第53話 脳姦
しゅんしゅんと、石油ストーブの上の薬缶が、湯気を吐き出している。
結露した窓が、雨の雫のように、丸く小さな水滴を張り付かせ、それがとろりと流れ、引力に引かれて落ちていく。
外は晴天で、瑠璃色の波を巻いて、薄らいだ雲が網目を作っている。
日差しは、暖かいはずなのに、一度外に出れば、きんと張り詰めた空気が、鼻を突く。
たばこのうまい季節がやってきた。
冷え切り、乾燥した空気は、たばこのにおいと味を、澄み渡らせ、口腔から通す煙は、喉に、鼻に、甘い。
俺は、鼻から煙を出しながら、交番の前で一服つけていた。
煌々たる光が注ぎこそすれ、冬の空気に阻まれて、手袋の下の指先がかじかむ。
パトカーに向かって、何事か話しかけている彼の横顔も、冷たい空気に、紅色に染まっていた。
吐く息は白く、彼が言葉を紡ぐたびに、ふわふわと霧散する。
「あんまり長居すると、風邪をひくよ」
彼に声をかけると、こちらを向いて、まださむくない、と、頬を膨らませて答えた。
「風邪ひいて、また一週間寝込むと、パトカーさんに会えなくなるよ」
そう言うと、彼はパトカーに向かって一礼して、はたはたとこちらに駆けてきた。
引き戸を開け、彼と共に交番の中に入る。
温まった空気に押し包まれ、ふっと身体が緩む。
穏やかな午後の時間。
彼が淹れてくれた玄米茶をすすりながら、簡単な書類書きを済ませていた。
ふっと、目をあげると、一時間程が経過していた。
先程まで、俺の横で、書類作業を見ていた彼の姿は無く、大方、居間で昼寝かゲームか、なにかしら好きなことをしているのだろう。
一区切りついた書類を、とんとんと机に打ち付け、揃え、事務机の中に入れる。
たばこを咥え、火をつけないまま、彼の姿を探しに、住居スペースへと足を向けた。
予想通りに、彼は布団に転がって、スマホをいじっていた。
その隣に座って、彼が落ちものゲームめいたものをやっているのを覗き込む。
ようやくたばこに火をつけて、重いカットガラスの灰皿を、手元に引き寄せた。
「こんなゲームやめてやるよ…!」
彼が呻くように言って、スマホを枕の上に放る。
「なに、どうしたの」
「運ゲー…ひどい…ひどい運ゲーだ…」
うつ伏せた彼が、ぶつぶつと俺に返す。
「ふぅん…」
カットガラスの灰皿に溜まっていた吸い殻を、ゴミ箱に落とし、残った煤をティッシュで拭きながら、俺は生返事をする。
灰皿を握りこみ、一瞬思案した。
無防備に、畳の上に差し出された彼の手の甲に、灰皿を振り下ろす。
ごぎり、と、鈍い音がして、彼が短く悲鳴をあげる。
「ぎゃっ…!」
「折れたね」
彼の左手の指が、三本程、逆向きに曲がり、ひくひくと動いている。
「ア゛…?」
「ゲームなんかより楽しいことしようよ」
口角が上がり、犬歯がたばこのフィルタを噛んで、ぎりりと音を立てる。
再度、彼の左手に、灰皿を叩きつける。
「ぎぃ、あっ…!」
折れ曲がっていた骨は、更に砕かれて、薄い皮を突き破る。白く、尖った先端が露出し、湧き出すように血潮が流れ落ちる。。
とぷとぷと、彼の血が畳に落ち、傍の敷布団に座れ、赤黒く、布地を染め行く。
親指と小指は、まだ折れていない。
俺は、彼の親指を掴み、思い切り、手の甲に向かってへし曲げた。
ぼきり、と、関節がひしゃげ、外れ、砕ける感触が、手のひらの肉に染み込み、たまらない思いがこみ上げる。
小指にも、指先を引っ掛け、木の棒を折るような気安さで、彼の手を破壊した。
「ゔ、ゔぅぅ…」
「反対の手。出して」
彼の手が、ぶるぶると震えながら、俺の前に差し出される。
彼はどんな気持ちで、俺に利き手を差し出しているのだろうか。
いくら痛覚が鈍いといえど、待ち受ける痛みに、まったく恐ろしさを覚えないはずはないのに。
その健気な指を、一本一本、丁寧に折り、爪を灰皿の角で執拗に割った。
