第46話 夢に惑う
出発は、しとしとと雨が降り始めた昼下がり。
帰りの馬車は、王子様と二人きりだ。無駄に広い豪華な馬車は贅沢すぎて落ち着かない。
いや、落ち着かないのはぴったりくっついて隣に座っているユージィン様のせいかな。広いのだから、もう少し離れてもいいと思うんだけど……駄目?
そんな思いを込めて見上げると、窓の外を眺めていた王子様もタイミングよくこちらを向いた。
「降ってきたな」
「ええ、でもあとは帰るだけですし、雨も嫌いではありませんわ」
なんなら暴風雨でも嫌いじゃないけど、こんなふうにしとしと降る雨はもっと好きだ。家に籠るには最適なお天気だよね。そして今は馬車の中。心地よい揺れもあいまって少し眠い。王子様がご一緒じゃなければ、絶対爆睡してるな、これ。
「母上と意気投合したようで、何よりだ」
「意気投合は畏れ多いですけど、素敵なお母様ですね。ユージィン様とエヴァンジェリン様を大切に思われていることがよくわかりました」
「そうだな。母上にはずいぶんと心配をかけた。婚約を喜んでくれて肩の荷が下りた気がする」
へえ~、心配をかけていたという自覚はあるんだ。
昨晩伺った王妃様の話を思い出すと、不遜な態度も微妙に可愛く思えてくるから不思議。
「昨晩、母上のところに呼ばれただろう?」
「あら、ご存じだったんですか?」
「何の用事だ?」
「内緒です」
クスクス笑うと、ユージィン様が唇をへの字に結んだ。
「女同士の話ですから、お気になさらず」
「……、仲が良いなら何よりだが」
王妃様のお屋敷にいる間は、ずっとどこか緊張していたのだろう。王子と二人きりな今、自覚できるくらいには緩みまくっている私だ。
「ま、お前の覚悟も聞けたし、なかなか良い訪問だった」
リラックスが過ぎているのはユージィン様も同様らしい。
藪蛇ですわ、王子様。
私は抗議すべき事件を思い出して、しゃんと背筋を伸ばした。
「そういえば、王妃様の質問のこと、どうして教えておいてくれなかったんですか?」
「ああ、あれか」
ユージィン様はわずかに視線を逸らす。
取り繕おうとしているけど、絶対笑いを堪えてる顔だよね!?
「言っただろう。俺もお前の覚悟を聞きたかった」
「だってあれ、通過儀礼だったのでしょう? 王妃様もびっくりしておられたし、私だって寿命が縮みましたわ」
王子様と出会ってから、どれだけ寿命が縮んだことか。
余命がどのくらい残っているか、カウントするのが怖いくらいだ。
「だが、お前の解答は良かったぞ。国の礎は民だ」
「褒めても駄目です」
「これからしばらくは道と橋の整備を続ける。仕事のない者たちは減るだろう」
「……」
「教会の孤児院は改善が必要だな」
「はい。それは私も……、ああ!」
教会の話題が出て、連鎖反応でさらに大切なことを思い出しましたわ。
自分の声に自分でもびっくりしたけれど、ユージィン様も驚いたらしい。小さく首を傾げてこちらを覗き込む姿は、黙っていれば満点以上の王子様だ。んもう……いちいちドキっとするからホント心臓に悪い……、じゃなくて!
「どうかしたのか?」
「忘れてました!」
「何をだ?」
「ユージィン様、教会にたいへんなご寄付をいただき、ありがとうございました」
「……は」
今更すぎるけど、深々と頭を下げる。
お礼を言おうとしていたところに例の婚約話があって、速攻で領地へ逃げてしまったので、今の今まで、すっかり忘れていた。あれだけの寄付をしていただいてお礼無しとか、まったくもってありえない。
いや、それよりも、それよりも、だ。
「それから、素敵な花束を頂いて、本当に嬉しかったのに……お礼を言いそびれておりましたわ」
そこまで早口で伝え、王子様の顔を見上げる。
「シャーベットオレンジの花束をありがとうございました」
「……ああ、」
「もしかして、忘れておられます?」
「いや、覚えている。お前のドレスの色が気に入って、あれを作らせた」
うわあ、そういうことを平然と言っちゃう?
ちゃんとドレスの色も覚えているなんて、想像外なんですけど!
あの、なんか、照れるんですけど……!
