第28話 電気の日
ホームセンターで、シガーソケットをコンセントに変換するプラグを見つけた。
最初は、スマートフォンの充電器を刺すために探していたのだけれど、古い型なのか大ぶりで、無骨な外見をしていたそれを見ていると、暫く前のことを思い出した。
彼とまだ出会って、然程時間が経っていない頃のことだ。
彼が自作の通電機器…と呼んでいいのだろうか。壊れた無線機のコードを解して、自分の身体に電気を流していた。
俺は、商品棚からそのプラグを取ると、レジに向かった。
帰り道は、なんだかとてもわくわくしていて、あの日のことを焼き直すような、そんな楽しさに口元が緩んでいた。
帰宅し、倉庫の中でごそごそと作業を始める。
古い家電から、コンセントのコードを切り取り、束になった銅線を指で解し、開いていく。長さをうまくすれば、助手席に座らせた彼の身体に押し当て続けることが容易になる。
ビニールテープを巻いて、必要以上に銅線が露出しないように。そして、うっかり俺が銅線を触らないで済むように、持ちやすく太くした持ち手をつくった。
もう少し凝ったものを作ってもよかったのだが、倉庫にこもる俺を気にして、彼がやってくると思うと、時間をかけるわけにはいかなかった。
ゴム手袋と出来上がったものをポケットにしまって、俺はなに食わぬ顔で、警邏に行く準備をした。
俺が警邏に行くとわかると、彼はとことこと後ろをついてくる。
俺がたばこに火をつけ、すぐに出発するわけではないとわかると、パトカーを触りに車庫に行った。
「パトカーさん…いいにおい…。あったかい…」
ボンネットで昼寝をするねこのように、彼はパトカーのボンネットに張り付いてしあわせそうにしている。
「警邏に行くから、そこをどいて欲しいんだけど」
「あー…ちょっと今は…」
ぐにゃぐにゃとちからを抜いて、彼はボンネットの上にもたれている。
俺が構わずパトカーに乗り込むと、ガラス越しに俺の方をちらっと見た。
轢き殺して欲しいのかもしれない。
「乗るなら早くおいで」
俺がそう言うと、一瞬残念そうに、けれどパトカーに乗れるのはやはり嬉しいらしく、助手席に乗り込んできた。
シートベルトをつけ、きちんと膝を揃えて、彼は助手席に座る。
パトカーのシートを手のひらでさすったり、ダッシュボードを触ってみたり、兎角しあわせそうで、毎回乗せてやるたびに、よく飽きずに触り回せるものだと感心する。
パトカーが走り出す時に、一瞬身体を硬くして、すぐに嬉しそうに笑うのも、毎度のことだ。彼には、パトカーに乗って行うことに慣れてしまうということはないらしい。
毎日の警邏ルートも、始終楽しそうで、時折、季節の小さな変化を見つけては、俺に報告してくれる。
数日前まで満開だったさくらが散って、じわりじわりと葉桜へと変化していくことだとか、隣の桃色の花は先週は咲いていなかっただとか。
きっと彼の目には、俺が麻痺してしまった毎日のことや、季節の移り変わりがきらきらとしていて、いつまでもそれに感動し続けていられるのだろう。
俺がここにくるまでの間に、知らないうちに鈍らせた感覚を、彼は俺に思い出させてくれる。
交番に帰り着くと、シートベルトを外して名残惜しそうにパトカーのシートにほっぺたをくっつけている彼に、俺は少し待つように言った。
彼は不思議そうな顔をしたが、素直に従った。
俺は、無線機をソケットから引き抜いた。
俺がポケットから出したものを見て、彼は首を傾げ、そして、わかったのか、目を見開いた。
本当は、彼に不意打ちでコードの先端を押し当てたかったのだが、どうしたって助手席に座った彼は、俺の動作を機にしてしまう。
俺は、彼に片手を出すように言った。
「え…あ、あの…ぁ…い、いいんですか…?」
「いいから、手を出して」
彼の小ぶりな手が、俺の前に突き出される。
少し伸びた爪と指の隙間に、ばらけた銅線を刺し込んだ。
「ぎぃっ…」
彼は呻いて、手を引っ込める。きちんと電気が流せると確認した俺は、彼の身体に、ぷすぷすと銅線を押し当てた。
「イ゛ッ…ぁぁ…パトカーさ…イ゛ッダ…。パトカ、さんっ…!」
春の彼は、薄着で、半袖のTシャツを好んで着ている。
剥き出しの前腕に、ぐりぐりと銅線を押し付けると、彼の身体は引き攣ったようにがくがくと揺れた。
「ゔぅぅっ…」
丸く火傷痕がつくような通電を繰り返しても、彼はやめて欲しいとは言わない。
けれど、身体を硬直させたり、痙攣させたりするのは、相当に疲れると見えて、合間合間に頭を振り、じきに膝を抱えてしまった。
それでも、俺に向かって片腕を垂らしてくるのがいじらしい。
