第7話死なないねこ
異変を感じているのだ。
明確な身体の不調ではない。
結果としては、プラスにすらなるのかもしれない。そうは言っても、それがあまりにも俺の常識を超えていて、おかしいのだと認識する。
例えば、だ。
調理の際に、包丁で指を切ったとする。
まな板の上に、ぽたぽたとしずくを垂らす深いやつだ。
絆創膏を貼って寝て、朝貼りかえようとすると、既にそこに傷はないのだ。
小さな傷ならば、たまたま治癒力が高い時だっただとか、切り口が鋭利だったのだと説明がつくのかもしれない。
それが大きな傷…指をジャッキで挟んでしまって、凄まじい激痛に悲鳴をあげた後だ。
赤黒くうっ血した指と割れた爪を疎ましく思いながら、どうにか一日を終えて、翌日。
見るからに、そのうっ血は色が薄くなり、指を曲げても痛みを感じないほどになっている。
爪に至っては、割れてしまったどころか、二枚爪にもなっていない。
そんな些細であるが恐ろしく思える変化を、彼の前で話すと、彼は少し眉をあげて、にっこりと微笑んだ。
「あぁ…おまわりさんにも伝染るんだ…」
間延びした声音に、俺はかっと目を見開いた。
彼が特異な体質であるのは知っている。
怪我をしても、一晩で治癒するだけではない。腐敗する程の死体になったとしても、じきに動き回り、人間の形に戻る。
ひどく鈍い痛覚や、額を割った時の止血の速さ。
最初は確かに、冗談か夢の類だと思った。けれど、何回布団の上で目を覚ましても、パトカーを見にやってきた彼は、あっという間に頭からの出血をとめて見せるし、死骸となっても蘇生する。
それがもし、自分に伝染し、そのようになるものであるとしたら。
思わず俺は、彼に食ってかかり、胸ぐらを掴んで問い質した。
「ひっ…!あ、あぁ…あの…あの…ヒィッ…!」
彼は萎縮して、言葉を発するどころでなくなってしまう。
それに途端に頭が冷えて、すまなかった、と、服を正してやる。
「わかることだけ、話してくれ」
俺の言葉に、彼は、恐る恐る口を開いた。
彼の体質は、伝染する。
長く時間を共有すれば、より強く伝染する。
かと言って彼のようにほとんど半不死になったものはいないという。あくまで、治癒力が高く、老化に対して鈍感な生き物になるのだと。
飼育するねこも、猫又と呼べる年を越えて生きており、外でどんなにひどい怪我をして帰ってきても、翌朝には必ず、彼を起こしにくるという。
飼育した虫や蛇は、平均寿命の倍を生きて死んだそうだ。
納得がいくいかないは問題でなく、異変に感じていたものは事実として自分自身が体験している。超常現象じみた事象に慣れていくというのも恐ろしいことだが、今の所感じるのは恐怖よりも便利さだけで、なんとも複雑ではある。
俺はすっかり元通りになっている指の怪我を思い出して、まぁこのくらいならと、妥協点を決めた。
「今ぐらいなら、まぁ。うん。便利と言えば便利だし」
「…多分、指を切り落としても、生えてくるくらいにはなってると思いますよ…」
へら、と笑う彼は、恐怖を煽るのではなく、本心からいいことだと思って教えてくれているのだろう。
「それは…生えてくる過程を思うと、複雑な気持ちになるな…」
「でも便利になると思いますよ…色々…。あっ…試してみましょうか…」
「指を切り落とすのを?そんな治るまで不便なこと勘弁願いたいなぁ」
笑い流して、俺は事務机に座る。
散らかった書類を整頓し、午後の作業予定を決めようと、メモ紙を一枚切り取った。
「いえ…指はあんまりおいしくなさそうなんで、他のところがいいですね…」
不穏な発言に、俺が振り向いた瞬間、側頭部にかたいものがぶち当たった。
ああくそ、こいつは、変なところで思い切りがいい。
おまわりさんが、治癒力がどうのと話し始めた時は、なにを言っているんだと思ったのだけど、話が進むにつれて、ぼくはわくわくしてたまらなくなっていた。
だから、先日使った硬質ゴムのハンマーがポケットに入りっぱなしだったのを思い出して、すぐに行動した。
「あ、あぶない…」
ぐらんとして、おまわりさんが椅子から転げ落ちそうになった。ぼくはおまわりさんを引っ張って背もたれに身体を預けさせる。
椅子に座ったまま気を失ったおまわりさんをお風呂場に運ぶ。
キャスターのついた椅子は、こういう時とても便利だ。
おまわりさんが暴れて逃げないように、ロープとガムテープでぐるぐる巻きにして、口にはタオルで猿轡を噛ませた。
さて、どこを食べさせてもらおうか、と考える。
ぼくに食人の趣味があるわけではないのだけど、おまわりさん個人となると、なんというか。
