第25話 花束と約束

「……という話なんだけど、アルは何か聞いていない?」


 土曜日だというのにお父様の御供に出ていたアルが戻って来ると、私は早速モニカの話をぶちまけた。アルはお茶の準備をしながら小さく首を傾げる。


「まあ、噂は噂ですからね」

「ってことは、そういう噂はあるのね?」

「そりゃありますよ。王太子の行動は目立つし、アリア様が王宮に通ってるのは事実ですから」


 やっぱりか~、困ったな。

 困ったところでできることは少ない。モニカにも頼んでおいたけど、噂が話題に出るたびに打ち消していくくらいしか対策は無いからね。


「お父様は、何か仰ってるの?」

「話が出るたびに否定してます。それしかないでしょう」

「そう……そうよね」


 だいたい、ここ半月ほどは王子に会ってすらいないんだ。エヴァンジェリン様とお昼をご一緒したあの日、帰りにすれ違ったのが最後。王子様は政に目覚めて忙しいらしく、顔も見ていない。


「どうしよう」

「放っておくしかありませんよ。妙な噂に牽制されて、お嬢様の婚期が遅れるのは心配ですが」

「あー、それね」


 私個人としては数少ないメリットです、とはアルには言えないな。

 一応舞踏会のあと、ジョバンニ様とだけは時々手紙のやりとりをしている。踏み込んでくるわけでもなく、こちらから踏み込むわけでもないけれど、真面目なだけではなく物の見方がかわっていて面白い。お互いの手紙もどんどん長く、関係の無い話題ばかり盛り上がっている。結婚まではたどり着かない予感満載ですけどね。

 もちろん、私だってどうしても結婚したくないというわけではないけれど、まだピンとこないというか、もう少し気楽なお嬢様でいたいというか、微妙な乙女心をわかれ!


「それよりアリア様、エヴァンジェリン様の刺繍の腕はどうですか?」


 主人の噂話より、エヴァンジェリン姫の刺繍の腕の心配?

 でもまあ、いくらここで気をもんでいても仕方ないのは確かだ。私も意識的に頭を切り替えることにした。


「ええ、ずいぶん上達されたわ。小さな作品でしたら、綺麗に仕上げられるようにはなりました」

「へえ、不器用ってわけではないんですね」

「器用不器用というより、大らかな性格が問題なのかも」


 アシュトリアの天使は、わりと大雑把なのだ。縫い目が揃わなかったのは適当過ぎたからなのだ。決して不器用というわけではない。頭も良く飲み込みもよく、私がアドバイスをすれば期待値以上のことができる。そういうところ、ユージィン様とよく似てるよね。

 今はクロスのふちに細かい刺繍を入れているので、あれが綺麗に出来上がれば、私が教えることは何もない。もっと複雑なステッチは、学校で習えばよい話だ。かなり大きなクロスだから少し時間はかかるけど、それも良い練習になるはず。


「ねえアル」

「はい」

「今刺繍しているクロスが出来上がったら、予定通り領地へ帰るわ」

「……伯爵が寂しがりますよ」

「王都の生活も楽しいけど、少し疲れちゃった。充電に戻りたいの。お父様にもちゃんと私からお願いします。いいでしょ?」

「良いか悪いかは、俺が決めることじゃありません」


 突き放すようなことを言うくせに、声は優しい。だからついつい甘えたくなる。


「ね、たまには一緒にお茶を飲みましょう?」

「遠慮致します。トマスさんに見つかったら、大目玉ですからね」

「ええ?」

「領地に戻ったら、お茶でもピクニックでも遠乗りでもお付き合いします」

「ホント?約束よ?」

「はい」


 ちょっと笑ってアルが頷いたとき、控えめなノックの音がした。


「失礼いたします、お嬢様」


 入ってきたのは、トマスだ。

 後ろに巨大な花束を持った召使がひとり、控えている。


「トマス。どうしたの、それ」

「お花が届いております」


 ええ、見ればわかります。という冗談は、トマスには通じないので寸止めしておこう。うやうやしく一礼してトマスが軽く促すと、花束を持った召使がそれをテーブルに置いた。


「こちらが、カードです。どうぞお改め下さい」

「ずいぶん大袈裟ね?」


 トマスは応えず、ただ胸に手を当てて会釈をした。

 私は一度アルの顔を見て、それからカードに目を落とす。

『日曜の朝、迎えに行く』

 署名を見るまでもなくユージィン様だ。もうちょっとほら、挨拶とかからはじめられないものだろうか。でも、訪問の前に知らせてほしいというお願いはちゃんと聞いてくれてたんだ……うんうん、成長したなあ。

 なんて喜んでいる場合じゃない!


