第2話 伯爵令嬢の秘密

『結局、本能寺よもやま話で一時間終わっちゃったね』

『秋山センセー戦国大好きだよね。ま、面白いからいいけど』

『進行遅れて怒られないのかな』

『結局現代史が駆け足になるんじゃん?』

『あるある』


 秋山先生の日本史は話が脱線しまくることで有名だ。普通授業ではやらないようなマニアックなエピソードを挟んでみたり、通説とは違うトンデモ説を推してみたり、変わってるけど面白いから私たち生徒には人気がある。

 今日は“本能寺の変は何故起こったのか”についての考察で一時間終わってしまった。どんなに議論したところで結局正解はわからないって、歴史ってちょっともどかしいけどね。先生が『タイムマシンができたらまず明智光秀に会いに行きたい』と締めて今日の日本史は終了。


『センセーは明智光秀に会いたいって言ってたけどさ、私はやっぱ織田信長が良いなあ』

『会ってみたいってこと?』

『本能寺に泊まっちゃダメだよー、光秀を信用しちゃダメだよーって忠告してあげたいじゃん?』

『信じてもらえればいいけど、先にミキのほうが手打ちにされそう』

『えっなんでぇ?』

『ほら、無礼者!とかってさ。織田信長って短気なイメージでしょ』


 鳴かぬなら殺してしまえホトトギスだもん。

 私は出しっぱなしの資料集をパラパラとめくる。

 安土桃山時代。

 織田信長の肖像のページで、私は手を止めた。


『えっ』


 思わず二度見。


『なになに、どした?』

『これ、織田信長の肖像が……』


 教科書の信長が、王子様みたいな金髪碧眼の外国人になっている。

 指さすと、ミキは肖像画を見て、それから不思議そうに私を見上げた。


『えっと、なんか変?』

『ヘンだよ。だって、織田信長だよ?なんで金髪?明らかに外国人じゃん!』

『何言ってんのヒナ。おかしいのはあんたのほうだよ』


 ミキが唇を尖らせる。


『これが織田信長。小学校でも中学校でも、そう習ったでしょ?』

『そんな、』


 そんなはずない。

 どのくらい似ているかはさておき、いつも見ている肖像画の織田信長は卵型の輪郭で薄味な顔立ち、ちょっと神経質そうな印象の武将だ。


『なあにヒナってば寝ぼけてんの?』

『違う、これ、間違ってるよ!』

『あのねえ、学校の教材にそうそう間違いなんてあるわけないじゃん』


 ケラケラとミキが笑う。

 間違っているのは私のほう?

 確かに金髪碧眼には見覚えがある。

 睨んでも、肖像画は変わらない。

 これが織田信長?

 三英傑の?

 そんな、そんなことって……。




「ありえない!」

「何がありえないんです?」


 そう尋ねられてはっと目を開けた。あれ、ここはどこだっけ?

 きょろきょろと見渡す。見慣れた壁、見慣れた家具、見慣れた顔。


「私……、寝ちゃってた?」

「仮にも伯爵令嬢がソファでうたたねとか、褒められたもんじゃないですよ」

「やだわ、疲れてるのかしら」


 もういちど首を巡らせると、アルが怪訝そうな顔でこちらを眺めていた。珍獣を見るような目つきだ。アルことアルフォンソ・スタンバーグは私の乳兄弟で、幼馴染で、従者というよりはほぼ身内。今回お父様と私が王都に滞在するのに領地からついてきてくれて、お茶の支度からマキ割りまでなんでもこなしてくれる有能な若者だ。立場上遠慮がないのは仕方ないけど、一応私はお嬢様ですのよ?


「どころで、オダノ…なんとかって、どういう意味です?」

「えっ」


 オダノ…、

 織田信長!?

 どうしてアルまでその名前を知ってるの?


「どっ、どこでその名前を…」

「お嬢様が寝言で何度も繰り返してました」

「……そういうときは起こして」

「いや、面白かったんで」


 にやにやしているアルを、私は睨みつけた。もちろん睨むだけだ。こういう時に言い返してもアルに敵う気はしない。それより話を聞いてほしくて、すぐに切り替える。


「あのね、夢を見ていたの」

「ああ、いつもの夢ですか?」


 幼馴染のアルだけは、前世の話を知っている。知っているというか、妙な夢を見るたびに遊び相手の幼馴染にベラベラ喋ってしまっていたというだけだ。彼は未だに前世という観念を受け付けず、『いつもの妙な夢』だと考えている。まあ、どっちでも同じようなものよね。


