第47話 まがいものを集めて、そして
「アリア、着いたぞ」
「……」
耳元で囁く声に、私はパチリと目を開いた。
ああ、夢をみていたんだ。
ぼんやりしていると、王子様が指で私の頬をなぞる。
指先が濡れているのは、私が泣いていたからだ。胸がドキドキしていた。夢と現実の境界線が、今日はやけにあやふやに思えて。
「怖い夢でも見たか?」
「……ええ、……いいえ」
すっかり王子様にもたれかかっていることに気付いて、私は慌てて身体を起こした。
「もっ、申し訳ありません!眠っていました」
「いや、俺も少し寝た。気にするな」
馬車は止まっている。
どうやら、外はすっかり日が落ちているようだ。
夕方には到着する予定のはずが、外は真っ暗だった。
「真っ暗ですね」
「途中、少し遠回りをしたからな」
「そうでしたか……」
遠回りってどうしてだろうと思ったけれど、眠っていた身としては何も言えない。雨で通れない道があったのかな、と漠然と考えて、私はただ頷いた。
「今日はもう遅い。部屋を用意させるから、城で休め」
「え?」
「降りるぞ」
王子様の宣言に応えるように馬車のドアが開いた。
普段出入りしている王宮の入り口ではない。
「ここは?」
「俺の離れだ」
「離れっていうか……」
なんとなく、位置だけはわかってきた。王宮の東側、以前王女様とランチしたテラスの向こう側だ。箱庭の先に小さな平屋があったことを思い出す。
「いつか、南方の布地を取り寄せた話をして、まだ見せていなかったことを思い出した」
「そうういえば」
「他にも、お前には懐かしいものがあるだろう」
「懐かしいもの?」
護衛の一人から灯りを片手で受け取り、もう片方で私の掌を握ると、王子様は私の顔を覗き込んで微かに微笑んだ。
「違うな、懐かしいと思わせる、偽物たちだ」
「偽物?」
「行くぞ」
否という選択肢は無いらしい。
私は手をひかれるまま、ユージィン様の後について歩きだした。
「うわあ……」
奥の部屋の部屋に案内され、私は思わず感嘆の声をあげた。
「この上は、靴を脱いだ方が良いのでしょうか?」
「よくわかっているな」
それはそうでしょう。
部屋の半分ほどのスペースは、一段高くなっていて、正方形の小さな敷物が組み合わせて敷き詰めてある。材質は植物を編んだもの、一言で言えば畳に近い。この世界では初めて見る質感だ。
畳の間の奥にはいくつもの正方形に仕切られた棚があり、そのひとつひとつに壺や茶わんなどの器から、仮面のようなものや木彫りの置物まで、他にも何かわからない色々なものが飾ってある。そのすべてが、どこか懐かしい。
「これは……ユージィン様が集めたのですか?」
「そうだ。記憶が戻ったころはまだ子供だったからな。城を抜け出して市場で必死で探した。今は出入りの行商人にも持ち込ませている」
なるほど……。
そういえば、最初に連れ出された場所は市場だっけ。
私の刺繍にすぐに反応したのも、今なら納得できる。おそらく王子様は、長いことこの世界にある『前の世界』の欠片を集め続けて来たのだろう。逆に言えば、それだけ執着があったということに他ならない。
ぎゅっと胸が締め付けられたけれど、私は気付かないフリをした。
「総じて、南方の国々の品物は、日本の意匠に近いものが多い」
「たしかに、この敷物も『畳』みたいですね」
「地図を見ると、陸や海の配置は前の世界とは全く違うようだ。しかし、文化には類似点もある。アシュトリアは南蛮の文化に近いだろう」
「ええ」
対して、この国にある品々はアジア地域の雰囲気がある。
「例の布地は左の、一番下の棚だ」
「あの、手に取って見ても?」
「ああ」
ユージィン様は私を段差に座るように促すと、すぐ前に跪いた。咄嗟に対応できずただ腰掛けた私の足から、当たり前のように靴を脱がせる。
「良いぞ」
「あっ、ありがとうございます」
ナチュラルにされてたけど、男の人に靴を脱がせてもらうって、かなり恥ずかしくない?私は跪いたユージィン様の頭部から慌てて視線を逃し、急いで畳もどきの床に立ち上がった。奥の棚は、ちょうど私の背丈くらいの高さだ。近づいて、改めて確信した。つるりとした白い壺も、少しごつごつした平らな器も、微妙な懐かしさを感じるものばかりだ。王子が『偽物たち』と言ったのはそういうことかとひとりごちる。
一番上の棚にある細かい細工の小さな壺は何に使うのだろう。じっと眺めていると、後ろから王子様が教えてくれた。
「それは香炉だ」
「ああ、なるほど。ここにお香を入れるんですね……」
蓋らしき部分が細い網目状になっているのは、そのためかあ。
こんな繊細な細工、アシュトリアでは見たことがない。
「香もあるぞ。焚いてみるか?」
「え、でも」
「遠慮するな。ここにお前が来なければ、使う予定もなかったものだ」
いつのまにかすぐ後ろにいたユージィン様がひょいと香炉を持ち上げて、ランプの置いてある棚のところへ持って行くのを見送る。香に火をつけるつもりなのだろう。
少し距離ができて、正直ほっとした。なんだか妙な緊張感があるのは、この部屋に置かれた『偽物』たちのせいかもしれない。何を思ってこれだけの品物を集めたのか……いや、考えない方がよいかな。
私は教えてもらった布地の前に座って、そっと端をつまんでみた。
「きれい」
たぶん、椿の花だ。白地に赤と黒の花が、大きく染め上げられている。
この国では見たことがない、冬の花。
「椿みたい、ですね」
「ああ」
木綿に近いさらりとした手触りだった。この布で、浴衣を作ったら素敵かもしれない。そんなことを考えていたら、ふわりと甘い匂いが鼻をつく。同時に、前触れなく背後から何かに抱き締められて、私は小さく声をあげた。
何かって何だ。
王子しかいないじゃん。
だけど、やっぱり、おかしい。
「アリア」
微塵も甘くない、ひやりとした刃物を思わせる声が私の名を呼んだ。
「ユージィン、さま?」
「正直に答えろ」
小さく息を吸うと、ひゅっと咽喉が鳴った。
後ろを振り向くことはできない。
王子様が探し続けた、たくさんの前世の名残たち。
その中心に、私は居る。
「お前は誰だ?」
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