【番外編5】堅物騎士の悩みは尽きず(フリッツ視点)
「そういえばフリッツさん、昨日訓練所にエヴァンジェリン様がお越しになったんですよ!」
声をはずませて話し始めたのはギュンターだ。隣に座ったロルフもわずかに反応する。
「へえ、それは珍しいな」
「俺、はじめて近くで王女様を見ましたよ」
「……、」
「いえ、拝見しました!」
慌てて言い直すところはご愛敬だが、どうもギュンターには緊張感が足りない。
3つほど年下のこの二人は、俺にとっては同郷の幼馴染みだ。もともと剣の筋が良く、運良く騎士団への入団を許されたのが昨年のこと。口数が多く騒がしいギュンターと圧倒的に寡黙なロルフはいいコンビだと言えないこともない。
「しかし、そんな予定は入っていなかったと思うが」
「そーなんです。ほんの少し前に王太子からの伝言で知らされて、訓練所は大騒ぎでしたよ」
「なるほど」
王太子も一緒だったなら納得できる。基本あの方はふらりと訓練所に現れるから、先に知らせがあっただけでも御の字だ。騎士たちも王太子単体の登場には慣れてしまっている。
「それで、殿下は何を?」
「ご兄妹で馬場に入って、エヴァンジェリン様に乗馬を教えておられました。だから俺たち、遠目に見るしかできなかったんですけど」
残念そうに肩をすくめてみせる。
そのとき、ロルフがわずかに首を巡らせて珍しく自主的に口を開いた。
「アリア様も、ご一緒でした」
「そうそう! そう、そうなんですよ!!」
ギュンターの表情がぱっと明るくなる。
その名には少し驚いた。アリア様は最近王子との婚約を発表された伯爵令嬢である。我が第三騎士団が護衛を担当しているジュリエッタ様とも懇意にされている方で、俺も何度か面識があった。可憐で素直なご令嬢だが、なんと言えば良いのか……、一言では言い表せない愛嬌がある。
「アリア嬢とは、教会でお会いしたことがありましたよね」
「そうだな」
ジュリエッタ様がシスター・レオノーラを訪れたとき、アリア嬢が外で待っていた。確かあのときも従者ひとりを連れて気楽な様子だったと覚えている。
「俺たち、あのときはなにも知らなかったので、問答無用で足止めしちゃったんですよ」
ああ、目に浮かぶようだ。相手が誰であろうと、騎士たるもの最大限に気を遣えと普段から言っているのに。貴族の令嬢が相手ならなおさらだ。
「で、これは一言謝らなければ、と思いまして」
「なに?」
「急いでロルフを呼んできて、二人で謝ったんですよ!」
「は……、」
いや、猛烈にまずい予感がする。謝ったというが、こちらは覚えていてもアリア様のほうはギュンターとラルフを覚えたかどうか。
「お前たち、きちんと自分から名乗ったんだろな?」
そう尋ねると、案の定ギュンターの視線が泳いだ。さんざん遊泳したあげく、助けを求めるようにロルフを見上げる。はあ、とひとつ息をついてロルフが重く口を開いた。
「ギュンターが『我々のことを覚えていますか』と訊き、アリア様は覚えていてくださいました――幸運なことに」
なるほど。
それは本当に幸運だ。相手がアリア様だったことも、こちらのことを覚えていてくれたことも、ほぼ奇跡に近い。並のご令嬢ならば、非礼だと糾弾されても仕方が無いし、万一向こうが覚えていなければ恥をかかせることになる。
おそらくロルフは巻き込まれただけだろうが、仕方が無い。
「ギュンター、ロルフ。お前たちは向こう一週間、実技の訓練を禁ずる。もう一度礼儀作法の座学をいちから叩き込んで来い」
「えっ、なんでですか!?」
なんでもかんでもない。お前のその発言が全てだ。
ロルフは完全にとばっちりで少し気の毒だが、二人一緒のほうが色々とはかどるだろう。
「そりゃちょっと軽率でしたけど……一週間は長いですよ、な、ロルフ!」
しかしロルフはギュンターの視線を受け止めて、静かに首を振った。
「俺もフリッツさんに賛成だ」
……悪いな、ロルフ。今度飯でもおごるから許せ。
一定の信頼を得ているのか泳がされているのか判断はつかないが、ジュリエッタ様の警護の任は未だ解かれていない。とはいえ、毎日通っているというわけではなく何人もいる護衛騎士のひとり、という立場ではある。
じきじきに指名をもらえばありがたくはあるが、果たしてこのままでいいのか考えて先送りの繰り返しだ。
「今日はアリアの家に招待されているの」
「アリア様――――、マテラフィ伯爵家ですか?」
昨日の今日だったので少し驚いた。
しかし護衛とあればどこへでもお共するのが俺……、いや、『私』の仕事だ。一瞬で思考を切り替えて、心を無にする。いや、どちらかといえば鎧を着込むイメージかもしれない。
「ジュリエッタ様、ようこそいらっしゃいました! フリッツ様も、ごきげんよう」
いざマテラフィ伯爵家に到着すると、満面の笑みのアリア嬢自ら我々を出迎えてくれた。家令らしき初老の男はドアを開けて控えているだけだ。どこの家でもこうというわけではない。かなりの緩さ、かなりの柔軟さである。
