第18話 ダンスをもう一度

 あの国の未来を。

 私の時代に繋がる日本を。

 あれ、おかしいな、なんかぐっときてる?

 

 未だアルコールが効いているのかも、泣いてしまいそうだ。前世の私は教科書の中でしか信長を知らなかった。だけど今、アリア・リラ・マテラフィの目の前には信長の記憶を持った人間がいる。怒ったり笑ったり、時々は少ししょげたりする、生身の元・信長公がいるのだ。


「ユージィン様……」


 いっそ、打ち明ける?

 本能寺の変の後、戦国の世に何が起こったのか。

 信長公の作った道は、紆余曲折あったけど徳川幕府の太平の世に繋がっていたんだよって。それからもっと後、ずっと先には私の生きていた時代があったんだって。織田信長は、私の時代でも偉大な英雄として伝えられていたんですよって、今、言いたくて仕方がない。だって、私は知っているんだもの。ユージィン様は知りたいと願っていることを、知ってるんだもの……。


「昔から、血生臭い記憶ばかり夢に見たが」

「え?」

「最近、毎日のように見る夢がある」


 話しているのはユージィン様なのか、それとも彼の中にある信長公の残像なのか、私にはわからない。だけどその顔に、酷薄そうな笑みが浮かぶ。


「さっき言っただろう。『女の幸せは結婚で決まってしまう』と言っていた聡明な妹の夢だ。俺にはエヴァがいるから、余計に思い出すのかもしれん」


 聡明で愛らしい妹。

 そう、この世界で起こる様々な出来事は、前の世界の記憶を気まぐれに呼び起こす。

 私だって王子の話に刺激されて、前世の夢を見たもの。あんなにはっきりした記憶は久しぶりだった。


「妹は良縁に恵まれて、3人の娘もあった。夫を愛し、愛されていた」


 とくん、と心臓が波打つ。

 愛なんて言葉は不穏だ。

 だって、彼は織田信長だった。

 戦乱のなか、天下統一に誰よりも早く近づいた偉人。

 だけどその道のりが、血塗られていたという知識が私にはある。


「妹の夫は、俺が殺した」


 思わずユージィン様を見上げた。王子は見たことのない昏い目をしていた。


「あれは俺に恨み言など言わなかった。だから俺も慰めはしなかった。ただ、妹とその娘たちに、もう何も強いる気にはならなかった」


 知っている。

 その人、織田信長の妹君。

 戦国時代いちの美女と名高い、お市の方。


「だが、俺は死んだ」


 王子の声は、妙に乾いている。私はその姿に、一瞬戦国時代の英雄を重ね、慌てて打ち消した。


「俺が死んだあと、あれが平穏に暮らせたのか……今はそれが心残りだ」


 待って。

 そんな顔しないでよ。

 教科書には、信長公の気持ちなんて載っていなかった。ただ、戦国の世の出来事が書いてあっただけだ。年号を覚えなさいと教えられただけだ。その時戦を率いていた武将たちが、戦った兵たちが何を考え、何を感じたかなんて、ひとつも書いてなかった。


「……戦乱の世だったのでしょう?」


 天下を目前に死んでしまった英雄。妹の平穏を祈る兄。

 私は『織田信長』にかける言葉を持たない。


「しかし、俺が妹を不幸にしたことは……」

「ユージィン様!」


 思わず、遮った。

 駄目だよ、この人の記憶は強すぎる。だって、織田信長は強烈過ぎる。

 繋ぎ止めたくて、私は王子様の目をまっすぐ見上げた。ここはどこだかわかる?私が誰だかわかる?あなたは、あなたが誰だか、ちゃんとわかっていますか?


「それは前世のお話です。ユージィン様は、ユージィン様。アシュトリアの王子ですわ」


 見つめ合ったのは、ほんの数秒だ。

 彼はやがて、ひとつ瞬きをして、息を吐いた。ゆっくりと戻ってくる気配にほっとして、じんわりと嬉しくなる。


「……アリア」

「ユージィン様は、妹君をとても大切にされていますわ」

「そう、……そうだな」


 小さく頷く。

 そうそう、その調子だ。あっち側に引っ張られるのはよろしくない。大陸の統一とか目指されたら大変なことになっちゃう。私は王子を王子たらしめる要素を、思いつくままに口にした。


「ユージィン様は王子様としてはちょっと変わっていますし、自分の話ばっかりするし、女性の褒め方も知らないし、時間は守らないし、いつも唐突に家にあがりこんできますけど……」

「……おい、ひとつも褒めてないぞ」

「え?えーと」

「…………」

「だけど、ダンスはとても楽しかったです!」


 言ってしまってから、もっと何かあるだろうと後悔した。ほら、今、ちょっと酔っぱらっているので直前の記憶が優先的に出て来てしまったのですわ。

 もう少々お待ちください。今褒めます、もっと褒めますから!

 だけど浮かばないうちにユージィン様はすっと立ち上がった。


「は、そうか」


 呆れた声だ。

 うわあ、怒られる?それともさすがに広間へ帰っちゃうかな?硬直していると、王子様はくるりと私の方を向いた。真正面から見詰められる。黙っていれば正統派王子様なのにね……。


「では、もう一曲お相手願おう」

「え?」

「楽しかったのだろう?」

「……」


 ふっと微笑んだユージィン様は、怖いくらい正統派のままだ。

 お城の広間から、遠くスローな曲が聞こえてくる。そろそろ舞踏会の終わりも近い。差し出された手をとって立ち上がると、私は礼に則ってお辞儀をした。


「光栄ですわ、ユージィン殿下」


 きっとまだアルコールが残っているのだ。妙にふわふわする。

 満足げな王子様が頷いたのを合図に、私たちはゆっくりとステップを踏み始めた。



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