第38話 王子様には敵わない

「そもそも、悪いのはお前だ」


 え、まさかの丸投げ!?

 二の句が告げず思わず唇を尖らせて不服を訴えてみたが、王子様はびくともしない。どんな神経をしているんだ、鋼鉄ですか?


「私?」

「そうだ。王妃は無理だと、俺に宣言しただろう」


 それっていつの話でしょう。

 その宣言、色んな人に何度もした気がするので咄嗟に思い出せない。困惑顔の私を眺め、ユージィン様はすいと目を細めた。


「お前が14リラを返しに来た日、中庭で。はじめてお前が前世の話を打ち明けた時だ」

「……そういえば」


 私は素直に感心してコクリと頷いた。具体的なことをよく覚えてるなあ。流石やればできる王子様。

 ええ、はい、おかげで私も思い出しました。

 今思い返しても、あれは無いな。ユージィン様ご自身に王太子妃になりたくないときっぱり宣言するなんて、その度胸だけは買うよ、あの時の私。それだけ私も必死だったってことだよね。絶対無理だと思ったんだもの。ていうか、今でも思っている。

 過去に浸りかけた私を、存外真剣な王子様の声が現実へと引き戻した。


「あれから、何か方法がないかとずっと考えていた」

「方法?」


 ずっと考えていたって、何をでしょう。話が見えてこない。

 いつまで経っても理解が追いつかない私に呆れたらしく、ユージィン様の口がへの字になる。


「察しが悪いな」


 ええ~?

 お畏れながら、私の飲み込みがどうこうよりユージィン様の言葉が足りないのが問題だと思うんですが……。とはいうものの、言い返したら臍を曲げられること間違いなしなので、今は黙って説明を待つしかない私だ。

 王子様は長い脚を組み直して、わずかに顎を上げた。


「王妃はジュリエッタに任せる。もちろんできる限りの代償は払う。しかし本当の意味で俺の妻となるのはアリア、お前だ。その予定だった」

「はい?」


 うん、それっていわゆる愛人ですよね。違う、公認だから側室だ。

 側室という名の愛人ですよね?

 前世では妻が10人ですものね?

 もう、これだから貴族って、男って!

 だいたい客観的に見て、本妻より格段に貧相な愛人ってどうよ?ありえなーい!


「予定って、ユージィン様の勝手な予定でしょう?」

「まあな。しかし、ジュリエッタにとっても悪くない話だ」


 どこが?

 愛人しか愛さないけれど、形式上正妻になってくれって、どんな発想?

 ちょっと前世が織田信長だからって、戦国脳でなんでも許されると思ったら大間違いだ。ここは戦国時代ではないし、言ってもわからないだろうけど私は平成生まれだからね!


「お前は知らないだろうが、あれにはあれの思惑があった」


 私のふくれっつらが可笑しかったのか、王子様は悪戯っぽい笑みで距離を詰めてきた。距離を……ていうか近い近い! ベベベベルをっ、鳴らさなきゃ。ダグラスを呼ばなきゃ!

 懐刀よろしくベルを構えたものの、話の続きが気になって思いきれない私の手首をユージィン様がぐいと掴む。


「まあ待て」


 逡巡につけこむべく、ユージィン様は大急ぎで言葉を続けた。


「ジュリエッタには俺と結婚したくない理由がある」

「結婚したくない……、理由?」

「本当に鈍いな。別に好きな男がいるということだ」


 好きな男?

『赤薔薇の君』に?

 まさに青天の霹靂。

 私の思考回路は一時的にフリーズし、すぐにポンコツなりに動きだした。

 いやっ、そんな噂は聞いたことがありません!ジュリエッタ様はいつだって崇高で気高くて美しくて、私の知る限りどんな男性にもなびかなかった。実際、ユージィン様とのお茶会も断り続けていましたよね?

 私の百面相を横目で眺め、ユージィン様は愉快そうだ。


「相手の男は……、本人の資質はともかく、宰相が納得する身分ではないからな。そもそも今回の婚約話自体、ジュリエッタとその男の仲を裂こうという宰相の勇み足とも言える。ジュリエッタはそれを逆手に取ろうとしたわけだ」

「あの、待ってください」


 待って、ジュリエッタ様の好きなお相手って誰? めっちゃ気になる!

