第21話 炭焼き
「あっ…」
彼が小さく声をあげ、よく冷えたショーケースへと手を伸ばした。
彼が赤身肉が好きなのはよく知っているから、俺もとめなかった。
昼が過ぎたあとの空き時間に、俺はたびたび、立ち寄り場所に顔を出すついでに買い物をする。
買い物についてきた彼は、俺の持ったカゴの中に、サシなんて一本も入っていない、お値打ち品の赤身肉のパックを落とし込んだ。
「おまわりさん、これがたべたいです…!」
彼が指差したのは、バーベキューを煽るポップで、その横には、いかにもうまそうな動画が、据え置かれたタブレットでリピートされている。
「あー…」
最近、ずいぶんと炭火焼の肉なんて食べていない。最後に焼肉屋で食べたのも、年末くらいだっただろうか。その前の忘年会だっただろうか。
めっきり飲み会を断る日が増えていて、そういったご馳走めいたものからは、すっかりと縁が薄くなっていた。
「バーベキューは無理だけど、七輪なら倉庫にあったな…」
「…!おまわりさん…!串…!ぼく串に刺したやつが…!いいです…!」
彼が俺の服をつかんで引っ張る。
普段ならじっくり吟味するお菓子売り場を通り抜け、細々した日用品や、文房具を横目に、紙皿と鉄串の置かれたコーナーまで連れて行かれた。
「わざわざ買うの?使い捨てとかでよくない?」
「かっこいいですよ…!五本も入ってる…!」
彼が、鉄串をカゴにいれて、興奮した面持ちで説得してくる。
値段を見ても、そうめちゃくちゃに高いものでもなく、せっかくならと後押しされ、カゴに入れたまま、食品の買い出し作業に戻った。
彼が俺の分の肉をカゴに入れる。同じような真っ赤な肉だった。
「おまわりさん…おやつ見てきますね…!」
そう言った彼が、幾つかの菓子を持って近づいてくるのを、気づかないふりをして撒いている間に、買い物の時間は思ったよりも長くなってしまっていた。炭を買うのに、ホームセンターにも寄らないといけないのに。
彼を急かしてホームセンターへと向かう。
「帰ったら…赤身肉ですね…!」
彼は、炭の箱を膝に乗せて楽しみそうに言った。
ホームセンターでの彼は、工具だとか農耕器具売り場に誘われるように歩いていくので、パーカーをつかんで犬の散歩のように炭を購入することになった。
炭を持たせてパトカーに乗ると、彼はダンボール箱を撫でながら、何度も楽しみだと繰り返した。
あんまりにも彼がわくわくした声で言うものだから、俺も少し楽しみになって、パトカーのハンドルを握っていた。いつもよりアクセルが軽く感じた。
帰って早々に、俺は赤身肉を刻んで、串に刺した。
彼は、塩胡椒を振るのを手伝ってくれた。バットに並べた肉を見ながら、何度か唾を飲み込み、つまみぐいを堪えている。さすがに生肉を食べさせるのは気が引けるので彼の手からそっと肉の皿を遠ざけ、冷蔵庫に入れた。
包丁を洗って、外に出ようとすると、彼は俺の後ろをついて歩く。埃っぽい倉庫の中でも、きょときょととしながら後ろにいた。
時折、厚く積もった埃を指で撫でて、灰色のそれを舐めようとするので、目を離すことはできなかったが。
雑多に物の積まれた倉庫に置いてあったのだから、七輪も例外でなく砂の混じった埃を腹にため込んでいた。
水で流し、拭き取って、使えるようにしている間も、彼は俺の周りをちょろちょろしながら、今はなにをしているのかと覗き込んでくる。普段なら、すぐに他のものに興味をうつすのに、今日は随分と集中力が長続きしている。
「炭をおこせる?」
俺がそう聞くと、彼は首を横に振った。
