第43話 王太子妃への覚悟

 王都から馬車で3時間ほど。カルヴァは典型的な港町だ。

 海辺に面した小高い丘の上にある王家の別邸。海を一望できる部屋に、その人はいた。



「お母様!」

「まあ、エヴァ、いらっしゃい」


 豊かな金色の髪と青い瞳、透き通るような白い肌。

 天蓋つきのベッドに身体を起こしているのは、我が国の王妃、シルヴァーナ様その人だ。

 どのタイミングでご挨拶すべきなのかも見当がつかず、私はベッドに駆け寄るエヴァンジェリン様を見送った。


「お久しぶりです、母上」

「本当に。母のことなど忘れたのかと心配になりましたよ、ユージィン」

「今日はお加減がよろしいようで、何よりです」

「そうねえ」


 エヴァンジェリン様の手を握った王妃様の視線が、私へと移動する。


「道楽ものの息子がようやく身を固める気になったのだもの。元気が出ないわけないでしょう。ほら、はやく紹介しなさい、ユージィン。可哀想に、お嬢さんが困っているわ」

「困っているのか?」


 ええっ?

 今ここでそんな質問?

 ぎぎぎ、と見上げると、王子様の目が笑っている。

 完全に面白がっている顔だ。


「お母様、私がご紹介します」


 見兼ねた私の天使様が跳ねるように戻って来て、手を繋いでくれた。横目で王子様を睨むと、やれやれと肩を竦めている。呆れているのはこっちのほうだから!

 小さな王女様に手を引かれるまま、私は王妃様のベッドの傍へと近づいた。


「お母様、アリア様です。私の大事なお友達ですわ」


 王女様のおかげでようやく自己紹介のタイミングを得て、私は最大級の礼をとった。


「アリア・リラ・マテラフィと申します。王妃様に拝謁をお赦しいただいたこと、身に余る光栄に存じますわ」

「そう畏まらなくて大丈夫よ。こちらこそ、エヴァが仲良くして貰って嬉しく思います」


 にっこり笑うと、エヴァンジェリン様と同じところに笑窪ができる。


「この子は内弁慶だから、相手をするのは大変でしょう?」

「とんでもありません。エヴァンジェリン様は私の天使様です」

「まあ、アリア様、恥ずかしいわ」

「だって本当のことですもの」


 ああ、照れてるエヴァンジェリン様もめっちゃ可愛い!

 一瞬状況をすっかり忘れ、私はアシュトリアの天使の照れ顔を満喫した。


「お母様、最近はアリア様と刺繍をご一緒していますのよ。とてもお上手なんです」

「それは是非見てみたいわ。では、明日はここでエヴァとアリアに刺繍の腕を披露してもらいましょう」

「素敵!アリア様、良いかしら?」

「もちろん、光栄です」


 よかった、王妃様は想像していたよりお元気そうだ。

 それにエヴァンジェリン様をとても可愛がっていらっしゃることが、はた目にもわかる。エヴァンジェリン様が王妃様のために刺繍を頑張ってきたんだもの、その成果がちゃんと伝わると良いなあ。

 なんてほのぼのしていると、不機嫌な声が背後から飛んできた。


「おい、勝手に話を進めるな」

「あら、ユージィン、まだいたの?」

「お兄様、お母様にご紹介した通り、アリア様は私のお友達です。明日は一日、お母様と3人で刺繍を楽しみますわ」


 おお……見事なコンビネーション。

 王子様は苦虫を噛み潰したような顔で近づいてくると、私の肩を抱いてぐいと引き寄せた。

 ええ~、もう、リアクションに困る!


「母上、改めて紹介する。彼女はマテラフィ伯爵家の娘、アリアだ。俺は彼女と結婚する」

「……ギリギリ及第点ね」

「いいえ、 不合格ですわ」

「おい」


 意外……でもないけれど、どうやら王家内の力関係は女性陣のほうが上のようだ。エヴァンジェリン様のほうが点数が辛いのは、未だにジュリエッタ様の一件が効いているのだろう。

 ギリ及第点と言い放った王妃様が、すいと背筋を伸ばした。とたんに王妃様らしい威厳が放たれるから不思議だ。


「ユージィン、結婚相手の母親、ましてや曲がりなりにも王妃に紹介されるということは、どんな娘にとっても相当な重圧がかかるイベントなのよ。少し気遣いが足りないのではなくて?」

