第9話 梅に鶯
「なんだお前も一緒だったのか、エヴァ」
「お仕事とはいえ、女性をお待たせするのは感心いたしませんわ、お兄様」
ああ、ふくれるエヴァンジェリン姫もめっちゃ可愛い。
あのユージィン殿下の表情もデレデレだもの。見たことない顔してるもの。
「いや、すまん。寝過ごした」
「寝過ごした?」
「仕事はすぐ終わったんだが、執務室で一休みしていたらいつの間にか、な」
「お兄様!」
「ほら、今日は日差しが温かいだろう?」
日差しが温かいから居眠りしてたってこと!?
そりゃ今日は気持ちの良い天気ですけど、人を待たせておいて昼寝ってどういう神経?私ののどかな午後を返して下さい、ええ、今すぐに!
「そういう問題ではありません。王太子たるもの、約束を違えるなどあってはならないことです!」
ああエヴァンジェリン様、貴女は王家の良心ですわ。
きっと王子が忘れてきた『常識』をすべて持って生まれてきたに違いない。
「わかったわかった、悪かった」
「本当に?」
「本当だ。お前との約束を破ったことがあるか?」
「ええ、覚えているだけで3度ほど……」
「忘れろ。次は無い」
「もうっ……アリア様、不詳の兄が申し訳ありません」
「とんでもありません。姫のお気持ちだけで、私、胸がいっぱいです」
そういうことでもう帰ってもよろしいでしょうか?
と、続けたいけどそうもいかない。貴族社会ってつらい。
「で、エヴァとアリアは知り会いだったか?」
「今日お友達になりましたわ。私がこちらへお邪魔しましたの。だって、お兄様のお客様、しかも若い女性なんてはじめてですもの」
「そうか、まあいい」
お兄様のユージィン殿下は妹君のエヴェンジェリン王女を促して、ソファに腰を下ろす。すぐにどこからともかく召使が現れて、新しくお茶の準備をはじめた。
あれ、これって長期戦の予感?
エヴァンジェリン王女は可愛いけれど、王宮はあまり長居したい場所ではない。
「ところで、何を話していた?エヴァの声が廊下まで聞こえていたぞ」
そう問われて、エヴァンジェリン王女は「あら」と口元を抑えた。
お姫様というのは、不用意に大きな声を出を出してはいけない職業なのだ。おいたわしい。
「ええ、お兄様。お兄様がアリア様とお二人で市場に行ったというお話を伺っていましたの。どうして私を連れていって下さいませんの?」
「お前は目立つから護衛が要る」
「でも、アリア様とはお二人で行かれたのでしょう?」
「こいつは大丈夫だ。見事なまでに市に溶け込んでいたぞ」
「まあ……」
えー、姫君にはなんだか羨ましげな視線を向けられてるけど、殿下には全然褒められてないよね。つまり全然貴族オーラ無いぞってことですよね。ま、事実だから仕方ないか。
とにかく要件を早く済ませよう。
「殿下、その節は本当にありがとうございました。お借りしたお金は…」
「あ、こちらに預かっています。どうぞ、お兄様」
エヴァ姫が持っていた巾着を王子に手渡した。チャリ、と袋の中でコインが鳴る。しかし、王子は中身を確かめようともせず、巾着袋を数秒見詰めた。
「この袋は?」
「アリア様の手作りだそうですわ。可愛いですよね!」
「『梅に、鶯』……?」
「!」
心臓が跳ねた。
『梅に鶯』…そう呟いた王子の言葉は、私には懐かしい響き、ああ、日本語だ。自分の口以外から、もう一生聞くことはないと思っていた。
「え?何の呪文ですの?」
「お前が作ったのか?」
え?
ああ!
うわあ、しまったあ!!
懐かしがっている場合じゃないよ。あまりにも量産していたから抜けていたけど、この巾着、あからさまな和柄だ。王子の鋭い視線がざっくり刺さって、私はこくこくと頷くしかなかった。
「この刺繍は、何だ?」
「はい。あの……、お花と、小鳥です」
「何をおっしゃっていますの、お兄様。ご覧になればわかるでしょう?」
「……そうだな」
ユージィン様は可愛い妹君ににっこりと麗しい笑顔を向ける。
しかし私のところに戻ってきた視線は、ちっとも笑っていなかった。
「アリア」
「はいっ」
「茶が済んだら、少し付き合え。庭を案内しよう」
「えっ!」
「なんだその反応は」
「いえっあの、わたしっ」
「まあ、素敵。私もご一緒してよろしいでしょうか、お兄様」
「お前は今度な。今日は駄目だ」
「ええ?」
ほんの少し不満げに首を傾げた妹君に、ユージィン様が今日一番の優しい声色で応える。
「アリアと大事な話がある。許せ、エヴァ」
「まああっ……」
エヴァ様の表情が、ぱあっと明るくなった。両手を胸の前で組んで、私に天使の笑顔を向けてくれる。ああ~、エヴァ様、違うんです。
ユージィン様、言葉の選び方!
絶対これ、妙な期待をされてます、言い方がまぎらわしすぎるんだよ!
「では、お茶を頂いたらわたくしは退散いたしますわ。アリア様、どうぞ兄を宜しくお願い致します」
ああ、エヴァンジェリン様退散しないで下さいませ、全然宜しくされたくない!
心の中でそう叫んだけれど、もちろん口に出せるわけもない。
ぎりぎり平静を装いながら、私は頭をフル回転させて王子への言い訳を考え始めた。
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