第41話 それぞれの距離
「婚約発表はひと月後、結婚式はそこから半年後だ」
「ええっ、無理です!」
お昼前、いつものように突発的にやってきた王子様が、いつものように爆弾を投下したので、私は悲鳴に近い声で反論を試みた。
「そうだな、俺も式は三か月後にしろと粘ったのだが、宰相と大臣どもが無理だと言って聞かない。招待予定の周辺諸国への根回しがあるというから、仕方なく折れてやった」
いやっ、折れて半年ですか?
確かに婚約期間に特に決まりはないけれど、王太子の結婚ともなれば話は別だ。ユージィン様が言った通り、結婚式には周辺諸国の王族も招待される。つまり、どこぞの国の王様や王子様のスケジュールにまで影響を及ぼす話なのだ。
うわー、スケールが大きすぎて、未だに実感が沸かないんですけど……。
「婚約発表の前に母上に挨拶に行くぞ」
二の句が告げない私を、王子様の言葉がさらに追い込みにかかった。
「え?」
「出発は明後日、向こうに2、3泊する予定だ。用意しておけ」
「え、ちょっと、待ってください」
「何だ?」
「私にも都合というものが……」
「お前、俺よりは暇だろう」
「私……というか、アルの予定もありますし」
むしろそっちのほうが問題なのだ。
私の予定は、この際どうにでもなる。だけど有能従者はそうはいかない。お父様のお仕事が忙しい今、アルももちろん多忙を極めている。
しかし私の心配はスルーして、王子様は不機嫌そうに顎を上げた。
「……お前、農民を連れていくつもりか?」
「だって、私の身の周りの世話は基本的にアルがしていますから」
いないと、すごく不便だし。
王妃様訪問というアウェー感あふれるイベントに、アルがいないなんて怖すぎるし。
目覚まし時計のないこの世界で、アル以外の誰が私を起こしてくれるの?
「アルがいないと、朝起きられないかもしれませんわ」
「……アリア」
呑気なことを考えていた私は、王子様の低音ボイスで現実に引き戻された。
「は、はい」
「お前、毎朝あの農民に起こされてるのか?」
「……いえ、毎日というわけでは」
しまった、と悟ったときにはもう遅い。
王子様の不機嫌オーラに気付いて、私は慌てて言葉を濁した。
毎日ってことは無い、無いです。たまにお父様の御供で早朝からアルが出かけちゃうときは、トマスが起こしてくれますわ。
私が狼狽で何かを悟ったのか、ユージィン様はさらにすうっと目を細めた。美形がすごむと怖いので、本当に勘弁してほしい。
「前々から思っていたが、お前はあの農民に依存しすぎではないか?」
「以前もお話しましたけど、アルフォンソは私の幼馴染で、友達、とても有能な従者です。王子様がお気になさることではありませんから、ご心配なく」
「貴族の娘と護衛の恋愛など、珍しい話ではないぞ」
「……、」
っと、それは私とアルの話ではありませんよね?
某侯爵令嬢と護衛騎士のお話ですよね?
目顔で問うと、王子様はようやく表情を緩めた。
「結局、ジュリエッタはお前にも話したのか」
「はい、先日、お茶にお招きいただいて……」
「あれも物好きな女だ。降るようにある縁談を断って、貧乏騎士に入れ込むとは」
「あら、降るようにあった縁談を断って、田舎貴族の娘を娶ろうというユージィン様とは思えないお言葉ですわ」
「違いない」
む。
やっぱり物好きだという自覚はあるんだ。
自分から言い出したとはいえ、面と向かって肯定されるとやっぱりちょっと複雑かも。
「そう怒るな」
「怒ってません」
すぐ顔に出るという自覚はある。
ちょっとポーカーフェイスの練習をしたほうが良いかもしれないな……。
私をからかって機嫌を直したらしいユージィン様が、もたれていた壁から身体を起こし、思案顔で一歩二歩近づいてきた。
「わかった、農民の同行は許可する。もっとも、本人が来ると言えば、の話だが」
「え、本当ですか?」
「二言は無い。お前の望みはできる限り叶えてやるつもりだ」
う。
そういうの、反則じゃない?
