第4話 市場の王子
教会から少し歩いた通りから広場にかけて、王都で一番賑やかな市場がある。王子様の言う通り、今日は日曜日だから、各地を渡り歩いている怪しげな行商人の店もたくさん出ていた。普段は日用品や食料品の店が圧倒的に多いんだけどね。
「ユージィン様は、市場がお好きなんですの?」
「城にいるよりはマシだ。特に日曜は、見慣れないものが多いからな」
「まあ、確かに」
何に使うのかわからない古びた道具や、色とりどりの石を使った装飾品や、幾何学模様の織物の店は普段は見られない。あら、このお店の布地結構良いかも、端切れのなかに目を引く色合いを見つけて私は思わず立ち止まった。
「いらっしゃい」
「綺麗ね、これ、南の織りかしら」
「そうそう。ずっと南にある小国の名産。お得だよ」
懐かしい感じ。この国にはない模様は、少しだけ和風にも見える。
「おい、何をしてる?」
しかし前方から呼びかけてくる王子様の声に、私は我に返った。そうだった、今日はゆっくり商品を選べるような状況じゃない。
「来週もここに出店するのかしら?」
「市の出店は順番待ちだから、来週は無理ですねえ。再来週になるか、その次になるか…」
「じゃ、そのころまた来るわ。その時はきっと買うから」
「はい、お待ちしてますよ。またどうぞ」
店主は王子のほうを確認してから、にっこり笑って手を振ってくれた。ああ、ゆっくり見たかったな、このお店。できれば再来週また出店してくれますようにと祈りつつ、ユージィン王子に追いつく。
「フラフラするな、はぐれるだろう」
「はい、申し訳ありません」
無理矢理連れてきておいてその言い草はどうよ?とは口が裂けても言えないので素直に頷いておく。言い方はアレだけど、一応はぐれることを心配して下さったわけだし、突然立ち止まった私も悪いものね。
「……何か見たいのなら、先にそう言え」
「ありがとうございます。大丈夫ですわ」
布地を選ぶのには時間がかかる。さすがに王子様を待たせるわけにはいかないから、今度は絶対アルと一緒に来よう。
「お前は、この市場には来たことがあるのか?」
「ええ、時々従者を連れて買い物に。王子の仰るとおり、日曜日は珍しい品も出ていますから」
「そうだな。しかしまだ足りない」
「え?」
「もっと外国の商品が入って来ても良いはずだ。このところ、市場の出店も品ぞろえも変わり映えしない」
「ユージィン様はそんなに市場に通ってらっしゃいますの?」
「毎週だ。平日も時々な」
ええ~、そんなに?どうりでしっくり馴染んでるのも納得だよ。
「日曜日は稼ぎ時なはずだというのに、ところどころに空きスペースがあるだろう」
「平日に出店しているお店は、日曜日が休みということが多いのでは?」
「そうだな」
緩い習わしとはいえ、日曜日は基本休息日。
普段からここで野菜や果物を売っているお店は半分くらいがお休みだ。その開いたスペースを一日買い取って店を出すのが行商人たち。商工協会は関与していない個人取引なので、なかなか全てのスペースを埋めるのは難しいだろう……というのはお父様からの受け売りだ。
「けれど、さっきのお店では出店は順番待ちだと言っていました。休むお店があるのに、出したいお店が出せないのはもったいないですよね。日曜日だけお店を出したい店主もたくさんいるでしょうに」
「そうだな…、平日と日曜の出店権を別に扱うべき、ということか」
「ええ、もしもそうできれば一番ですわね」
そうすればさっきの布地のお店も毎週出店してくれるかもしれないし。ただ、商工協会が動いてくれるかどうかは微妙だ。良くも悪くも商売人の集まり、彼らは自分の利益に繋がらないことはしない……というのもお父様の受け売り。国境沿いの領地を治めている立場上、お父様は行商人の情報に明るい。
「で、お前は普段どんなものを買うんだ?」
「普段ですか?えっと、さっきのお店にあったような珍しい布地とか、裁縫に使う装飾用の小物とか……、あとは食べ物が多いです」
「ああ、丁度昼時だな」
食料品の店も、平日に出ている果物や野菜の店よりも調理済みの軽食の店が多かった。……王子様、良い匂いに刺激されて、わたくしお腹が空いてきましたわ。
「あのう、買い物をしてもよろしいでしょうか」
「市に来たんだ、好きにしろ。あまり離れるなよ」
「はーい」
なんかもう、丁寧に喋ることすら面倒になって私は間延びした返事を返す。さあて、何を買おうかな。卵かスモークサーモンのパニノ?、ジャガイモと魚のフライも良いなー。ああ、お菓子系でも良いかも。密度の高い蒸しパンはお腹が膨れそう。
よし、決めた。
「あのお店にします」
「ああ」
斜め前の屋台に狙いを定めて、近づいていく。
「おじさん、サーモンのパニノ下さいな」
「はい、まいど。お嬢さん可愛いから10リルに負けておくよ」
「うわあ、ありがとう」
ほくほくしながらポケットを探して、はたと思いついた。しまった、着の身着のままで引っ張り出されたからお金……お金を持ってない。だいたい普段の買い物ではアルが支払いをしてくれるから、財布を持ってくるという習慣が無いのだ。
てことは何、ここまで来て何も食べられないってこと?買い物できないってこと?
