第34話 嵐の前

 私の突然の帰宅にも、クラウス兄様はさほど驚かなかった。


 というか、到着したとき、兄夫婦は不在だったのだ。私とアルは、領地の屋敷を取り仕切る家令、ダグラスの出迎えを受け、夕食までくつろぐことができた。どうやら手前の街に到着した時点で、気の利く従者が帰宅の知らせを出していたらしい。そのための宿泊だったとしたら、周到すぎると思うの。いえ、できすぎた従者を持って、本当に助けられていますわ。


 ちょうと時期も良く、春の祭りが来週の末に迫っている。領主の名代を務める兄夫婦は準備に追われていて、突然帰って来た妹を気にしている暇はなかったらしい。ようやく顔を合わせた夕食の席で、王都の様子やお父様のお仕事のことをお兄様に話し、ロザンナ様義姉様には舞踏会のできごとを、脚色も交えつつ披露して懐かしがられたり喜ばれたりした。

 もちろん、王子様の話はしていない。

 いつか噂で伝わってくるかもしれない。もしかしたら、優しい兄や義姉にも迷惑をかけてしまうかもしれないというのに、それでも変わり者の王子様や天使な王女様の話をする気には到底なれなかった。

 この憂鬱な気持ちは、しばらく心のどこかに居座るのだろう。

 そうは言っても懐かしい領地で兄夫婦や気心の知れた使用人たちに囲まれていると、王都での色々な出来事が夢のように思えてくるから不思議だ。2、3日ゆっくり過ごすと私は元気を取り戻し、猛然と働き始めた。

 まあ、働くといっても、お裁縫ですけどね。



「いったいどれだけ作るつもりですか?」


 サイドテーブルの上に積み上げられた小物やハンカチの山にチラリと視線を向け、アルはお茶を準備する手を休めずにひとつ息をついた。


「お祭りまでに、できるだけたくさん」

「お嬢様の刺繍は人気ですから、そりゃ売れるでしょうけど」

「ありがとう、アル」


 どのくらいのペースで作れば一人で生きていけるくらいのお金になるのかしら。領地に戻って来てから私はずっとそれを考えている。

 ユージィン王子との微妙な距離を考えると、今後私は社交界には出られない可能性が高い。舞踏会の一件しかり、エヴァンジェリン姫の一件しかり、考え無しに悪目立ちをし過ぎた。まったくもって自業自得なので、それは仕方ない。ジュリエッタ様が正式に王太子妃になれば、赤薔薇の君がどう思っていようと、私は王太子妃と張り合った身の程知らずの烙印を押されるだろう。下手したら結婚は一生無理だなー。客観的に見たら王子狙いの身の程知らずな田舎娘、王太子妃の元・恋敵。普通の貴族なら手をだそうとは思わないよね。最悪お父様やお兄様に迷惑をかけないよう、家との縁を切ることも考えなきゃならない。神殿に入って神様にお仕えするというガラでもないので、領地を離れてどこかの街でひっそり暮らそうかな。できれば一人で生計をたてていきたいけど、ずっと伯爵令嬢という身分に甘んじていたから、それが可能かどうかも判断できなかった。情けない。


「雨が降りそうですね」

「そう?」

「ええ、東風が吹いて来ましたから。花が散ってしまわないと良いですけど」


 春のお祭りは花祭りだ。

 祭りの次期、広場の周辺には色とりどりの花が咲き、どこの家でも花のリースを作って玄関に飾る。ただ、この時期の嵐は花を散らしてしまうことがあるので油断はできないのだ。空模様を眺めていたアルは、ひとつ息をついて私のほうへ向き直った。手元の刺繍を見て、軽く首を傾げる。


