第45話 雨の予感
帰ると決まれば準備をしなくては。
部屋に戻り、少ない荷物をまとめていると、こんこんと控えめなノックの音がした。夕食のあと、客間に移ってついつい世間話に興じてしまったので、既に真夜中近い時間だ。エヴァンジェリン様かな? ノックがあったということは、王子ではないよね?
そんなことを考えながら、私は「はい」と返事をした。
『アリア様、セイドルフでございます』
セイドルフさん?
彼は、おもに王妃様の身の周りのお世話をしている老執事だ。滞在中も、直接話したことはない。
「はい、どうぞ」
王妃様に何かあったのかと慌てて答えると、部屋のドアがゆっくりと開かれる。
どこの執事にも言えるけれど、どうして置物のように静かでいられるのか、不思議だ。
「アリア様、夜分に失礼いたします。シルヴァーナ様がお呼びです」
「王妃様が?」
「是非お話したいことがあるとか。ああ、御召し物はそのままで。内密に部屋までご案内するようにと、命を承っております」
「わかりました。すぐに」
私は言われた通り夜着に上着を羽織り、髪を撫でつけた。
ベッドに入る前でよかった。
でも、王妃様のお話ってなんだろう。王子様のことなのは間違いないとして、その方向性が問題だ。不安ではあるけれど、もちろん私に拒否権などないし、拒否するつもりもない。
王妃様の部屋に到着すると、老練な執事はまたも控えめなノックをして、返事を待たずにドアを開けた。奥の間へ進むよう私に促すと、そっとドアを閉める。
そこまでが、ほぼ無音のまま行われた。
「こんな時間に、ごめんなさいね」
セイドルフさんに言われたとおり、奥の寝室へ進む。王妃様はベッドで半身を起こして私を迎えてくれた。ランプの灯りの加減か、少し疲れているようにもみえる。
「いいえ、王妃様。まだベッドにも入っておりませんでしたから」
「良かったわ。さあ、そこに座ってちょうだい」
勧められた椅子に座ると、王妃様は少しためらうように視線を落とした。
「話というのは、他でもありません。ユージィンのことなの」
「はい」
むしろこんな時間に部屋に呼ばれて、他の話だったらびっくりだ。
そんなことを考えていたら、王妃様は私の顔を見て可笑しそうに微笑を浮かべた。
「予想していた、という顔ね」
「えっ」
「まあ、他の話題だったらそれはそれで驚くでしょうけど」
おおう、完全に読まれている。そんなに顔に出てたかなあ。思わず頬を抑えた私に、王妃様は今度こそクスクスと声を出して笑った。
「普段はかまわないけれど、王太子妃となれば少しポーカーフェイスの練習をしなくてはね」
「はい。自分でもそう思います」
「でも、貴女の素直さは好ましく思っています。きっとユージィンもエヴァンジェリンも同じように感じているわ。アリア、貴女には貴族に独特の『間』を感じない」
ええっ、それは貴族らしくないということでしょうか。
一応礼儀作法は叩き込まれているつもりだったけど、やっぱり前世のあれこれが滲み出ちゃうとか? 貴族学校にいた時も、よくわからないところで悪目立ちしたからなあ……。
「心配しないで、悪いことではないのよ。貴女がユージィンと結婚する決意をしてくれたことは、心から嬉しく思っているわ。あの子の求婚を受け入れるような娘がいるなんて、にわかには信じられなかったから」
ユージィン様、王妃様にも言われておりますわよ!
どう返せば正解なのかわからないので、曖昧に微笑んでおく。
私の数少ないスキル、ジャパニーズ・アルカイックスマイルですわ!
あ、ひょっとして、貴族らしくないってこういうところかなあ……。
「あの子に脅されたとか無理矢理貞操を奪われたとか、最悪の事態を危惧していたのだけれど、違ったようね。ひとまず安心しました」
「ええっと……」
「これまでのことについては、報告を受けています。けれど、貴女は真心をもってユージィンの求婚を受けてくれたのでしょう?」
「……はい」
ああ、全部ご存じなんだ。
何も誤魔化す必要は無いとわかって、心持ち気が楽になる。
「あの子は、昔から少し……いいえ、かなりおかしな子でした」
知っています。とはさすがに言えないけど。
それはそうだろう。だって織田信長の記憶があるんだもの。
むしろ普通でいられたら、それはそれで危険な気がします。
「何でも器用にこなす割には、周囲にあわせようとしない。手放しで甘えてきたかと思えば、何日も口をきかなくなる。とくに私がエヴァンジェリンを身ごもったときは、ひどい有様でした」
「王女様を?」
「ユージィンが兄弟なんて要らないと放言して、ふさぎ込んだり、暴れたり。さすがに度を過ぎていたので、陛下もきつく叱りました。そのせいか、エヴァが生まれてからしばらくの間、あの子は一言も口をきかなくなってしまったの」
「まあ……、」
「私は……、私は、とても悲しかった」
そうか。
織田信長は、実の弟に謀反を起こされている。
弟をそそのかしたと言われているのは、実母である、土田御前。
エヴァンジェリン様が生まれたころなら、ユージィン様は7、8歳だろう。
その記憶を持っていたのなら、普通でいられるはずがない。
「今はあの通り、ユージィンはエヴァを溺愛しています。けれど陛下も私も、未だにあの頃のユージィンの気持ちをはかりかねているわ」
「そう……そうだったんですか」
「あなたはどう思いますか、アリア」
ユージィン様は、恐れていたのだろう。
王妃様の愛情が、兄弟へ偏ることを。
謀反を起こせと弟を唆した土田御前を、どうしても王妃様に重ねてしまうのだろう。
「ユージィン様は、愛情深い方ですわ」
「……」
「だからこそ、失うことを過剰に畏れるのでしょう。子供であったなら、なおさらです。王妃様の心がご兄弟に奪われるような気がして、自制できなかったのだと思います」
「そう、自制心が足りないのは確か。アリア、正直に答えて。貴女は本当に、あの子が王に相応しい器を持つと思っていますか?」
疑っているのとは違う。
なんとなく理解できた。王妃様は、いずれ王となる大切な息子を案じているのだ。
大丈夫、ユージィン様はちゃんと愛されている。
「前にお答えした通りです。私はユージィン様の才を疑ったことはございません。少し強引なところはありますけど……あれほど王座に相応しい方は、他にいませんわ」
「では。何があってもあの子を愛する気持ちは変わらないと、誓えるかしら」
私は背筋を伸ばした。
どんな宣誓よりも、意味があるという気がした。
「はい、王妃様。私の全てで誓います」
「そう……、ありがとう」
ユージィン様と同じ色の瞳が揺らいで、王妃様は一瞬だけ目を伏せた。
「アリア、貴女がそう言ってくれて安心しました……。不思議ね、自分の息子のことなのに」
きゅうっと胸が締め付けられる。
どうしてなのかわからない、たぶん理屈ではない。
無性にユージィン様の声がききたくなって、自分でも可笑しくなった。
ここ数日一緒にいるというのに、いつのまにこんなに欲張りになったんだろう。
相当いかれてると、認めざるを得ない。
「だけど油断しないで、アリア」
「え?」
「ユージィンは、貴女が思うよりきっと手強いわ」
真意がはかれず小さく首を傾げると、王妃様は何故か労わるような笑みを滲ませた。
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