「寄付のほうはエヴァへの土産の礼だから、礼は不要だ。俺も一度教会へ行ったが、あの孤児院は建て直しが必要だろう。お前の意見は正しい」
「ありがとう、ございます……」
ふいと、前世で読んだ本のことが頭に浮かんだ。秋山先生が貸してくれた本だ。ついこの間夢で見たから、その記憶は浅いところにある。信長は、弱者には存外慈悲深いところがあったって書いてあったよね。ユージィン様が思い出す前世はあまり楽しくない記憶ばかりだと言うけど、きっと覚えていないだけで良いこともたくさんしているはず。
「ユージィン様は、お優しい方ですわ」
思い出しながら、私は王子様に笑いかける。
そうだ、京への街道に住み着いていた、物乞いを助けた話だ。珍しくすっきり浮かんだので、少し嬉しい。
「そうか?」
自分のことなのに疑わし気な王子様を納得させたくて、私はさらに喋り続けた。
「信長様だって、貧しい、身体の悪い人を助けたことがあったでしょう?」
「何の話だ」
「覚えておられないんですか? 京都への街道で、身体の悪い貧しい人を助けたことがあるはずです」
「……、」
「前世であったことは、私には話せないことばかりだとおっしゃっていましたけど、本当はお優しい部分もたくさんあったのだと思います」
「……そう、だな」
ユージィン様は、困惑したような、呆けたような、あまり見たことのない表情で目を逸らした。数秒間、窓の外を見る。
「アリア、俺の弟の話をしたことがあったか?」
「弟?」
「そう、前世の話だ」
驚いた。
織田信長に謀反をしかけた、実の弟。
その話を王子様から聞いたことがあったっけ?
夢に見た内容は、よく覚えている。
昨晩王妃様から、幼いユージィン様のエピソードを聞いたときにも、その話を思い出した。
でも、王子様から、弟君の話を聞いたことが、あっただろうか。
混乱した一瞬に、ユージィン様は再び私を振り返った。
かっちりと目が合う。
「いや……話してはいないな。思い違いだ」
「ええ……いえ、」
「お前に話したのは、妹のことだ。覚えているか?」
「はい。お市の方のお話ですよね?」
舞踏会の夜だ。
その記憶ははっきりしていたので、私はようやく安心して頷く。
王子様は一瞬目を見開くと口元だけの笑みで頷き、背もたれに深々と身体を預けた。
なんだかおかしな感じだ。
何がおかしいのか、それはよくわからない。
「あの、ユージィン様? どうかなさいました?」
「いや、なんでもない。少し疲れた」
「まあ……気が付かず、申し訳ございません。どうぞお休み下さい」
「そうだな。お前も少し休め」
ユージィン様が私の肩を抱いたので、私はされるままに身体を寄せた。
王子様は目を閉じている。馬車の揺れは心地よい。
王都へ到着するころには、たぶん日が暮れているだろう。
肩に伝わるぬくもりの心地よさに、私もいつの間にか眠りに落ちていた。
『秋山先生』
私は再び社会科準備室を訪れる。
『ああ、君か』
『この前お借りした本、読みました。ありがとうございました』
私が二冊の本を差し出すと、秋山先生は柔らかい笑みでそれを受け取った。
『読んでくれたんだ』
『はい、面白かったです』
『どう思った?』
『え?』
『織田信長だよ。君はどう感じたのかな』
『ええっ?』
『色々な人の意見を聞くことにしているんだ。おそらく、日本で一番有名な武将だからね。僕には僕の信長像ができあがっているけど、若い子の捉え方はきっと違うと思う。参考に教えてくれると嬉しい』
ホントに好きなんだな、戦国時代。
少し笑い出したくなるのと同時に、真剣さを感じたので、私は一応真面目に答えを探した。
『そうですね……、しょっちゅう裏切られてるわりに、けっこう許しちゃうんだなって、意外でした』
『うん』
『お市の方や土田御前は、結局信長の庇護下で暮らしましたよね。なんだかあれも、信長の愛情というか……とりあえず傍に置いて離さないという独占欲がみえるっていうか……、可愛いとこあるなあって』
ちょっとヤンデレ気味な気もしたけど、戦国時代だもんね。
妻が大勢いたというのも、孤独の裏返しかもしれない。娘の嫁ぐ相手を真剣に吟味したとか、けっこう良いお父さんじゃんって思えたし。
『はは、さすが女子高生。織田信長もかたなしだ』
『だって、すごく怖いイメージあるのに、意外だったから』
『そうだね。その二面性は確かに彼の特徴だ。領民や女たちはともかく、家臣は大変だっただろうけど』
『あ、それは思いました。振り回されて大変ですよ、今なら絶対ブラック企業ですよね、織田家って。でも、信長自身も、自分の感情に振り回されて大変なこと、あったんじゃないかなあ』
感情のままに動き、周囲の反応に時に後悔する。
天下取りが近くなってからは、世間の評判も気にするようになったと記してあったけど、数多くの後悔を繰り返したからこそじゃないかな、そんなふうに感じた。
有能な家臣は大勢いて、信長の理想に同調してくれた。共に天下を統一する、その一歩手前まではいったのだ。だけど、最後の最後に信頼する部下のひとりに、裏切られた。
『本能寺を生き延びていたら、信長はどうなっていただろう』
秋山先生がひとりごとのように呟く。
『彼はその後、人を信じることができたかな』
『……』
最後の最後、手ひどい裏切り。
是非もなし、と言ったのは本心だろうか。
『本能寺で終わることができたのは、幸いだったのかもしれないね』
本能寺の変のあと、生き延びていたら。
その記憶を持ったまま、生きていたら。
その後も、人を信じることができる?
心から、誰かを愛することができる?
どうしてそんなことを考えてしまうのか、わからないのに泣きそうだ。
『どうしたの?』
わからない。
「どうして、泣いている?」
どこかから、誰かの声が問いかけてきた。
「アリア」
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