【番外編9・前】天使様のご訪問



「お兄様はズルいです!!」


 とある日曜日。

 教会のバザーに顔を出してからユージィン様に連れられてお城に行くと、ふくれっ面のお姫様が待ちかまえていた。


「……なにを膨れているんだ、エヴァ」

「お兄様ばっかり、いつでも好きな時に好きなところへ行けるのですもの、ズルいです」


 もっともなご意見ですわ、エヴァンジェリン様。私も一国の王子がここまで気軽にフラフラ出歩くなんて夢にも思っておりませんでした。


「私だってたまには気軽に遊びに行ってみたいのに、どうして連れて行って下さいませんの?」

「お前は目立つし、俺と違って護衛が一ダースは必要だ。それに、何かあったら俺が父上に殺されるぞ」

「森へ連れてってくださるという約束もまだです」

「あれは当日お前が熱を出したからだろう。しかも二度だ」

「……」


 痛いところを突かれたせいか、エヴァンジェリン様はほっぺを膨らませたままむうっと黙った。ああ、拗ねた顔もとても愛らしいです! 天使は拗ねていても怒っていても天使様なのだ。


「だって……、あの時はとても楽しみで、とても眠れなかったのですもの」


 ようやく呟いたその細い声で、王子様も言いすぎたと気付いたらしい。


「そ、そんな顔をするな。また時間を作って必ず連れて行ってやる」

「でも、お兄様もアリア様も、これからどんどん忙しくなるでしょう?」


 うーん、私はともかくとしてユージィン様は今現在とても忙しい。通常のお仕事も増えているし、結婚式の準備だってある。この調子だとその式すらじりじり先延ばしになりそうな勢いだ。


「寒くなってきたら、余計に出かけられなくなりますわ」


 エヴァンジェリン様の声は消え入りそうだ。

 まずいまずい、なんとかしなくちゃと思いながらユージィン様を見上げると、王子様はさらに困った顔でこちらを見ていた。ああもう、アテにならない!!

 考えるのよアリア。なにかエヴァンジェリン様が心惹かれるようなけれど実現できそうな折衷案、折衷案……! 


「ええと、エヴァンジェリン様」

「……アリア様、ごめんなさい。私、子供みたいですわね」

「いいえ、お気持ちはよくわかります!」


 エヴァンジェリン様は悪くない!

 ていうか悲しそうな顔をしないで欲しい。

 そんな一心で、私はほとんど何も考えずに口を開いた。


「あの、もしよかったら私の家においでになりませんか?」


 うん、我ながら平凡過ぎでは? 

 名案なんてすぐに浮かぶわけないじゃん。ああでも、伯爵家の邸へお誘いなんて面白くもなくない? 徒歩でも充分な距離だし、王都の我が家は伯爵家としてはかなり質素な部類に入る。


「まあっ」


 だけど顔を上げたエヴァンジェリン様の瞳はキラキラと輝いていた。


「アリア様にご招待していただけますの?」

「ご招待というほどではないのですが、少しでもエヴァンジェリン様の気晴らしになれば、と、思って……」

「嬉しい! ね、お兄様、良いでしょう?」

「アリアの家か……わかった、父上に話を通してみよう」


 えっ、国王陛下に!?

 一瞬驚いたけど、王女様が誰かの家を訪問するとなれば本来公務的な何かかもしれない。兄であり王太子であるユージィン様があまりに気軽に出歩いているから、感覚がおかしくなっているんだよね、危ない危ない。


「あまり大袈裟にしないようお願いして下さいね。護衛の方が10人も20人もいたら、アリア様にもご迷惑ですし……」

「ああ、善処する」

「本当ですわよ?」

「わかったわかった」

「もちろんわたくしからもお父様にお話しますから、きっとお許しいただけますわ」


 エヴァンジェリン様の声は嬉しそうに弾んでいる。

 なんだかおおごとになりそうな気もするけれど、王女様に喜んでいただけるなら私も頑張って準備をしなくては……まあ、頑張るのは間違い無く、トマスとアルですけどね!





「おはようございます、お嬢様!!」


 クソデカおはようボイスとともに毛布を引っ張られ、私はわけがわからぬまま半身を起こした。ベッドの傍らではアルフォンソがやたらにこやかにこちらを見ている。

 思わず窓の外を見るとあきらかに早朝、空の色がまだ薄い。


「おはようアル……ずいぶん早起きね?」

「当然でしょう」

「えっと、約束の時間はお昼なのだけど」

「そうですね。風呂の準備をしてありますから、さっさと入って支度をお願いします」

「お風呂!?」


 朝からお風呂なんてそんな贅沢を!?

