第6話ぼくはもっとおまわりさんをすきになりたい

「おまわりさん…」

ぼくは、ポケットに手を突っ込んだまま、おまわりさんを呼んだ。

今日は一際やる気のない顔をして、おまわりさんはぼくに挨拶をした。

ぼくは、少しだけかわいそうだなと思いながら、おまわりさんの頭に、隠していたものを振り下ろした。

固いゴム製のハンマーを受けて、おまわりさんは小さな悲鳴をあげて倒れこんだ。

うまく脳みそが揺れたんだろう、おまわりさんは白目を剥いて、床に転がった。

金属のハンマーよりは柔らかいせいか、頭蓋骨がへこんでしまうことはなかったけれど、擦れた傷口から血が出てしまっていた。

頭を手のひらで持ち上げると、ぼくの指をおまわりさんの血がぬるぬるにした。薬指と中指についた血を舐めながら、すごく痛かっただろうし、かわいそうなことをしてしまったなと思った。

おまわりさんの血に夢中になっている場合ではないのだ。

「おまわりさん、ちょっと…失礼します…」

ぼくは、おまわりさんをずるずると引きずって、車庫の中まで運んで行った。シャッターを閉めると、ぼくとパトカーさんとおまわりさんだけの空間が完成する。

おまわりさんのポケットに、パトカーさんの鍵が入っていることは知っていたので、ドアを開けておまわりさんを後部座席に押し込んだ。ひきずるのとは違って、持ち上げるのは本当に大変で、ぼくを仮眠室へ運ぶおまわりさんは、やっぱり強いんだと感心した。

おまわりさんは、後部座席に座り、頭をグラグラさせている。

パトカーさんのシートベルトを引っ張り出してとめてあげた。これで座席から転げ落ちてしまうことはないだろう。

内側からは開かないドアだけど、おまわりさんが中で暴れてしまうと、パトカーさんが大変なので、どうにかして動かないでいてもらいたかった。

車庫にあった道具箱には、ガムテープも入っていた。

おまわりさんには、自分の身体をぎゅっとしてもらって、ぼくはその腕が下に落ちてしまわないようにガムテープを貼っていく。両足も揃えて、しっかりとテープを貼り付けた。

「だいじょうぶかな…」

腕と足を引っ張ってみても、ずれたりはずれてしまったりはしなさそうだった。

安心したぼくは、運転席に行ってパトカーさんの給油タンクの蓋を開ける。

ぱこん、と音を立てて開いた小さな四角い扉から、給油口のキャップが見える。

くるくる回してキャップを外すと、ぼくの大好きなにおいがふわんと流れてきた。

ぼくは、給油キャップを舐めたいのを堪えながら、パトカーさんのガソリンを大きなペットボトルに三本ぶんほど分けてもらった。

あの甘くて痛い、いいにおいの液体を思い出すと、口の中に唾がわいて、食欲がとまらなくなってしまう。

ぼくは、だめだめ…と我慢して、パトカーさんの給油口の蓋を閉めた。

ガソリンを小さなパックに詰め替えて、点滴のように針を刺せるキャップをつけていく。

もちろん、ここに刺すのは点滴の管と、それに繋がった針だ。

ぼくは、お医者さんじゃないけれど、これを腕に刺すのは、きっと見よう見まねでもできる。

ガムテープの隙間から、おまわりさんの手先は出せるようにしておいたので、ゴム管で手首を縛って、手の甲に針を刺して、絆創膏を、抜けないようにしっかり貼り付けた。

もちろん、最初にアルコールで消毒するのも忘れずに、だ。

ぽたん、ぽたん、と、おまわりさんの中にガソリンが入っていく。

パックは、天井についた手すりにひっかけておく事にした。とてもいい位置だ。

ふと、おまわりさんが、呻き声を上げた。急がなくちゃ、起きてしまうかもしれない。

おまわりさんの反対の手にも、点滴の管を刺す。

けれど、こっちは入れるのではなく、出す方だ。

おまわりさんの真っ赤な血が、ぽたん、ぽたんと、空のペットボトルに溜まっていく。

こうしておけば、じきにすっかりおまわりさんの中身は、血液からガソリンに入れ替わるはずだ。

ぴゅるぴゅる、ぽたぽた。

どちらもぼくの好きなものだったけれど、今日はおまわりさんにガソリンを入れる日と決めたのだ。うっかりよそ事をしてしまわないように、ぼくは助手席に座る場所をうつした。