 言葉に出さずとも、その気持ちは顔に出ていたらしい。ユージィン様は先回りして、苦笑しながら首を振った。


「そんな顔をしても、俺がジュリエッタの秘密を明かすわけにはいかない。あれを敵にまわす勇気は無いぞ。知りたければ自分で訊け」

「ええ~、酷い!」

「酷くない。というか、本題から外れているぞ。ここまでは理解しているか?」

「つまり、ユージィン様とジュリエッタ様の利害は一致していたということですね?」


 私が逃げて、ジュリエッタ様が激怒したって、そういうことかあ。

 そりゃあらかじめこの話をして貰っていれば夜逃げ同然で逃亡するはめにはならなかったろうけど、到底賛成できる話ではない。


「そういうことだ。ジュリエッタとは話がついていた。アシュトリア王国は理想的な、未来の王妃を得る。婚約も結婚も、形だけはきちんと整える。あとはお互い、愛する者と好きに暮らせば良いだろう」


 それはつまり、ダブル不倫でしょう?

 いや、別に不倫ではないのか……王族が側室を持つことは普通に許されているし、身分の高い夫人が愛人を囲っているのも珍しい話ではないもの。

 ああ、頭痛い………。


 そもそも中世風の世界なんて、貴族なんて最初から柄じゃなかったのだ。ユージィン様の前世は戦国時代、しかも国のトップになろうとしていた人だ。この国の貴族制度もきっとすんなり受け入れられただろう。でも、私は違う。有名人が不倫なんてしたら、速攻ネットで袋叩きの時代に生きていた。

 正妻とか側室とか、無理です、マジで。


「王子が良くても、囲われるほうは良い迷惑ですわ。もしも……もしも、私だったら、謹んでお断りいたします」

「許さんと言ったら?」

「逃げます」

「結局逃げるのか……」


 王子様は僅かに拗ねたように私を見詰めた。

 何ですか、その表情。

 これ、ひょっとして私が悪い感じになってる?

 違う、……違うよね。しっかり、アリア!


「やはり駄目か。良い考えだと思ったんだが」


 良いわけないじゃない。

 私にだって心があるんだ。しかもチキンメンタルなのだ。王子と王太子妃の姿を常に傍で見せられ、いつかユージィン様の心が離れるんじゃないかと心配しながら側室として生きていくなんて、できるわけがない。仮にもジュリエッタ様の夫に囲われるなんて、まっぴらごめんです!


「……そんな顔をするな。どうすればいい?」

「わ、わかりません……」

「俺にもわからない。女に不自由したことは無いが、こんなふうに誰かに恋焦がれるのは、はじめてだからな」

「!」


 だから、

 唐突にそういう殺し文句を挟んでくるの、

 ほんっとうにやめてください。


 心臓に悪い!!


 やっとのことで息をしている私などかまいもせず、ユージィン様はすいと立ち上がり、私の正面に立った。逆光の王子様の破壊力は満点で、私はぼんやりとその美しい姿を見上げる。


「お前が王太子妃になりたくないと言うなら、ならずに済むようにしてやろうと思っていた。しかし、そうも言っていられないらしい」


 ふいと妖艶な笑みを浮かべた王子様が、この上なく優雅な所作で私の目の前に跪く。

 えっ、跪いた……?

 まずい、とひっこめようとした手を寸前で掴まれる。ええ、もう、それは素早く、がっちりと確保されました。その瞬間の王子様の、してやったりといわんばかりの表情ときたら……きっと一生忘れられないと思いますわ!


「アリア・リラ・マテラフィ。お前を愛している。俺の妻となれ」

「…………、」


 くそう、油断した。

 やっぱり命令形ですか。

 らしすぎて、思わず笑ってしまいそうになる。


「返事は?」

「ユージィン様は、せっかちですわ」

「心配するな、お前なら王太子妃も王妃も楽勝だ。楽勝でなくとも、俺がなんとかしてやる」

「先回りしないでください」

「側室も愛人も作らん。女はお前一人で手一杯だ」

「ええ……?」


 そんなに手のかかる妻になるつもりは、無い。

 お裁縫はできるし、ダンスもできます。まあ、その他のもろもろも、なんとかきっと人並みに。できないことは、できるように努力すればいい。そもそも逃げ続けてこんなややこしいことになったのだ。真正面から結婚を申し込まれた以上、逃げることはできないし、もう逃げるつもりも、元気もない。諦めた。腹を決めた。違う、どんなふうに取り繕っても無駄か。私はきっと王子様には敵わない。

