第50話 王子様の裏表
自分自身の記憶は、それほど多くはない。
未だにフルネームすら思い出せないし、家族のことも断片的。
比較的はっきりしているのは高校時代の記憶で、特にユージィン様と会ってからはその傾向が顕著だ。必然的に、学校の話が中心になった。
「なるほど、歴史の授業で『信長』のことを学んだというわけか」
「はい。学校では戦国時代だけではなく、もっとずっと前から近代史まで教えてくれました」
「何百年も前の歴史など、意味があるか?」
「自分の国の歴史ですから、意味はありますわ。アシュトリアでも、建国の神話と歴史は誰でも知っているでしょう?」
「しかしなおさらわからん。俺は、」
と、言いかけてわずかに言い淀む。
「――――『織田信長』は、国を作ったわけではない。熾烈な戦いもいとわず敵を殲滅し続けた挙句、戦乱の世を収めることもかなわなかった。最後には臣下に謀殺された間抜けだ」
「あら、すごく人気がありましたよ」
「理解できん」
「研究書もたくさん書かれていましたし、テレビやゲームにもよく出て来ました」
「テレビ?」
おっと、説明が難しいなあ。
400年強のジェネレーションギャップはなかなかに深刻かもしれない。面倒なので、とりあえずざっくりとまとめておこう。
「とにかく、織田信長といえば歴史の重要人物でしたから、子供でも知っていました」
「……」
「歴史の先生なんて、好きすぎて大変だったんですよ? 信長公のおかげでしょっちゅう授業延長ですもの」
畳みかけると、王子様はむうっと口を真一文字に結んで視線を逸らした。
あれ、ひょっとして、照れておられます?
「無駄なことを教えるものだ」
「ですから、無駄ではありませんわ」
微妙な表情が珍しかったので前のめりにユージィン様の顔を覗き込むと、ぐいと手首を掴まれた。
「ひゃっ」
「いつまでそこに座っているつもりだ」
しまった、調子に乗りすぎた!
ここはユージィン様の寝室、しかも私が腰かけているのは、王子様のベッド。
私は引っ張られないようにぐっと体に力を入れる。
「ええっと、ユージィン様がお休みになるまで、でしょうか?」
「お前のほうが眠そうな顔をしているぞ」
「そっ、そのようなことは」
ありません、と言わないうちに王子様がにやりと笑う。
そもそもパワーが違い過ぎるのだ、じたばたと抵抗する間もなく、私は王子様の布団に引っ張りこまれた。
「ゆ、ユージィンさま!」
「うん、文句なしの抱き心地だ」
「……!」
おっさんか!
いや、どうかな……ついさっきまで信長公が憑依しているのかというご乱心だったから、まだまだ安心はできない。
「さて、続きを聞こうか。話せ」
話せ、と言われましても。
ぎゅっと抱きこまれているので、ちょっと息苦しい。
っていうか、息苦しい以前の問題かもしれない。心臓、心臓が跳ねまくるんですけど!
「あのう」
「何だ」
「息が苦しいので、少し……」
「そうか?」
少しだけ力が緩んだ代わりに、顔を覗き込まれる。
近い。
えっと……これって腕枕状態じゃない?
乙女の憧れってやつじゃない?
いやでも、この体勢はありえない。
慌てて視線を下げ、私はユージィン様の夜着の縫い目を観察することにした。
さすが王室御用達、部屋着の縫製も丁寧だね!
「どうした、アリア?」
もっともらしい声だけど、絶対からかわれてる。
しかし顔を上げたら負けだ。
そして黙ってしまっても敗北確定だ。
私は悟られないように小さく息を吸った。
「ユージィン様と会ってから、私は頻繁に前世の夢を見るようになりました」
「そうか……俺とは逆だな」
「はい。ユージィン様と違って、私の記憶は曖昧で、特別なことなんてありません。小さいころから時々前世の夢をみて、懐かしい気持ちになる……たぶん、私が平和な時代を生きていたからでしょう」
顔は上げなくても、頷いてくれた気配はわかる。
私は辿るように話を続けた。
「ユージィン様と話をするたび、信長公のことばかり、どんどん思い出しましたわ。私にとって『織田信長』は歴史上の偉人でしたけど、けっこう詳しかったんですよ?」
「あれを偉人と呼ぶとは、物好きなことだ」
「だから、そうではありません。普通です」
信長の自己評価がここまで低いとは思わなかった。私の時代では本当に大人気だったのに、わからないもんだよね。もっとも私の偏った豆知識は秋山先生の影響が大きいけれど、それはそれ。
「授業で教えてもらったこととか、貸してもらった本に書いてあったこととか、最近は夢に見る前世は『織田信長』のことばっかりになっていって」
舞踏会の夜のユージィン様を思い出すたび、苦しくなった。
思い出せば思い出すほど、言い出せなくなった。
本音をいえば、今だって、話したくないことはたくさんある。
お市の方のことを尋ねられたら、いったいどう答えるのが正解なんだろう。
『信長の死後、お市の方は柴田勝家に嫁ぎ、挙句秀吉に攻め滅ぼされ自害しました』
……駄目だ、無理。
そんな残酷な語り部は、やっぱり私には荷が重い。
だけどこの期に及んで知らないと言い張ることも、都合の良い嘘で誤魔化すことも、ユージィン様は許してはくれないだろう。
……どうしよう。
「アリア」
私の沈黙を受けてか、ユージィン様は私の頭を胸に抱きこんだ。
とくんとくんと心臓の音がきこえてくる。
「信長の死後、織田の家が……家族が、家臣たちが、どうなったのか」
「……」
「お前はそれを知っている」
「……はい」
そう、それこそが、私が恐れていた問いかけだ。
織田信長の死後、彼が気にかけていた人々がたどり着いた終わり。
幸せな結末ばかりではないことを、私は知っているから。
「そうか」
何を聞かれても繋ぎ止める覚悟で、手触りの良い夜着をきゅうっと握りしめた。
背中に回された腕に力がこもり、今度は体ごと、抱き寄せられる。
まるで、最初からそうあるべきだったようにぴったりとくっついて、少しだけ安心できた。
「温かいな」
「そう、ですね」
「お前は、恐ろしくはないか?」
「え?」
思わず顔を上げると、予想に反して悪戯っぽい笑み。
くそう、ちょっと口角を上げただけでこの破壊力は反則じゃない?