パトカーさんを見ていて、食欲が湧くのと同じだ。
でも、パトカーさんはきっとどこを取ってもおいしいだろうけれど、おまわりさんには骨があるし、場所を選ばないと食べられたものじゃないだろう。ぼくは骨付きのチキンとか、ああいう類のものを食べるのが苦手なのだ。尾頭付きの魚なんて、おっかなくてうまくのみこめなくなってしまう。
ぼくがきちんとしておけばおまわりさんを殺してしまっても、問題ないことはわかっている。でも、本当に殺してしまったら、おまわりさんが今日のことを忘れてしまうかもしれないのは少し悲しい。きちんと覚えていてほしいし、覚えていない方がいいときは忘れてほしい。ぼくとしては、ひとのおまわりさんを扱うのはとてもむずかしいもんだいだった。
どうしたものかと思いながら、ぼくはスマートホンをいじくって、クックパッドを開いた。
なによりも食欲を優先してしまうのはしかたがないことなのだ。
「わぁ…これがおいしそう…」
それは、ベイクドポテトのページで、切れ目の入ったじゃがいもに、チーズとベーコンが挟まれ、よく焼かれている。とろんと垂れたチーズに、かりかりのベーコン。じゃがいもの代わりをおまわりさんがしてくれるなら、ベーコンはなくてもいいかもしれない。
確か、チーズと塩こしょうはおまわりさんの冷蔵庫に入っていた。
焼くのは少し難しいかと思ったけれど、道具箱の中にガスバーナーを見つけたことで解決した。
「ふくらはぎが…赤身でおいしい気がするなぁ…」
制服のズボンを、膝の上までたくし上げながら、肉を削ぎ落とそうか迷う。
でもどうせなら、骨つきの方がミタメがかっこいい。料理のミタメは大切だ。
でも、角度が悪くて、このままでは切れ目を入れるのも大変だし、切れ目がうまくできたとしても、チーズが落ちてしまうだろう。
ぼくは、倉庫にあったスレッジハンマーに頼ることにした。
この交番には、地域柄なのか、農耕に使うものも多く収納された倉庫がある。
以前おまわりさんが、お年寄りに呼び出されて半日畑を耕した、なんて話を聞かされたこともある。
なんにも事件なんてないから、日がな遊んでいるのかとおもっていたけれど、おまわりさんは意外に苦労人だったようだ。へいわなことはいいことである、
そんなおまわりさんの膝に向かって、ぼくは思い切り、杭打ちよろしくスレッジハンマーを振り下ろした。
おまわりさんのひざ関節は、骨が砕ける湿っぽい音を立てて潰れた。
「ングゥッ…!?ウグッ…!?」
きっと本来は絶叫とともに、おまわりさんは目を覚ましたのだろう。まぁ、タオルに塞がれて、大きな悲鳴にはならなかったけれど。
ぼくは、ぶらぶらになったおまわりさんの足を思い切り捻り、ふくらはぎが天井を向くようにした。
「グッ…ゔ、ヴヴゥゥッ…!!」
がくがくとおまわりさんが体を震わせている。
きっとおまわりさんは、ぼくほど痛みに強くないから、かわいそうなことをしてしまったかもしれない。
ぼくは、包丁でおまわりさんのふくらはぎに切れ目をいれる。
筋の多い肉には、なかなか包丁が入らなくて、何度も刃先を往復させる。
ぼたぼたと溢れる血のせいで、刃先が滑って大変だ。なおのこと、上向きにしてよかった。足首をぼくの太ももでぎゅっと挟んで、ぐいぐい、ちからを込めて包丁を動かした。
捻られた膝は、太い筋や骨の刺さった肉や皮でまだ繋がっている。ここの痛覚もきちんとしているのかもしれない。
「ごめんね、おまわりさん…でもすごくおいしそうだから…」
涙をぼろぼろ流して、タオルを噛み締めて、おまわりさんはぼくを見ている。
何度も切りつけている間に、だんだん血の量が減ってきた。
意図せず血抜きもできたのかもしれない。
ざっくりと切り開かれたおまわりさんの足に、とろけるチーズを詰め込んでいく。
おまわりさんが体を動かして暴れているけれど、ぶらぶらになったふくらはぎまで動かすことはできないようだ。蹴とばされないようにだけ、ぼくは気を付けながら作業を進めた。
ガスバーナーで、炙っていくと、ガスの匂いの中に、肉の焼けるにおいが混ざってくる。
ぼくはじわっとわいてきた唾を飲み込みながら、少しずつおまわりさんを焼いていく。新鮮だし、レアでもいいだろう。
チーズに焦げ目をつけながらとろかして、塩こしょうをかけて、ようやくおまわりさんのベイクドポテトができあがった。
ポテトは使っていないけど、料理が大の苦手なぼくにしてはとてもおいしそうにできたとおもう。
かぶりつくと、熱くてすぐには食べられない。
それに、固い赤身肉は噛み切るのも大変だ。
