第27話 春はふわふわ

春はあったかくて、ちょっと薄い。

いろんなものを集めようとして季節が動いている。

さくらの花が見たくて、交番の外に出たけれど、近くに大きなさくらは生えていなくて、ぼくはちょっとしょんぼりしていた。

若草色の遠い山。そこに、ぽつぽつと染みのように、白いものが見える。あれは、さくらだろうか。

じっと目を凝らして、そのぼやけた雪虫のようなものを見ていると、

「ねえ」

おまわりさんが、ぼくを呼んだ。

「なんですか…?」

「花見会場に警邏に行くけど、君もついてくる?」

花見会場の方角だろう方向を、指で指しながら、おまわりさんが、言った。

「わぁ…!行きます…!」

おまわりさんは、先にパトカーさんに乗り込んで、ぼくが走ってくるのを待っていてくれた。

ぼくが助手席に乗り込むと、パトカーさんが滑り出す。

「さすがに下りて見られないかも知れないけどね。まあ、俺は軽く覗きにいくだけだから…」

パトカーさんを運転しながらおまわりさんが言う。

いつもの街から少し離れた所に、この時期だけひとがたくさん集まる花見会場があるらしい。

ひとがたくさんいるのなら、パトカーさんから下りられなくてもあんまり残念じゃないし、パトカーさんに乗ったままの方が、素敵な席に決まっている。

風はすっかり春です。日差しはあったかい。

平日の花見会場への道は、そんなに混んでいなくて、おまわりさんも少しわくわくしながらハンドルを握っている。パトカーさんも、やわらかい空気を掻き分けて、はしっていく。赤信号が、ちょうど青になった。交差点では、おまわりさんはほんの少しだけ減速して、周りに気を配る。

その時、ちょっとだけ制帽を片手で上にあげて、辺りを見回す。

手袋の指が、制帽のつばを触って、シャツの袖からおまわりさんの手首がちょっとだけ覗く。

花見会場への案内の看板が幾つも立っていて、あと百メートル、五十メートルと、カウントダウンされているみたいだ。

小さく、薄い桃色のかたまりが見えた。

「あ…!」

そのかたまりは、近くにつれてどんどん大きくなっていく。

吊り下げられた提灯みたいな照明は、今はついていない。

何人か、ブルーシートをさくらの木の下に広げている。

青いブルーシート。さくらの木。ブルーシート。ひとがいる。さくらの木。空も青い。

おまわりさんは、パトカーさんの速度を落として、徐行する。

ゆっくりとさくらが動いていく。写真を撮りたかったけど、さくらは運転席側だったのでうまく撮れなかった。

おまわりさんが窓を開けて、お酒を飲んでいるひと達に声をかける。

飲みすぎないように。片付けを忘れないように。楽しんでね。

片手をあげてひとに挨拶をするおまわりさんは、すごくかっこいい。だいすきだ。

広い花見会場の周りを、徐行のまま何周かしていく。

窓から入るあったかい風。誰かが古い歌をカラオケで歌っているらしい。昭和歌謡みたいなフレーズだけど、歌詞は聞き取れない。

音質の悪いスピーカーから流れる、ぼやけた音楽は、ゆっくりとした曲調だった。

パトカーさんの振動が気持ちよくて、ぼくの瞼は重たくなっていく。

「寝ちゃう?」

おまわりさんがぼくに声をかけた。

「ん…ねてません…」

「そう」

おまわりさんが、徐行をやめて、パトカーさんを普段の速度にする。

花見会場の音が遠ざかっていく。ぼくは半分目を閉じて、窓の外を飛んでいく景色を見ていた。

「寄り道しよう」

ふいに、そう言って、おまわりさんが、コンビニにパトカーさんをとめた。すぐ戻ってくるから、待ってて。と続けると、コンビニにはいっていく。

飲み物を何本か買ってきたらしい。すぐに戻ってきて、またパトカーさんを走らせる。

「どこに行くんですか…?」

「さくらを見に」

おまわりさんは、山に向かってパトカーさんを走らせていた。


山の中は、ほんの少しだけ花見会場よりも風が涼しかった。遠くで鶯が鳴いている。

途中で切れてしまう、ちょっと下手な鳴き声の鶯。

ざわざわと葉っぱが鳴る山道。

おまわりさんがパトカーさんを停めて、運転席から下りていった。

ぼくはようやく、目を開けられるようになったので、おまわりさんを追っかけて外に出た。

ざあっと風が抜けた。

薄い薄い春が、ぼくたちを引っ張ろうとしているみたいだった。

「山桜だから、ちょっと花は少ないけど」

「わぁ…」

ぼくの前には、大きな老木のさくらが立っていた。

たっぷりの枝に、白いさくらの花をたくさんつけて、誇らしそうに立っていた。辺りを見回すと、ぽつりぽつりと、白いさくらのかたまりが見える。交番で目を凝らして見えたのは、これかもしれない。

