第20話 共有しないけれど共通するもの
廊下を裸足で歩く音がする。少しずつ近づく、ひたひたとした足音は、誰かを探しているらしく、時折ドアを開け閉めする音を挟んでいる。
彼がひとを探すなんてのは、十中八九俺のことで、俺はそれに気づいていても声を出したりこちらから呼んだりしない。
彼がいずれ順繰りに回って、俺のところにやってくるのを待っているのだ。
「あぁ…いた…!」
彼は、俺の姿を見つけると、喜びとも安堵とも取れる言葉を口にした。
何か用なのかと尋ねるが、特に用は無いらしい。ただ、いつも見える俺の姿がどこにも無いのが気になっていただとかで。
自分がなにかに夢中になっている間は、俺のことなどお構いなしで、それこそ、俺がこっそり交番を抜け出したとしても気づかないくせに。
彼は、ひとり遊びに耽る子供のようなところがある。ふと、我に返った時に、誰もいないのが嫌なのだろう。静まり返った家の中で、一人であることを自覚するあの瞬間は、俺も感じたことのある寂しさだ。
「暇ならちょっと手伝ってくれない?」
「えぇ…」
俺が聞くと、彼はあからさまに嫌そうな声を出した。
俺は、ビニール紐をしゅるしゅると引き出しながら、積んだダンボールを抑えているように彼に言う。
古紙回収を長く放置していて、溜まりに溜まったチラシだとかダンボール箱だとかを、いい加減片付けてしまわなければいけないのだ。
彼は渋々積み重なったチラシの上に膝をついて、ずれないように抑えてくれた。
俺は、十字に通したビニール紐を、たわまないようにきつく締め、縛っていく。彼は言わずともチラシの束を作って、俺の前に置いてくれた。存外に、彼はこういうことは察しがいい。
まとまった紙の束を隅に避けようと、立ち上がると、俯いた彼のうなじが無防備にこちらを向いていた。
俺は、ざわざわと湧き上がった好奇心を鎮めようと、息を吸う。
俺の首に比べると随分細い彼の首は、ひょろんとしていて、並んだ骨の膨らみが段々になってパーカーの襟首へと隠れていく。
俺は、手に持ったビニール紐を引き出し、二重にして、はさみで切る。
輪っかにして、俺の指を掛けやすいかたちにする。そして、彼の頭を掴み、くるりと首に巻きつけ、ちからを込めて引く。その時、彼は、果たして、どんな。
「おまわりさん…!次のやつ…!」
彼が顔を上げて急かすので、はっと我に返った。
俺はかぶりを振って、ぞくぞくと蠢く好奇心を押し込めた。
まだたくさんの古紙を片付けなければいけないのだ。
束ねた雑誌類とチラシを幾つか重ねても、未だ大きなダンボールが転がっている。この大きさを縛るのは難儀そうだと思い、俺は少し休憩することにした。
「休憩しよう。コーヒー淹れるけど、きみは?」
「ぼくは玄米茶がいいです…!」
給湯室へ行き、コーヒーと玄米茶を盆に乗せて戻ってくると、彼は大きなダンボールの上に転がっていた。
「あっ…!えっと…寝心地いいですよ…!」
「いくらあったかいからって、ダンボールで昼寝はなぁ…」
どうかと思うよ?と続けながら、俺は盆を床に置いた。
うつ伏せに寝転がった彼は、至極機嫌がよさそうに、足をゆらしている。
ぱたんぱたんと床を叩く、ねこのしっぽを思い出した。
俺は、彼の横に座ると、コーヒーをひとくちすすった。苦いようで甘い、ブラックコーヒーの味を、彼はまだ楽しめないらしく、曰く「真っ黒でにがいへんな水…!」だそうだ。
久しぶりに自分で淹れたブラックコーヒーは、彼が淹れたものと、少し違う味がした。温度なのか、混ぜ方なのかわからないが、また彼の淹れたコーヒーが飲みたくなった。
チラシの束を先に終わらせてしまおうと、ビニール紐を引き出し、束ねてくくる。