俺に流して欲しいわけではなく、パトカーが発電する電力をその身に受ける為だというのが、また、彼のパトカーへの愛情の深さなのだろう。
火傷痕がびっしりと腕に連なり、ケロイドへと変化していく。
彼は洟をすすりながら、まだ腕を差し出している。
俺は左手にゴム手袋を嵌め、彼の前腕をつかんだ。爛れた皮膚を鷲掴みにされた痛みで、彼が顔をあげる。
「おまわりさ…」
「うん」
俺は、彼の指に、丁寧に通電を施していく。
動かせない彼の腕は、反射で逃げることもできず、指先から根元へ、火傷痕を増やしていく。
溶けた爪が曲がり、剥き出しになった指の皮膚に刺さっている。
彼の哀れな右手が、じくじくと体液を滲ませ、指どうしが癒着しそうになっても、俺はそのまま作業に没頭した。
いっそ全部の指をくっつけてやるつもりだったのだ。
「パトカーさんの電気、嬉しい?」
俺がそう聞くと、彼は震えた声で返す。
「うれし…。パトカーさん…パトカーさん…」
苦悶とも恍惚ともつかない声が、車内の空気を震わせる。
掛けっぱなしのエンジンが、回転数を上げた。パトカーが喜んでいるのかと思って、俺は彼に感化され続けていることを改めて思う。
間違いなく、このパトカーは、彼の怪異にあてられて、なにかしらおかしなものになりかけている。
「おまわりさん…もっと…」
崩れそうに肉が溶けた指先が、空を掻いている。
俺は彼の腕から手を離すと、彼にTシャツの裾をめくるように言った。
彼は俺の方に向き直り、腹を出す。
滑らかな腹部に、俺は自分の掌を押し当て、あたたかさを確認した。柔らかく、弱い腹筋の下で、長いはらわたが蠕動し、少し上では呼吸のたびに肺が膨らみ、心臓が鼓動しているのだろう。
ゴム手袋の手で、彼の腹を抑え、へそのくぼみに銅線を差し込んだ。
「うぅぅぅっ…。ぐぅぅっ…!」
腹に流された電流が、どう流れて出ていくのか、俺は知らない。
へそから入った電流は、もしかしたら内臓を通過していくのかもしれない。
そう思うと、体内を電流で嬲られるというのは、どんな痛みなのだろうか。
俺は長く押し当て、離し、彼が空気を求め、喘ぎ、少し休んだらまた押し当てることを繰り返した。
反り返った彼の白い首筋には、まだのどぼとけもなく、うっすらとそこにあるだろう小さな膨らみが視認できた。
へその周りにも、ケロイドを広げていく。
執拗に、何度も彼の腹を焼いた。
完全に俺は、彼に奉仕することに没頭していた。
そう、これは彼への奉仕に近いのだと、そこで初めて俺は気づいた。
俺自身が、得られるものは、好奇心と小さな嗜虐心だけだ。
そしてそれは、俺には十二分に事足りる理由であった。
彼の腹に、たっぷりと火傷痕をつけ終わった頃には、彼はすっかり疲弊して、悲鳴をあげることもなくなっていた。
腹に並んだケロイドに、俺は爪を立てて、滲み出るリンパ液に指を汚した。
傷口は、やはり火傷で、熱を持っていて、きっと彼は殆ど全身に、熱く焼けるような痛みを感じているのだろう。
俺が傷口を抉るたびに、彼はひくひくと腹を上下させ、それに反応する。
言葉もでない彼に、俺の腹の中であたたかい気持ちが膨らんできた。
俺はシガーソケットから器具を抜き、本来の無線機の電源をそこから取る。
器具をポケットに戻し、彼を抱えあげ、エンジンを切ろうとしたところで、昼間、彼がパトカーに轢かれたそうにしていたのを思い出した。
彼を抱いたまま、一旦外に出る。
彼の頭部を、パトカーの前輪に噛ませると、彼は目を開けて、パトカーさん、と、声を出した。
「潰すよ」
「あ…えぇ…?わぁ…すごい…。今日のおまわりさん…大サービスですね…」
間の抜けた声が返ってきた。
俺はパトカーに乗り、アクセルを踏んだ。タイヤが彼の頭部に乗り上げる。回転数の上がった音に紛れて、彼の声は聞こえない。
乗り越え、ギアをバックに入れて、また乗る。繰り返しているうちに、車体越しに感じる段差が幾分小さくなった。
俺はガレージにパトカーを停め、エンジンを切る。
降りた先には、顔面をタイヤにこそぎ取られ、頭蓋を割られ、脳をはみ出させている彼が転がっていた。
身体を抱くようにされたケロイドだらけの腕が、彼が喜びの中で絶命したのだろうと憶測できる。
俺は満足して、彼の死体に毛布をかけると、交番に戻った。
散らばった脳髄や、脳漿、脳の破片、広がった血糊は、シャッターを閉めてしまえばわからない。
明日の朝、彼を起こしに行って、どんなことを言うのか、俺はとても楽しみだった。
ジッポライターが小気味良い音を立てる。
俺はたばこを咥えて、彼を楽しませた満足感に浸った。
了
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