第52話 同じ夢をみている


 その日は珍しく早く目が覚めた。


 今日は夢を見ていない。今日だけではない。このところずっと、前世の夢を見ない。


「おはようございます、お嬢様」

「おはよう、アル」


 時間通りに現れたアルは、いつものように朝の準備を手伝ってくれる。早起きに関してコメントも突っ込みもないのは珍しい。


「長いようで、短かったですね」


 そつのない従者にしては珍しく感慨深い声に、私はひとつ頷いてみせた。

 確かにとてつもなく長くも感じたし、目まぐるしく一瞬だったような気もする。


「そうね」

「あれ、冷静ですか?もっとあわあわしてると予想してたのに」

「冷静じゃないわよ、実感が無いだけ」


 この数週間は本当に慌ただしく過ぎた。

『王都を離れたマテラフィ伯爵令嬢を王子様が追い掛けて連れ戻した』という話は、未だに面白おかしく脚色されつつ拡散中だ。


 その後私が王室のご兄妹と王妃様を訪問したことが知れ渡るにつれ、ようやく周囲も噂が真実だと理解したらしい。友人知人からひっきりなしにお祝いが届きはじめ、モニカは友達を集めて盛大なお茶会を開いてくれた。友人たちにものすごい質問攻めにあって、防戦一方だったのも良い思い出だ。集まった全員の第一声が『……おめでとう?』という疑問符混じりだったのは可笑しかったけど……いや、これ、笑いごとじゃないな。


「ま、今日のところは婚約発表と国民への顔見せです。本番は半年後の結婚式でしょう。なにせ国を挙げての一大イベントですから……まだまだ覚えることが山ほどありますよ」

「ですよねー」

「かるっ!」

「重くしても仕方ないでしょ」

「本当に大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃなかったら、助けてくれる?」

「そうですね」


 アルフォンソは可笑しそうに目を細め、口角だけをあげた。


「……もしもどうしようもなくなったら、いつでも連れて逃げてあげます」


 優しい声だ。だけど真剣な声だ。

 縁起でもないけれど、万が一、思いもよらない、とんでもないことが起こった時には、彼は必ず助けになってくれるだろう。

 不覚にも涙が出て来そうになって、私は慌てて瞬きをした。


「アルは私に甘すぎると思う」

「あ、今の王子様には内緒にしといてくださいね。確実に殺られます」

「……そうね」


 ……さすがアル、涙が引っ込みましたわ。


 だけどそんなところも含めて、彼の優しさだと知っている。

 アルフォンソがいてくれたから、私はいつだって笑っていることができた。


「さ、そろそろ時間ですよ」

「ええ、本当にありがとう、アルフォンソ」







 王宮の控えの間。

 突然開いたドアに、私はうんざりして振り向いた。


「準備はできたか、アリア」


 髪飾りを付け直してくれた侍女のひとりが、びっくりしたように固まっている。

 そりゃそうだよね、女性の身支度中、いきなりドアが開いて王子様が現れるんだもの。


「ユージィン様……ユージィン様はノックという習慣をご存じですの?」

「知っている。必要な時はしているぞ」


 今がその、必要な時だあ!!


 ……と叫びたかったけど、正装の王子様の破壊力に私は思わず目を逸らした。駄目だ、これは駄目だ。今日隣に立つ私の身にもなっていただきたい。いや、薔薇の花束もカスミソウが引き立てるものだもの、きっと大丈夫。我ながら情けない慰めだけど、これはどうしようもないな~。


「支度は済んだのか、と聞いたが」


 王子の問いかけに、控えていた侍女が慌てて頭を下げる。


「はい、アリア様のご準備は、すっかり整っております」

「そうか。では、お前たちは下がれ。アリアに話がある」

「失礼いたします」


 侍女たちがそそくさと部屋を出ていくと、ユージィン様は不満げに口をへの字にして近づいてきた。なんだか微妙に不機嫌だなあ。ドレスの色がお気に召さない? それとも化粧が濃いとか? もとが割と薄味だから、多少の盛りには目を瞑ってほしいです。


「城に来たら、まず顔を見せろ」

「ええっ?今日はそんな暇、ありませんでしたわ」


 あるわけないじゃん。

 まずはお風呂から始まったんだよ?

