第59話 千枚通しと花筏

彼に折檻をするのは、今に始まった事ではない。

本音を言うならば、きっかけはなんだっていいのだ。

例えば、彼が俺の持ち物にいたずらをしただとか、言いつけを守らなかっただとか。

理由など、いっそ無くても構わない。ただ一言、彼に「背中にひどいことをさせてくれ」と、そう言えばいいのだ。

さすれば、彼は、服を脱いで、俺に背を向けてくれる。俺はその白い素肌を指で撫で、このキャンバスに、どのような傷痕を残すかだけを考えればいい。

今回のきっかけは、一本の千枚通しだった。古めかしく、大ぶりな、その文房具は、未だ澄んだ刃先を持ちて、俺の手のひらにある。

紙を穿つ先端を、彼の柔らかな肉に当て、押し込むことを考えると、ざわめくような、高鳴りを覚えた。

そうして、彼は俺の前で、正座し、背を向けている。

ならば、もう、なにも躊躇うこともないのだ。したいことをすることができる。

それがどれ程贅沢なことで、俺の行うことを、甘んじて受け入れてくれる存在が、眼前にいる、その事実が、奇妙なことであるか。

俺は、暫く、それを当然のように浪費していたことに気づく。

ああやはり、彼でなければ、と、切ないような気持ちに浸りながら、彼の肩に手を置いた。

千枚通しの先端は、十五センチと少しあるだろうか。

これを彼の背中に穿ち、根元深くまで押し込めば、彼の臓器に届くだろうか。彼はどのように苦しむだろうか。

じっと、座位を崩さぬまま、俺のために耐えてくれるだろうか。

それとも、痛みと不快感に歪み、身体を逃がそうと這うだろうか。

こうしなければわからない、彼の反応、表情、動き、息遣い。

なにもかもが知りたいのだ。この行為も、彼の姿が見たいと、その目的の為の手段でしかない。

彼の肩を撫でる。

与えられる痛みに怯え、僅かに震える白いうなじに、ゆるりと舌を這わせた。

彼が小さく声を漏らし、僅かながらの快感に耳を赤くした。

肩甲骨の少し下、肋骨との境目。

そこに、細く尖った千枚通しの先端を押し当てる。

「ん…」

小さな痛みに、彼が声を洩らした。

「幾つあけようね」

「おまわりさん…すきなだけ…」

いいこだ、と、思う。声に出してそう告げれば、彼は照れ臭そうに笑った。

ただ一言の褒め言葉のために、彼はこうして背を向けられるのだ。それ程までに、俺の言葉は、彼にとって価値がある。

そう思うと、たまらなく嬉しかった。

とす、と。

柔らかな肉を刺突する、ほんの少し濡れた音。

捻じりを加えながら、絡みつく筋繊維を断ち切り、奥へと、金属を押し込む。

彼は言葉を発さず、身体を震わせ、そのまま座っていた。

千枚通しを引き抜く。

赤く開いた穴から、血液が一筋垂れ、白い背中に溝のような絵を描いた。


とすっ。

とすっ。

とすっ。


彼の背を穿ち続ける。

回数を増やせば増やすほど、彼の背に描かれる溝が増えていく。

引力に引かれ、真っ直ぐに、彼の背中に赤く糸を落とす。

「ア゛…」

肩甲骨から下へ降り、腰に近づいて行く程に、彼が嗚咽を洩らす回数が増えて行く。

神経の集中する場所へと近づけば、殊更痛みが強いのだろう。膝に置いていた手が、畳につかれ、彼の身体が前傾する。

正座も崩され、かたいだ背中に、新しい溝の流れが加わる。

「痛い?」

「い、いた、いです…」

「そうだね」

それを耐えてもらうのだ。

そうでなければならない。

耐える姿。甘んじて、虐待される彼の。それは恐るべき、俺を許容するという深さである。

彼のまなこのように、底のない池のような、許容である。

俺はその愛情に依存しているのかもしれない。

彼でなければ、俺にこの満足感は与えられず、俺でなければ、彼の求めるものを与えてやれない。

仄暗い水のような、澱んだ共依存は、そら恐ろしく、けれど、葡萄酒のように甘いものであった。

彼の背に無数に穿たれた傷痕もまた、俺の上顎に甘い。

指で穴をなぞり、数を数える。

十と八。まだ、彼の背には隙間がたっぷりとある。

俺は隙間を埋めるように、彼に千枚通しを突き立てた。

腰のあたりは、筋肉が薄く、あまりちからを込めずとも、彼の肉は先端を受け入れる。

内臓を突くことを期待しながら、俺は刺突を繰り返すり

横腹の肉を狙い、ピアッシングするように、貫通させた。