「……おい、二つにしてくれ」
思わず固まっていると、上から呆れた声が降ってきた。
「毎度、じゃ、ふたつで20リルだ」
ユージィン様が小銭を渡す。代わりに薄紙に包まれたパニノを差し出して、おじさんはにやっと笑った。
「仲良くな、お二人さん」
「どうも。おい、行くぞ」
「え、ええ」
パニノの包みを持って歩きながら、王子様は横目で私を見た。口元が緩んでいる。
「市場に来るのに金を忘れるとは、間抜けな女だな」
「急に引っ張って来られたんですもの、仕方ないでしょう?」
「わかったわかった、ムキになるな。誰にでも失敗はある」
「ですから、誰が原因だと思ってるんですか?」
「向こうで飲み物も買って昼飯にするか」
「あの、ユージィン様、聞いていらっしゃいます?」
当然全然聞いていない。しかし私がプリプリしている間に王子はオレンジジュースも買ってくれた。どこもかしこも混んでいたので、広場のはずれまで歩いてようやくベンチに座る。
ああ、もう、お腹空いた!
「では……いただきます」
「ああ」
そう、遠慮する必要なんて無い。無理矢理連れてきたのは向こうなのだ。しかも王子様なのだ、パニノとジュース、合わせて14リル、痛くもかゆくもないはず。
決して間抜けと言われたことを根に持っているわけではありません。ええ。
けれどパニノを一口齧ったとたん、人の話を聞かない王子様のことなどどうでもよくなった。
「美味しい!」
「ああ、なかなかいける。当たりだな」
隣でユージィン様も満足げに頷いている。広場のベンチでパニノにかぶりつく王子様……レアですわ。まあ私も人のことを言えた義理ではありませんわね。口の中のサーモンを飲み込んで、私は仕方なくユージィン様を見上げた。
「あの、先ほどはお支払いをありがとうございました。お金は後で必ずお返しします」
「要らん。お前の言う通り、引っ張って来たのは俺だ」
「でも、ユージィン様の使っていらっしゃるお金は国民の納めている税金ですもの」
そう言い返すと、王子様は一瞬だけオレンジジュースの瓶に視線を落とす。そう、そのオレンジジュースの代金も、もとを正せば国民の税金で支払われたのですよ。お金はどこからともなく沸いて出てくるものではない。
「……そう、そうだったな」
「ご自身のためにお使いになるのは良いとして、私が消費するわけにはまいりません。ですからお金はお返します。王子のご好意には心から感謝しておりますわ」
「そうか」
王子様はオレンジジュースを一口飲んだ。
「考えたことがなかった」
「え?」
「俺が使う金は、税金として納められたもの、か」
「民が国に納めるお金は、すなわち王家のものですから」
「……ああ」
頷いて、自嘲気味な笑み。ちょっと待って、この人前世は織田信長って言ったよね?確か信長って流通にも力を入れた人だったはず。国内の商業振興にも南蛮との交易にも積極的だったって、教科書で読んだことがある…気がするもの。そもそも一国の領主だったんだから、国の財政の礎が領民の納める年貢だってことくらい当然ご存知ですよね?
さすがにぶしつけには訊けなくて顔色を窺っていると、ユージィン様は少しいびつなガラス瓶を眺めたままぼんやりと何かを考えているようだった。
「……この国は平和だな」
確かに平和だ。
この国に生まれてから、私は戦争や戦乱を経験したことはない。とても良いことのはずなのに、王子様の声は何故か重かった。
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