第24話 伯爵令嬢の微妙な日常

 午前中は他の家庭教師が来ているというお話なので、エヴァンジェリン様との刺繍の時間は午後からになる。公務がある日はお休み。土曜日と日曜日はお休みとして、先週は4日日間王宮へ通っている。

 けっこうなペースではなかろうか。

 とりあえず、先週はずっと基本のステッチの練習で終わった。王女様は見かけによらずせっかちらしい。はやく進めようとして縫い目がだんだん大きく、不揃いになるのを何度注意したことか。

 ちなみに今日はずっと、チーフに小さな花を刺している。


「できました!」


 王女が顔を上げたので手元を覗き込むと、白い布に水色の小さな花が咲いていた。うん、よくできている。なにより丁寧な仕上がりなのが嬉しい。


「どうかしら」

「綺麗にできていますわ、エヴァンジェリン様。今日はこのくらいにしましょうか」

「そうね、少し疲れました。すぐお茶の準備をさせます」


 エヴァンジェリン様はとても嬉しそうだ。

 召使たちが道具の片付けとお茶の準備をはじめても、できあがった刺繍を何度も眺めている。うんうん、頑張ったものね。


「刺繍って、根気が必要なのですね」


 お茶の準備が整い召使たちが退出していくと、アリア様は改めてひとつ息をついた。王宮謹製焼きたてスコーンをつまみながら、思わず笑ってしまいそうになる。


「そうですわね。慣れればスピードも上がりますけど、限界はありますから」

「私、どんなことでも、すぐに結果が見たくなってしまいますの。はやく完成させたくて、急ぎ過ぎていたみたいですわ」


 うん、やっぱりせっかちなんだ。エヴァ様はとても頭の回転が良い。なんでもできてしまうから、こつこつ進めるというのに慣れていないんだろう。


「この調子なら、すぐに上達します。チーフのお花も、綺麗に仕上がっていますもの」

「練習したら、いつかアリア様のようにできるようになる?」

「私なんてすぐ追い越されますわ」


 あ、クルミのスコーンも美味しい。ここに来るたび美味しいお茶とお菓子をごちそうになるので、なんだか最近ウェストがきつくなってきたような気がしますわ。うう、やばい。だけど美味しいよう……。


「アリア様のお母様も、やっぱり刺繍が得意でしたの?」

「母は小さいころ亡くなりました。刺繍は乳母と、教育係に叩き込まれましたけど」

「まあ……」


 アリア様の目に、一瞬だけ痛まし気な色が浮かんだので、私は慌てて話を続けた。


「私にも兄がいますのよ。昨年結婚したので義姉もできました。とても優しい人です」

「あら、アリア様にもお兄様がいらっしゃいますのね。一度お会いしてみたいわ。もちろん、お義姉様にも」

「残念ながら、二人は領地を治めております」


 お父様の仕事が増え続け、王都に長く留まることになれば、このままお兄様が領地を継ぐことになるんだろう。うーん、そうなるとますます私の居場所がなくなるな……いや、二人とも私を邪魔にしたりしないけど、こちらの気分的に。


「どんなところですの?」

「え?」

「領地は、アリア様が育ったところは、どんなところですか?」

「田舎ですわ」

「ぶどう畑がたくさんあると、お兄様がおっしゃっていました」

「そう、そんな話をしましたわ。ユージィン様、覚えていらしたのね」

「お兄様は、アリア様のことなら、なんでもよく覚えているんです」


 小さな王女がクスクス笑う。

 ええ、どういう意味だろう。あまり深く考えないようにして、私は田舎の景色を思い浮かべることに集中した。


「屋敷の裏が森になっていて、ちょっと奥にいくと小さな池があるんです。幼いころは、よく森でかくれんぼをしました」

「かくれんぼ?」

「そう。友達と、泥だらけになって」


 エヴァンジェリン様が目を丸くする。


「森の少し奥、大きな木の根元にすごく大きな洞がありました。背の低い木の影になって入り口がわかりにくかったから、私たちはそこを『秘密の部屋』って呼んでいましたわ。雨宿りをしたり、内緒で集まってお茶会をしたり。私はお菓子を持ちだす係で、タニアに……ああ、教育係によく叱られました。でも、友達の期待も背負っているから、諦めるわけにはいかなくて。お菓子を持ちだすのにさんざん知恵を絞りました」