丸ごとかじりたかったけれど、仕方なく、おまわりさんの足から肉を削ぎ取って口に入れる。あふれる唾を飲み込んで、上を向いて口を開ける。つまみあげたおまわりさん肉をチーズと一緒に口の中に落とした。
じゅわっと広がるおまわりさんの味。
ガソリンほど素敵ではないけれど、期待した通り、おまわりさんはとてもおいしい。
「おまわりさん…おまわりさん、すごくおいしいですよ…」
夢中になって、おまわりさんの肉を口に運んだ。
おまわりさんがぼくを見ているので、欲しいのかと思ってタオルを外す。
途端に、おまわりさんに怒鳴りつけられた。
「こんな…、こんなことして…!お前…!ふざっけんなよ…!」
タオルがすれてしまったのか、唇から血をたらして、おまわりさんはものすごい剣幕でぼくに言う。声の爆風が、ぼくの顔面にあたって吹き飛びそうになった。
「ヒッ…ふ、ふざけてないです…。おまわりさん…おいしそうだから…やっぱりおいしかったし…ちゃんと食べますから…怒らないで…。怒鳴らないで…」
おまわりさんの大きな声はおっかない。身体も大きいだけあって、低いのによく通る声は、怒声としてこちらに向けられた時は、見えない塊がぼくにたたきつけられているようだ。
食べさせてあげようと思っていたのも忘れて、ぼくは残りの肉を口に運ぶ。おいしさは、怖かった気持ちをあっという間におなかの中から追い出した。
噛めば噛むほど味が出る、なんて言葉がぴったりで、もう一本あるのだし、もう一本…さすがにそれはもっと怒られてしまうかもしれない…。
ぼくは、おまわりさんの肉をすっかり食べ終えて、骨になったふくらはぎを見る。
さて、どうしようかと考える。このまま放っておいておそのうち治るだろうけど、そのうちまで放っておくのはかわいそうに思えた。
おまわりさんは、ぜえぜえと息を切らして、天井を仰いでいる。
とりあえず足の向きを元に戻した。
ねじくれた膝を正しい向きに戻すと、おまわりさんはまた絶叫した。タオルを噛ませてなかったのでとてもうるさい。
傷口は、すっかり出血がなく、これは放っておいてもまた肉が生えてくるだろう。
膝は少し時間がかかるかもしれないので、ガムテープでぐるぐる巻きにして、ぶら下がらないようにしてあげた。
「あぁ…クソ…。なぁ、足がもう、あんまり痛くねぇんだよ…」
「早いですね…。じきに生えてきますよ…」
さすがに骨がむき出しになったままズボンを履かせるのはどうかと思ったので、薬箱の包帯をぐるぐる巻きつけてから、ズボンを戻した。
肉が戻るまで足を引きずっていても、怪我をしただとか言い訳がきくだろう。
ぼくなりの優しさだ。
おまわりさんの拘束を切っていく。ガムテープをべりべり剥がしロープは結び目をほどいて、また使えるように一本のままで。
身体が自由になった瞬間、おまわりさんに思い切り殴られた。
と言っても、足に力が入らない攻撃だったので、さして痛くもなく、ぼくは鼻血を出すくらいで済んだのだけど。
口の中にいっぱいにひろがる血の味は、なかなかどうして悪くない。
「お前…これ覚えとけよ…。クッソ…絶対返してやるからな…」
「えぇ…パトカーさんで轢いてくださいよ…。おまわりさんのはそんなに…。えぇ…要らない…。ちょっと要る…?でもパトカーさんがいいなぁ…パトカーさんに下半身を…」
「あぁもう…。考え込んでないで、椅子押して。机のとこまで戻して。あー、痛くない…痛くないってことは仕事の続きしなきゃ…」
ぼくが椅子が、ガラガラと音を立てて、おまわりさんを運ぶ。
苦々しい顔で書き物をはじめるおまわりさんに、玄米茶を淹れてあげた。よくよく考えたら、おまわりさんはお昼ご飯を食べ損ねているのだけど、言ったらきっとぼくをこき使うだろう。それは困る。黙っていよう。
机に向かってしまったおまわりさんを、パイプ椅子に座ってしばらく眺めていた。
でも、こうしていると眠くなってしまう。おなかも膨れたし、パトカーさんに今日のことを話そうと思った。ぼくは交番から出て、車庫に向かう。
パトカーさんは、さっきのおまわりさんの絶叫を聞いていたみたいだ。それに、ぼくとおまわりさんがしていた話も、とぎれとぎれに。
でも、ぼくは最初からきちんと説明した。
今日見た夢の話。おまわりさんがおいしかったはなし。そして、おまわりさんがだんだんぼくに近づいてきているはなし。
「おまわりさんも、いつか死ななくなるといいなぁ…」
ぼくの言葉に、パトカーさんは黙ったまま、そうなるといいね、と、同意してくれた。
了
初出20160128
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