第39話 無敵の天使
絶望だ。
神様仏様女神様、どうかどうか罪深い私をお許しください。
いや、この世界で仏様はないな。アシュトリア国教で最高位の女神リューネアに全身全霊で許しを請わなければ。なんなら神殿に籠りますから、どうかお慈悲を……!
「アリア様……」
うう、どうしよう。
横に立つユージィン様に救いを求めて視線を送ってみたけれど、王子様はとても困ったように唇を斜めにしただけだった。
ああ、どうしよう。
アシュトリアの天使を泣かせてしまった……!
ていうか、今まさに私を抱きしめて涙を流しているエヴァンジェリン様、泣いているというのにめっちゃ可憐だし上品だし、いい匂いがするんですけど、この罪悪感はどうすればいいの。胸が抉られる。死にたい。もういっそ一思いに殺してほしい!
「エヴァンジェリン様、本当に、本当に申し訳ありませんでした」
やっとのことでそれだけ言うと、王女様は私の胸元に顔を埋めたまま小さくかぶりを振った。
「アリアさまは、なにも、わるくありませんっ」
しゃくりを上げながら必死でそんなふうに言って下さるエヴァンジェリン様、マジ天使。いやでも、私が何もかも放り出して逃げ出したのは事実だし。ああ、もう我慢できない。
私は畏れ多くも王女様の金色の髪をそっと撫でた。こうしていると、やっぱり子供なんだよね。普段どれだけ背伸びをしているか想像すると、こちらが泣けてきそう。こんな小さい子を悲しませてしまった自分が情けない。
「いいえ、私は逃げるべきではありませんでした。きちんと向き合っていれば、エヴァジェリン様を悲しませることはなかったのですもの」
「違います!ぜんぶお兄様とファビオ様のせいですわ」
ようやく顔を上げた王女様は、涙で濡れた瞳でユージィン様を睨みつけた。うわあ、これはけっこう堪えるかも……案の定ユージィン様が虫の息です、やめてあげて下さい。
「わたくし、今回ばかりは怒っていますのよ。ジュリエッタ様を正妃に、アリア様を側室にしようなんて、神様がお許しになっても私とお母様が絶対に許しませんから」
「だから、色々と事情があると話しただろう」
「……」
ユージィン様がそう言うと、エヴァンジェリン様はぷいっと顔を背けた。
「お兄様とお話しすることなんて何もありません」
ぐふうっ。
会心の一撃。
王子様の死亡を無事確認して、私はエヴァンジェリン様の顔を覗き込んだ。
「エヴァンジェリン様、ご心配をおかけしたこと、申し訳ありませんでした。私が勝手な思い込みで逃げだしたのです。ユージィン様のせいではありません」
「いいえ、全部お兄様のせいです!アリア様のお立場を顧みない発言の数々、はっきりとこの耳で聞きました。お兄様みたいに人の気持ちが分からない方は、王太子の身分がなければ結婚なんてできるはずありません。私、ずいぶん前からそう思っておりましたの」
うん、コメントしにくいな……。
正直『その通りですわね』と相槌を打ちたい気分だ。ちらりと王子を見ると、完全に目が死んでいる。駄目駄目、いくらなんでも、今追い打ちをかけるほどの鬼にはなれない。
「でも、アリア様は違いました。兄がどんな振る舞いをしても、唐突に市場や森に誘っても、楽しそうにお兄様とのお話を聞かせて下さいました。私、とても嬉しかったのです」
だって、それは……本当に楽しかったからです。
王子様のことを気楽に話せるのは、アルとエヴァンジェリン様くらいだし、楽しかったできごとは誰かに話したくなるに決まっている。むしろ聞いていただいて、感謝したいのは私のほうだ。
「お兄様も同じ。私にはアリア様のお話ばかりなさいますのよ?こんな方、きっともう二度と巡りあえません!絶対ですわ」
うわあ、ぎゅうっと抱きつかれた。
もう死んでもいい。
じゃなくて。
えっと、ユージィン様に結婚を申し込まれましたと報告するべきだろうか。私がして良いんだろうか。迷っている間にもエヴァンジェリン様は喋り続ける。
「でも、アリア様が帰ってしまって、私も思い知りましたわ。もうお兄様なんてどうでも良いのです。アリア様はわたくしのお友達です。お願い、急にいなくなったりしないで下さい!」
「エヴァンジェリン様……!」
「おい、どうでも良くはないぞ」
あ、王子様が復活した。
「お兄様は黙っていらして」
「黙っていられるか。アリアには結婚を申し込んだ。もちろん、承諾も得ている」
「え?」
わずかに首を巡らして王子をちょっとだけ見てから、お姫様が顔を上げた。
「……ホントですか、アリア様」
大きな青い目が私の顔を覗き込む。ああ、エヴァンジェリン様……マジ天使(本日二回目)。
「はい、ユージィン様の仰る通りです」
「まさか、脅されたとか?」
「えっ?」
「王家の権力を振りかざして、アリア様に迫ったとか、そういうことでしょうか!?」
「おい」
どれだけ信用がないんだ、王子様……。
