第44話 嵐の日のさんぴー

窓ガラスが軋む。

強い風に、古い木造の家が家鳴りを起こし、時折、みしりと音を立てる。

ひゅう、と、高い音が通り、風が抜け、ガラスの向こうの草木を揺らす。

空は灰色で、濡らし固めた綿のような重い雲が、どっしりと太陽を隠している。ゆっくりと、大きな低気圧が、近づいているのだ。

「台風らしいよ」

俺がそう言うと、彼はゲーム機に向けていた視線をあげて、にっこり笑った。

「楽しみですね…!」

彼は、台風だとか、悪天候が好きだ。

地鳴りのように轟く雷の音や、鋭い稲光りが空を割って、瞬く、そんな天候が、好きだ。

落雷に、空気がばちばちと弾け、地面を揺らす瞬間には、嬉しそうに声を上げる。

俺はというと、悪天候は、あまり歓迎したくないものであった。

風雨は、外に出る気力を奪うし、瞬く閃光や、轟く雷鳴は、咄嗟に身体をびくりと硬直させ、勝ち目のない畏怖の念を抱かせる。

けれど、彼があんまりに、わくわくした顔で毎回喜ぶから、存外に悪いものではないのか、と、思うようになってきている。

光と音に驚くのは致し方ないとすれ、屋内の安全地帯から、彼と共に天候を覗き見るのは、なかなか楽しく思えるのだ。

そうは言っても、現実問題、雨が降り始める前に、雨戸を閉めておきたい。

「雨戸閉めておかなきゃな」

「手伝いましょうか…?」

彼がゲーム機から手を離して、居間を出る俺に続いて歩く。

彼と連れ立って、家中の雨戸を閉めていく。窓ガラスを開くと、生温く湿った風が、室内に雪崩れ込んで、壁に貼ったカレンダーが煽られ、ばたばたとはためいた。

土埃をサッシに貯めて、些か動きの悪い雨戸を、きいきい言わせながら、ずらしていく。

僅かながらの外光を取り込んでいた窓は、ぴったりと金属の雨戸で塞がれた。

灯りをつけていない部屋は、暗闇の一室へと変貌し、黒い四角の物体が、外界から隔離され、押し黙っている。

灯りを点けてある、寝室兼居間も、外の音から隔離され、静寂の中に身を浸す。

明かりとりの無い暗い廊下の端に、そこだけが、明るく白い光を落とし、区切ったように生活の音を持っている。


「警邏…警邏は行かなきゃなぁ…。こんな天気だし、余計に見てこなきゃだよなぁ…」

俺は、たばこを咥えながら、時計を見る。

午後三時を少し過ぎた時間。

台風が近づくのは、午後六時だとか、もう少し遅い時間だったか。

兎も角、夕方の警邏は、日課のようなものだし、今のうちに町内を、見回っておくべきであろう。

洗濯物の山の中から、制服を引っ張り出して、部屋着から着替える。

彼がこちらを見ている視線に気づくが、まだ声をかけない。

早足の雨に降られた時のことを考えて、俺は風呂場に置かれたタオルを何枚かつかみ取った。

バスタオルとフェイスタオルがごっちゃになった、布地のかたまりを抱え、玄関に向かう。

「ちょっと回ってくる」

俺がそう言うと、彼は慌てたように居間から顔をだした。

「ぼくまだ着替えてませんよ…!」

「着替えたって、ジャージがジーパンかなにかになるだけでしょ…」

革靴を履く俺に続いて、靴紐を結ぶ。

履き古した、バッシュ型のスニーカーは、雨の中で履かれたら、たちまち帆布のような厚い布地は、水を吸い込んで、彼の足をぐっしょり濡らすだろう。

尚更、雨が降る前に、警邏を済ませたほうが良さそうだ。

「うわ」

引き戸を開けると、制帽を引っ掛けるように、風が下から上へ抜けていった。

つばをつかみ、奪い取られるのをすんでで止めると、乱れた風の流れが、ぐるぐると渦巻いて空に向かい、降りてくる。

車庫自体も、風で薄いプレハブがきしきしと音を立てている。余程崩れるような事はないだろうが、日常にない異音は、不安を掻き立てようと、濡れたまなざしで窺っている。

「パトカーさん、大丈夫ですよ…」

車庫の中のパトカーに向かって、彼がそう話しかけた。うっすらと砂埃をかむっていたパトカーのボンネットに、小さく彼の指先のあとがついた。

湿った空気を掻き分けて、彼と共にパトカーに乗り込む。

分厚い雲の下を、パトカーが赤灯を光らせて、走っていく。

ホグランプの淡い光が、アスファルトを照らす。対向車は、ほとんどいない。