「そうなの。でね、その夢に王子様が出てきたのよ」

「ユージィン殿下が?よっぽど昨日のお茶会が強烈だったんですね」

「そうかも」


 そういえば、アルにお茶会の報告をしていなかったわ。彼はお父様のお仕事も手伝っているので、私より断然忙しいのだ。


「噂通りの変わり者でした?」

「貴方ねえ、不敬罪で捕まるわよ」

「大丈夫です。ここには俺とアリア様しかいません」


 てきぱきとお茶の準備を整えながら、アルはすまし顔だ。


「で、どうなんです、実際」

「そうねえ」


 王子様の評判と言えば、私が王都の学校に通っていたころから変化していない。いわく、ちっとも王子様らしくない王子様。変わり者、偏屈、尊大、奔放。確かに色んな意味で発言の自由度は高かったかも、だけど。


「……言われてるほど変人でも尊大でも嫌な奴でもなかったわ。服装も普通に略装だった」

「へえ、意外と高評価ですか?」

「うーん……微妙」


 本来なら王子様のことを微妙と評するなんてありえない。ユージィン様は第一王子でゆくゆくはこの国を治める方だもの。私なんてせいぜい王宮の舞踏会で遠くから眺めるのがやっと、てなくらい本来なら遠い存在。


 背は高いし顔は良いし剣術にも長けるという評判。そんな夢の王子様なユージィン様は、残念なことに勉強嫌いな上、とんでもない変わり者だというのが世間の認識だ。王妃候補に選ばれた良家のご息女を次々困惑させドン引きさせ婚約を渋らせるくらいには、変わり者らしい。そりゃ、会ってすぐ前世の話を延々されたらこの人大丈夫かなと思うよね。少しは考えればよいのに。なまじ身分が高すぎて注意する人がいないんだろうなあ。ましてや前世は織田信長ですもんね。第六天魔王ですもの。王子に会うまで織田信長のことなんて考えたこともなかったけど、前世の私は信長のことをよく知っていたみたい。というか教科書に載ってる、超有名、安土桃山、ってすぐにずるずるっと思い出せた。さっきのうたたねの夢から察するに、『ヒナ』はけっこう歴史が好きだったみたいですわ。


 ともかく、適齢期の王子様のお相手がいつまでも決まらないのに業を煮やしたのか、王宮は下手な鉄砲も数打ちゃあたる作戦に打って出た。妙齢の貴族のご息女が次々王宮の 『お茶会』招かれて王子に引き合わされていると噂を聞いたのは夏の初めのこと。そして今は冬、半年以上が過ぎてようやく私にも順番がまわってきたのだ。逆に言えば私にまわって来るほどに王子様のお見合いは失敗続きだったということになる。


 確かに自分の話しかしてなかったな王子様。良かったところは顔とスタイルくらいしか思い出せない。


「噂によれば、王子は勉強嫌いで政事にはまったく興味が無いとか」

「ええ、そうかも」

「しかも相当な変わり者で、偏屈だって話ですけど」

「まあ、変わった方ではあったわね」


 そういえばこの国の話はまったくしなかったなぁ。眼中に無い感じだった。

 考えてみれば前の人生が織田信長って、相当な激動の人生ですもの。王子にとって地位も権力も約束された今の人生は物足りないのかもしれない。まあ、戦国武将と比べたらどんな人生も退屈なのかもしれないけれど…王子様なのに贅沢って気もする。

 ティーカップをテーブルに置くと、アルはまじまじと私の顔を見詰めた。


「なあに?」

「万が一王子様に気に入られたら、アリア様がいずれ王妃様になるってことですよね」

「まさか。ありえない」

「俺もそう思うけど、可能性はゼロじゃ無いでしょう」

「無理無理、絶対無理。私みたいな田舎娘、虐められて追い出されるのが関の山だわ」


 一応、私だって厳しい養育係からひととおり貴族階級の作法は叩き込まれている。例えば一日限りの舞踏会やお茶会、晩餐会なら他の方々に見劣りすることなく、ソツなくお作法通り乗り切る自信はある。けど、王太子妃候補なんて無理無理。そんな器じゃないことは自分が一番良くわかっています。


「まあ、眺めるだけなら素敵な王子様だったから、美しい思い出にするわ」

「王宮で王子様とお茶なんて、滅多なことじゃできない経験ですからね」

「そうそう。お菓子も美味しかったし」


 度肝を抜かれたけど、本音を言えば割と楽しかった。前世の記憶を持っている人と会うのは初めてで、それだけでテンション上がったし、時代は違うけど同じ国の人だったのも驚いたし、その上織田信長って、歴史上の偉人だもの。おかげで新しい前世の記憶が次々零れてきましたのよ?信長は本能寺で明智光秀の裏切りにあったんだよね。教科書の歴史は、少なくともその部分は正しかったということになる。


「それで、殿下とどんな話をしたんですか?」

「うーん、前世の話?」

「は?」


 正直に応えたら、アルは渋い表情を浮かべた。


「ゼンセって、アリア様の夢のお話でしょう?」

「この世に生まれる前の話よ」


 にっこりとっておきの笑顔を浮かべてみせる。アルは一瞬だけ眉を寄せたけど、それ以上追及してこようとはしなかった。いつだって彼の引き際に間違いはない。



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