せっかくだし教えてやろうと、七輪の中に炭を入れ、細かく砕いた炭を起点に、新聞紙を使って火種を作る方法を教えてやった。彼はじっと七輪を見つめながら、温度が上がっていくのを興味深そうに見ていた。
手をかざし熱を受け止めて遊んでいる。放っておいたらやけど遊びに発展しそうで、俺はやんわりと彼を火の前から引き離した。彼の手のひらは、赤く熱を持っていた。
「肉焼くから、手をどけて」
「お肉…!はやく…!おまわりさんはやく焼いて…!」
急かされながら焼き網の上に串肉を乗せると、ゆっくりと色が変わっていく。
肉の表面でふつふつと脂と水分が泡立ち、香ばしいにおいが煙と共に拡散していく。
彼が、もう食べられるかとしきりに尋ねてくるので、俺は焼き色を見ながら軍手越しに串をつまんで肉をひっくり返しては、まだ赤いところがあると繰り返した。
五本ある串肉を全部並べることはできなかったので、焼きあがった肉を皿に置く。
すると、手が伸びてきて、鉄の串をつかんだ。熱かったのか、一瞬指が引っ込み、つまむようにして持ち去っていった。
かぷりと熱い肉を前歯で捉え、噛み切ろうとするが、肉質が固くて叶わない。串から肉切れを抜き取り、頬を膨らませて咀嚼する。
髪の毛の隙間から見えた目が見開いて、彼の中で衝撃的な味だったのが伝わってくる。
噛み刻んだ肉を、ごくりと飲み込むと、興奮した面持ちが俺を見た。
「全部焼きあがってからご飯と一緒に食べようと思ってたんだけど」
「…!んっ…!ご、ごめんなさい…!あんまりおいしそう…おいしい…すごく…こんなにも…」
彼が熱い息を口から零しながら、もう一枚、串から肉きれを抜き取る。
そう言われて、手を伸ばさないでいられないほど、俺の腹は膨れてはいなかった。
鉄串の肉を噛み、犬歯で裂く。舌に満ちる甘いような肉の味と、塩胡椒の風味が鼻に抜け、大変な美味であった。
炭火で焼けば、安肉でも二等級あがる、なんて言葉を思い出したが、それも満更大袈裟ではないのかもしれない。
残りの肉を焼きながら、俺たちは、先遣隊をすっかり腹に納めてしまった。
「冷蔵庫からビール持ってきてよ」
「あ、はい…!」
七輪に向かって団扇をぱたぱたさせながら、彼の持ってきてくれた缶ビールを足に挟んでプルタブに指をかける。彼も彼で、先程買った至極甘いカクテルをちびちびと啜っている。
何処で覚えたのか知らないが、彼は甘い酒を存外に好んで、俺の晩酌に付き合うことが度々あるのだ。
見た目は中学生、いいとこ高校生になるかならないかの彼の年齢を、未だに知らない。そもそも、怪異の具現である彼に、年齢なんてものが。それこそ、何処までそんな、年齢や性別だとかのひとの括りが通用するのか、俺は知らない。
俺はなんとはなしに、彼がこのあたりの土地神かなにかでも納得できるような気さえしていた。それもまた、夢があっていい話だと思う。
けれど、実際の彼は、メシも食うし酒も飲み、トイレにもこもるし性的な興奮も覚える。ただ、死んで生き返る。それだけのことなのだ。結局のところ、詳細について言及する気はまるでなく、俺は七輪の遠赤外線に顔を炙られていた。
「おまわりさん…!焼けてる…!おいしそう…!」
彼が俺の肩を揺さぶった。
熱くなった串を、軍手越しにつかんで皿に乗せる。刺しきれずに残っていた肉を箸で挟んで、焼き網に乗せているうちに、皿の肉は半分になっていた。
「これだけ食べれば、米いらないなぁ…」
「お肉ならまだぼく食べられますよ…!」
彼は頬を膨らませて、網に乗った肉を狙っている。俺もまた、肉を噛んで腹を満たした。