まあ、権力はともかく、力づくで迫ってきたというのは間違いではない。さすが妹君、よくわかっていらっしゃる。こんな時だというのに、私は思わず吹き出した。
「まあ、そういうことも無いことはないのですけど」
「やっぱり!」
「おい、アリア!」
「でもね、エヴァンジェリン様」
なるべくユージィン様に聞こえないよう、私は可愛いお姫様に顔を近づけて、そっと打ち明ける。
「私、王子様がほかのどなたかと結婚するのは嫌だったみたいです。ええ、もう、想像したら泣きながら逃げ出してしまうくらいには」
「アリア様……」
宝石のような青い瞳に、ぐぐっと涙が盛り上がる。
「では、私の……お義姉様に、なって下さいますの?」
「そうなれるよう、最大限に努力します」
「言いましたわね?絶対、絶対逃がしませんから!!」
文字通り、ロックオンされた。逃げようなんて思っていないけど、逃げられる気もしない。
うん、やっぱり王子様と王女様はよく似ている。
せいいっぱいの力で抱き着いてくるエヴァンジェリン様の髪も、ユージィン様と同じ色だ。
「捕まったな。エヴァは俺より手強いぞ」
「あら、エヴァンジェリン姫に捕まるなら本望です」
そう言って笑ってみせると、ユージィン様はムッとしたように何かを言いかけて、寸前で止めた。どうやら王女様に甘いのは、私だけではないらしい。
一度はジュリエッタ様と婚約すると報告を受けていた国王陛下への訂正と報告もさることながら、何より気まずかったのは宰相ファビオ様との話し合いだ。婚約の話自体が公にされていないことは幸いだった。しかも形の上ではジュリエッタ様からの婚約破棄、というか婚約拒否だったわけだけど、宰相が王子とジュリエッタ様の結婚を望んでいたのは間違いない。ユージィン様が一緒だとはいえ、私は今度こそ死ぬかも、と思えるくらいに緊張していた。
「アリア嬢には詫びねばならん」
むっつりとした表情のまま、ファビオ宰相は最初にそう言った。
「私の勇み足で、色々と苦労をかけたようだ」
「いえ、どちらかといえば、ご迷惑をかけたのは私のほうですわ」
というか元凶はユージィン様だと思う。いやいや人のせいにするのは良くないな……でもやっぱり王子様だと思う!
「正直に言ってしまえば」
と、重々しく宰相は言葉を続けた。
「我々はジュリエッタとユージィン殿下のたくらみに振り回された、いわば被害者だと認識している」
わあ。
全力で同意したいけど、さすがに無理。王子はともかく、ジュリエッタ様を責めるようなことはしたくありませんもの。
「誰が被害者だって?」
すうっとユージィン様が目を細める。
「娘の気持ちを無視して縁談など進めるからややこしいことになるんだろう。普通の令嬢ならともかく、お前の娘は親の言うことに従うだけの傀儡ではない。少しはあれの話をきいてやるが良い」
「ご忠告は心に留めておきましょう」
そう言って頷いてから、宰相は私へと視線を移した。
「アリア嬢」
「はい」
「近いうちに是非茶会へ招待したいと、ジュリエッタから伝言だ」
「まあ……あの、ジュリエッタ様はお元気でしょうか」
「元気過ぎて困るくらいだよ」
ファビオ様は何かを諦めたような顔で、小さく息を吐いた。
「親の私が言うのもなんだが、ジュリエッタは聡い娘だ。できれば、あの聡明さを最大限に活かせる地位に就かせてやりたかった。あれが王太子妃になり、いずれ王妃になれば、必ず国のためになると、そう考えたことは間違いではないと思っている」
「そうですわね。ジュリエッタ様なら、宰相にだってなれると思います」
ぽろっと言ってしまってから、まずいと気付いたけど遅い。
ユージィン様とファビオ宰相が、二人しておかしな顔をして、こちらを見ている。
「あの、いえ、宰相のお仕事を軽んじているわけではありませんわ。ジュリエッタ様は素晴らしいお方です。結婚相手の地位や権力を借りず、ジュリエッタ様ご自身が国王の助けとなってくれたなら、我が国の未来は明るいのではないかな……と、思って、」
しまった。
これ余計に傷口を広げてない?だったら王妃の地位を譲れば良い話だと言われたらどうしよう。
「は、女が宰相か。なかなか面白い」
「まさか、……務まるわけがない」
「わからんぞ。俺もジュリエッタの能力と度胸は買っている。ひょっとしたら貴様以上の宰相になるかもしれん」
「褒め言葉として、ありがたく受け取っておきましょう……それにしても」
ファビオ宰相の顔に、はじめて笑みに近いものが浮かぶ。
「アリア嬢はなかなか斬新な考えをお持ちのようだ」
「当たり前だろう、俺の選んだ女だぞ」
ちょっ、石頭で有名な宰相の前ですってば……。
恥ずかしいから自信満々でそういうことを真顔で言わないで下さい。おそらく赤面した私を見て、ユージィン様は何故か満足げに頷いた。
意味がわからない!
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