こぼれ話

【番外編1】王子様は心配性(王子視点)


「まあお兄様、こちらにいらっしゃいましたの?」


 部屋に入って来るなりエヴァンジェリンが目を丸くした。

 今日はようやく婚約の儀だ。慣例通りに行うとすれば昼前から夜まで忙しくなるはずだが、昨夜はまったく寝付けなかった。


 もちろん俺の準備は万端だ。

 正装はゴテゴテしていて好かないが、アリアと並ぶためならまあ悪くない。


「しかももう準備万端ですの? 気がはやいにもほどがありません?」

「そうだな。俺もそう思う」

「あら、お兄様ったら、珍しく素直ですわね」


 エヴァはニコニコと満面の笑みを浮かべている。

 どうもこのところ、可愛い妹によくからかわれる。とくに母上が王都に戻ってきてからというもの、二人がかりで攻めてくるのでやっかいだ。


 母上の体調は安定して王都へ戻り、エヴァはいつも上機嫌。あまり顔には出さないが、父上はもちろん安堵しているだろうし、母上にいいところを見せようとしているせいか決断が3割増しで早くなったような気さえする。おかげで決裁がはかどるのは助かるが、あまりに単純過ぎないか、父上。


 いや、俺も人のことは言えないな。


「遅刻ばかりだったお兄様が、式典の3時間も前に準備万端なんて本当に驚きです」


 エヴァがかわいらしく小首を傾げる。


「アリア様のおかげですわね」

「は、お前の言うとおりだ」


 全面的に認めるしかない。

 もしもアリアに出会っていなければ、俺はずっと目的もなく怠惰に、その日その日を楽しむことだけを考えて生き続けていただろう。


「まあ、のろけられてしまいましたわ」

「お前、どこでそういう言葉を覚えたんだ?」

「私だっていつまでも子供ではありませんのよ」


 いたずらっぽく目を見開いてエヴァが一歩、二歩俺に近づく。


「でも、なんだか少し元気がないようですけど」

「寝不足だ」

「それだけですの?」

「……、」


 アシュトリアの天使の異名を持つこの妹は、見かけに似合わずなかなかに鋭い。あの母上の娘なのだから素養があるのは間違い無いだろう。いや、それとも俺がわかりやすいのか?


「今日は婚約発表ですもの、しゃんとしていただかなくては困ります」

「……本当に、無事に終わるだろか」

「え?」

「上手くいきそうなときが、一番危ない」


 言わなくてもいいことを、思わず口走る。

 これは呪いみたいなものだ。どんなに遠くなっても、どんなに薄められても、あの記憶が消えてなくなることはない。


「あら、それは少しわかります」


 けれど、エヴァンジェリンはこともなげに頷いた。


「わかる?」

「前にもアリア様に逃げられていますものね。でもあれは、お兄様が悪巧みをなさったからだわ」


 ジュリエッタとの婚約騒ぎのことを言っているのだろう。エヴァはあれをまだ根に持っている。


「悪巧みのつもりはなかったが」

「自覚がないところが一番の問題ですわ」

「お前な……」

「でも、今はなにもたくらんでいらっしゃらないのでしょ? 何を心配されているのかわかりません」


 そう言われてしまえばそうだ。

 けれど、一瞬だけアリアの傍にいる従者の顔が頭に浮かぶ。あれは油断ならん男だ。


「不安なときは、直接お話したらいいと思います」

「直接?」

「さっきアリア様も城に到着したと聞きましたわ」

「本当か?」

「ええ。だけど女性はいろいろと準備がありますから」


 今日一番のにっこりで、エヴァから無言の圧があふれた。


「会いにいかれるなら、もう少し我慢しなきゃダメです」

「準備の前に顔だけでも、」

「ダメです」


 仁王立ちのエヴァはしかし、許してくれない。


「いいですか、あと2時間はお待ちになって。女性の支度は、たいてい式の1時間前には終わりますから」

「お前、詳しいな?」

「当たり前です! わたくしだっていつもそうですもの」

「なるほど」

「なるほどではありません、お兄様はそういうところ、まだまだ疎すぎます」


 俺は女性ではないし準備もほぼ自分で済ますので、知らないのは仕方ないだろう。しかしプンプン怒っているエヴァのおかげで、少し気が紛れた。


「いいですか? 一時間前になったら急いでアリア様のところへ言ってお話をしてください。アリア様だってきっと、不安な気持ちですわ」

「……、」

「お兄様のほうが余裕があるのですから、緊張をほぐすよう優しい言葉をかけてさしあげて下さいませ」

「なあ、やはり今からじゃ駄目か?」

「駄目です!」


 ふうっと息を吐いて、エヴァは俺をにらみつける。


「仕方ないですわ、私が見張っていてさしあげます。とりあえずお茶にいたしましょう、お兄様」


 急かしたいのか止めたいのかよくわからないが、エヴァの言うことは正しい。俺よりもアリアのほうがずっと不安だろうし、緊張もしているだろう。

 そこに思い至らないあたり、やはりエヴァには敵わない。


「女性が支度をしているのですから、ちゃんとノックもして下さいね」


 そんなことを言いながら、エヴァが召使いを読んでお茶の支度を命じた。

 やれやれ、長いお茶会になりそうだ。




「準備はできたか、アリア」


 式のきっちり一時間前。

 控え室のドアを開くと、アリアは侍女に囲まれて正面の椅子に座っていた。


 明るい色のドレスに身を包んで目を見開いたアリアは、軽く頬を膨らませて俺をにらみつける。どこぞの姫君のようにめかしこんでおいて、その表情は反則だ。

 やはりどこかに隠しておいたほうが賢明ではないだろうか。これから国民にこの姿をさらすとか、正気の沙汰とは思えない。


「ユージィン様……、ユージィン様はノックという習慣をご存じですの?」

「知っている。必要な時にはしているぞ」


 いや、気が急いていてすっかり忘れていた。

 あとでエヴァにバレたらまた小言だな、とちらりと考えたが、視線が合うとアリアがはにかんだように俯いたので、他のことはどうでもよくなった。とっとと人払いをして、アリアと話がしたい。今願うのはそれだけだ。


 ……ああ、我ながらどうかしている。





(了)

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