第33話 ふたりで旅を

 お父様には事情の説明と謝罪。

 ユージィン様とエヴァンジェリン様には急な暇のご挨拶とお詫び、それからこれまでのお礼を書いた。

 3通の手紙を大急ぎで仕上げ、旅の準備もそこそこに私とアルは王都を後にする。家に帰るんだもの、荷物なんて最低限で充分だ。

 モニカにはもう少し落ち着いてから手紙を送ろう。文通中のジョバンニ様や、お茶の約束をしたジュリエッタ様にも、本来ならご挨拶くらいするのが礼儀なのだろうけれど、今は何を書いて良いのかわからない。



「本当に今夜出発することになるとは……」


 急ぎで雇った御者の操る馬車に揺られながら、アルが呆れたように息を漏らした。

 彼がついてきてくれてよかった。優秀な従者の離脱で明日からお父様が困るかもしれないけど、アルがいなかったらこうして平気な顔でいることも難しかったかもしれない。実際問題として領地までは馬車を乗り継がなきゃならないし、どう頑張っても2、3日はかかるから、一人で帰るのは不用心過ぎる。


「そう言ったでしょ? アルには申し訳ないと思っているわ」

「俺はアリア様の従者ですからね、命じられればどこへでもお供しますけど……」

「あ、王宮の女の子たちに挨拶をしたかったとか?」

「いえ、せめて旦那様には直接お話したほうがいいかな、と思わなくもないというか」

「どっちよ」

「真面目な話、お嬢様に非はありませんよ。堂々としていても良いのに」

「どうせ帰るつもりだったから、これでいいの……もっと早く決めていればよかった」


 本当に、いつもいつも遅いのだ。決断を先延ばししてしまう癖、いい加減治したい。


「お嬢様」

「なに?」

「ご婚約の話、本当に王太子ご本人から聞いたんですか? アリア様の勘違いってことは……」

「無いわ。ユージィン様の口からはっきりくっきり直接聞いたから、間違いない」


 気が抜けるくらい簡単に認めたんだもの、勘違いのしようがない。

 私もきっぱり言い切ると、アルフォンソは珍しい表情を見せてからわずかに視線を外した。


「……何を考えているんですかね」

「きっと何も考えないてないわ。他人が自分をどう見ているのか、全く気にしてないだけ」

「お嬢様のことをなんとも思っていなければ、あんなふうに遠乗りに誘ったりしないでしょう」


 なんとも思っていなくはない。だって、唯一前世の話が通じる相手だもの。

 でも、それだけだ。甘えていたのは私のほうだ。

 私の沈黙をどうとったのか、アルフォンソはもう一度こちらを向いて、わずかに唇を動かす。


「……すみません」

「どうして謝るの?」

「いいえ、何も」


 小さく首を振ると、掛け値なく優しい笑顔になる。


「少し眠って下さい。朝になったら起こしますから」

「そうね、少し疲れたわ」


 私は膝に乗せていた毛布を引き上げて、もぞもぞと身体を包んだ。


「寄りかかって良いですよ」

「ありがと、アル」


 馬車の揺れは心地よく、まぶたは重い。

 アルはきっと、まっすぐに前を向いている。

 視界が滲んでくる前に急いで目を閉じたのに、涙が零れて止まらなくなった。

 何が悲しいのかわからない。わからないからきっと朝には元気になれるよね。


 王都から逃れるように、馬車は夜を駆けていく。





 立ち寄る街で馬車を乗り換えながら、2日目の夕方には領地の手前の街に到着した。かなりの強行軍だったから、お尻が痛い……とは、さすがにアルには言えないな。


「今日は宿屋で一泊します」

「え?」

「そろそろ痛むでしょう、色々」


 む、見透かされていた!

 だけど、ベッドで眠れるのは正直嬉しい。お風呂……は無理かもだけど、身体くらいは洗いたいし!