「今刺しているのは何の絵ですか?変わってますね、あいかわらず」

「これはねえ、花札よ」

「花札?」

「前の世界で賭け事に使ってたカードなの」


 うろ覚えだけど、雰囲気だけね。こういうエキゾチックな色使いと絵柄は人気があるのだ。恒例のツッコミは無く、アルは眉を寄せてわずかに首を傾げた。


「ムキになって、あまり根をつめないで下さいよ」

「別にムキになってなんかいないわ」

「そうですか?」


 テーブルに紅茶のカップが置かれ、かわりに刺しかけの刺繍はひょいと取り上げられる。


「お茶の時間です」

「ええ、ありがとう。たまにはアルも一緒にどう?」

「俺は使用人ですからね」

「でも、幼馴染で友達だわ」


 少なくとも今のところは、友達よね?

 ああ、もしも私がこの家を出ることになったら、アルともこんなふうに話せなくなるのかしら。ユージィン王子やジュリエッタ様はそこまで干渉してこないとは思うけど、世間の目って怖いもの。


「心配しなくても、ジュリエッタ様との婚約が発表されれば王子様とちょっと良い仲だった田舎貴族の娘のことなんて、すぐに皆忘れますって」

「良い仲だったことなんて一度も無いから」

「それならなおさら、お嬢様が気に病むことなんてありません」


 アルは2杯目のお茶を淹れると、珍しく私の勧めに従って隣の椅子に座った。お行儀悪く足を組み、同じカップを傾ける。ああ、昔のままのアルフォンソだ。


「でも、万が一お父様やお兄様に迷惑がかかったら、この家にはいられない」

「お嬢様は心配性ですね」

「あのねえ、貴族社会はアルが思うよりずっと面倒なのよ?」


 王都で起こった出来事は、何日も、何週間もかけて尾鰭をつけながら地方へと伝達していく。例えばこの土地に私の噂話が届くころ、それがどんな話に肉付けされているか当の本人にも予想すらできないのだ。ああ、気が重い。


「まあ、どうにもならなくなったらその時はその時、なんとかなります」

「……あなたにそう言われると、ホントに大丈夫な気がしてくるわ」

「大丈夫、どう転んでも俺は傍にいますよ」


 何気ない口調だったけれど、思わず見上げると真剣な視線とぶつかる。

 一瞬見詰めあったあと、アルはにっと悪戯っぽく笑った。

 え、何、それ。

 ちょっと格好良いわ、アルフォンソ。

 そう褒めようとしたその時だ。


『お待ちください!』


 そう叫ぶ声が聞こえた。あれはダグラスだ。この家の家令。王都のトマスと同様、静寂の権化のような執事だから、あんなふうに大声を上げるのは珍しい。

 続けて、バタンと乱暴にドアが開く音。

 座ったばかりのアルフォンソが警戒して腰を浮かせる。


「な、何かしら」

「……」


 アルがチラリと窓の外を見た、裏庭には人影は無い。


「お嬢様、窓のほうへ」

「ええ?」

「いざとなったら裏の森に逃げて下さい」


 逃げるって、何から?

 ざあっと血の気が引いた。

 まさか王都から追手が来たの?捕まるほどのことはしていないつもりだけど、王子様にはけっこう好き勝手なことを言っていた自覚はある。よく考えたら不敬罪に問われても不思議じゃない。いや、それとも宰相が愛娘の縁談に多少なりともケチをつけた私の存在自体を消しに来たとか?いやっ、さすがにまだ捕まりたくないし死にたくもありません。

 ぐるぐる考えている間にも、ありとあらゆるドアを開けてまわる音と足音が近づいてくる。私はアルにしがみついたまま、開け放たれた窓の脇へと移動した。どうしよう、どうしよう。

 いよいよ足音が近づいてきて、アルフォンソが私を庇うように前に立った。


「アル…」


 思わず服の裾をぎゅっと掴むと、頼りになる幼馴染は一瞬複雑な表情を浮かべた。


「……連れて逃げとけばよかったかな」

「え?」


 瞬間、ノックもなしにドアが開いた。


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