 びっくりしてオウム返しに聞くと、アルはさも当然だと言わんばかりに重々しく頷いた。


「お嬢様、今日がなんの日だか覚えていますか?」

「もちろん覚えているわ。でもねぇアル、エヴァンジェリン様はお忍びでいらっしゃるのよ?」


 大袈裟にはしたくないというのが王女様の意向だ。だからこそ当主であるお父様は通常通りお仕事だし、私もお友達を迎えるつもりで気楽に、というお達しを受けている。ちなみに我が家で訪問者が王女様だと知っているのはアルとトマスだけだ。他の使用人たちには大事なお友達が来る、としか伝えていない。


「お忍びだろうがなんだろうが、アシュトリアの天使をお迎えするんですよ。最低限失礼のないようにしなくては」

「ええ……、まあそれはそうね」

「しかも今日のアリア様はマテラフィ家の当主代理です。しゃきっとして下さい」


 あ、これマジだ。

 基本万事において緩いアルも、エヴァンジェリン様のことになると鷹揚に構えてはいられないらしい。

 確かにエヴァンジェリン様は私にとっても天使様だけど、アルの感情はアイドルを崇拝するオタ……、もとい、熱烈なファンに近い気がする。


「はあ……わかったわ」

「あ、入浴したら朝食です、直接食堂へどうぞ。この部屋は今から掃除をしますので、良いというまで戻ってこないでくださいね」

「え、お掃除なら昨日念入りにしてたでしょ?」


 しかし私の言葉はアルのニコニコでむなしく跳ね返された。


「アシュトリアの天使がいらっしゃるんですよ、掃除しても掃除しても追いつきません」


 だから極端だっての!

 しかしふと床に目を落とすと、気のせいか昨日よりもピカピカに磨き上げられているような気がする。


「……まさかと思うけどあなた、一晩中床を磨いていたんじゃないでしょうね?」

「そんなわけないでしょう」


 だけどアルはあきれ顔で首を振った。

 そうよね、さすがにそこまではしないわよね。

 ほっとしたのもつかの間、アルはごくごく真面目な顔で言葉を続ける。


「夜中に物音をたてるとトマスさんに叱られます」

「え?」


 じゃあトマスが叱らなかったら夜通し掃除する気満々だったということ? それはちょっと度を超えていない? なんだか心配になってきましたわ。


「あのね、アル」

「はい、なんでしょう」

「エヴァンジェリン様はとても気さくで楽しい、可愛らしい方よ。アルがあまり身構えていたらかえって気を使わせてしまうかもしれないわ」

「気を使う?」

「今日のご訪問は私の友人としていらっしゃるのだから、ちょっとやりすぎだと思うの。心配しなくても王女様にはちゃんと紹介してあげるから、アルも無理しないで」


 気を利かせたつもりでそう言うと、アルは世にも奇妙な顔をしてからゆっくりと首を振った。


「いえ、紹介とか必要ありません」

「え?」

「俺は伯爵家のしがない従者ですよ。アシュトリアの天使に紹介されるなんて許されません」

「ええ?」


 えっと、それはどういう意味?

 アルは昔から”アシュトリアの天使”が大好きだけど、もしかして関わるのはNGでただ壁になって見守りたいタイプとか? そんなシャイなところがあるの? だとしたら、ここに来てアルの新しい一面を発見してしまったんですけど!


「……アル、前からエヴァンジェリン様に会いたがっていたわよね」

「ええ、同じ屋敷の空気を吸えるだけで夢のようです」

「ふうん?」


 あ、これマジじゃない?

 だけどごめんアル、エヴァンジェリン様はアルに会えるのをちょっと楽しみにしていると思う。私も(そしてたぶんユージィン様も)よくアルのことを話題に出すから、王女様はアルのことを認知してしまっているのだ。

 本当にごめん、アル……でも今は黙っておこう。


「さ、俺のことはいいですから支度を急いでください」

「……はぁい」

「間延びしない!」

「はい、わかりました」


 思わずしゃきっと返事をすると、アルはちょっと唇の端を上げて満足そうに頷いた。

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