「明日の朝出発すれば、昼過ぎには領地に着きます。その前に伯爵令嬢としての体裁を整えておかないと、クラウス様が卒倒しますからね」

「失礼ね。卒倒は無いでしょ」


 反論しながら、自分の姿を見下ろす。

 うーん、確かに伯爵令嬢には見えない。だって、夜逃げ同然の逃避行だったんだもの、服装も地味、髪も降ろしっぱなしだし、もちろん化粧っけもない。アルと並んでいても、どちらが主なのかわかったもんじゃないよね、これ。


「まあ、お小言くらいくらうかもだけど……」


 それでなくとも突然の帰郷だ。クラウス兄様もロザンナ義姉様もきっとびっくりするだろうし、心配もするだろう。ああ、気が重い。


「小言で済めば良いですね」

「不吉なことを言うのはやめて」

「まあ、今日はゆっくり休んで下さい。よく使う宿がありますから、話をつけてきます」

「頼りになる従者で助かるわ」

「手のかかるお嬢様で働き甲斐がありますよ」


 言葉通り、アルはすぐに宿屋に話を通してくれた。さほど大きな宿ではないけれど、こざっぱりした部屋に通される。


「俺は隣ですから。食事は部屋に運びましょうか?」

「アルは普段どうしているの?」

「食堂で食べますよ、普通に」

「じゃあ、私もそうする」


 自慢ではないが、普段はこういう宿屋には泊まらない。

 外泊する場合、別荘を使うか、貴族用のもっと設備の整った大きな宿をとるか、どちらかだ。この部屋の浴室に湯船はないし、ベッドは小さいし、ランプもひとつしかない。でもなんだか落ち着く場所だ。

 食事は階下の酒場だった。アルと二人、丸い小さなテーブルを陣取る。


「何にします?」

「えっと」


 手書きのお品書きを眺めて、結局シチューとサラダを頼む。アルは鶏肉のグリルとスープ。

 酒場は賑やかで、料理はあつあつだ。


「美味しいわ」

「お口に合って、何よりです」

「よく来るの?」

「買い出しとか、届け物とか、伯爵の用事が色々ありますから」


 ぐるりと見渡すと、旅人や冒険者のグループ、商人の姿が多い。みんなそれぞれにテーブルを囲んで、それぞれに食事を楽しんでいた。がやがやと賑やかな食堂はあまり来たことがない。なにもかもがもの珍しく、新鮮だ。触発されたのか不意に遠い記憶がピカリと蘇り、私はお行儀悪くアルのほうへ身を乗り出した。


「……前世ではね、私、普通の高校生だったの」

「ああ……いつもの夢の話ですね」

「うん、まあそれでも良いわ。その世界では私、貴族じゃなくて、全然普通の子で、こういう賑やかな食堂に時々友達と寄ったのよ。何時間もお喋りしたわ」

「お喋りなのは、今も同じでしょう」


 アルは可笑しそうにくつりと笑った。


「で、コーコーセーって?」

「学生よ」

「貴族学校?」

「そうじゃなくて、普通の勉強をしていたの。数学とか、語学とか、歴史とかね」

「学者になるつもりだったんですか?」

「違う違う。前の世界では、子供はみんな学校に通っていたの。私の国では6・3・3でだいたいふつうは12年。大学に行くならプラス2年とか4年とか。まあ、義務教育は9年だけど」

「長いですね」

「長いかな?」

「それじゃ学校を出たら、すぐ結婚でしょう」

「んー、そうでもない」


 話が脱線している。私が言いたかったのは、そういうことじゃなくて。


「とにかく、食堂の雰囲気が懐かしいなって、そう思ったの」

「嫌じゃないんですか?」

「全然。落ち着くわ~。こういう旅なら、もっと続けたいくらい」

「こういう旅って?」

「アルと二人、気楽な旅。王宮とか宰相とか伯爵とか、そういう面倒なこととは関係の無い場所まで行くの。色んな街を回って、こういう宿屋に泊まって、ほら、どこかの洞窟に探検に入って、宝物をみつけて、大金持ち、とか!」

「……勘弁してください」

「え、どうして?」

「どうしてでしょうね」


 アルはにっこり笑って、それ以上答えてはくれなかった。





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