ズシリと重い紙の束を避けたところで、俺の好奇心は限界を迎えた。
ふと目を向けた彼は首を晒して、すぅすぅと穏やかな寝息を立てているのだ。
突然の首への負荷に、彼がどんな驚きの表情を見せるのか。そして、締め上げるたびに、彼がどんな声を漏らすのか。そして、どんな抵抗をしていくのか。
俺はビニール紐を引き出して、程よい長さの二重の紐を作る。
それをくるりと彼の首に通し、くっと引いた。
「お゛まわり…?さん゛…?」
目を覚ました彼が、何事かを理解しようとひとこと、俺を呼んだ。
彼の指が、喉元に食い込んだ紐を引き剥がそうとしている。しかし、隙間なく肌に張り付いた紐を爪に引っ掛けることはできないようだ。
やだやだ、と言うように、目をぎゅっとつぶった彼が頭を振る、
俺は構わず、ちからを込めて何度も引いた。彼の爪がダンボールを引っ掻き、じきに動かなくなった。
くたりとした彼を仰向けにして、突き出した舌を口の中に押し戻してやる。柔らかい口内はまだあたたかく、白く小さな歯が並んだそこに、どうしようもなく、俺は俺の昂りを収めてみたくなった。
湿った口内は、俺の為に開かれ、吸い付くことはないけれど、その代わりに喉奥まで押し込み、すり付けることを許してくれた。
彼の頭を抱えて、俺の昂りを喉奥に深く深く押し込み、不恰好な律動を繰り返す。
熱を吐き出した後に、飲み込まれることもなく、でろりと垂れた精液を見て、俺は罪悪感を感じるどころか、背徳感に背筋を震わせた。
もっと他に、と、頭の中が騒いでいる。
彼のジャージと下着を脱がせ、仰向けの彼の腰を抱え込む。
弛緩した筋肉は、自分の精液でぬるついた昂りをくっぷりと飲み込んでいった。
彼の形をした彼の死体が、俺によって体内を犯され、揺すぶられている。
凌辱された彼が目を覚ました時に、彼はどんな顔をするのだろうか。楽しみでならなかった。
「ん…」
彼が小さく呻いて、俺は顔をあげる。外傷が少ないからなのか、随分と蘇生が早く思えた。
数回瞬きし、ぼんやりと目が開く。口内に残っていた精液を吸ったのか、噎せて、辛そうな息をしている。
俺は、彼の首に巻いたままの紐を引き、彼がわけもわからず死ぬるのを待った。
腰を動かしながら、たびたび蘇生してしまう彼の首を絞め続けた。
じきに、縄目のようについた紐の痣は、繰り返しによってどんどん太く、青黒くなっていく。首がちぎれ落ちてしまったら、後が困るだろうと思っても、彼を殺し、遺体を犯し続けるのをやめることができなかった。
平たいダンボールの上で、彼は口を開き、ほうけたように深く深く微睡んでいた。
いつか、体温のある死体のような彼を抱いたことがある。
そして今回は、彼を殺して彼の死体を抱いている。
どうかしてしまったのかと自分を諫めたく思っても、このことに興奮を覚えてしまって、俺はやめることなどできないでいる。
せり上がる快感に吐精してなお、俺の昂りは収まらなかった。漏れ出したものが彼の尻で泡立って、ぐちぐちと音を立てている。
彼がまた蘇生する。
俺は首を絞めて、犯し続けた。
俺のこころは、征服欲のようなものに満ちていた。
彼の中の怪異が、じわりじわりと俺の中に染み込んでくるのではないかとも思った。それなら、それでいいと思えた。
彼と同じようなものになって、これから先、彼と同じように死んで生き続けるのも悪くないと、俺は思い始めていた。
三回目の吐精で、ようやく俺は彼の中から萎えたものを引き出した。
居間からティッシュを持ってきて、彼の口と、下半身を拭いてやった。
じきにまた蘇生するだろうか。
彼をダンボールに寝かせたまま、衣服を整え、なかったことのように体裁を取り繕う。
けれど、彼の首にまとわりついた紫色の痣は、未だ消えることなく細い首筋に絡みついていた。
