第29話 備忘録が必要

 屋敷へ戻るころには、既にとっぷりと日が暮れていた。

 門の前にアルが立っている。どこかから見張っていたのかしら。もしかしたら超能力という可能性もあるな。時々妙に鋭い従者なのだ。


「お前の従者はなかなか忠実だな」


 王子様もアルを見つけたらしい。呆れたような、感心したような声だ。


「そうですね。従者で、幼馴染で、お友達ですから」

「一人三役か。これ以上役割を増やしてやるなよ」

「え? ええ……」


 どういう意味だろう。

 クエスチョンマークを浮かべた私に手を貸そうと近づくアルを制し、ユージィン様が私をシロから降ろしてくれる。そのまま、王子様らしくアルの前までエスコートしてくれた。


「ただいま、アル」

「おかえりなさいませ、お嬢様」


 一瞬だけほっとしたような表情をみせてから、アルは胸に手を当てて礼をする。


「確かに送り届けたぞ」

「あまり遅いので、本当に先に休もうと思いました」

「さすがに農民は夜が早いな」


 おお?

 なんだろう、この微妙な応酬。ていうかアル、何度も言うけどその人、王子様だからね! 顔はにこやかだけど、結構失礼なことを言っていると思うの。アルが不敬罪で捕まったらどうすれば良いかわからない。

 私はせいぜい王子様に不興を買わないよう、にっこりと笑ってみせた。


「ユージィン様、今日は本当に楽しかったですわ。ありがとうございました」

「礼には及ばん。お前にはエヴァが世話になっている」


 よかった、ユージィン様は気にしていないみたいだ。

 笑えるくらい王子様っぽくひらりと白馬に跨ると、「またな」と言い残してあっさりと去って行く。ごちゃごちゃ別れを惜しまないところがユージィン様らしいけど、なんだかこう……。言葉通り、掛け値なく楽しかったから名残惜しいのかもしれない。

 王子様の姿が見えなくなるまで見送って隣を見ると、バチっとアルの視線に当たる。何か言いたいことがあるときの表情だ。


「どうしたの?」

「いえ……」


 小さく首を振って、アルはたちまち従者の顔に戻った。


「そういえば、お嬢様の留守中にそこの教会のシスターがいらっしゃいましたよ」

「え?」

「今日は留守ですと伝えたら、手紙を残していかれました」

「なにかしら」

「まあ、そのお話は後ほど。お風呂の準備ができています」


 お風呂!

 その言葉は、土埃にまみれた私にはあまりにも魅力的だ。


「すぐ入る! はやく行きましょう」

「はいはい」


 私はアルを引っ張るようにして玄関へと急いだ。





「はあー、生き返った」


 やっぱりお風呂は良いよね。命の洗濯だぁ。


「で、今日はどちらへ行かれたんですか?」

「森」

「森?」

「綺麗な池があって、魚を釣ったわ」

「魚を……」

「シロともとても仲良くなったの」

「シロって馬の名前ですよね?」

「とても賢い、可愛い子よ」

「そうですか……で、王太子は何か言っておられましたか?」

「王子とは、お話をしたわ。最近忙しいっていう愚痴とか、エヴァンジェリン様のこととか」

「……何がしたかったんでしょうね?」

「だから、ピクニックじゃない?お城を離れて、ゆっくりしたかったみたい」

「へえ」

「私も、なんだか懐かしかった。ほら、屋敷の裏の森にちょっと似てて、気持ちの良い場所だったわ」

「まあ、森ですからね」


 しごくまっとうに頷いて、アルは私から視線を逸らした。

 ポケットから、白い封筒を取り出す。


「忘れないうちに、こちらを。シスターからのお手紙です」


 既にすっかり忘れてた!

 例の教会のシスター・レオノーラは、しゃんと背筋の伸びた初老の女性だ。教会と、孤児院にいるたくさんの子供たちのためにいつも心を砕いている。


「シスターがここまで来るなんて、珍しいわね」

「そうですね。どことなくそわそわしていましたよ」


 なんだろう。

 王都へ来てからは、近くの教会の慈善バザーに小物を出しているから、その話かな?

 考えながら手紙を開くと、綺麗な筆跡で『私』がしたという『多額の寄付』へのお礼が書いてあった。

 ……寄付?


「え、寄付って?」


 バザーに出品はしているけど、寄付はしていない。


「なにやら、やたらお嬢様を褒めていらっしゃいましたよ? 天使とか神の御使いとか」

「何かの間違いよ。私、寄付なんて……」


 あ。

 うわあ、忘れてた。

 アルと目が合う。優秀な従者も、どうやら思い出したらしい。


「王太子か」

「ユージィン様だわ!」

「ですね……ひょっとして、エヴァンジェリン王女へのお土産のお礼?」


 そう、舞踏会の前だ。私の作った巾着やらチーフ、それからドレスに飾る花で作ったコサージュ。あれを差し上げたとき、代金の代わりに寄付をお願いしたんだっけ。提案した私はすっかり忘れていたのに、王子様はちゃんと覚えていたとは……。

 シスターのお手紙には、金額には触れられていなかった。


「いったい、どのくらい寄付したのかしら……」

「これで教会の普請ができる、とか言ってましたけど」

「えええっ」


 何を考えているんだ、何を。

 王太子さまといえども、最近働き者だといえども、そんなお金をぽんと寄付するなんて……いや、でもあの教会ボロだし、子供たちが押し込められている孤児院に手を入れてもらえるならばそれはそれで……。いやいやだけど……どうだろう。ユージィン様も今日話を出してくれればお礼が言えたのに、なんでさっさと帰っちゃうのか。


「あっ」

「何ですか?」

「お花のお礼を言うのも忘れてた」

「ああ、なるほど」

「次に会ったらお花のお礼と、寄付のお礼……エヴァンジェリン様に言付けちゃダメかな」

「お嬢様は男心というものがわかっていませんね」

「ええ?」

「お礼は直接お会いしたときのほうが良いと思いますよ」


 わかってるわよ。

 でも、会えるかどうかは私が決めることではないもの。やっぱりエヴァンジェリン様にお願いしてみるしかないか。『王子にお会いしてお礼を言いたいんですけど、どうしたら良いでしょうか』とか?うーん、なんだか曲解されそうな予感がするな。

 とにかくまずはシスターの誤解は解かないとね。


「アル、明日は暇?」

「暇な日なんてありませんが……ええ、大丈夫です」

「じゃあ、教会へ行くわ。ついてきてくれる?」

「畏まりました」


 取り澄ましてお辞儀をするけれど、何をしに行くかはわかっているはず。

 マテラフィ伯爵令嬢が教会に多額の寄付をしたという噂になる前に、阻止しないとまずい。シスターにはかいつまんで事情を話して、他言しないようによーくお願いしておかなくちゃ。

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