第8話 いざ、王宮へ
アシュトリアの王室は開かれている。
お城には謁見の間やら大広間やらがあるから建物としては巨大だけれど、王族の皆様の居住区は意外と普通だ。まあ、普通と言っても大貴族並み、というくらいの意味で、もちろん豪華なことに変わりはない。
応接間のふっかふかのソファに座って、私は居心地悪く王子を待っていた。案の定アルは従者の控室で待機中なので、広い部屋には私しかいない。もちろん14リルは持ってきましたわ。裸で持ってくるわけにはいかないので、迷った挙句慈善バザー用に大量に作った刺繍入りのお手製巾着袋に入れてきた。この国ではまず巾着袋という発想が珍しいし、和風テイストの私の刺繍は何故か人気でこれが結構売れるのだ。いい気になって作れば作るほど裁縫の腕は上がり、刺繍に関しては養育係のタニアからもお墨付きをもらっている。ちなみに私がタニアに褒めてもらえるのは未だにダンスと刺繍だけだ。
「はあ…」
何度目かのため息が零れた。
紅茶のカップは空になってしまったし、宮廷の応接室っていうだけで妙に緊張するし、やることないし、約束の時間はとっくに過ぎてるんですけど王子様。かれこれ1時間にはなるはず、もう帰ってもいいかな……なんて考えながら壁にかかった陛下の肖像画を眺めていると、ドアのほうから微かな物音がした。
「……」
目を向けると、ゆっくりドアが開いていく。
何かの冗談のつもりかな?それとも覗き?やっぱり王子様のやることはわけがわからない、と文句を言いかけた時、ドアの隙間から紫色のドレスがチラリと覗いた。
「……どなたかいらっしゃいますの?」
細い声に、思わず立ち上がる。と、同時にドアの隙間から小柄な影が滑り込んできた。
金色の髪、青い瞳、紫色のドレス。もちろん、見覚えがある。
私は素早く礼にのっとり最大級の敬意を表した。
「失礼いたしました、アリア・リラ・マテラフィと申します。本日はユージィン殿下のお招きで参上致しました」
「まあ、お兄様のお客様でしたの。ようこそいらっしゃいました。私、エヴァンジェリンです。そんなに畏まらないで下さいませ」
「お会いできて光栄です、エヴァンジェリン王女」
お許しが出たので顔を上げる。
目前のお姫様は王子様と同じ金髪碧眼、陶磁の肌の天使だ。やんちゃなお兄ちゃんとは違い、理想的な王女様として国民にも絶大な人気がある。こんなに間近で見たのははじめてだったので、私はかなりのぼせ上がっていた。
「お兄様がここに女性をお招きになるなんて、初めてですわ」
少女らしい好奇心を隠すこともせず、エヴァンジェリン姫は目を輝かせる。このまえのお茶会は場所が違ったから、もちろん私も王家の居住エリアははじめてだ。お招きいただいたというかお金を返しに来いって命令されただけなんですぅ、とは言えず私は曖昧に微笑んだ。
エヴァンジェリン姫はテーブルの上を見て、現在の状況を把握したらしい。
「お兄様ったら、女性をお待たせするなんて……、お昼前に執務室に呼ばれて行きましたから、お仕事が長引いているのかもしれませんけれど」
「殿下はお忙しい身ですもの、私が待つことなどささいなことです」
「すぐに代わりのお茶を用意させますわ。ご一緒しても?」
「身に余る光栄です、エヴァンジェリン様」
「エヴァで良いですわ。ここでは皆にそう呼ばれてますの」
にっこりすると笑窪ができる。本物のお姫様だ、可愛いなぁ。思わず萌え萌えしている間に、お姫様はベルを鳴らして召使を呼び、テーブルを片付けさせると優雅にソファに腰掛けた。
「アリア様もどうぞ、お掛けになって」
「ありがとうございます」
ぶっちゃけ、ユージィン様と話す時より緊張しているかもしれない。殿下はいきなりの信長宣言でしたもの、緊張する暇もありませんでしたわ。
エヴァンジェリン姫の命を受けて、数人の召使いが瞬く間にお茶の準備を整えた。カップは二つ、お菓子と軽食を乗せたお皿がテーブルいっぱいに並べられていく。その間は当たり障りのないお天気の話と、壁に掛けられた肖像画の話。最後のお皿を並べ終わった召使いが出ていくと、王女様はカップの紅茶を一口飲んでかわいらしく首を傾げた。
「それで、アリア様はお兄様と結婚して下さいますの?」
「……はい?」
「だって、あのお兄様がこの宮殿にわざわざお招きしたのですもの、よほどアリア様のことを気に入ったに違いありません!」
「え、ええ?それは、どうでしょう…?」
姫君はぐっと握りこぶしを作って身を乗り出して来る。
ええ~、なんでそんな力説?お兄様に結婚してほしいの?
