行く道の途中にあるから、何度も見かけるうち、その男を哀れんだと言われている。あとは、足軽の鳥居強右衛門への弔いも有名かな』

『足軽の弔い……』


 足軽って、それほど身分の高い兵士じゃないよね。

 これも全然知らない話で、ちょっと気になる。


『興味があるなら、さっきの本と……えっと、こっちも貸してあげよう』


 秋山先生は、本棚に手を伸ばすともう一冊、『人間・織田信長』という本を取り出し、『織田家の家系図』と一緒に私へと差し出す。


『…でも、』

『まあまあ。騙されたと思って読んでみて。いつか役にたつことがあるかもしれない』


 信長の情報が役に立つところがまるで想像できないけど、でも、ちょっと面白そうかも。

 結局、私は2冊の本を受け取った。


『じゃあ、お借りします』

『うん、僕はもう何度も読んだから、返却はいつでも良いよ』


 そう言って秋山先生は穏やかに笑う。

 窓から西日が差して、準備室は茜色に染まっていた。






「なんだか眠そうですね?」


 ひととおり身支度を終えるとアルが鏡越しに私を見て、ちょっと心配そうに眉を寄せた。


「夢を見たの」

「ああ、なるほど」


 ひとつ頷いて、それ以上突っ込んで来ない。

 こちらから積極的に話さない限り、アルはあいかわらず前世の話題に乗って来ないのだ。

 今日ばかりは、私も詳しく話をする気にならなかった。これから王妃様のところへご挨拶に行くというのに、織田信長とその母の確執を思い出すなんて、やっぱこれ、自分で思っているより相当なプレッシャーを感じているのかな。


「ねえ、私、緊張してるかも」


 振り向いてアルフォンソの顔を見上げると、幼馴染の従者はちょっとおどけたように目を見開いた。


「結婚相手の母君にご挨拶に行くのに、緊張していなかったら逆に心配です」

「……うん、それもそうね」

「旦那様の話では、王妃様は美しく聡明でお優しい方だそうですから、大丈夫ですって」

「王妃様への賛辞は、お父様からもさんざん聞いたわ」

「ま、綺麗な花には棘があるっていいますからねえ」

「脅してるの?」

「まさか」


 くつりと小さく笑みを見せて、アルはそっと私の手を取る。


「さ、そろそろ階下へ」

「はぁい」


 手をひかれて客間へと向かう途中で、トマスが迎えの馬車が来たことを知らせにやってきた。さすが我が伯爵家の自慢の従者、タイミングぴったりで怖いくらいだ。やっぱりアルには超能力があるんじゃないかしら。


「おお。待ったなしですね」

「他人事だと思って」

「健闘を祈ってます」


 それでもやっぱり一緒に来てくれるという選択肢は無いらしい。

 私はアルに手を引かれたまま、玄関へと向かった。





 迎えの馬車に乗って王宮へ到着すると、せっかちな王子様が出迎えてくれた。


「よく来たな、アリア」

「ごきげんよう、ユージィン様……どうぞ宜しくお願い致します」

「そう緊張しなくても良い。こっちだ」


 そのままエスコートされ、王室御用達の立派な馬車へと乗りかえる。

 もちろん前後には護衛の馬車がずらりと並んでるし、ずいぶんと仰々しい気がするのだけど、これが普通なのかな?


「ごきげんよう、アリア様」


 けれど馬車の中で待っていた天使の笑顔が、重い気持ちを吹き飛ばしてくれた。


「エヴァンジェリン様!」


 えっと、どういうことだろう。エヴァンジェリン様が一緒だなんて、一言も聞いてない。ユージィン様を振り返ると、王子様は王子様然として小さく頷く。


「さ、アリア様、こちらへどうぞ」


 はずむ声に視線を戻すと、エヴァンジェリン様はぽんぽんと自分の隣の席を叩いた。顔が勝手に緩みまくるのを堪え、私は伯爵令嬢として最低ラインの礼を取り繕う。


「おはようございます、エヴァンジェリン様。お言葉に甘えて、失礼いたします」

「はやく座れ。グズグズしてると昼に間に合わん」


 最後に乗りこんだユージィン様が向かいの席に座り、ドアが閉められた。普段使っている馬車よりも二回りほど広い。


「昨日は楽しみ過ぎてなかなか寝付けませんでしたわ」


 うきうきと声をはずませる王女様のおかげで、ようやく少しリラックスできた。天気も良いし、楽しい旅になりそうな予感さえしてくるから不思議だ。


「エヴァンジェリン様がご一緒なんて、驚きました」

「まあ、お兄様ったらお話していませんの?」

「言ってなかったか?」


 とぼけているのか、本当にうっかりなのか、ユージィン様の表情から判断することはできない。でも、王女様が一緒なのは嬉しいサプライズなので良しとしよう。

 全員が席に落ち着くと、一呼吸置いて馬車がゆっくりと走り出した。王家の馬車だけあって、乗り心地もうちの馬車と全然違う!どうしてこんなに揺れが少ないのか、あとで車輪をよく見ておかなくちゃ。


「お兄様、今日のご予定は?」

「今から走れば、昼前にはカルヴァの街へ到着する。少し休んで、母上とは晩餐をご一緒する予定だ」

「お母様、夕方には起きていらっしゃるかしら」

「春だからな。あまり調子は良くないだろうが、夜なら大丈夫だろう」


 すっかり温かくなってきたのに、お加減がよくないのかな。そんな時期にご挨拶に伺うなんて、無理をさせてしまったらどうしよう。不安になってユージィン様を見上げると、王子様は可笑しそうに口元を緩めた。


「ああ、心配するな。母上の調子がいまひとつなのはいつものことだ。とくに春先は良くないが、大きな発作が起きなければ命にかかわることもない」


 簡単に言うけど、発作って……喘息とか?エヴァンジェリン様の口ぶりからして、不治の病という感じではないけど、話だけではいったいどこがお悪いのかはっきりしない。


「病弱な身体を補って余りあるほど気は強いし」

「お兄様、アリア様が不安になるようなことはおっしゃらないで下さい」

「事実だろう。ああ、それほど気難しい方ではないぞ」


 ええ~、フォローになってない!

 王妃様はここ数年こそ表舞台には出てこないけど、国内ではとても人気がある。私のお父様あたりの世代には、女神のように崇拝されているといっても良い。そんな方の後継者なんて、改めてハードル高すぎじゃない? 私みたいな田舎娘を見て、王妃様はどう思われるだろう。


 急に胃のあたりが重くなったので隣を見ると、エヴァンジェリン様が天使の笑みを浮かべて癒してくれた。






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