第17話 冷たくて、ほのかに甘い
「アリア!」
「ひっ」
声の主はモニカにあらず。
なるほど、ジュリエッタ様が離れていっちゃったのはこれか。お見合いを避け続けている手前、あまり顔を合わせたくないんだろうなー。
うん、私も気持ちはわかる。
振り向くまでもないし振り向きたくないけど、振り向かざるを得ないんだよね……。
ギギっと振り返ると、案の定王太子殿下が、ずかずかとこちらへ歩いて来た。ただでさえ目立つんだから、もっと大人しく移動できないものだろうか。
周囲の注目を感じて、できるならば消えてしまいたくなる。
「今、『ひっ』とか聞こえたが」
「まあ、気のせいですわ。ユージィン殿下、お招きに預かり参上致しました」
「む、よく来たな、ゆるりと楽しめ……と言いたいところだが」
「何でしょう」
王子が一歩近寄る。私が半歩逃げる。後ろには食事や飲み物のテーブルが並んでいるので、これ以上は離れられない。結果半歩ぶん近づいて、王子は少しだけ声を潜めた。
「エヴァがどうしてもお前と話をしたいと言っている」
「王女様が?」
「とはいえ、今はあれも忙しい。俺以上に人を集める妹だからな」
「そうですよね……」
大広間の、王座の周囲で話なんかしたら絶対目立っちゃう。
かといって、まだ年若いエヴァンジェリン王女があまり動き回るのはよろしくないし、許されないだろう。身体の弱い王妃様は欠席なので、エヴァンジェリン王女が今日の女主人役も務めているのだ。そんなけなげな姫君に、負担をかけるのは忍びない。
「よろしければ、お話は後日伺いますわ。今日は舞踏会ですもの」
「そうだな、そのように伝えよう」
珍しく、王子様は生真面目に頷いた。エヴァンジェリン様のためなら文句も言わずメッセンジャー役をこなすところが、ちょっと可笑しい。姫君のことが本当に可愛いんだろうなぁ。
「何を笑っている?」
「いえ」
にやけていたら見咎められた!だけど、ここは正直に言っても怒られないよね?
「殿下自らエヴァンジェリン姫のお使いなんて、お優しいなと思って」
「それもある。だが、俺もお前を探していたぞ」
「ええ?」
「ダンスを申し込もうと思ってな」
王子様は何故か楽しそうににやりと笑った。
ちょい待ち、笑いごとではない。私よりももっと先に誘うべきご令嬢がいくらでもいるでしょう?しかし周囲の目が気になって、ツッコミもできない。
「ところでお前、踊れるのか?」
「あの……ちょっと疲れていて……」
「踊りに自信がないというなら、心配しなくてもちゃんとリードしてやる」
「あの、そういうことではなく」
「そういうことでないなら、どういうことだ?俺の申し込みは受けられないとでも?」
うっ。
格上の殿方、しかも王子からの申し込みを断るのは至難の業だ。周りで談笑している方々がそれとなくユージィン様の動向を気にしているのもひしひしと感じる。
「いえ、まさか、そんなことは……」
「では良いだろう。俺だってもう一曲くらい楽しく踊りたいからな」
今度こそ誰も助けには来てくれないよね……。
まあいいか、ブルーノのおかげか今日の王子様はだいぶマシに見えますわ。
でも、その前に!
「わかりました。でも、ちょっとお待ちになって。私、咽喉がカラカラなんです」
「あ、おい」
私は手近の給仕が配っていた細長いシャンパングラスをひとつ受け取って、一気に飲み干した。冷たくてほんのり甘くて、咽喉が気持ちいい。
よーし、ベストコンディションだ、今ならどんなステップでも軽く踏めそうな気がしますわ。
「……大丈夫か?」
「ええ、もちろんです」
私は差し出された王子の手に自分の掌を重ね、大広間へと歩き出した。
「気分は?」
「だいじょうぶ、です」
そんなこんなで、結局中庭である。
場所は先日と同じ、生け垣に囲まれたベンチだ。畏れ多くも王太子殿下が運んで来てくれたお水をひとくち飲む。
「踊る前に酒なんか飲むからだ」
「アルコールが入ってるなんて思わなかったんです……」
「入っていない飲み物のほうが少ないと思うぞ」
ちなみにこの世界には飲酒には規制がないので、15、6歳にもなれば平民だろうと貴族だろうと飲む。もちろん前世ではお酒は二十歳になってという決まりでしたわよ、念のため。
それでも踊っている間は調子がよかった。くるりくるりと、我ながら良く回転したと思う。結果、ダンスの後、急激にお酒がまわってふわふわになってしまったのですけどね……。
ああ、舞踏会って本当に罠の多いイベントですわ!
