【番外編8・中】ジュリエッタ様の華麗なる孤児院改善計画

「レオノーラ先生、お話があります」


 シスターの部屋に入るなり、ジュリエッタ様がそう切り出した。

 護衛騎士のフリッツ様に引っ越しの手伝いを命じておいて、それから私を伴っての訪問である。奥のデスクから立ち上がって私たちを迎えたシスター・レオノーラはびくともせずに応じた。


「ごきげんよう、ジュリエッタ様。ようこそいらっしゃいました」

「……ごきげんよう、シスター・レオノーラ」


 おっと、スルーされた! 

 言外にきちんと挨拶しろという圧を感じましたわ、こわっ!

 すぐにジュリエッタ様が挨拶を返すと、シスター・レオノーラは柔和そうな笑みを浮かべた。


「やぶから棒にお話とは何事でしょう、ジュリエッタ様」


 なるほど、これはまごうかたなく厳格な行儀作法の先生だ。

 謎の迫力に思わず私まで居住まいを正してしまう。劣勢に立たされたジュリエッタ様は小さく髪をかき上げて立て直した。


「……私としたことが気が急いてしまいましたわ。まずは非礼をお詫びします」


 ああ、いちいち所作が華麗です、さすが赤薔薇の君! 

 対するシスター・レオノーラは基本穏やかな笑顔だけど、ジュリエッタ様に相対するときの言動が絶妙に“先生”なんだよね。


「実は、先ほどアリアに紹介していただいて、孤児院の少女とはじめて言葉を交わしたのです」

「まあ、そうでしたか。教会のほうまで来ていたのなら、おそらくセイラですね?」

「そうです。お恥ずかしい話ですが、これまで教会にいる子供たちを気に留めたことがありませんでした」

「ジュリエッタ様とここの子供とでは住む世界が違うのですから、当然のことです」


 シスター・レオノーラがこともなげにそう返すと、ジュリエッタ様は少しだけムッとした顔を見せた。新鮮な表情で、横目でチラチラと見てしまう。ああ、ちょっと拗ねた顔も麗しいお美しい……!


「先生が仰ることはわかりますわ。けれど、私はもうセイラと知り合ってしまいました。ですから、看過することはできません」


 看過できない?

 えっと、何のことだろう。何か失礼があったとか? いえいえ、セイラはいつも通り良い子だったしジュリエッタ様を女神様だと勘違いしたくらいだし……うーん、いきなり距離感が近すぎたとか?