じっとおまわりさんを見ていると、おまわりさんが目を開けた。

「おはやうございます…」

ぼくは、さっき言いそびれてしまった朝の挨拶をした。

おまわりさんは、目を見開いて、周りを見て、自分の状況がわからずに悲鳴をあげた。

大きな声は怖いから、ぼくはちゃんとおまわりさんの口にガムテープを貼っておいたのだけど。

もがもが。おまわりさんが話す。

パトカーさんと違って、おまわりさんにはちゃんと声を出して貰わないとぼくにはわからない。

パトカーさんなら、黙っていてもちゃんとわかるのに。

でも、状況を説明してあげないのは、あんまりだと思ったので、ぼくはおまわりさんに説明してあげることにした。

「あの…落ち着いてください…。えっと…今、おまわりさんの中を入れ替えているんです…。おまわりさんにガソリンを…へへ、入れたら…ぼくの大好きなパトカーさんの…ガソリン…。それが、ぼくの好きなおまわりさんに入るんですよ…。そうしたら、うふふふ…。ぼくのすごく好きなものに、おまわりさんがなるなぁって…思って…。そうしたら、ぼくは…おまわりさんのことを…もっとすきになれるとおもうんです…」

おまわりさんが、ぼくに向かって目を見開いている。喜んでくれるだろうか。

ぼくは、ひとに対して、こんなに自分が思っていることをきちんと話したことはないから

きちんと伝わってくれるだろうか。

「だから、暴れないでください…。大丈夫ですから…。ちゃんと、今日のおまわりさんは、何かあっても…ぼくと一緒で……明日には元に戻ってます…。そういう風に…しておきましたから……」

おまわりさんは、動けないのに体をばたばたさせようとする。

針が変な風に抜けて、空気が入ったりしたら、ガソリンじゃないものが入ってしまう。

そう言ってもおまわりさんは聞いてくれないので、ぼくは、身を乗り出して、さっきのハンマーでおまわりさんの顔を何回か叩いた。

叩く回数に連れて、おまわりさんは、おとなしくしてくれるようになったのだけど、鼻血を吹き出してしまって、呼吸がうまくできないみたいだ。

窒息は苦しいらしい。もっと暴れたらこまる。

それに、全部入れ替わる前におまわりさんが死んでしまったら大変だ。慌てて後部座席のドアを開く。

手を伸ばしておまわりさんの口のガムテープを剥がしたら、血と唾液の混ざったやつが、どろどろと溢れてきた。

服の袖でそれを拭ってあげようとしたら、おまわりさんは勢いよくぼくに噛み付いてきた。

おまわりさんの犬歯が、ぼくの手の甲を強く引っ掻いて、食い込んで、けれどどろどろで滑って、噛み付くことはできなかった。

「痛い…。危ない犬歯ですね…おまわりさん…だめですよ…」

ぼくは、噛まれないように気をつけながら、おまわりさんの頭をヘッドレストにくっつけて、ガムテープで止める。パトカーさんにべたべたが残ってしまうだろうか。剥がすときは慎重にやらなければいけない。