「アリア、しばらくね。王妃様のご静養先に行っていたと聞いているわ」
「はい、お邪魔して参りました。そのあともバタバタしていて、ご招待が遅れて申し訳ありません」
「あら、埋め合わせに王妃様のお話を聞かせてくれるのでしょう?」
「もちろんですわ、どうぞ」
立場的には王太子の婚約者、少しは落ち着いた威厳を持つべきだと思うが、アリア嬢はさっぱり以前とかわらない。心からジュリエッタ様を慕っているのがわかるし、どちらかといえば今現在も隙だらけだ。
階段を上ってアリア嬢の部屋に到着すると、彼女の従者が廊下で待っていた。
「あれ、他の方々は?」
と、彼は不思議そうに間の抜けた声を出す。教会で出会ったときから思っていたが、この従者も相当変わっているとは思う。アリア嬢への態度は従者というより兄のようだ。
「いいのいいの。アルも中に入って?」
「は? いや、ちょっと待ってください」
そうあしらって、アルと呼ばれた従者がジュリエッタ様へ最大限、優雅に礼をとる。
「ようこそお越し下さいました。どうぞ」
「まあ、ありがとう」
切り替えが見事だったせいか、ジュリエッタ様が微笑した。私のような騎士よりもずっと、この従者の所作のほうが洗練されている。本当にちぐはぐでおかしな家だ。
「では、私はここでお待ちします」
と、ドアの前で立ち止まると、ジュリエッタ様が唇をとがらせて私を見上げた。
「あら、ダメよ」
「は?」
「フリッツも来るのよ?」
そう言って、ジュリエッタ様があろうことか俺……、じゃない私の腕をぐいと引っ張った。引っ張った……、つまり、接触している。なんだこれは、まずい、細い指の感触が上着越しでもはっきり感じられて微かにめまいがした。
「ジュリエッタ様、手を」
「いいからいいから。今日は無礼講って決めているのよ」
力で負けるはずはないが、気合いで部屋に引きずり込まれた。
テーブルの上にはティーカップの準備が4つ。誰か他に来るのか、と考えて違う可能性に気付く。
「なるほど、4人ぶん用意しろってこういうことですか」
呆れた声でアリア嬢の従者が呟いた。
「たまには良いでしょ? アルったらちっともお茶に付き合ってくれないんだもの」
「まあ、たまに付き合ってくれるなら良いわ。私はフリッツとお茶を飲んだことなんてないのだから」
女性二人の主張に、思わず横を見て従者と顔を見合わせる。こういう時どう対処すればいいのかなんて、どんな礼儀作法の本にだって載っていないだろう。
「仕方ないですね……では、とにかくお座りください」
はあ、と息をついて従者がご令嬢二人の椅子を引いた。そこまでは普通だ。問題は私と彼だ。
動けずに突っ立っていると、従者が4つのカップに手際よく茶を注いでいく。
「では、いただきましょう」
「ええ?」
「座らないの、アル」
疑問には答えず、アルと呼ばれた従者はカップを持ち上げ一気にお茶を飲み干した。
なるほど?
おそらくマナー違反だと思われるが、ご令嬢の誘いを断りもせず、テーブルにもつかずに済ませるにはこれしかない。
「では私も、失礼いたします」
従者と向かいの席のカップを持って、私も彼と同様突っ立ったまま茶を飲み干した。驚くくらいに良い匂いがする。
「お行儀が悪くてよ、二人とも」
「申し訳ございません、ジュリエッタ様。お嬢様の部屋で、しかもお客様と同じテーブルでお茶を頂いたりしたら、家令に大目玉をくらいますので」
「まあ、では今度は家令さんのめの届かない野外にでもセッティングしましょう」
「はい、楽しみにしております」
済まして応えた従者が、優雅に一礼して私に目配せをくれた。うつむき加減で『出ますよ』、と唇だけが動く。顔をあげるとたちまち従順な顔で、彼は笑った。
「では、ごゆっくり。我々は外で控えておりますので、何かありましたらお呼びください」
私はただ、頭を下げるだけでせいいっぱいだ。おそらく経験値が全然違う。
心を無にして護衛に徹しようとしても、もうどうしても隠しきれない。いったいどんな力が作用しているのかわからないが、あの二人のシナジーにもあらがえる気がしない。
部屋の外に出てどうにか落ち着こうと小さく息を吐くと、隣に並んだアリア様の従者が少し首を巡らせて俺を見た。
「お気の毒です」
「……は、気遣いに感謝する」
はあ、とまた息が漏れた。従者はひとつ瞬きをして、前を向く。
「大変ですね」
「君の主もたいがいだが、な」
「いえいえ、フリッツ様のご主人には敵いません」
ああ、まったく、どっちもどっちだ。
このつぎはぎのごまかしが取り払われたとき、私は……、俺はどうなるだろう、どうするべきだろう。そんなことを考えながら視線をあげると、部屋の中からジュリエッタ様の笑い声が聞こえてきた。
(了)
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