 侍女さんたちに隅々まで磨き上げられて、ものすごく恥ずかしかったんだから。


「顔を見て来いと、エヴァにせっつかれた」

「エヴァンジェリン様に?」

「いや……、俺も安心できないからな」

「何がですか?」

「また逃げられるかもしれん」

「今日は婚約発表ですよ、逃げるわけありません」

「お前、前科があるのを忘れているな?」

「うっ」

「それでなくとも、お前の傍には油断のならない男がついているだろう」

「アルのことですか?」

「お前を連れて逃げるなら、あの農民だ」


 必然的に、今朝の会話が思い浮かんだ。

 深い意味は無いとはいえ、バレたら本気でアルフォンソの命が危ういな。

 だけどアルは私の従者で、幼馴染で、大事な友達だ。ここはきちんと主張しておかなければ。


「アルのことは大好きですけど、ユージィン様とは違いますわ」

「俺はお前に大好きだと言われたことはないが」


 おうふ。

 自爆した!


「ええ? まさか、そんなこと……」

「……」


 王子様は無言ですうっと目を細める。


 うん……、

 あるのだ。

 ユージィン様の求婚を受けたけれど、その後も色々盛りだくさんだったけれど、びっくりすることに、自分の気持ちを王子様に直接伝えたことは、未だない。だって、いざ言わなきゃと思うタイミングで、たいていキスされちゃうし。かといってなんにもない時に軽々しく言える言葉でもない。言葉にしてしまったら、本当に、ほんとうに歯止めが効かなくなりそうな気がするんだもの。ただでさえ暴走気味の王子様なのに、私までメロメロになっちゃったら、いったい誰が止めてくれるの?


「言葉で言えないならば、態度で示してくれても構わんぞ」


 またそういうことを!

 不穏な台詞とともに無駄に綺麗な顔が近づいてきたので、私は大慌てで両方の掌でユージィン様の口を掌で塞ぐ。


「べべべ、紅が移りますから!今は駄目です」

「……」


 ものともせず王子様が私の身体を引き寄せたとき、救いのノックの音がした。

 ああ、とうとうセレモニーが始まるのだ。






 まだ結婚式じゃないから、婚約だから。

 そんなふうに気楽に構えていた朝の自分に喝を入れてあげたい。


 国王陛下と王妃様への正式な謁見と報告からはじまり、位の高い順に有力貴族の当主の方々へのご挨拶。大広間でのセレモニーが終わると、大聖堂で司教の前で誓約の儀式。さらに王宮に戻った私は、着替えをし、化粧を直され、ようやく控えの間でつかの間の休息をとっていた。

 既にハードスケジュールでくたくただというのに、これからバルコニーへ出て、集まっている国民の皆様へご挨拶をしなければならない。というか、これがメインイベントなはずなのに、前フリが長すぎると思うんだ……。


 ああ、まずい、指先が冷たいなあ。

 王子様や王女様がそこで手を振っているところを遠くから眺めたことはあったけど、まさか自分がそのバルコニーで手を振ることになるなんて……ありえなくない?


 カーテンの隙間から覗きた広場は、ありがたいことに王太子の婚約を祝おうという人々でいっぱいだ。

 ああもう、緊張してきた!


「顔が怖いぞ」

「わ、わかっています」

「そう固くなるな。自信を持って笑っていろ。お前はとても愛らしい」

「…………」


 よくもまあ、臆面も無くそういうことが言えますわね!