「まあ、……私も森のお茶会に行ってみたいわ」

「ええ、いつかご案内できたら素敵ですね……懐かしい、大好きな場所です」


 もちろん、王都の暮らしも楽しいけどね。やっぱり私にとって、領地のあの風景は特別だ。


「アリア様は、いつか領地に帰るおつもりなの?」

「それは、お父様のお仕事次第です。エヴァンジェリン様との刺繍も楽しいですし、もうしばらくは滞在するつもりでいますけれど」

「そう……そうですか。できるだけ長くここに来て下さいね」


 素直にそう請われては、頷くしかない。

 王女様は安心したらしく、花のような笑みを零した。






「アリア、あなた王太子と結婚する気なの!?」


 トマスに案内されて入ってきた友人が、二人きりになったとたん、突拍子もないことを言い出したんですけど。


「は?」


 不本意ながら聞き慣れたフレーズだ。だけど身に覚えはありませんわ。

 前にもきっぱり否定したような気がするんだけど、またそれですか。


「何言ってるの、モニカ」

「だって、噂になっているのよ。ここのところ、アリアが王宮へ通ってるって」

「噂?どこで?」

「昨日帽子屋で、ソフィア・クレメンティに会って」

「ソフィアに?」


 出たな陰険妹。昔から噂話が大好きだったものね。


「根も葉もない噂よ。彼女の噂好き、モニカだって知ってるでしょ?」

「でも、神妙な顔で聞かれたのよ。『アリアが王太子と結婚するという噂は本当なの?』って。あれは本気だったわ。もし結婚が事実なら、クレメンティ侯爵家だってマテラフィ伯爵家への態度を改めなきゃならないもの。そういうことじゃないの?」


 どうどう、待て待て、落ち着いてよ、モニカ。

 確かに王宮へはここのところ毎日のように通っているけど、王子は関係ありません。


「誤解だから。私が通ってるのは、エヴァンジェリン様のところ」

「え、エヴァンジェリン王女?」

「そう。色々あって、一緒に刺繍をしてるの」

「刺繍?」


 教えていると言わなければ大丈夫だよね。

 仲良しのご令嬢が集まって刺繍をするのは、ごく普通のことだ。


「偶然私の刺繍をご覧になって、お気に召して下さったみたい。それで、少し大きな作品を一緒に作りましょうって話になっただけ」

「ああ、そぉう……、アリアの刺繍は確かに綺麗だものね。図案は、少し、いえ、かなり、ものすごーく変わってるけど」

「それ、褒めてる?」

「もちろんよ。凄いじゃない、光栄なことよ、アリア」


 まあ。

 手放しで褒められると照れますわ。絵柄は前世のモチーフだから独特なのは私の手柄ではないし、刺繍の腕はアルのお母様と養育係のタニアが厳しく叩き込んでくれたおかげだ。芸は身を助けるってこのことね……いや、これって助かってるのか?

 妙な誤解が広まって、噂になってるって、まずくない?


「じゃあ、もしかして、王太子様がアリアのお父様に直接ご挨拶に行ったって話も?」

「はあ?」


 そんなことまで噂になってるの!?

 いやっ、貴族社会怖い。

 これ、気楽に構えていちゃいけない話かもしれなくない?ああ、混乱してきましたわ!


「それ、仕事のついでに、エヴァンジェリン様の言伝を持ってきてくれた時だと思う。ユージィン様ってエヴァンジェリン様には甘いし、フットワークは軽いから」

「周囲の目とか気にしないタイプですものね」

「そうそう」

「じゃああの噂はどうなの?舞踏会で踊ったあと、王子がアリアを庭に連れ出して消えたとかいう……」

「ええっ!」


 それもか!

 まああれは、ちょっとマズイかもな~とは自分でも思ったけどさ。

 ホント、壁に耳あり障子に目あり、誰がどこで見ていて噂になるか油断ならない。みんな暇なの?ねえ?貴族って暇なんですね!?


「あれは、調子に乗って回りすぎて気分が悪くなったから、外に連れて行って頂いただけ」

「え?」


 アルコールが入っていたことは内緒にしておこう。


「ホント気持ち悪くて危なかったんだから」

「……色気が無いにもほどがあるわね」

「ご期待に沿えず申し訳ありませんわ」


 とりすまして謝ってみせると、モニカは可笑しそうにコロコロと笑った。

 しかし、その噂は笑い事ではない。


「どのくらい広まっているのかしら」

「さあ……でも、昨日お父様にそれとなく王太子のことを訊いてみたら、『最近王太子は見違えるほど政に関心を持たれている』ってベタ褒めよ。婚約とか結婚の話は出なかったけど」


 じゃあ、貴族社会でも、特に暇をしているお嬢様方に広まってるだけなのかな?そういう噂話なら、ぱっと盛り上がっていつの間にか消えていくものだから、さほど心配は要らないと思うんだけど……。



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