「二人で見るなら上等だろ?」

おまわりさんが言う。

「パトカーさんもいますよ…!」

ぼくはそう主張して、山桜とパトカーさんを撮るためにスマートフォンのカメラを起動した。

ぱしゃ、ぱしゃ。

さくら。パトカーさん。隣に立つおまわりさん。

おまわりさんが、君とパトカーの写真を撮ってあげようか?というので、一枚だけお願いした。そのあとで、みんなで入った写真を、おまわりさんが撮ってくれた。

ぼくは少し下を向いていたけれど、嬉しくて笑った口だけはしっかり写っていた。

この何枚かの写真を、春が少し欲しがっていたけれど、ぼくは断った。

おまわりさんが、パトカーさんの後部座席に寝転がって、さくらを見ている。ぼくも横になって見たくなって、おまわりさんの上に乗っかった。

「うつ伏せで乗ったらさくらが見えないだろう」

「あっ…」

ころんと反転させられて、おまわりさんのおなかの上で仰向けになった。

頭の上にさくらが見える。おまわりさんが、ぼくの首を指で触るので、くすぐったくて笑ってしまう。

おまわりさんが、ネクタイを解いている。横になるのに、あんなのを首に巻いていたら邪魔なのかもしれない。しゅるっと襟から抜き取る音がした。

おまわりさんの黒いネクタイは、ぼくの首に巻きついて、背中の方に向かってくっと引かれた。


彼の首を絞めて、彼が意識を失うのを少し待った。

殺したいわけでなかったので、彼を失神させるのが目的だった。

無防備な彼の細い首に、俺の黒いネクタイが巻きついて、ひゅっと彼が息を吸った声が聞こえた。

俺の腹の上で、彼がくたりとしている。俺は身体をよじって、彼を後部座席の上に寝かせた。意識が戻ったら、真っ先に白いさくらが目に入る位置に彼の頭を動かしてやる。

彼の身体を触る。

幼いような、筋肉の少ない身体は、やはり少年のもので、これをいたぶる時は、ほんの少し気が咎める。まるで、「わるいおとな」になってしまった気がするのだ。

実際問題、彼は成人?しているし、そもそもひとの括りにする必要がないことはわかっているのだけど。

彼の首に巻きつけたままのネクタイは、いい具合に彼を朦朧とした意識の中に留め置いてくれているらしく、俺が彼の身体を触るたび、ふわふわと微睡むような小さな声を上げさせてくれた。

彼が生きたまま、こういうことをされるのをあまり好いていないのは知っているのだ。

死体の彼を抱くのも嫌いじゃない。けれど、あたたかく反応のある彼を抱くのも、俺は好きなのだ。双方が納得いく方法は、どうしたって、俺が彼をいわゆる半殺しにするしかなくて、パトカーを汚さない為に選べる方法は更に限られる。

自分の欲に対する言い訳をずるずると考えながら、結局、憚かることなく、俺は彼の身体を触って楽しんだ。

膨らみのない胸を手のひらで触り、腹のなだらかな感触、腰の骨や肋骨のおうとつ。

それを改めて触るたびに、俺の中で形容し難いあたたかいものが溢れ出してきた。

「ゔっ……く……」

ネクタイに潰された喉がひくついている。俺は彼の身体を抱きしめて、腰を擦り付けた。彼の衣服を乱し、俺はスラックスを留めるベルトを外す。

柔らかいままの彼の足の間に昂りを押し付け、擦り合せる。

彼が小さく声をあける。左手で彼の足の間を触りながら、俺のものを擦り付ける。

彼のひそめられた眉が一瞬緩み、うっとりとしたような声が唇から漏れ出している。

淫夢をみるように、やわやわと快感を得ていてくれるといい。

彼の唇を何度も吸う。小さな口は空気を求めて開き、俺はそこに舌を押し込む。

短い舌が口内でちろちろと惑っている。舌先で追い回し、口内を舐る。彼の頭を撫で、指で髪を梳き、こうすることで、なんと伝えたらいいのかわからない気持ちが、少しでも彼に伝わればいいと思っていた。

彼の髪に鼻先を埋め、睦言のようなものを途切れ途切れに彼に告げた。

聞こえていてくれたら、嬉しいと思う。俺は愚かで、言葉が選べず、彼に己の欲をぶつけながら、思ったことを発することしかできなかった。

彼の唇を吸いながら、とぷりと吐精する。

彼の首に巻きついたネクタイを抜くが、彼はすぐには明瞭な覚醒を手に入れない。

俺は左手を濡らす粘液を指先に集め、彼の唇の中に入れて吸わせた。

ちゅう、と、彼が俺の指に吸い付く。甘えるような舌が、俺の指先、爪の隙間まで這い、ぬめりを取ると、こくりと喉を鳴らして飲み込んでくれた。

それに対して、腹の奥から湧き上がる、苦しいようなあたたかい気持ちが、恐らくこれが、しあわせなのだろうと、俺は思った。

「おま…わり…さ…」

衣服を直していると、彼がぼんやりとしたまま、俺を呼ぶ。

「いるよ」

そう返して、俺は彼の頭をかかえた。丸く、幼い頭蓋骨が、俺の腕の中で脈動している。

うなじを、首を撫で、手のひらに収まる、肩を抱いた。

少しねむたい、という彼を、また腹の上に乗せて、俺はさくらを見上げた。

腹の上にうつ伏せて眠る彼を見ながら、頭を撫で、背中をとんとんと叩いてやった。

さくらいろにそまった彼の瞼は閉じられて、安らかな惰眠を貪っている。

春の柔らかな風の中で、俺も瞼を閉じた。




初出20160407



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