 一瞬過ぎった悪い予想は、ジュリエッタ様の言葉ですぐに覆された。


「幼いとはいえ女の子があんな格好をしているなんて……、到底見過ごすことはできません!」

「…………なるほど、そうですか」


 シスター・レオノーラがひと呼吸、ふた呼吸、たっぷりと間をあけてからひとつ頷く。

 私もつられて頷きそうになって、どうにか堪えた。


「貴女らしいご意見です、ジュリエッタ様。けれども子供たちの服は街の方々から寄付していただいたもので、数は限られているのです」


 寄付金の使い道は、孤児院では着るものよりは食料、そして住環境の改善が優先されている。みてくれよりも元気に生きていくことが大切で、それは仕方ない。

 善意で寄贈される衣服は、たいてい寄贈された時点で相当くたびれていて、孤児たちはさらにすり切れて破れてしまうまでそれを使い倒すのだ。


「ではいっそ新調してはどうでしょう。もちろん私から寄付させていただきます」

「ジュリエッタ様……、」

「ええ、もう、すぐにでも。懇意の仕立屋がいくつかありますから、2,3日もあれば採寸の手配ができると思いますわ」


 勢い込んだジュリエッタ様の言葉に、シスター・レオノーラは微かに息を漏らしてからおもむろに口を開いた。


「いいえジュリエッタ様。仕立屋を呼んで服を作るなんて、ここではとんでもない贅沢です」

「贅沢……?」


 ちらっと赤薔薇の君がこちらを見たので、私は小さく頷いてせる。

 孤児院の子供たちに限ったことではない。服を新調するなんて、ましてや仕立屋を呼ぶなんていう贅沢、平民の身分では特別な記念日でもなければ許されない。


「それに、子供たちはすぐに大きくなりますし動きまわりますからね。かしこまった服など必要ないのですよ」

「……」


 そう、市井の子供たちに必要なのは動きやすくて丈夫な服だ。

 もっともここの子供たちが着ているものはその最低基準すら満たしていないから、私だってなんとかしてあげたいのだけれど……。


「申し訳ありません、それは思い至りませんでした」

「ええ、それが『住む世界が違う』ということなのです、ジュリエッタ様」


 シスターが優しい声で諭す。

 だけどジュリエッタ様はわずかに顎を上げて真っ向から受け止め、跳ね返した。


「いいえ、きっと良い方法を考えてみますわ。少し時間をいただけますか、レオノーラ先生」

「もちろん、ジュリエッタ様のご厚意は嬉しく思いますよ」


 シスター・レオノーラはそう言って鷹揚に微笑んだ。






 ユージィン様が我がマテラフィ家の屋敷に顔を出したのは、三日後のことだった。


 この間の教会では結局お会いできなかったから、その埋め合わせのつもりかな――なんて、理由はどうであれやっぱり王子様の訪問は嬉しい。


 せっかくなので、教会の様子を見に行こうかと馬車に乗り込んで、道中ジュリエッタ様の話題があがった。


「なるほど、そんなことがあったのか。それは見物だったな」

「べつに見物ではありませんけど」

「いや、ジュリエッタがやり込められるところなど、そうそう見られないぞ」


 別にやりこめられていたわけではありませんわ!

 けど、ちょっぴりムキになるジュリエッタ様を拝見できたのは役得だったな、なーんて思っていないこともない。ああジュリエッタ様、こんな私をお許し下さい!


「ジュリエッタは聡い女だが、やはり箱入りだ。民の生活を知っているという点においてはレオノーラ先生には敵わないだろう。やりこめられたうえ、宿題を出されたとあれば、今頃相当頭をひねっているぞ」


 ユージィン様は愉快そうににまにましている。


「宿題?」

「あれでレオノーラ先生は策士だからな」

「策士? シスター・レオノーラがですか?」

「そうでなければジュリエッタや俺に行儀作法を教えるなんてできないだろう?」

「……」


 確かにユージィン様に行儀作法を教えるって相当大変なお仕事かも。

 シスター・レオノーラは善良で模範的なシスター、温厚な孤児院長だと思っていたけれど、幼いユージィン様やジュリエッタ様の相手をしていたのならかなりの人物かもしれない。


「孤児たちにただ服を仕立ててやるなんて、一時しのぎのやり方じゃ先生は納得しない。今頃ジュリエッタは子供たちにどうやってまともな格好をさせるか、それを続けられるか、必死で考えているはずだ」

「……なるほどお」


 使えるものはなんでも使おうという精神に、ユージィン様に近いものを感じます。

 若干私が引き気味なのを察したのか、ユージィン様は切り替えるように明るく笑った。


「しかし、まっさきに服をどうこう言うのはいかにもジュリエッタらしい」

「はい、さすがジュリエッタ様ですよね。私では思い至りませんもの」


 私ならまず、子供たちにお腹いっぱい食べさせてあげたい、とにかく楽しく過ごして欲しいと考えるけど、ジュリエッタ様はきちんとした服を着せてあげたいと願った。どちらも生きていくのに大切なことだけど、優先順位、つまり価値観が違う。


「は、ジュリエッタのほうは子供たちと一緒に遊ぶなんてこと、思いつきもしないだろう」


 ユージィン様に覗き込まれ、私はわずかに上体を逸らした。


「一緒になってかくれんぼをして、埃だらけになるような女はお前だけだ」

「えっ、どうしてそれを?」

「情報源を明かすわけにはいかんな」


 王子様は唇を斜めにして嘯く。


 そう、この間は結局ユージィン様が来られなかったので、子供たちとかくれんぼをして遊んだのだ。すごく楽しかったけれど、スカートに盛大にかぎ裂きを作ってトマスにもアルにもさんざん絞られた。あまり思い出したくない記憶だというのに、何故ご存じなの?


「あれは、つい楽しくて夢中になってしまっただけで……」

「なるほど、アリアらしい」

「それ、どういう意味ですか?」

「俺に似合いの妻だと惚れ直したところだ」


 は?

 不意打ちでキラキラするのは止めてください!


「どっ、どっ」

「どっど?」

「どうしてそうなるのかわかりませんっ!!」

「俺も子供と遊ぶのは好きだ、時々とんでもないことをやらかすからな」


 うわあ、にっこり笑顔でポンポンッと頭を撫でられた!

 イケメンか! イケメンでしたわ! 

 もうっ、こういうあざといことを素でやってのけるから、王子様は油断なりませんん……。


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