「少しはましになったか?」
横に腰掛けながら、ユージィン様が私の顔を覗き込む。心配してるというよりは、全然面白がっている目だ。しっかりアリア!しゃんとしなくては。
「ええ、もう大丈夫れす」
「れす?」
うん、全然しゃんとしてないですね……。
私はもうひと口水を飲んで、意識的に背筋を伸ばした。
正直、王子様とのダンスは楽しかった。あんなに自由に踊ったのは久しぶりだ。アドレナリンがドバドバ出ていたに違いない。しかしアリアよ、ダンスが終わった瞬間目が回るとは情けない。なんとか取り繕って庭に出てきたけれど、連れ出して下さったのはもちろんユージィン様だ。……あれ、これ、まずいんじゃない?
あんまり一緒にいるところを見られないほうが吉じゃないでしょうか。
ほら、お父様にも男性と二人きりにならないようにと釘を刺されたことだし、ここはひとつ王子様にはお戻りいただいた方が良い。絶対に良い。
「あの、私はここで少し休んでいますので、ユージィン様はどうぞ広間へお戻りください」
「阿呆だな、お前は」
む。
否定できない自分が悲しい。
むっとした私が可笑しかったのか、ユージィン様はわざとらしく口を斜めにする。
「阿呆だが、踊りは素晴らしかった。そのドレスもよく似合っている」
「え、今更ですか?」
「ああ、褒めるのをすっかり忘れていた」
「ありがとうございます。お世辞でも嬉しいですわ」
王子様がむっとした顔をしたので、今度はこちらが笑ってしまった。気分も持ち直してきたみたいだ、外の空気はひんやりと気持ちよい。
「世辞など言わん」
ぶっきらぼうな王子の台詞で、ふとモニカと王子様のお茶会の話を思い出した。案外、モニカの時だって褒めるのを忘れていただけかもしれない。あとで教えてあげよう。
「……何が可笑しい?」
「いえ、ちょっと友達の話を思い出して……」
「友達?」
「女性が可愛く着飾っているのを見たら、少しくらいねぎらってもバチはあたらないと思います」
「だから今褒めただろう」
「私だけではなく、一般論です。こういうイベントのために、皆けっこう努力しているんですよ?」
「舞踏会のための努力か?」
「舞踏会とか、お茶会とか、お見合いとか」
「もっと他に努力すべきことがあるだろう」
「そうですわね。けど、どんなに努力しても、女性の幸せは結婚で決まってしまいますもの」
少なくとも、この世界ではそれが普通だ。ユージィン様はわずかに目を見開いて、私を見詰めた。なんとなくわかる、私を見てはいるけど別のことを考えている顔だ。
「お前の世界では、違ったのか?」
「え?」
「以前、妹に同じことを言われたことを思い出した」
「妹……?エヴァンジェリン様?」
「そうじゃない。前の人生の話だ」
てことは、信長公の妹?
しかし私が質問をする前に、ユージィン様が私の名を呼んだ。
「アリア」
「はい」
「前世の俺が、家臣の裏切りにあって死んだ話を覚えているか?」
「ええ、お茶会のとき、お話してくださいましたわ」
「正直に言えば、何故あの男に裏切られたのか未だにわからん。心当たりが全くないわけではないが……、少なくとも俺にとってあれは良い家臣だった」
明智光秀ですね、敵は本能寺ですね、わかります。
だけど謀反の原因は、のちの時代でもはっきりとはしていない。表に出ないところで大きな陰謀があったのかもしれないし、光秀個人の心の問題かもしれない。色々想像することはできても、結局当事者しか知りえないことだ。
「しかし、討たれた事実は事実、それまでの人生だったということだろう」
「もう少しで国を統一できたと、お聞きしましたわ」
「ああ、どう思う?」
どう思う?どう思うって、何をだろう。
私は心に浮かんだことを、そのまま答えた。
「私だったら、悔しいと思います」
「そう……そうだな。あの国の未来をこの手で造りたかったと、考えることはある」
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