第10話 秘密の庭
手入れの行き届いた庭。
まだまだ寒い日が多いというのに、これだけの種類の花が咲いてるなんて、さすが王宮の中庭です。見たこともない植物もいくつかあって、普通なら非常に楽しめたと思う。
しかし、今は非常事態だ。
私に課せられたミッションは少なくともふたつ。
ひとつは、和柄の言い逃れ。
もうひとつは、エヴァンジェリン姫のあらぬ誤解を解いてもらうこと。
敵はすぐ横にいる王太子殿下、とか、考えただけで無理な気がする。気がするけど、やるしかないんだよね……。
綺麗に刈り込まれた生け垣に囲まれた小さなベンチに落ち着くと、王子は待ったなしで切り出した。
「お前が刺繍したというあの袋だが」
「はい」
ひいい、さっそくですか。
前置きとか無し?
ほら、せっかく綺麗な花が咲いてますよ?あれは菫かな。まだ寒いのにたくさん咲いている。
しかしユージィン様は現実逃避を許してくれるほど寛容ではなかった。
「あれは、『梅』だろう。鳥のほうは『鶯』」
くっ、その通りです。
日本人ならわかって当然、和の心ですものね。ちょうど季節も頃合いだ。
しかし一応の言い訳は考えてある。私はせいいっぱい平常心を心がけて、口を開いた。
「さあ……どうなのでしょう。あの刺繍は、市で見つけた布の意匠を参考にしたものですから」
すべてが嘘ではない。
嘘というものは、真実の中に少し混ぜるくらいが丁度良いのだ、たぶん。
ほら、この前の市でも和柄っぽい布を売っていましたよね。
王子様もちらっと見てたはずだからこれで誤魔化せるんじゃないかな、と思っていたのだけど、ユージィン様の顔はいつになく真剣なまま、私の名を呼んだ。
「アリア」
あ、これ、駄目っぽい。私は王子様の圧に押され、数センチほど上半身を逸らす。
「はい」
「前世の記憶が蘇ってからしばらくの間、俺は俺の国を必死で探した」
「……」
「どこか別の場所に、あの国が存在するんじゃないかと考えたからだ」
「……、はい」
そっか。
そうだよね。
ユージィン様と私とでは、根本的なところが違う。
ユージィン様は、日本の、あの戦国時代で、あと一歩で天下を取れるところだった。その記憶をはっきりと刻んで、今まで生きてきたんだ。
私は違う。私の記憶はいつもあいまいで、平和で、普通過ぎる。それは私の前世がそういう時代、そういう生き方だったからだろう。
「しかし、この世界にそんな国は無い。多少似た文化を持つ国はいくつかあるが、そのどの国も、お前の刺繍ほど俺を驚かせはしなかった」
ああ、無理だ。
この人を騙しきることなんて、私にはできそうにない。人間としての器がきっと違う。
「お前は、最初から俺の話に動じなかったな?」
「……はい」
私は仕方なく、ギリギリまで譲歩することに決めた。
「申し訳ございません。おっしゃる通りですわ。私もユージィン様と同じです」
「それはつまり、」
「はい、私にも前世の記憶があります。おそらく私とユージィン様は、前の人生では同じ国を生きていたのでしょう」
「……っ、本当に、か?」
「断言などできませんわ。突拍子もない話ですし、私の記憶は、ユージィン様のようにはっきりしてはいないのです」
そう、ここが肝心だ。
私は織田信長を、教科書でしか知らない。つまり、彼よりもずっと後の時代に生まれている。伝承がどれほど正確かはわからないけれど、彼が死んでからの歴史を知っているのだ。
ユージィン殿下がその事実を知れば、必ず『織田信長』の死後の世界を知りたがるだろう。
それは避けたい。
絶対に、だ。
知ったら辛くなるようなことが、きっとたくさんあるに違いない。
私にはそんな語り部は荷が重すぎる!
「思い出せば良いだろう」
「無理です。思い出そうと努力はしましたけど、名前もはっきりしないんですよ!?」
「そういうものか…いや、他に例がないからな。自分を基準に考えていた。何か覚えていることはないのか?家族のことや、国のことだ」
「そうですね……刺繍をするときに、全く知らない絵柄がぱっと浮かんだりすることはあります。そういうときたいてい、前の世界のことを少しだけ思い出しますわ」
「うん、例えば?」
「えっと、あの絵は『梅』と『鶯』」
「……」
「それから、『日本』……『ひのもと』かな?『梅』の次は『桜』の季節ですよね?」
「ああ!」
ユージィン様は『日本語』をきいて、目を見開くと、両手を広げて私を抱き締めた。
抱きしめられた!ちょっと待って!心の準備が……っ。
同胞に出会えてうれしいのは解かりますが、私には刺激が強すぎます。
「ようやく会えた。いや……、よく話してくれた」
耳元で、とろけるような良い声が囁くんですけど、どうにかして欲しい。
アル、アルはどこにいるのよ!たぶん従者の控室でお茶でも飲んでいるんだろうなあ。
ああ、どうしよう。
「あの、ユージィン様……、私が思い出せるのはこの程度です。きっと王子と違って、ごくごく平凡な一市民だったのでしょう」
「そんなことはどうでも良い。俺の記憶が妄想ではないとこれで解かった」
「ええ、私も、それは同感ですわ」
前世の記憶が蘇るたび、頭がおかしくなったんじゃないかと不安な思いをしたものだ。
お気持ちは痛いほどわかります。わかりますけど……、
「ユージィン様、苦しいです」
「む、そうか。そうだな。つい、勢いで」
ようやく腕が緩んで密着していた体が離れる。しかしまだ王子様は至近距離だ。油断したら魅了されてしまうので、私は焦点をぼかして防御することにした。
「す、少しでも王子のお役にたてたのなら、光栄ですわ。ですが、このお話はくれぐれもご内密にお願い致します」
「わかっている。頭がおかしいと思われるのがオチだ」
それは実体験に基づいているのでしょうか。
そうなんだろうなあ、妙に説得力がある。その苦労は私にも覚えがあるから、ちょっと共感してしまった。
だけど、今はしんみり共感している場合ではないのだ。機嫌の良い今のうちに、王子様にもう一つお願いをしておかなくちゃ。
「あのう、もう一つ、お願いがあるのですが……」
「なんだ、何でも言ってみろ」
「畏れ多いことですが、エヴァンジェリン様は、私がその、ユージィン様とけ……結婚するのではないのかと、誤解をなさっているようなのですっ!」
ああもう、自分で言ってて恥ずかしい。
身の程知らずと笑いたければ笑うとよろしいですわ。
しかしこればっかりははっきりさせておかないと、もっと面倒なことになりそう。
「ああ、見合いはしたんだ、不思議ではないだろう」
王子様は全く動じてないし!余計に恥ずかしい……、なんて恥じらっている場合ではない。
「お見合いだけではございません。今日、こうしてお招きいただいて、しかもエヴァンジェリン様の目前でお庭に誘っていただいきましたわ。絶対勘違いをされています。どうぞ、ユージィン様から誤解を解いて下さいませ」
「別に、誤解させておけば良いだろう」
「駄目です!絶対駄目!」
私の必死の訴えに、王子様はちょっと首を傾げて唇の端を上げた。
「アリア」
「はい!」
「思うに、お前は俺と結婚したくないのか?」
「ええ、王妃なんて絶対無理ですわ!」
勢いで断言すると、ユージィン殿下は美しい瞳を見開いてから、くつくつと笑みをこぼし、そして大笑いしはじめた。
意味がわかりません! 私は大真面目なんですよ?
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