【番外編7】お日様に背を向けて
「アリアはいるか!」
例のごとく突然ドアが開いて、私はまたかとため息をついた。
それにしてもすごーくタイミングが悪いですわ、ユージィン様。
「あら、ユージィン」
「お兄様」
ほぼ同時に呆れた声で応えた麗しい母娘に、さしもの王子様も一瞬フリーズする。
「は……、母上もいらしたのですか」
そうなのです、エヴァンジェリン様とお茶の予定に急遽王妃様がいらして、3人で楽しくお話をしていたところなのです。ちなみに話題は今度エヴァンジェリン様が通う貴族学校で盛り上がっていた。この話をぶった切ってしまっただけでも罪の数が増えるというものですわ。
「ユージィン、礼儀作法の初歩からやりなおす必要があるようですね?」
いやっ、穏やかな声と表情が逆に恐ろしい。
しかしユージィン様は瞬きの間に気持ちを立て直したらしく、ごくごく貴族的に居住まいを正した。
「いや母上、失礼いたしました。しかし、緊急事態ですので」
「緊急事態?」
「まあ、なにか問題でも?」
ほぼ同時に、しかもまったく本気にしてない顔で首を傾げる王妃さまと王女さま、さすがユージィン様を良く理解しているなあ。
「たとえ国家の危機でも女性の部屋にノックなしは重罪です!」
「兄妹だろう。許せ、エヴァ」
あー、ぷうっとふくれっ面になるエヴァンジェリン様、まじ天使マジ可愛い。
しかし兄のユージィン様もキラッキラの笑顔で応酬しております。
なんだこの顔の良い空間は!
「では、緊急事態とは何事かおっしゃい、ユージィン」
ここで無駄に王妃のオーラを発現したシルヴァーナ様がおごそかな声で問いかける。
「今日、アリアが来ることは聞いておりました」
「はい、確かにお話しましたわ」
「それで昼休みを返上して、たった今仕事を終わらせて来たのです」
何故そこでドヤ顔なんだ!
しかし王妃様はじっとユージィン様の顔を見て、それからゆっくりと頷いた。
「それならば仕方ありませんね」
ええ、仕方ないの?
「エヴァ、許しますか?」
「はい、お母様。ここしばらくお兄様、忙しそうにしておられましたもの」
アシュトリアの天使がにっこり微笑んだところで、話は決まったようなものだ。ていうかもしかして最初から仕組まれていたのかもしれない。
「よし、許しが出た。行くぞ、アリア」
「え、どこへですか?」
「外だ」
「そと」
ざっくりしすぎではないでしょうか。
だけど王妃さまも王女さまもにこやかに送り出してくれたので、私は王子に手を引かれるまま歩き出す以外なかった。
「本当は遠乗りにでも行きたいところだが」
と嘯く王子様に連れてこられたのは、お城の城壁だった。
周囲を見渡すための物見の塔がすぐ傍にそびえ立っていて、その影が市街に影を落としているのを一望できる。
「今からでは暗くなってしまいますものね」
「そうだな……まあいい、まだ日が高いだけでも御の字だ」
遮る物がなにもないので、温かい日差しが気持ちよい。王子様は無造作にマントをレンガの床に広げ、途中で厨房に寄って受け取った包みをそこに置いた。
「俺は昼飯にする」
「まあ、まだ昼食をとっていませんでしたの?」
「言っただろう。真面目に仕事をしてきたからな……お前も座れ」
マントの上に腰を下ろした王子様が、ぽんと隣を指し示したので、私は迷わずそこに腰を下ろす。なんだろう、いつかの森みたいでちょっと楽しくなってきたかも。
それにしてもお城の料理長、あいかわらず良い腕だなあ。見ているだけでなんだかお腹が減ってきましたわ……。
「そんなもの欲しそうな顔をしなくても、二人分ある。お前も好きな物を食べろ」
「え、いえ、そんな……」
「うん、このパニノは絶品だ。チーズが美味い」
「……」
「こっちの干し肉の味付けもなかなかだ……料理長め、このところ弁当のなんたるかをわかってきたとみえる」
「……」
「なるほど、卵を甘く味付けして焼いたか」
「……あの、おひとついただいても?」
もうダメ。とても我慢できなくてそう問うと、王子様がしてやったりという顔で笑った。
「だから食えと言っているだろう」
む、人を食いしん坊だと思っていますね?