「なんなんだよ。君はこんなことする奴じゃないだろ…!」

ぼくは、道具箱を探って、中からペンチを引っ張り出すのに夢中で、答えられない。

おまわりさんのほっぺたにガムテープをつけて、後ろに引っ張るように固定する。

それを両側にやると、おまわりさんの大きな危ない犬歯は剥き出しになるのだ。

「ふぉひ、ふぉひ…ひゃうぇ…」

おまわりさんは、変な声しか出せないのに、頑張ってなにか話している。

「あの…ですね…。おまわりさん…。この犬歯は…とても危ないので…抜いてしまいますね…」

おまわりさんの膝の上にまたがって、ペンチで、犬歯をつかむ。うっかり割ってしまわないように、力加減に集中する。

おまわりさんは、空気の抜けるばかりの悲鳴をあげて暴れようとするけれど、もうおまわりさんが動かせるのは手首くらいしかない。

これも掴まれると危ないので、後で指を切っておくかした方がいいかもしれない。

ペンチでぐっと掴んでも、少し力を抜くと滑ってしまうし、かといってあんまり強くすると砕けてしまう。

力加減が難しい。しっかり掴んだまま、何度も揺さぶって、少しずつ抜くことにした。

ぎし、ぎし、と、おまわりさんの歯茎が音を立てる。

緩むように何度も揺さぶる内に、真っ赤な血が溢れ出てきて、ペンチが滑る。

ただでさえ、おまわりさんが息をしたり悲鳴をあげるたびに、止まっていない鼻血が飛んだり、血泡が散るのでパトカーさんが汚れてしまう。

もう少し血を出すのを控える努力をして欲しい。すごく丁寧に後片付けをしよう。絶対だ。

ぎしぎし、ぎちぎち。

おまわりさんが白目を剥いて、低い呻き声を上げながらがくがくと体を震わせている。

めちゃくちゃに暴れはしない。おまわりさんはものわかりがよくて、それはとてもいいことだ。

ぼくは力を込めたまま、少し強く揺さぶりながら歯を引っ張った。

ずるっと歯が抜けて、ぼとぼとと血が落ちてきた。

おまわりさんの犬歯は、血を拭けば真っ白で大きくて、とてもきれいだったので、ぼくはそれをポケットにしまう。

おわったのか?と、おまわりさんが空気の抜けた声で言う。

何を言っているんだ。大きな犬歯は二本ある。ぼくでもそれくらい知っているんだぞ。

もう一本をペンチで掴み、また少しずつ揺すっていく。

さっきのでコツがつかめたので、力加減だけ間違えないように、激しく何度も揺する。

「アァアッ…アァアアッ…!」

おまわりさんが変な声を出して痙攣している。

がくがく揺すっていると、二本めも抜けたので、それもポケットにしまう。

ガソリンのボトルを取り替えて、おまわりさんを見ると、血泡を吹いて痙攣しながら気を失ってしまっている。

仕方のないおまわりさんだ、と思ったけれど、これで指を切る手間が省けたようだ。

狭い車内で身をよじって歯を抜いたり、指を切ったりするのは大変だから、あんまりやりたくなくなっていたのだ。

おまわりさんが大人しいうちに、入れ替え作業を進めてしまおうと、点滴を速くして、瀉血も多くする。

するとどうだろう。

どんどんおまわりさんの肌は真っ白になっていくのだ。

真っ赤な赤血球で、人間の体に赤みが生まれているのだとしたら、透き通る薄いオレンジ色のガソリンを入れ続けていけば…おまわりさんは、殆ど肉の色だけ…透き通るような真っ白な肌に変わっていくのだ。

ぼくは、すごい発見をしたと喜んだ。

おまわりさんは、どんどん真っ白になっていく。

最初こそ、体を痙攣させて動いていたおまわりさんが、動かなくなってしまった。

それからしばらく経って、瀉血されるものは血ではない、薄っすら赤く色のついたガソリンになっていった。

とうとう、おまわりさんの中身はガソリンになったのだ。

ぼくは、嬉しくて嬉しくて、ガソリンのにおいが充満したパトカーさんの中で、泣きそうな程喜んだ。

ガムテープを全部剥がして、血で汚れた顔を拭いてあげる間も、おなかがぐうぐう鳴る。

もう我慢できない。ぼくは、この為に、パトカーさんの中で、パトカーさんに見守られながら、おまわりさんをぼくのすごく好きなものへと変えたのだ。

包丁でそぎ落としたおまわりさんは、苦くて甘くて痛くて、味わうたびにぼくの口の中と喉を焼く。前歯で噛んで、奥歯がおまわりさんをすりつぶす。大きい塊を飲んでしまって、苦しくなる。喉を過ぎれば、また次のお肉が欲しくなる。

噛むたびにガソリンが染み出し、ぼくの脳みそに、警鐘を鳴らす。

食べ進める毎に、胃袋がひっくり返りそうになって、頭も体もどうにかなりそうだ。

くるくるきゅるきゅる、視界が回って、でも吐き出すなんてとてももったいなくてできやしない。

パトカーさんの中でぼくは、おまわりさんの殆どを、食べる喜びへと費やした。

おなかが膨れていく。とてもじゃないけれど、おまわりさんを全部一度におなかにいれるなんてできやしない。

「ん…」

おなかがいっぱいだ。少しだけ休憩したい。時計の針が四十五分をさすまででいいから、ちょっとだけ。

ぼくは後部座席に寝転がって、おまわりさんを枕にした。

ぬるぬるで湿っていて、やわらかくて、おまわりさんは気持ちがいい。

ほんの少しだけ、待っていてくださいと、ぼくはそう言って目を閉じた。



「おい…!こらっ…!」

「うっ……なんですか…うるさい…」

ぼくは頭が痛いし、もっと寝ていたい。

なのに、おまわりさんが、ぼくをゆさゆさやって起こすのだ。

「なんで全く…いつの間にパトカーの中に入り込んで…一晩寝てたの?」

ぼくは、目をこすりながらおまわりさんに言われるままに、交番に引きずられていく。

「だいたい、鍵をどうやって…。どうしても泊まりたいなら、せめて声をかけるとか…いや、許可はできないけど…泥棒だと思うじゃない」

おまわりさんが、仮眠室にぼくを放り込んだ。

ぼくはまだ眠たいし、たくさん食べたガソリンのせいか、目の前がきらきらチカチカする。

おまわりさんの顔を見る。

ガソリンを入れる前の、人間の肌の色だ。

もう少しと思ったのに、何回四十五分になってしまったのだろうか。

全部が全部、生き返ってしまうのにどのくらいかかったのだろうか。

パトカーさんの中で、ぼくとおまわりさんはどのくらい眠ってしまったのだろうか。

ぼくの知らない時間のことを、明日目が覚めたら、パトカーさんに聞いてみようと思う。

ぼくは、ポケットの中のおまわりさんの犬歯を指で触りながら、ぺちゃんこの布団に潜り込んで、なかったことになる前の夢を、もう一度味わいに出かけた。




初出20160123

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