 部屋には侍従長と数人の従者が控えている。恥ずかしいからあんまり私を褒めないで下さい。視線から逃れるためにうつむくと、王子様は私の肩を軽く抱き、耳元に唇を近づけた。


「アリア」

「はい?」


 警戒丸出しの私に、王子様は苦笑いだ。


「……良いことを教えてやろう」

「良いこと?」


 侍従長はまだ動かない。時間はあるということだろう。

 私はこの緊張をまぎらわすべく、王子様の話に集中することにした。


「お前に会う前、俺は毎晩のように前世の夢を見ていた」

「はい」

「誰にも話せないような夢ばかりだ。目的のためなら手段を選ばない、そんな男の記憶だ。だが、俺はその生き方が嫌いではない……、むしろ戻りたいとさえ思っていた」


 内緒話の距離だ。

 どうして今、この場所で、この話なんだろう。

 前世のことについては、王宮に滞在している間にも何度も話した。

 真意がわからず、首を傾げる。


「この平和な国で、俺の記憶だけが異質だ。なぜ覚えているのかと疎ましくて、それでも帰りたくて、もてあましていた。だが、今ならわかる。お前と出会って、納得できた」

「私と?」

「ああ」


 王子様はわずかに頷き、ふいっと表情を緩めた。


「前の人生で何をしてきたか、そんなことは問題ではない。この記憶のおかげで、俺は間違わず、お前をみつけることができた。……それだけで、俺にとって、ユージィン・パドゥラ・アシュトリアにとって過ぎるほどの意味があった」


 そこまで話すと、王子様が私の手を取り、そっと掌に口づける。

 掌へのキスは、何の意味があったっけ?

 私はあっけにとられたまま、その意味を考えた。

 じんわりと、耳が熱くなってくる。


「出会った後のことはまた別の話だ。俺はお前がアリアだからこそ、愛している」

「ユージィンさま……、」

「これから先は我がアシュトリア王国のため、この世界のため、そしてお前のために生きると誓おう」

「……」


 ……ダメだ。


 くそう、こんなのずるい。全然、一生敵う気がしない。

 泣きそう……、最近涙腺が弱いな。だけど泣いちゃ駄目だ、化粧が落ちちゃう。

 私は深呼吸をして、こみ上げてくる何かをどうにか抑え込んだ。

 唇で触れられた掌が熱くて、うまく頭がまわらない。

 まわらないのに、どうしよう。

 私、この人が好きだ。

 どうしようもなく恋焦がれているのは私のほうだと、たった今痛切に思い知らされた。

 たてなおすべく俯いて、もう一度見上げる。


「わたし、……私には、殿下の誓いに報いるほどのものは、何も」

「誓うのは俺の勝手だ。返す必要など無い」


 こんなときに可笑しそうに笑う顔も、見返りを求めない潔さも。

 いつだってそうだ、王子様には敵わない、本当はなにひとつ。

 情けないけれど、だけど、貰いっぱなしは性に合わないから、だから、ね。


「ですから、ひとつだけ」

「うん?」

「私の全てを、ユージィン様に捧げます」


 だって、それしかないからね。

 どうにか笑ってみせて、言葉を続ける。


「私が私である限り、ユージィン様を愛し、守ると誓いますわ」


 精一杯だけど、この世界ではあたりまえの、ありきたりの誓いの文句。

 我ながらオリジナリティが無いと、若干呆れながら。


 だけど王子様は軽く目を見開いてから、少しだけせつなそうに微笑った。


「……結婚式まであと半年か」

「え?」

「長いな」

「あら、絶対あっという間です」

「お前は全然わかっていない」


 ため息交じりの苦笑いを待っていたかのように、侍従長が音もなく動いて時刻を告げる。

 バルコニーへの扉が開け放たれ、王子が私に手を差し伸べた。


「アリア、手を」

「はい」

「まだ硬いな」


 呆れ顔と目が合って、わけもなく可笑しい。


「余計なお世話です」

「ああ、それでいい」


 ファンファーレの音楽は青い空に吸い込まれ、人々の歓声は地鳴りのように響く。

 触れた指先の温もりに励まされて、私はしゃんと背を伸ばした。


 同じ秘密を持って出会ったことに、意味があったのかなかったのか。

 その答えがあるとしたら、今踏み出すこの一歩の、ずっとずっと向こう側。


「行くぞ、アリア」

「はい」



 私たちはきっと、同じ未来をみている。






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