しかしまったく否定できないので、甘いという噂の卵をひとついただく。
「美味しい!」
「そうだろう」
ひとつつまんだら止まらなくなりました。どれをとっても美味しいの、反則だと思いますわ。もちろんユージィン様の昼食なので、各種ひとつずついただいて我慢します、我慢しますとも!
「近いうちにエヴァを遠乗りに連れていく約束だが」
「あ、はい。寒くなる前にですね?」
「そうだ。月末に孤児院の普請の目処がついたら、来月の頭には決行しようと思う。アリア、予定はあるか?」
「私より、ユージィン様でしょう? お忙しいのは私もエヴァンジェリン様もわかっていますから、無理はなさらないでください」
「忙しい、と言って諦めていたら、いつまでたっても何も進まん」
少しだけ拗ねたように口をへの字にしてユージィン様はひとつ息をつく。
「平和の維持というのは、地味だがやっかいな仕事だ」
「ええ、なんとなくわかる気がいたします」
平和が当たり前になってしまうと、そのありがたみが薄れていくものだ。
そうなると少しの不便、少しの不満が際立ってしまうこともあるし、人のアラだって探したくなる。でもやっぱり、戦争しているよりはずっとずっと幸せだと思う。
「……そういえば、アリアの前世は平和だったと言ったな。戦はなかったのか?」
「はい、戦争があったのは私が生きた時代よりずっと前のことでしたから」
「それは何よりだ」
王子様は何故か満足げに頷くと、うーんと大きくのびをした。
「お疲れですね?」
「そうだな。このところ少しばかり寝不足だ」
「でしたらお休みになっては? 部屋に戻りましょうか?」
「いや」
小さく首を振って一瞬私を見ると、ユージィン様はパタンと身体を倒して頭を私の膝に乗せた。
――膝に乗せた!?
ちょっと待って、これっていわゆる膝枕!?
「ゆゆゆゆゆゆ、ユージィン様! あっ頭を、あの、」
「ああ、文句なしの寝心地だぞ」
言いながら、さりげなく膝のあたりを撫でるのはおやめください。完全にセクハラです!
「俺は少し休む。食べ終わったら起こせよ」
「えっ」
言うが早いか目を閉じて、王子様は秒で規則的な呼吸に入った。待って待ってまって、寝付きが良すぎない?
「あの、ユージィンさま、」
「……」
もう答えが無い。
あまりに早いので狸寝入りを疑ったけれど、しばらく眺めていてもユージィン様は動かなかった。すうすうと心地よさそうな呼吸で、本当に寝入ってしまったということがわかる。
ええ、どうしよう。
こんなところを誰かに見られたら――見られたら……いえ、こんな場所に好き好んで来るのなんて見回りの衛兵くらいだよね。婚約しているのだからこのくらいは多めにみてくれるだろう。問題は私の心臓が保つかどうかだ。
なるべく王子様を見ないよう、私は傍らに広げたお弁当に視線を落とした。
「食べ終わったら起こせよ、かあ」
料理長謹製のお弁当はもうあまり残っていない。干し肉と、チーズのパニノが一片残されているだけだ。
「もちろん食べますけど……」
優しい風が王子様の髪を撫でてキラキラと日の光が反射する。うう、やっていることはセクハラまがいでも、直視できないほどに顔が良い!
「アリア……」
「は、はい!」
うっかり見惚れていたら名前を呼ばれたので、声がひっくりかえってしまいましたわ。
だけど王子様はもぞもぞと身じろぎしただけで、それきりまたすやすやと寝息をたてはじめた。
――疲れているんだろなあ……。
たまにはゆっくり休んで欲しい、なーんてお願いしたところで、ユージィン様の性格上絶対無理ですよね。
せめてこのひととき、日差しが出ている暖かい時間はゆっくり眠って欲しくて、私はそろそろと身体を動かしお日様に背を向けた。
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