第40話 赤薔薇の秘密
「まずはおめでとう、かしら」
広い庭に用意されたテーブルに就くと、向かいの席のジュリエッタ様がにっこりと微笑んだ。『赤薔薇の君』は今日も麗しい。
「ええ、ありがとうございます……で、いいのでしょうか?」
「ふふ、貴女は正直ね」
王太子との婚約を拒絶したジュリエッタ様と、王太子と婚約予定の私。今日は二人きりのお茶会だ。アルは大忙しのお父様に連れ去られてしまったので、私は侯爵家の迎えの馬車に乗り、ジュリエッタ様の護衛騎士のひとりにエスコートされてここまでやってきた。
ベアルツォート侯爵家のお屋敷は、我が伯爵家の屋敷とはくらべものにならないほどに広い。召使が次々にやってきて、テーブルにお茶の準備を整えていく。
これ、全部食べ切れるかな。ていうか食べたい、全部美味しそうなんですけど……!
「ひとつだけ確認して良いかしら」
デーブルの準備がすっかり整い、召使が離れたことを見計らって、ジュリエッタ様が切り出した。
「王太子の求婚を受け入れたのは、貴女の本意?」
「え?」
「本当にあの王子様で良いの?」
おお、剛速球ストレート。
どういう反応を返していいのかわからず、私はちょっと視線を逸らす。
「勘違いしないで。私、王太子の能力は買っているの。おそらく、悪人でもないわ」
「ええ、私もそう思います」
「でもね、アリア」
ため息に乗せた声は、多分に諦めの色を含んでいた。
「王子様は、人の気持ちを慮ることができない方だわ。貴女に事情も話さないうちに、私と婚約すると貴女に宣言するなんて、無神経にもほどがあります」
確かにあの時は動揺したし、自分でもびっくりするくらい悲しかったけど、あらかじめ知らされていたとしてもそれほど結果は変わらなかったと思う。どちらにしても、私の辞書にダブル不倫の文字は無い。
「もちろん今回のことについては、私も軽率だったと反省しているの」
ジュリエッタ様が申し訳なさそうに目を伏せる。
「ごめんなさいね、アリア」
「え、と、とんでもないです!」
赤薔薇の君の謝罪に、私は慌てふためいた。
今回のことって、もしかしなくても偽装結婚計画のことだよね。この世界の、貴族社会の常識ではセーフなのかもしれないけど、私の倫理観では完全にアウト。しかも本妻はジュリエッタ様って、どんな罰ゲーム? と、話を聞いたときには思いました。
だけどよくよく考えてみたら、それは私の都合だ。
「私のほうこそ、結局わがままを押し通してしまいました」
ジュリエッタ様は軽く目を見開くと、頬に手をあてて小さく首を傾げた。勝手にモノローグをつけるなら『困ったものね』という顔だ。
「わがままでも良いと思うわ。一生の問題ですもの」
「意に沿わない結婚なんて、珍しくはありませんから」
「そうね。私と王太子を相手取って、きっぱり断れるところは貴女の美徳だと思います」
ええ?
それは褒められているんでしょうか。
真面目な顔を作っているけれど、『赤薔薇の君』の目は笑っている。
「王太子妃になりたくないのでしょう?王太子にそう宣言したと聞いたわ」
「ええ……はい」
ユージィン様、『赤薔薇の君』と何の話をしてくれてるの!
「でも、貴女は結局求婚を受け入れた」
「……はい」
「領地まで王太子が追い掛けて来たら、なかなか断るわけにもいかないでしょうけど」
ジュリエッタ様は楽しそうに小さく肩を揺らした。
「王太子は王太子なりに、必死だったのよ。よほど貴女に執着しているのね」
「……」
執着。
そう言われると照れ……いや、照れないな、むしろ笑えない。
赤く青くなったりしている私をまじまじと見つめ、『赤薔薇の君』はほんの少し首を傾げる。
「私は貴女が羨ましいわ。私が囲う予定だった人は、王太子との婚約話にもビクともしなかったから」
「!」
『囲う』とか!
ジュリエッタ様が言うと耽美な背徳系に聞こえるから不思議。
『お相手は誰なんですか?』って、訊いてもいいかな、気になって仕方ない。
「あら、王子から聞いているのでしょう?」
ええ、ええ、聞いていますとも。少し複雑だけど、私の、私たちの憧れ、『赤薔薇の君』のハートを射止めたのは誰!?
「……そういう方がいるということだけ、教えていただきました」
「じゃあ、誰なのかは知らないの?」
「はい」
「まあ」
パチパチと瞬きすると、長いまつ毛で風が起こりそうだ。
「今、王太子のことを少し見直しました。意外と口が堅いようね」
ここで見直されちゃうって、どうなの王子様。
ジュリエッタ様を敵にまわすことを恐れていたみたいですよぅ、とは言わないでおこう。
そんなことより、今は知りたいことがある。
「あの、ジュリエッタ様」
「ふふ、私の想い人が誰なのか、知りたい?」
「はい!」
「では、その素直さに免じて、教えます」
隠しても仕方ないので食い気味に頷くと、ジュリエッタ様は嫣然と微笑んだ。
「私の好きな人は、鋼の心を持った騎士様よ」
「……」
鋼の心を持った騎士様。
騎士様?
思わず首を巡らせる。お茶会のテーブルから少し離れた生け垣の前に、その人は今日も佇んでいた。私の視線に気付いたのか、わずかに顎を引いて目礼をする。
舞踏会でも教会でも、ジュリエッタ様に付き添っていたあの騎士様だ。確かアルに名前を聞いたはずなのに、思い出せない。
「そんなに見詰めると、彼に穴が開いてしまうわ」
はっ、しまった。ついついガン見しちゃった。
私は慌ててジュリエッタ様に向き直る。
「ご感想は?」
「すっ……」
「す?」
「素敵ですっ!」
「すてき?」
だって、ロマンティックじゃない?
『深窓の侯爵令嬢と護衛騎士の恋』なんて、王道中の王道、心ときめくシュチュエーションだ。
「はい、恋愛小説なら王道です!」
「ああ、そうね……学生時代にお友達が貸してくれたわ」
「みんな夢中になって読みましたよね」
なにせ娯楽の少ない世界なのだ。
テレビもスマホも漫画も無いこの世界。流行りの物語本を誰かが手に入れると、皆で順番に読んだものだ。どんな世界でも、たいていの女の子は夢見る生き物なんだよね、困ったことに。
「あの頃は、荒唐無稽な作り話ばかりだと思っていたけれど、そうね、確かに」
ジュリエッタ様は一口紅茶を飲むと、悪戯っぽく笑う。
「でも、それを言うなら、貴女と王太子の物語のほうが王道ではなくて?」
「え?」
「王子様に追いかけられて結婚を申し込まれるなんて、なかなかできる体験ではないわ」
ジュリエッタ様と私は一瞬見詰めあうと、ほぼ同時に小さく息をついた。
王道の『困難を乗り越えて結ばれる二人』がいかに茨の道かということを、私たちは身をもって体験している。
「……やっぱり、物語は物語だから楽しいんですね」
「ええ、王道の展開は傍から眺めているのが一番良いわ」
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