距離を詰めてきた王子様は、当たり前のように私のおでこに唇で軽く触れる。
駄目だ、慣れなきゃと思えば思うほど、心臓が張り切りまくるんですけど。こんな調子で婚約とか、結婚とか…………やばい、私、この先の色々を生き延びることができるの?
「名残惜しいが、休憩は終わりだ。俺は仕事を片付けなければならん」
「え、今、休憩時間だったんですか?」
王子様が仕事の話をしてくれたおかげで、スキップしていた心臓が少しだけ落ち着いた。見上げると青い瞳に私の姿が映っている。
「そろそろ戻らないと、会食の予定がある」
「働き者ですね」
「何日か王都を離れることになるからな。そのぶんの仕事は前倒しで片付けておくつもりだ」
当たり前のように言ってるけど、それなら相当忙しいだろう。
「あまりご無理をなさいませんよう」
「は、心配は無用だ」
至近距離でにやりと笑うの、やめてほしい。
一瞬見惚れた隙に今度は唇と唇が触れて、私の心臓は再び限界を超えて飛び跳ねはじめた。
「出発は明後日の朝、迎えを寄越す」
「……、」
「顔が赤いぞ」
「なっ、」
「では、またな」
……。
やられた。
あいかわらず王子様の距離の詰め方に全く対応できない。
部屋に残された私は、明後日出発の準備をどうしようかとぼんやり考え始めた。
「というわけなんだけど、アルの予定はどうかしら」
「無理ですね」
ええ、あっさり?
不満が顔に出ていたのだろう、アルフォンソは可笑しそうに唇を斜めにする。
「勝手に領地に戻ったことで、伯爵にはかなりご迷惑をかけましたから」
「そう……、そうよねえ」
「もちろん、準備はお手伝いしますよ」
同行してくれるつもりはゼロっぽいなあ。
だけど、無理なお願いだと頭でわかっていても、どうにも不安だ。
「ねえ、どうしても無理?」
「……お嬢様」
駄目押しでもう一度迫ると、アルは一瞬目を逸らしてから深いため息をついた。
「未だに自覚がないようですから言っておきますが、お嬢様は王太子とのご婚約が控えているんですよ」
「ええ、そうね」
「今回のご訪問は、王太子の母君、つまり王妃へのご挨拶です」
「その通りよ」
「そのご挨拶に、伯爵家の従者、しかも幼馴染で年齢の近い、農民出身の俺が付き添うのは、いかがなものかと存じます」
「……」
うわ、アルが丁寧になってきた。
お説教モードに突入の予感。
「たいていの家では、ご令嬢のお世話係は生え抜きの老練な執事か、気心の知れた侍女の役目ですからね。俺なんか連れて行ったら、お嬢様が恥をかきます」
「アルのことを恥ずかしいと思ったことなんて、一度もないわ」
思わず反論する。だけどアルは無表情のまま首を振った。
「一般論を言っているんですよ。お嬢様の恥は伯爵家の恥です。お忘れなきよう」
「…………はい」
まったく正論過ぎて何も言えない。駄目だ。こういう時のアルには逆らわないのが一番だ。私は仕方なく殊勝に頷いて見せた。
私の態度に一応満足したのか、アルフォンソの表情が微妙に緩む。
「それに、俺だってまだ命は惜しいですから」
「え?」
「俺がついていって普段通りお嬢様に世話を焼いたら、王太子に抹殺されます」
「……抹殺まではされないと思うわ」
「これ以上余計なヘイトを集めるのはご免ですよ」
すべての会話の片手間に淹れたお茶を私の前に置きながら、アルフォンソは小さく首を傾げて私を見詰めた。確かにこのところ、アルには迷惑をかけてばかりだ。このところ、というか、小さいころからずっと、頼りになる幼馴染に甘えてばかりだという自覚は、ある。
仕方ない、ここは覚悟を決めるしかないか。
私は背筋を伸ばして、せいぜい伯爵令嬢らしく澄ましてみる。
「では、旅の準備をお願い。出発は明後日の朝よ」
「畏まりました、お嬢様」
アルフォンソの淹れてくれたお茶は、今日もとても良い香りがした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます