第23話 王女様のお願い
困ったな、どうしよう。
エヴァンジェリン様の『お願い』が気になって、食事も咽喉を通らない……わけもなく、私たちは出された料理をすべて綺麗に平らげた。だって美味しいんだもん、仕方ないじゃん。テーブルの食器が全て片付けられ、デザートと紅茶が運ばれてきて、テラスには私と姫君の二人だけが残された。
「アリア様」
香りの良いお茶に口をつけてから、エヴァンジェリン様が落ち着き払って私の名を呼んだ。
「はい」
「じつは、今日お呼びしたのは、アリア様にどうしても、お願いしたいことがあったからなのです」
ええ、カードにも書いてありましたから、相応の覚悟はしています。
だけど、ありえないとは思うけれど、『兄と結婚してください!』とか頼まれたらどう断れば良いんだろう。王女様は『前世』の件を知らないから、お兄様の興味が私に向いているのを勘違いしている傾向がある。ていうか、この前完全に誤解していたし。ユージィン様、あれからちゃんと否定してくれたんだろうか、うーん、全く努力してないほうに2リル賭けても良いですわ。
「はい。私にできることなら喜んで」
できることなら、ですわよ?
しかしエヴァンジェリン様相手に、そんな念押しなどできるはずもない。
内心ドキドキしながら、私は王女様のお言葉を待つ。
エヴァンジェリン様は紅茶のカップを眺めてしばらく逡巡したあと、意を決したように顔を上げた。
「アリア様」
「は、はい」
「どうか、私に、お裁縫を教えていただけませんか?」
「……はい?」
お裁縫?
お裁縫って……。
エヴァンジェリン様は、恥ずかしそうに目を伏せた。顔を覆ってしまいそうにもじもじしている。うわあ、すっごい萌えるんですけど……じゃなくて!
「実は私、不器用なんです」
「えっ……いえ、そんなことは……」
そういえば、ユージィン様も『エヴァは意外と不器用だ』とかなんとか言っていたような、いないような……、私の表情を読んだのか、アリア様は小さくため息をついた。
「不器用なうえに飽きっぽいから、ちっとも上達しないのですわ。来年からは学校へ通うのに、どうしようかと途方に暮れていました」
あー、貴族学校では、女子はお裁縫必須ですものね。
たいていのご令嬢は、学校に上がる前に裁縫とダンスだけはある程度マスターしている。ダンスは社交界で必須、刺繍の上手い下手は縁談にも響くというので小さいころから各家庭で習うのだ。
「でも、私では……、お裁縫なら、きちんとした先生もいらっしゃるでしょう?」
王女様なら、どんな家庭教師も選び放題じゃないの?私みたいな田舎娘に習う必要性を感じない。ええもう、まったく感じませんわ。
しかし、エヴァンジェリン王女は天使のような澄んだ瞳に、わずかに憂いの色を浮かべた。
「普通のご家庭では、娘は母親から刺繍を習うものだと聞いています」
「ええ、そうですわね」
「ご存じかと思いますが、お母様はあまり具合がよくありませんの。私と過ごす時間も少なくて、とても気に病んでおられます。ですから私、お母様には内緒で上手になって喜ばせて差し上げたくて」
うっ。
的確に急所を突かれた……!こういう話に弱いんだよ日本人は。
『ごめんなさい、王女様。私、そろそろ田舎に帰るつもりなんです』……なんて、今この状況で言えるような私ではない。ああ、呆れるアルの顔が鮮明に目に浮かぶ。
だけどこれ、実質選択肢はひとつのやつじゃない?
「お話は理解しましたが、私は先生ではありません」
「そう……そう、ですわね」
ああ~、しょんぼりしないで、お姫様。私は大慌てで話を続ける。
「だけど刺繍を一緒に楽しむことならできます。あまりお役にはたてませんが、エヴァンジェリン様さえよろしければ……」
瞬間、エヴァンジェリン様の表情がぱあっと明るくなって、キラキラと天使が舞い降りた。後光がさしているような気がするのは目の錯覚でしょうか……。
「では、教えて下さいますの?」
「……アドバイスくらいしかできませんけど」
「ああ、ありがとう、アリア様!本当に嬉しいわ」
おお……ぺこっと頭を下げるアリア様の愛らしさ……。なんだろうこの謎の多幸感。アシュトリアの天使の名はさすが、伊達じゃない。
こんなの逆らえるわけないよ、兄妹揃って押しが強すぎると思うの。
帰りも王宮の馬車なので、気は抜けない。
「どうでしたか?」
「しばらく領地へは帰れそうにない」
「……なるほど」
乗っているのはもちろんアルと私だけだ。
だけどお互い前を向いたまま、会話の声は最小限。聞こえないとは思うけど、どうしても御者の存在が気になってしまう。
「王宮に通うことになるかも」
「はあ?」
「声が大きい」
もうじきお城の門をくぐる、という場所で、向こうからも馬車がやってくるのが見えた。こちらの馬車よりも一回り大きい。誰か偉い人が乗ってるな、と考えていたら、私たちの馬車が速度を緩めて端に寄った。道を譲った形だ。
門をくぐり、向こうの馬車もスピードを落として通り過ぎていく。
「あ……」
なんの気なしに見ていたら、通り過ぎる馬車の中に見慣れた姿。
「ユージィン様」
思わず呟いた瞬間、まるで聞こえているみたいなタイミングで王子様がこちらを見て目が合った……、ような気がした。
「……すれ違いですね、文字通り」
アルも気付いたらしい。馬車はまだ止まっているので、さっきよりも抑えた声だ。
「王子の隣は宰相に見えましたけど」
「ええ、たぶん」
あの宰相と一緒ということは、お仕事かな?
エヴァンジェリン様が言っていた通り、真面目にお仕事に取り組んでいるなら喜ばしいことだ。
「戻ってもらいましょうか?」
「え?」
「王子、もの欲しそうにお嬢様を見てましたよ?」
「そういう冗談やめて」
「失礼いたしました」
睨みつけると、アルは唇を斜めにして笑みを堪えている顔。
やがて馬車がゆっくりと走り出す。
「なんだか、どっと疲れたわ」
「帰ったらすぐ風呂の準備をさせますから。もう少し頑張って下さい」
「了解」
背筋を伸ばして、貴族のご令嬢らしく。
そんなふうに見せるのも慣れたはずなのに、無性にどこかに帰りたくなった。
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