腹がくちくなると、途端に動きたくなくなった。七輪はまだ熱い。
戯れに鉄串を七輪の中に差し込んで、灰と炭を掻き回した。循環した空気を吸って、火種の赤さが際立った。
そういえば、炭火は数日熱を持ったままと聞いたことがある。俺は軍手をはめ直し、ガレージへと七輪を運んだ。
ガレージは、本来ならパトカーと共に自家用車やバイクを置ける広さがある。
鉄板でも使って蓋をして、広いコンクリートの床の上に七輪を置いておけば、炭火が消えるまで安全に放置しておくことができるだろう。
俺はたばこを吸いながら、五本の鉄串で炭を弄んでいた。
その背後で、彼はパトカーのタイヤにもたれて、しあわせそうにパトカーと話している。
俺の指の先で、加熱された鉄串が俺を誘っている。ちりちりと肌を焼くような熱気が、俺の好奇心を煽ってくる。
炭火の中にたばこを落として、鉄串を炭の中に突き立てた。熱伝導率は高かろう。すぐに焼くような温度になりそうだ。
俺は立ち上がると、ガレージのシャッターを閉める。
「おまわりさん…?」
彼が何事かと問いかける。
俺は鉄串を一本炭火から引き抜いて、彼のパーカーをめくると、外気に晒された彼の腹にずぶりと差し込んだ。
「あ゛っ…!?イッダ…ァァ…!?」
声量のない彼の言葉は、外まで響かない。パトカーにもたれたままの彼を、パトカーに縫い止めるつもりで、奥へ奥へと鉄串を押し込んだ。
背中まで貫くほどの長さがなく、少し残念に思いながら引き抜くと、血を塗られた鉄串が、てらてらと光っている。俺はその串を彼の腹に戻し、七輪から新しい串を手に取った。
彼が、ぎぃ、と、鳴くような声で呻いた。
彼の腹にもう一度鉄串を押し込み、今度は中でぐりぐりと動かす。
「あ゛ーーッ…!ア゛ッ、ア゛ッ…ぁ゛ーー……」
彼はうめき声をあげ、体を跳ねさせる。十二分に加熱された鉄串が、彼のはらわたを掻き回し、焼く痛みとはどんなものか。想像するだにぞくぞくとして、俺はたまらなく満たされた気持ちになる。
「ゔっ…ぐぅ…げっ…げえっ…」
胃袋あたりを掻き回したせいだろうか、彼はえずいて、食べたばかりの肉片を口から垂れ流した。
「せっかく…食べたのに…。んっ…げぇっ…げぽっ…」
言うに事欠いてそれかと、俺は笑った。
「吐き出すのが嫌なら、口を塞げばいいね」
俺は彼の顎を掴む。軍手に彼の胃液が少し染み込んだが、気にすることもなく、鉄串を右頬へと突き立てる。柔らかくよく伸びる頬の肉は、内側に湾曲し、いずれ、ぶつりと音を立てて串の浸入を許した。
彼の歯に鉄串が当たり、かちかちと音を立てる。俺はそのまま串を押し込み、じっくりと時間をかけて彼の左頬まで貫通させた。
ハミを噛まされた馬のように見えて、その姿が少し可愛らしく思えた。
けれど、肝心の口を塞ぐことはできていなかったので、彼の唇をつまみ、上唇から下唇へと、熱く焼けた鉄串を刺し込んだ。最後の一本を彼の下唇から上唇へと通す。
縫われたような彼の唇は、小さな隙間から前歯を覗かせるだけになった。
吐く息が笛のようにひゅうひゅうと音を立てていた。痛々しくて、そしてとても愛らしく思えた。
俺は彼の腹から二本の鉄串を抜き取る。それを箸のようにして、まだ赤々と燃える炭をひとつ七輪から取り出した。彼の腹に近づけると、彼は身を捩るが、火種から逃れる為に暴れることはなかった。
「ふ…ぐぅ……。イ゛…ぎぃっ…!」
彼のへそのへこみに火種を押し付けると、しゅうっと音がして、肉を焼くにおいがガレージに広がった。ぐいぐいと押し込むと、彼は鉄串を噛みながら、引き攣ったような声を唇の隙間から漏らした。