「次、手首」
彼の手首を掴み、上腕を俺の膝に乗せさせると、カットガラスの側面を叩きつける。
二度、三度と、叩くうちに、彼の手首は、首の座らないこどものように、ぐらぐらと心もとない動きをするようになった。
「反対」
「ひゃい…」
今度は、彼の手のひらと、上腕骨を掴み、曲げられない方向へと、一息に曲げる。
ぱきゃん、と、間の抜けた音がして、これもやはり、ぶらりと垂れ下がるようになった。
「肘も」
「ゔ…ぐ…」
関節を逆に曲げるのは容易い。
ぱきん、ぱきんと、幼い頃にアイスを折ったような、そんな軽さだった。
彼の腕は、肩から垂れ下がるばかりになり、だらしなく、布団の上に投げ出されている。
「足と肩、どっちが先がいいかな…」
「イダイ…ア゛…。…ィダイ…」
身体をさすることも叶わずに、彼は、腕を揺らす。
引力に引かれるばかりのその両腕は、動かす毎に、砕かれた骨の痛みが、文字通り、骨身に沁みるだろうに。
彼の足首を掴む。
火傷跡の残り続ける左足のつま先。
これを叩き潰すのには、些か、躊躇った。
ここは、俺が焼く為だけのものにしておきたい。
そう思い、傷のない右足先に向けて、カットガラスの灰皿を振り下ろした。
「い、ぎぃ…!ぐぅぅっ…!」
短い足の指は、なかなかどうして、簡単に折れるものではないようだ。
小指をつまみ、横に向けて、思い切り曲げた。
曲がる方向でないというだけで、こんなにも脆いのか、と、俺は息を吐いた。
咥えたばこの先に蓄えていた灰が、もろりと落ちて、彼の太ももへと、白く跡を残す。
砕けた灰が、呻く空気に震え、布団に煤のあとを残していった。
彼の左足のつま先が、敷布を掻く。
俺に捕らえられた右足は、逃げ場を失っていて、俺の楽しみのために消費されていくのだ。
引きちぎるように、彼の足の指を破壊する。
てんでばらばらの方向を向いた足の指を、手のひらで握り込み、押し潰す。
うつ伏せでいた彼が、潰れたような声をあげて、天井を仰いだ。
開かれた口が、虚空を吸って、はくはくと明滅する。
それは確かな命の息吹で、苦悶をあげるための空気を欲している。
足首の関節を見ながら、ここを折るには、灰皿では難儀するだろうと、思案した。
「少し待ってて。道具箱取ってくる」
そう言って立ち上がると、彼の目が俺を追いかけた。
縋るような黒いまなこに、一瞬見惚れ、振り切るように、たばこの煙を吸い込んだ。
紫煙が、名残惜しそうに糸を引いて、俺に絡まった。
納戸にしまわれた道具箱を持ち、部屋に戻る。
鉄槌を握り、彼の足首を強く打った。
彼の腕が、布団をつかもうとするが、潰された指と腕では、なにを掴むこともできなかった。
道具箱から、鑿(のみ)を取り出し、彼の足首にあてがう。
その冷ややかな刃先に、彼は怯え、呻いた。
こぉん、と、澄んだ音がする。
彼の足首に食い込んだ刃先は、溢れ出た血液に埋もれ、見えなくなる。
俺は、彼の骨を、腱を、鑿と鉄槌を持って、破壊する。
切られたアキレス腱が、ばちんと、ゴムのような音を立てた。
「ううっ…う…。あ…。ぉああ…」
獣の唸りのような声。
彼は這いつくばったまま、身体を起こすこともできないのだ。
彼の膝裏にも、鑿を当て、鉄槌でその尻を叩く。
ぞぷりと、柔らかな皮膚下に、太く無骨な刃物が差し込まれる。
二度、三度叩き、俺は鑿を握って、搔きまわすように、揺さぶった。
「イ゛ィィィィィ…!!!」
彼が鳴く。
皮膚下を掻き回し、そうして溢れ出る血潮のにおいは、濃く、吸った空気に、味を感じる程だった。
もっと深く、深く彼を穿ちたい。
鉄槌で鑿を叩き、それが膝を突き抜けて、先端を露わにするまで、叩き込んだ。
「ア゛ー…ア゛ァー……」
彼の涙と洟と唾液が、ぼたぼたと落ちて、布団に染みを作っている。
言葉を失ったかのように、彼が鳴く。