俺はすっかり冷たくなったコーヒーをすすった。喉がひどく渇いていた。
足りずに、新しくコーヒーを淹れ、彼の隣に座って、ゆっくりと飲み下した。
まだ彼は起き上がらない。
俺はたばこに火をつけ、煙を肺に流し込む。コーヒーの後のたばこは、いやに苦く、吸いさしを彼の足の指でもみ消した。
「あつっ…!」
彼の身体がびくんと跳ねて、頭を振って起き上がる。
「ぼく…寝ちゃってました…?」
「…あぁ」
彼は首に手を当てて、なんだかここがいたい…喉も…、と訝しげにしている。
「足は今焼いたけど。で、お茶飲むの?」
冷えた玄米茶を差し出すと、彼はそれを飲んだ。
「口の中もへんなあじ…玄米茶おいしい…」
俺は、コーヒーを飲み干し、カップを盆に戻した。
「休憩終わりにする。疲れたなら休んでていいけど、そのダンボールもまとめるからどいてよ」
彼はごろごろと転がって、板の間に寝転がって俺を見ている。
残っていたチラシを縛り、先に外に出しに行く。
精液を吸ったダンボールを折り曲げ、紐をかけて縛り上げて、ようやく、仕事を終えることができた。
俺が床に座ると、彼が盆の上にコーヒーと玄米茶のカップを乗せてやってきた。
「おつかれさまでした…!」
「ああ、ありがとう」
彼の淹れたコーヒーは、猫舌な彼に合わせてぬるく、そしてやはり彼の淹れたもの特有の不思議な味がした。
それが妙に口にあっていて、俺はこれからも、なるべくコーヒーは彼に淹れてもらおうと思いながら、ぬるいコーヒーをすすった。
おまわりさんがぼくの首をしめたのはなんとなく覚えている。
給湯室の鏡で、ぼくの首についた紫色の痣を見て、それは確信に変わった。
まったく、こんなにひどく締めなくてもいいじゃないかと、ぼくは憤慨する。
ふと、お尻に違和感を感じて、ぼくはトイレに駆け込んだ。
下着の上に、白いねばねばしたものが垂れていた。青臭い、変なにおいのするねとねとしたもの。
「おまわりさん…」
ぼくはトイレで、呟いて、だからあんなことをしたのかと納得した。そうして、死んでいる時にしてくれたのは、おまわりさんの優しさだな、と思って、少ししあわせになった。
そうだ、疲れているだろうから、コーヒーを入れてあげよう。
ぼくは給湯室に戻って、コーヒーと玄米茶を作った。
給湯室の棚の中に内緒で隠してあるガソリンの小さな缶を取り出す。
蓋をあけると、おいしそうなにおいが漂ってきた。思わず口の中に唾が湧く。
ぼくはその中にスプーンを突っ込んで、おまわりさんのコーヒーに五滴、ぼくの玄米茶にスプーン一杯のガソリンを入れてよくかき混ぜた。
おまわりさんが、少しでもパトカーさんに近づけるように、ぼくは少しずつ、おまわりさんのコーヒーにガソリンを混ぜ続けている。ちょっとずつ量を増やして、いつかぼくのだいすきなおまわりさんが、ぼくのだいすきなパトカーさんにどんどん近づいていけるのを楽しみにしているのだ。
もし、おまわりさんがパトカーさんになったら、ぼくが世界一すきなものがふたつになる。なんてしあわせなことなんだろう。
けれど、いつか気づかれてしまうかもしれない。
気づいた時、おまわりさんはぼくをどうするだろうか。
ひどく殴るだろうか。
おまわりさんがぼくだけを見て、ぼくはおまわりさんのする痛いことだけを見て、他のことなんて考えないすてきな時間。
それもきっと、とてもしあわせなことだ。どうなっても、ぼくはしあわせを積める。
いろんな先のことを期待して、ぼくはお盆に乗せた二つのカップを、誇らしげにおまわりさんの前に出した。
了
初出20160313
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