第37話 王子様には問題がある

 お兄様とお義姉様が出かけていたのは不幸中の幸いだった。


 なにごとにも慎重で優しい性格のお兄様がいきなり王子様に遭遇したら気絶しちゃいそうだし、お義姉様はミーハーなところがあるから、王子様の登場にきゃあきゃあ黄色い声を上げるだろう。間違いなくマテラフィ伯爵家の田舎屋敷は今以上の混沌に陥ることになったはず。

 まあ、今現在も私の部屋は混沌としているんですけどね。

 混沌とした沈黙。


 それもこれも、全部ユージィン様のせいですわ!


「俺はアリアと話がある。貴様たちは下がれ」

「そういうわけには参りません」


 後ろの壁際にはアルフォンソ。

 さらに部屋の入り口には家令のダグラスが置物のように静かに、しかし重苦しい圧を纏って立っている。アルの声もなんとなく、投げやり、というか棒読みだ。やけくそと言っても良い。


「王子には別室を用意致しました。お休みでしたら、そちらをお使い下さい」



 そう。

 例の殺し文句の余韻に浸る間もなく、私たちは森を探しにやってきたダグラスたちに無事発見された。遠くから私を呼ぶアルの声が聞こえた瞬間の、お預けをくらった仔犬のような王子様の表情は当分忘れられそうにない。今思い出しても少し気の毒で吹き出しそうになるけど、よく考えたら笑い事じゃないな。あのまま二人きりだったら、絶対既成事実を作られていたはず。

 うわあ、思い出したら色々恥ずかしくなってきた、忘れたい!


 屋敷に戻った私は、問答無用でお風呂に入れられ、メイドさんたちに丹念に全身を洗われ、身体の隅々まで点検された上で髪を念入りに乾かされ、最後に傷の手当てを受けてようやく自室へ落ち着いた。いや、全然落ち着いてはいない。例によって王子が勝手に押しかけてきたので、現在進行形で、絶賛緊迫状態にある。

 アルとダグラスが部屋を離れようとしないのは、完全に監視目的だ。なにせ発見されたときスカートは破れ放題、身体は擦り傷だらけ、しかも狭いうろに二人してぎゅうぎゅうに詰まっているし、私はべそをかいていた。まあ、あらぬ疑いをかけられる要素は充分でしたもの。


 ……実際、疑いではなく未遂だったわけですけどね!


「別室など必要ない。俺はここで寝る」


 王子様、お願いですから火に油を注ぐ言動はお控え下さい。


「困りますわ、ユージィン殿下。ここは私の部屋です」

「未婚女性の部屋で寝るなど、殿下といえども許されません。さ、王子」

「どうせ俺の妻になるんだ、かまわん」


 黙っていたダグラスが、今度こそぴくりと反応した。

 王太子に無駄に慣れているアルはともかく、この邸の家令たるダグラスは王都のトマスのように穏健派ではない。彼は王家よりも伯爵家優先の忠実な執事なのだ。ユージィン様の数々の無体には相当腹をたてているはず。うう、ダグラスの沈黙が重い。

 そんな重苦しい空気をものともせず、アルが私のほうに向き直って、ちょっと首を傾げた。


「お嬢様、結局そういう話になったんですか?」

「ああ、そうだ」

「なっていませんわ!」


 勝手に答えた王子様の声を慌てて打ち消す。

 ここで『どっちだよ』と突っ込まないアルって、結構すごいと思うの。

 優秀な従者は鬼スルーのスキルを発揮し、私とユージィン様を交互に眺め、わざとらしくため息をついた。


「どうやら話し合いが足りないみたいですね」

「だから、出ていけと言っているだろう。部外者がいては話もできん」


 ああ、またダグラスの眉間に皺が増えた!