あんまり俺が鉄串で火種を突くので、もろい木炭はぱきりと砕け、彼の腹を焼く二つの火種へと変わっていった。パトカーにもたれていた彼の体が、ひくんと蠢いてずり落ち、腹の上に炭火を置きやすくなった。
俺は、七輪に残っていた炭火をひとつずつ、彼の腹の上に乗せていく。彼は背を反らし、パトカーのホイールに後頭部を押し付けて、何度も痙攣した。
彼の体内に火種を押し込むことは叶わなかったが、七輪を空にする頃には、彼の腹部は焼け爛れ、黒く炭化した表皮が割れ、赤く熟れた肉を晒すようになっていた。崩れた炭がいくつか転がり落ちて、コンクリートを少し焦がしていた。
彼は矢張り頑丈で、未だに意識を失うことなく、鉄串を噛んで呻いている。
ショック死できないのを憐れむことはない。彼は今、俺の与える苦しみだけを受けて、俺は彼だけを見ている。
それこそが、彼の望む救いなのだと、俺は思っていた。
微睡むような穏やかなしあわせも確かに彼はとても好む。けれど、彼の腹の奥に潜む、練り固めた悲しみの種を小さく保つには、それでは足りないのだ。一切の思考を苦痛に向け、さながら注ぎ込む愛情のように、俺は彼の為に彼のことだけを考えて虐待を行う。
それは至極真っ当な、俺と彼のやり取りだった。
彼は眠そうな目で俺を見ていた。
痛みを超過した先にあるのは突き詰めるところ安寧であって、もしかしたら彼はその終着点を求めているのかもしれない。それも、俺の憶測でしかなく、彼の腹の奥を探りきるには、まったくもってなにもかも足りていないのだけれど。
俺は温度の下がってしまった炭を拾い集めて七輪に戻す。念のため、もうしばらくこのままガレージに放置しておいたほうがいいだろう。彼の顔面を貫いていた鉄串を抜き取ると、彼はけぷりと空気を吐いた。浅く呼吸をしている。
軍手のまま、彼の額をぬぐってやると、彼は眠たそうな目をさらにとろんとさせた。頬を撫でてやる。
「俺は片づけをしてくるから」
そう言うと彼は僅かに首を動かしてうなずいた。俺は彼の体を持ち上げてパトカーへともたれさせてやった。彼の唇が、にんまりと笑った。
俺が雑用を終えて戻ってくるまで彼は生きているだろうか。もしかしたら、一時間もしたらけろりとしていて、吐き出したぶん、腹が減ったと食事をねだる気もする。
当初の予定としては、炊き上がった白飯と肉を食べるつもりだったのに、すっかり忘れていたことに気づく。
流しに皿を入れて、炊飯器をあけた。
口を開けた炊飯器から、白い湯気があがる。しばらく前に炊きあがっていた白飯は、すこし潰れてしまっていた。
「……ツナマヨだったかな」
俺は戸棚をまさぐって、ツナ缶を取り出した。プルタブを起こすと、ぱきんと音が鳴る。確か、彼が一番好む具は、これのはずだ。
深皿の中でマヨネーズと和え、具を作る。しゃもじで白飯をすくって手のひらに乗せ、真ん中に具を落とす。
三角にかたちを整え、皿に置いていく。四つの握り飯を作ると、俺は使ったものを洗って片付けた。
彼の様子を見にガレージに向かうと、彼はパトカーにもたれたまま、くぅくぅと寝息を立てていた。
俺はなぜだか少しほっとして、彼を抱え上げる。布団の上にでも転がしておけば、じきに目を覚ますだろう。
「お守りご苦労さん」
パトカーに声をかけるが、やはり返事はなく、俺は少し笑ってガレージを出た。
視界の端で、パトカーのハザードが二回、点滅した。
了
初出20160316
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