「使いの方は?」

「いえ、戻られました」

「そう。わかったわ。ありがとう、トマス」

「では失礼いたします」


 静寂の権化のような執事が去って行くと、後には巨大な花束が残った。

 薄いオレンジのチューリップと、白いフリージアの花束。


「これ、舞踏会のドレスの色ですね。気が利いてる」

「そこまで考えてないと思う」


 けど、確かにイメージ的には近いものがある。

 少しでも王子の印象に残っていたのなら光栄というか、なんというか、まあ嬉しいといっても差し支えないかもしれない。


「どなたからですか?」

「ユージィン様」


 アルはちょっと目を見開いて、わずかに視線を外した。


「それはそれは……」

「何よ、その反応」

「別に。で、カードは?」

「日曜日のお誘い……っていうか命令?」


 カードをみせると、チラリと眺めてポーカーフェイス。

 珍しく本当にポーカーフェイスなので、何を考えているかわからない。


「どうしよう」

「どうしようもこうしようも、命令ですよね」

「けど、これ、噂が悪化しない?」

「悪化するかもしれませんね」

「ええ~」


 悪化は困る、悪化は。


「仮病でも使いますか?」

「駄目よ、バレたら怒られる」

「絶対見舞いと称して乗り込んで来ますね」


 うう、部屋に乗りこんでくる王子が目に浮かぶようだ。

 どっちにしろ翌日にはエヴァンジェリン様と刺繍の約束をしているし、仮病は止めたほうが無難だろう。


「だいたい、朝って何時なのよ。どう思う?」

「俺に訊かないで下さい」

「あーあ、明日は早起きしなきゃ……」

「てことは、ユージィン殿下とお出かけですね?」

「ええ、日曜日だからまた市場かも。なるべく目立たない服の用意をお願い」

「畏まりました。お花はどうされますか?」

「ここに飾って」

「……」

「だって、ユージィン様がいらしたとき、飾ってなかったら悪いでしょ?」

「仰せの通りに」

「何笑ってるのよ」


 今度は読めたぞ。

 アルのポーカーフェイスはたいてい『ポーカーフェイスのフリ』ですもの。だけどアルは何も答えず、そそくさと花を飾る準備をはじめた。






『比叡山焼き討ちや長島一向一揆への徹底的な殲滅作戦などから、苛烈な性格がクローズアップされる信長だけど、実は身内や女性には優しかったという逸話も多いんだ』


 お市の方の不幸は信長のせいだと断じておきながら、秋山先生はそんなふうに話を続ける。上げて下げるのか、下げて上げるのかはっきりしてほしい。


『女性への配慮で有名なのは、秀吉の正室、ねねへの励ましの手紙かな。市のことも、浅井を滅ぼしてからは庇護下に置いて大切にしている。信長には10人以上の妻がいて、娘だけでも12人ほどいたらしい。その娘たちの婿は、信長が人柄などを吟味している節があるんだ。なかなか家族思いだったんだね』


 待って、妻が10人って。

 家族思いとか言ってるけど、その時点でなんかアウトじゃない?まあ、時代が時代だから仕方ないかもしれないけど、現代だったら修羅場どころの騒ぎじゃない。


『冷酷非情かと思えば、人情家の顔をみせる。司令官としては極めて優秀、しかし部下の進言にはほとんど耳を貸さない。心のままにふるまうかと思えば、庶民とも親しく交わり、気さくな面もあったという。彼はあの時代にもっとも必要とされ、順応した天才だったんだろう。多くのものが彼に憧れ、従い、抗った。だけど信長自身はどうだろう』


 信長公のまわりには、家族も家臣も大勢いた。

 第六天魔王と恐れられる反面、慕ってくれる領民も大勢いただろう。


『信長は、他人に何かを任せることを良しとしなかった。彼が信じていたのは、自分自身だけだったのかもしれない』


 そういう人でなければ、戦国時代を終わりへ導くことなんてきっとできなかった?

 そういう人だったから、本能寺で命を落とした?

 だけどそれは全て後の世に伝えられた伝承から、私たちが造り出した『織田信長』のイメージだ。

 本当の彼を知る人は、ここにはいない。


『信長は、周囲の人間が自分を見てどう感じるかを、考えることがあったのかな』


 秋山先生の声が教室に響く。


『絶対的な能力を持った人間を前に、凡人が抱く感情を、理解しようと思ったことがあったのかな?』


 その問いかけに、答える生徒はいない。

 あの平和な教室の風景は、永遠に失われてしまった。

 私だけの思い出だ。




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