 ……完璧に完全に、白旗を上げるしかないのだ。


 畏れ多くも目の前に跪いている王子様に、私は今度こそ笑って見せた。


「……アリア」


 いつも見下ろされているので、見上げられるのは新鮮だ。

 おうふ。この角度やばい。せつなそうな顔はやめて下さい。心臓がどっくんどっくんうるさいんですけど、聞こえてないよね?


「私では、王子様につり合いませんわ」

「それは俺が決めることだ」

「王太子妃なんて無理です、きっと迷惑をかけてしまいます」

「たいした仕事じゃない。いるだけで良い。母上だって、最近は寝てるだけだが許されているぞ」

「でも、それでもお許しいただけるなら……精一杯良い妻になるよう務めます」

「そうだな。だから諦めて俺の妻に……」


 さらに口説きかけて、はたと気付いたらしいユージィン様と、目が合う。

 うん、ちゃんと聞け。ていうか、既にいっぱいいっぱいなので手を離して下さい。そのうち爆発するんじゃないかというくらい、顔が熱かった。金髪碧眼美形の王子様が跪いてプロポーズなんて、現実にあっちゃいけないシュチュエーションだ。ホント、心臓がいかれそう。今死んじゃったら、不名誉な噂が流れそう。

 私がくだらないことを考えている間も、王子様は見たことがないくらいの真剣な顔で私を見上げ、やがて口を開いた。


「……妻に、なると言ったか?」

「ええ、言いました」

「そうか……、そうか、感謝する!」


 破顔一笑。

 その瞬間、後光が差してどこからともなくラッパの音が鳴り響いた……ような気がした。王室の兄妹は天使召喚の能力でもあるんでしょうか。

 あっけにとられている隙にぬかりのない王子様に抱き締められたので、私は今度こそ構えていた呼び出し用のベルを思い切り鳴らし、頼りになる守護者たちを召喚することに成功した。





 王子様は2日ほど田舎屋敷に滞在した。

 予想通りお兄様はあたふたしていたし、お義姉様はユージィン様の美貌にきゃあきゃあ言ったりぽーっとなったりして、絶賛混乱中のお兄様をさらにやきもきさせたけれど、滞在中の王子様はびっくりするくらい完璧に王太子らしくふるまった。どうやらダグラスを敵にまわすのは得策ではないと考え、方針を変更したらしい。


 お祭りまでは領地に留まるつもりだったけれど、ユージィン様はそうもいかないようだ。


「はやく帰らないと、エヴァンジェリンが一生口をきいてくれなくなるだろう」


 そこですか?

 他にもあるでしょう、お仕事とか公務とか。


「では、ユージィン様は先にお戻りください。私はお祭りが終わってから、王都へ向かいます」

「駄目だ」

「ええ、どうしてですか?」


 私だってお祭りは楽しみにしているのだ。アル以外の友人たちにも会いたいし、祭りの踊りも踊りたい。それに巾着やらチーフやら、お祭りのバザー用にいっぱい作っちゃったし。

 けれど、私の懇願を込めた視線を受け止めても、王子の意思は揺るがなかった。


「また逃げられると困る」

「逃げません」

「どんな理由であれ、今はお前の傍を離れる気にならん」


 ぐはっ。

 会心の一撃をくらった!

 ちなみに、場所は食堂、テーブルには家人は全員揃っている。アルとダグラスはもちろん控えているし、使用人も何人か出入りしている、そんな夕食の真っ最中だというのに臆面も無くその台詞か!


「明日の朝には、アリアを連れてここを発つ」


 領主名代たるクラウスお兄様よりもこの屋敷の主人らしく、王子様はそう宣言した。逆らえる人間がどこにいるだろうか。うわ、お義姉さまがまたぽーっとしている!頑張って、お兄様……ああっ駄目だ、既に目が死んでいますわ!

 仕方ない。マテラフィ伯爵家の平和のためにも、お兄様や私の心の平穏のためにも、諦めて王都へ戻るしか道は無いってことですね……。



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