彼の薄い身体から、血塗れの金属が生え出し、てらてらと鈍く光る。

「うっ…」

「痛いよね」

彼の中に先端を差し込み、内側で回すように動かす。

柔らかな内臓を引っ掻き回される痛みとは、どのようなものなのだろう。

「ひぎ…。ひぃ…ィダァ…」

「かわいそうに」

彼の肩甲骨に顔を寄せる。

無数にあいた傷口を舐めながら、彼を宥める。

その間も、体内を搔き回す千枚通しを動かし続けた。

「あ…ぎ…。く、ふぅっ…ぐぅっ…」

「かわいいよ、きみはかわいい」

味蕾で彼の傷口をこそげ、舐め続ける。

彼の鉄の味は、俺を酔わせ、彼にすがりつきたくなる。

もっと痛みを感じ、苦悶して欲しい。

俺は千枚通しを引き抜くと、彼の柔らかな腹へと突き刺した。

「お、ご、ぁ…」

「痛いね」

彼のうなじを舐め、囁く。

うなじにも、既にいくつもの穴が開いている。

凝固する血液が、傷口を修復しようとしている。

その血餅を唇と前歯で剥ぎ取り、犬歯で広げる。

宥めるようなその動きに、彼が笑う。

きちんとわかってくれているのだろう。

散々に背中を嬲られ、けれど、それを俺が愛しむのを、彼はわかっている。

痛みに身体を震わせながら、彼は俺を許容する。

俺もまた、彼を苛みながら、彼を愛しいと思う。

ぬるつく背を、指先で触り、痛いかと問いながら、優しく嘯く声を、彼はきちんと聞いている。

腹の内を裂かれても、彼は俺を許容する。

その愛情に依存している。

ふと、恐ろしくなる時があるのだ。

彼が愛しているのは、パトカーであって、俺はそれを持っているから、彼はここにいて、俺の行動に甘んじているのではないかと。

欲するもののために、俺を受け入れてくれているのではないかと。

それは、俺でなくてもよくて、パトカーとの繋がりを持つ誰かでも良いのではないかと。

俺個人である必要。パトカーの二番手でいること。

彼の王はパトカーであって、俺はその付属品でしかないと。

じわりと、全身に痺れるような感覚が走り、指先が震えた。

彼を宥める声をも、震え、切ないような声音が口から零れた。

指先に引っ掛けていた千枚通しが、外れ落ち、畳の上に転がる。

彼が異変を感じ、こちらを向く。

涙で濡れたまなこが、俺をひたと見据え、俺の頭の中を見透かすように。

深く、深く、その湖面が波打った。

「おまわりさんでないと、だめなんですよ」

流れ続ける血潮を背負い、彼が俺の頭に手を置いた。

「ゔ…」

呻くのは俺だった。

彼の手のひらに覆われ、幼い子供のように、嗚咽を漏らすのは、俺であった。

結局のところ、俺は彼に救われているのだ。

ひとりになるのは恐ろしい。

家族がほしい。

けして外れ落ちぬ、かすがいのようなものが。

そのかたちが、暴力とセックスを孕んだ、まっとうなものでないとしても。

俺は彼を手放すわけにはいかないのだ。

そして彼は、日を重ねるごとに、俺にあらたなかすがいを打ち込む。

依存しているのは、俺なのだ。

涙が熱く、鼻を突いた。

けれど、あふれるものは無く、彼の手のひらの感触だけが、俺の悲しみを堰き止めている。

「いいんですよ、おまわりさんが…。おまわりさんでなければ…」

「俺もだ…」

愛の告白のようなそれは、実際のところ、そうではなく、深い梏桎の宣言である。

その覊束は心地よく、俺は、心の臓から、安寧を得た。

彼を抱き寄せ、彼の頭に鼻先を埋めながら、深く息を吸う。

鉄錆に、少しのガソリンのにおい。

手の中にある、彼の傷口を、爪で掘りながら、

「きみを殺してもいいか」

そう問える、なんと贅沢なことか。

そうして彼はにっこり笑って、

「そうしたいなら、そうしてください…」

と、俺を受け入れる。

薄い唇が、俺を捕縛する。

一切の暴力も強制もなく、彼は俺を搦め捕り、そのまなこに深く深く、沈めるのだ。

それが俺には心地よく、黄泉路のような彼の身体に口づけ、ゆっくりと登り行く。

暴力と性をない交ぜにして、それでもなお許される、怪異にこころを委ねた。

取り落とした千枚通しを、彼に向かって再び突き立てる。

細い細い、春の日の、さくらが血潮の水面に花筏を作る。

そんな、やわらかな夜の逢瀬であった。





2017/04/14


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