 この屋敷において部外者といえばどちらかといえばユージィン様のほうですわ。少しは自覚してほしい。いきなり家に訪ねて来て勝手に上がりこむ悪癖、治ったと思っていたけど全然治ってなかった。

 しかし、スキル発動中のアルフォンソはダグラスの静かな怒りも王子様の暴言も、ものともしない。ある意味悟りの表情で、彼は私に頷いてみせた。


「では、晩餐までにお二人で話をまとめておいて下さい。クラウス様とロザンナ様が――、領主名代が戻り次第、夕食に致します。当然、王太子のこともご紹介しなければなりませんから、ご一緒に。お話はここでしていただいて結構ですが、夜は別室に案内させていただきます」


 そこまで一息に言ってから、アルはドアの前に立つダグラスのほうを窺う。


「それでよろしいでしょうか、ダグラスさん」

「お嬢様さえよろしければ、異論はございません」

「ユージィン殿下は?」

「仕方あるまい」

「では……お嬢様」


 微妙な間があって、視線が私に集中する。

 ううーん、やむを得ない。

 私自身、いまひとつ現状を把握していないので、ユージィン様の話は聞きたい。とはいえ、外聞の良い話ばかりではないだろうし、王太子の縁談話がどうなってこうなったのか、非常にデリケートな話になるのは間違いない。ここは伯爵家当主の娘として、人払いが吉だろう。ちょっと、……かなり不安ですけど。


「わかりました。ユージィン殿下とお話をしたいと思います。急なお客様で悪いけど、アルとダグラスは晩餐の準備をお願いね。アル、お兄様たちが帰ってきたら、事情を説明しておいて」

「畏まりました」

「ダグラス、迷惑をかけてごめんなさい」


 すぐに軽やかな返事を返したアルとは対照的に、ダグラスは慇懃にお辞儀をした。


「お嬢様」

「なあに、ダグラス」

「何かございましたら、ベルを鳴らして下さい。すぐに参上致します」


 うん、ダグラスなら秒で駆け付けてくれるだろう。

 私は頼りになる家令の心をなだめるべく、にっこりと笑いかけた。


「ありがとう。頼りにしているわ」

「くれぐれもお気を付けて」


 その視線は絶対零度のまま、油断なく王子を見据えている。

 うん、未だに信じ難いのかもしれないけど、目の前の金髪碧眼は間違いなく我が国の王子様ですからね。どうして我が家には、不敬罪で捕まりそうな使用人ばかり集まるのかしら……。

 ダグラスが忍者のように退出し、アルが肩を竦めてからその後を追うと、私の部屋にはソファにふんぞり返ったユージィン様だけが残された。


 うう、自分で指示したこととはいえ、気まずい。

 王子様の顔をまともに見ることすら、気まずい。

 とにかく王子様の存在自体が、気まずい!


「アリア」


 気まずさの塊と化したユージィン様は、しかし涼しい顔で私の名を呼んだ。


「はっ、はい!」

「そう警戒するな。隣へ来い」


 ええっ、近う寄れってやつですか!?

 その手には乗らないんだから。


「いえ、私はこちらで結構です」

「内密の話があるだけだ。何もしないと約束する」

「本当ですか~?」

「二言は無い」


 そこまで言われては仕方ない。腐っても自国の王太子ですものね。私はおそるおそる立ち上がって、王太子の隣へと移動した。3人掛けのソファなので、少し距離を置いて座る。

 私の様子をじっと観察していた王子は、はあ、とあきれたように息を吐いた。


「こんなにままならない女は、はじめてだ」

「そういうことを言ってると、信用を失いますよ?」

「前世では、女は奪うもの、献上されるもの、あてがわれるものだった」


 またそういう問題発言を!

 私はさらに王子様から距離をとる。


「勘違いするな、軽んじていたわけではない。俺は俺なりにだな……、」

「……」

「わかった。もう言わないから、機嫌を直せ」


 べつに機嫌は悪くありません。織田信長の妻は10人以上、子供は20人以上という情報を頭の中で反復していただけですわ。別の世界を生きているとはいえ、素養はあるということでよろしいのかしら。

 ………うん、むかつく。

 しかしむかついている私のことなどおかまいなしに、王太子はアクロバティックに話題を切り替えた。





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