「マテラティの家は伯爵といっても、祖父の代までは騎士階級です。殿下と私ではとても釣り合いません」
「あら、身分なんて関係ありません。ていうか、伯爵家なら御の字ですわ!お兄様には是が非でも結婚していただいて、立派な国王になっていただかなくては」
「ええ?」
お姫様はひとつ大きなため息をつくと、何かにすがるような視線を私に向けた。
「お兄様って、とんでもなく変わっているでしょう?」
「ええっと…、自由な方だなと思いましたわ」
「自由過ぎるのが大問題なのです」
姫君の顔に怒りを含んだ憂いの色が浮かぶ。
「もういい歳だというのに、降るようにあった縁談をことごとく駄目にして、まったくどういうつもりなのか全然理解できません。お父様もお母様も、もちろん私も、本当に気をもんでいましたの。夏からずっとお見合いを続けていますのに、ちっともうまくいかないのですもの」
「はあ、それは……あの、大変ですわね?」
「ええ、大変でしたの。最近では家族の空気が微妙で食事の時間もお茶の時間もなんだか味気なくて……ああ、でも、やっとお兄様にも春が巡って来たのですね!」
「えっ、春?春って?」
「あら、もちろん、アリア様のことですわ」
「ちっ…違っ」
ちょっと待って、盛大に誤解されてる。
ここは外聞とか身分とか気にしている場合ではなく、きちんと説明しておいたほうが良いのかも。ていうか説明しなきゃマズイ!私は一瞬で覚悟を決めた。
「違うんです、エヴァンジェリン姫」
「違う、とは?」
「今日私がここに呼ばれたのは、以前お借りしたものを返すためなのです」
「借りたもの?」
「はい」
私は頷いて、姫君をまっすぐに見据える。こういうのは気合が大事だよね、たぶん。
「お茶会のあと、確かに殿下は我が家にいらっしゃいましたわ。でもそれは、街の市場へのお誘いでしたの。うちは格式も高くないですし、きっと気安かったのだと思います。それで、二人で市場へ出かけました」
「まあ、お兄様ったら、ずるいわ。私も連れて行って下さればよろしいのに」
「護衛もいませんでしたから、きっとご心配だったのでしょう」
その点私ならまず狙われるようなことはありませんものね。
若干の引っ掛かりを感じつつ、私は話を続けた。
「お恥ずかしい話ですが、その時私、お金を忘れてしまいましたの」
「従者の方は?」
「突然のお誘いだったので、殿下と二人だけでした。昼食を買おうとして、お金を持っていないことに気付いたんです」
「え、……市場で昼食を?」
「はい」
姫君がそこに目を丸くしたのが少し可笑しい。
「お昼代は殿下が立て替えて下さいました。今日はそれを返しに来たんです」
王子様が私を気に入ったなんてことはない。私はそれを証明するつもりで、14リル入りの小さな巾着を両手で王女に差し出した。もういっそお姫様が殿下に渡しておいてください……とは言えない。
「まあ、かわいらしい」
しかし当然私の意図などどこ吹く風で、姫君はふんわり微笑んだ。天使の微笑で『かわいらしい』なんて言われて思わず固まりましたわ。かわいらしいのは姫君のほうです、と言いかけて寸止めする。エヴァンジェリン姫が巾着袋をそっと手に取ったからだ。
「ずいぶんと変わった作りですこと。それにお花の刺繍がとても可愛いわ」
「あ、ありがとうございます」
巾着という形は確かに珍しいからね。袋は鶯色、刺繍は梅の花。一か所だけ、鳥の刺繍を入れてある。バリバリの和柄で、これもこの世界ではあまり見ない図案だ。慈善バザーでは人気がある商品で、おそろいのチーフと共に量産している。
「この刺繍は、アリア様が?」
「ええ、小物を作るのが趣味なんです」
「では全部手作りですの?」
「はい、一応」
頷いてみせると、姫君の大きな瞳に賞賛の色が浮かんだ。
ええ~そんな大げさなものじゃないんです。中には14リルが入ってるんですよ?
どう反応すれば良いものかと迷っていると、唐突にドアの開く音がした。長身の影がつむじ風のように迫ってくる。
「待たせたな、アリア」
「お兄様!」
「ユージィン殿下」
私は慌てて立ち上がる。向かいの姫君はぴょんと跳ねて殿下へと駆け寄った。
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