うつ伏せた彼の二の腕を掴み、肩の関節を抜いた。
四肢を切り取った時のほうが、いっそ痛みが少ないとすら思える、彼の姿。
俺は、芋虫のように這いずる彼に、赤黒く揺らめく炎のようなものを感じていた。
どうしようもなく、滾るのだ。
下腹から込み上げる赤黒い炎が、俺を灼いて、彼のなにもかもを、俺のものにしたくなるのだ。
彼の肩を外し、残った一本の足を、鑿と鉄槌で破壊する。
その過程が、俺を、どうしようもない下劣な感情へと突き落としていった。
じわり、と、彼の股間から、ぬるまゆい液体が染み出してきた。
独特のにおいが鼻を突き、俺は、破顔する。
足先に、彼の胴体を引っ掛け、仰向けに転がした。
失禁した彼の服は濡れ、ひどく哀れな姿に見えた。
とっくに燃え尽きていたたばこを、吐き捨てて、彼の前髪を掴み、顔を見る。
見据える視線が、揺れる湖面とかちあい、俺の劣情が、にたりと笑った。
「ねえ」
懇願するような、声が、俺の唇から出た。
「頭でさせてよ」
俺の声に、言葉に、彼は、擦り切れた声で、肯定の言葉を発した。
その優しい唇を、べろりと舐める。
髪をつかんだまま、彼の頭蓋骨に、鉄槌を打ち付けた。
彼の頭蓋骨が砕け、固く丸い頭が、へこむ。
そこに、鑿を突き立て、皮膚を破った。
どこだ。どこにある。
血でぬめる頭皮を、髪の毛ごと引き剥がし、彼の悲鳴も耳に届かず、俺は彼のナカミを探した。
どぷどぷと、彼の中に入っていた血液が溢れ出して、俺の手を、顔を、身体を、吹きかけるように、濡らしていく。
そうしてやっと、血に塗られた、白い脳が、傷を負って、内側にいるのを見つけた。
「あ…はぁ…」
心底、嬉しいのだと。そんな声を、彼に聞かせたかった。
彼はまだ、生きているのだろうか。
わからないのだ。彼が今、まだ意識を持っているのかなどと。
俺は、ベルトを外し、スラックスのジッパーを下ろす。
いきり立ったものを、彼の脳に突き立てた。
弾力のある脳の中へと、無理やりに差し込み、彼の頭を掴んで、ガクガクと揺さぶった。
彼のナカミ。今迄、こうも酷く犯したことなどない。
白眼を剥いた彼の口から、舌が垂れて、唾液が糸を引いている。
きっともう、彼は死骸だ。
頭蓋骨に腰を打ち付け、彼の首が折れんばかりに、頭を揺さぶった。
折れたのかもしれない。
ぐらりと傾いた彼の頭を、取り落としそうになる。
一切の生命活動を終えた彼の頭部を、陰茎で無茶苦茶に搔きまわす。
引き千切られた脳が絡みつき、そこに出血のぬめりが伴い、恐ろしく、俺を飲み込んでいく。
「くっ…。ふっ…うっ…」
ぶちぶちと、繊維がちぎれる感触を、高ぶったもので存分に味わいながら、彼の頭の中に射精する。
愛しくてたまらなかった。
死んだ彼は、何も言わず、濁った目が、俺を見た。
「あいしてる」
聞こえないのがわかっていて、言った。
彼にそんな感情を持っているなんて、伝えたくなかったのだ。
彼が黙しているのをいい事に、堪えていたものを、吐いてしまった。
口をついて出た言葉を、己の耳で聞いてしまった。
俺は、へたりと、座り込み、己のこころに蠢く、隠し立てていたものに向き合わされた。
全身に、コールタールのような、重くて黒いものを浴びせかけられたような気分だった。
「あいしてない」
言い訳がましく、繰り返した。
口から出る言葉とは裏腹に、こころの中では、肯定する言葉が流れていく。
俺はかぶりを振って、たばこを掴んで、火をつけた。
どこまでが、俺の気持ちで、どこからが、侵食する怪異たる彼のものなのか、それがわからずに、ただ、狼狽え、恐ろしく、それでも。
彼の愛情が欲しいと、腹の奥で強請るものを、吸い込んだ紫煙で、けむに巻いた。
了
2016/11/23
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