「激昂して噛みつくような男のベッドにいるのは、恐ろしくないのか?」
「噛みつかれるのは困りますけど、痛いし」
「……悪かった。どうかしていた」
「でも、恐ろしくはありません」
痛いのは嫌だけど、今回は私の自業自得だ。
それに、恐ろしいよりも、悲しかった。
違う、悲しかったのはきっと私ではないのだ。
私はただ同調して震えていただけだ。
「よくも、前世の俺を知った上で傍にいられるものだ」
「だって、ユージィン様はユージィン様でしょう?」
「……そうだな」
織田信長には会ったことないけど、ユージィン様は今、この上なく近くにいる。
「前世などうでもよい、関係無いと、こんなに強く思ったのははじめてだ」
「え?」
「それなのに、どちらが本当の俺かわからないほど混乱した」
織田信長と、ユージィン様と。
両方の人生を知っているのだから、境界線なんてきっと存在しない。
どちらが善でも、悪でもない。
「馬車でお前が妹の名を出したときからだ。お前が『織田信長』にゆかりのある誰かだと、疑心暗鬼にかられた瞬間、全て信じられなくなった」
「…………」
「ただ、どうすればお前を自分のものにできるか、そればかり考えた」
「えっと、ユージィン様が何もしなくても、お傍にいるつもりですけど……」
「信長の妹の名を知り、母と弟への仕打ちを知っている以上、お前がこうして傍にいるのは、何か他に理由があるのだと疑った。いずれ目的を果たせば離れていくつもりだと、勝手に決めつけて、恐れて、いっそ閉じ込めてしまおうと思った」
なるほど、それで噛みついたわけですね、物理的に。
王子様の綺麗な顔にうっすらと悪い笑みが浮かぶ。
「残念ながら、手放すという選択肢は微塵も無い。どこにどうやって拘束しておこうかと、そんなことばかり考えていたぞ」
「ええぇ……」
なにそれ怖い。
ドン引きされた気配を察したのか、王子様はひょいと背中を丸めて私の額に口づけ、今度こそとびきり王子様らしく笑う。
はい、反則。
話の内容は完全にヤンデレ確定なのに、全てをなかったことにしてしまう王子様スマイルとか反則以外のなにものでもないと思うの!
「もちろん、お前自身の意思で傍にいてくれるなら、それが一番良いが」
「はあ……」
どっと気が抜けた。
だけど、『前世など関係無い』と言ってくれたことで、ほんの少し気持ちが軽くなっている。もしかしたら何もかも察してくれているのかもしれない。
私はなけなしの勇気を振り絞って、口を開いた。
「あの、ユージィン様」
「話したくない前世の話は、話さなくてもいい」
「……でも」
「一緒に歳をとればいつか話したくなる時が来るだろう。昔話は、その時でいい」
一緒に歳をとればいつか、なんて、本当にそれで良いの?
甘えてもいいのか迷っていると、王子様の声が楽し気に、しかし確かな圧をもって続けた。
「ただし、この世界での隠しごとは許さん。肝に銘じておけよ」
「……許さないって、具体的にはどうなるんでしょう」
「そうだな、また噛みつくかもしれないぞ」
「ええ~」
噛みつかれるのは嫌だな。
「呆れたか?」
呆れたか、ですって?
愚問ですわ、王子様。
外見以外、王子様らしいところは見当たらないし、ノックはしないし、人の家にずかずか上がりこんでくる。けっこうなシスコンは確定、たぶんマザコンも入っていて、その上ヤンデレの才能もあるよね。
強引でせっかちで、怒りっぽいし。
傍若無人、唯我独尊、大胆不敵、ああ、とても言葉では表せません。
でも、だけど、それでも、ね。
「ユージィン様、ありがとうございます」
「……は?」
傍を離れるなんて、そんな選択肢、今はもうどこにもない。
王子様の腕の中は、温かくて気持ち良くて、ずっとこのままでいたくなる。
「私、なんだか眠くなってきました」
「お前……意外と図太いな」
「そうでなければ、王子様の傍にはいられません」
「違いない」
笑みを含んだ優しい声が、耳元で囁く。
「ではアリア、今宵は傍で眠ることを許そう」
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