「そうですわ。お兄様は、全然女性の気持ちなんてわかっていませんもの」

「さ、ユージィン。満点の紹介をしてごらんなさい」

「……」


 はあ、と息を付いて、ユージィン様は私の手を取った。

 何をするつもりかとビクビクしてしまったけれど、とにかく手を繋いだということらしい。

 王子様は王妃様にまっすぐに向き合い、王子様然とした礼をとった。


「母上、私はアリアを愛している。彼女との婚姻を祝福して貰えるだろうか」

「……」


『私』という一人称ははじめてだ。完全に、完璧な王子様だ。

 驚いたのは私だけではなかったのだろう、王妃様は数秒間沈黙すると、パチリとひとつ瞬きをした。視線が横にスライドして、私を捉えたところで停止する。


「アリア・リラ・マテラフィ。息子の言葉を聞きましたか?」

「はい、王妃様」

「王太子は貴方への愛を口にしました。貴女には私の息子と一生を共にする覚悟があるのかしら」

「覚悟ではありません。王子と共に在ることは、私の望みでもあります」

「では、国母として民を導く覚悟はできていますか?」

「……、」


 はい、と答えるには。

 もちろんです、と頷くには。

 その問いかけはあまりに重くて、息を止める。

 ぐるぐると色々な可能性が脳裏を巡った。

 だけど結局、私は私の言葉で話す以外のことはできない。ここで取り繕ったところで、きっと全て見透かされるだけだ。


「お畏れながら」


 ああ、緊張で声が掠れる。

 王子様と王女様が気づかわしげに私を振り返り、時間差で何かを言いかけて、口を噤んだ。

 ご兄妹はやっぱり、とてもよく似ている。

 二人とも、私にとってかけがえのない存在になってしまった。

 だから私は、覚悟を問う王妃様に応えなければならない。


「今の私は、ただの田舎娘です。伯爵家とは名ばかり、伝統も格式もない、騎士階級あがりの田舎貴族の娘です。どれだけの覚悟を持ってしても、民を導くなどという大それたことは申し上げられません」

「それは、身分の問題ですか?」

「いいえ。そもそも、私は民の上に立つ器ではありません」


 私の返答に驚いたらしく、王妃様が目を見開く。

 だって仕方ない。私の根底には、どうしたって前の世界の常識がある。その記憶が、絶対支配を拒絶するんだもの、支配階級に有ることに罪悪感を抱かせるんだもの、どうしようもない。


「その代わり、普通の貴族の娘よりは少しだけ多く、民の暮らしに触れる機会がありました。畑で働く小作人たちの不安定な生活や、街で林檎を売っている男の子が大勢の兄弟のために頑張っていることや、教会にいつもお腹を空かせている子供たちが大勢いることを、知ることができました」


 アシュトリア王国は平和で豊かな国だ。

 だけどやっぱり、貴族の国なのだ。名ばかりの役職で優雅に暮らしている上流貴族が存在する一方、街で暮らす人々のほとんどは、その日一日を懸命に生きている。働き手が病気や怪我で働けなくなれば、家族はすぐに生活に困窮してしまう。どんなにたくさんの小物をバザーに寄付しても、全ての人たちを助けることはできない。孤児院の子供たちをお腹いっぱい食べさせてあげることすらできないと知っているけど、それでも。


「私は、そういう人々の心に寄り添う存在でありたいと思います」


 見上げると、王子と同じ色の瞳が私を見据えていた。感情は読めない。シルヴァーナ様ではなく、王妃様の風格だ。


「アリア・リラ・マテラフィ。優しいだけでは、人心を統べることはできませんよ」

「人の心を惹きつけ、導くカリスマは、過ぎるほどユージィン様がお持ちでしょう」


 王妃様はもう一度数秒私を眺めてから、スローモーションでひとつ瞬きをした。やがてその頬にじんわりと笑みが浮かぶ。

 再び視線が移動して、ユージィン様を捉えると王妃様は今度こそ悪戯っぽく笑った。


「あなたに相応しい伴侶ね、ユージィン。とても面白いわ」

「母上は、人が悪い」

「そうね。貴方ほどではないけれど」


 クスクスと笑って、王妃様はひょいと肩を竦める。


「ごめんなさいね、アリア。もちろん、あなたたちの結婚は心から祝福するわ」

「……、あ、ありがとうございます」

「今の質問は通過儀礼のようなものだから心配しないで。私も陛下と結婚するときには、同じ質問をされたのよ。ああ、でも、本当に思ってもいない返答で、驚きました。覚悟を問われたら『はい』と答えればよいと、ユージィンに聞いていなかったの?」


 ええっ、聞いてない!

 ちゃんと必要なことは言っておいてよ、心臓に悪いじゃん!

 思わずユージィン様を振り返ると、王子様は顎をあげてふいっと笑った。


「アリアがどう答えるか、俺も聞きたかったからな」


 なんだそのドヤ顔!

 お二人がいなかったら、文句の百も言ってるところだ。

 私の憤慨を見てとったのか、エヴァンジェリン様が近づいきてぎゅっと腕に抱きつく。


「考え直すなら今のうちですわよ、アリア様」

「そうねえ。私ならユージィンと結婚なんて、裸足で逃げ出すわ。アリア、婚約発表までは猶予があります。気が変わったらいつでも相談に乗るから、いつでもいらっしゃい」

「ありがとうございます。よく考えてみます」


 王室母娘のお言葉に心を込めてお礼を言うと、王子様は口をへの字にした。

 ええ、少しは懲りると良いと思いますわ。


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