町中が、台風に怯え、静かに過ぎ去るのを待っているようだった。

吹き飛びそうなものを探しながら、おきまりの警邏ルートをゆっくりと進んでいく。

住民たちの手によって、うっかり吹き飛びそうなものは、大抵が室内にしまい込まれ、そうでないものは、ロープで括られて、軒下に重ねて置かれている。

普段は開きっぱなしの農機具を収めた物置も、ぴったりと扉を閉めて、じっと沈黙している。

山間を滑るように走り抜ける頃になっても、パトカーとすれ違う車は、やはりいない。

曇天の下で、はいいろになった街が、みな地に伏せて、息を殺している。

いきものも、どこかに身を隠して、じっと待っているのだろう。

一羽か二羽か、遅れたすずめが、崩れ掛けた山小屋の中へと滑り込んでいった。

と。

ぞぶ、と、フロントガラスが、水面に覆われた。

「うわ」

滝のように降り出した雨が、視界を一切奪い去り、パトカーを止めさせる。

同時に、ごうっと唸りを上げる風が、濡れたアスファルトから水を巻き上げながら、車体を揺らした。

「前が見えませんね…」

彼が、少し高揚した声で言った。

「どこか崩れたりしないといいんだけど…」

そう眩いて、俺はパトカーのエンジンを切った。ハザードと赤灯だけは、つけたまま。

強い雨足と風の中、視界が開けるまで、ここにこうして止まっているほかないだろう。

カーブの多い山道を、目隠しして歩くのはあんまりにも危険だ。

俺は、座席の背を倒して、息を吐いた。焦って不安がっても致し方ない。ともかく、時間が経過し、視界が回復するのを待つだけだ。

車体を叩く雨の音を聞きながら、俺は目を閉じた。


おまわりさん、という声で、俺はうとうととした微睡みから目を覚ます。

彼が俺を揺さぶって、眉を八の字にしていた。

「どうしたの」

彼の視線が、うろうろと惑い、そうしてから、

「おしっこが…」

と、いたく申し訳なさそうに、そう言った。

窓の向こうを見ると、雨足は、まだ強い。

「外でしたら…?あー…、びしょ濡れに…」

「パトカーさんを汚すよりは…」

ロックしていたドアを開けると、彼は素早く外に出て、パトカーのドアを閉めた。

「あ、あ…」

彼の声が、雨音の中から聞こえてくる。

身体を起こして覗き込むと、彼がパトカーの横に座り込んでいる。

少しだけ窓を開けて、彼に聞くと、彼は小さな声で、「もらしちゃった…」と、そう言った。

どのみち、彼はぐっしょりと濡れてしまっていて、それが排泄物によるのか雨によるのかなんてわからない。

それでも、彼は、おろおろと視線を巡らせて、殴りつけるような雨の中で、泣きそうになりながら俺を見ている。

びったりと濡れて、顔に張り付いた黒髪の隙間から、彼のまなこが怯えたようにこちらを見ている。

怒鳴りつけて叱るわけでなし、そんな顔をしないでくれ。

「中戻って、タオルあるから。服脱いで、それでとりあえず。冷えるといけないから」

俺がそう言うと、彼は素直に車内に戻り、濡れた服を脱いだ。

水を吸ったTシャツとジャージを丸めて後部座席に放る。彼の靴も、結局ずっしりと水を含んでしまっていた。

裸の彼にバスタオルを被せ、フェイスタオルで髪を拭いてやる。濡れた髪の先から、はたはたとしずくが落ちて、彼の肩を伝っていった。

「う…うう…。ごめんなさい…パトカーさん…こんな濡れたやつ…ここに…」

彼は至極申し訳なさそうにそういって、隠れるように、頭からタオルをかぶった。

白い足が、タオルからあぶれて、黒いシートの上で体操座りをする。

俺は、パトカーのシガーソケットのスイッチを入れ、少し待った。

すぐにシガーソケットは、たばこをつけるための熱を持つ。

引き抜いたシガーソケットを、躊躇うことなく、彼の素足に押し当てた。

「イ゛っ…!?」

彼は飛び退って逃げようとするけれど、パトカーのシートは、倒れておらず、背中を押し付けるだけにとどまった。

俺は彼の足首をつかみ、熱の許す限り、彼の素足に、丸く焼き跡をつける。

「な、んで…アっ…ヅイ…!」

「なんでって…」

理由もなく、彼に苦痛を与えようとするのは、確かに本意でなくて、俺は、なにか適当な動機を作ろうと、頭を巡らせる。

「漏らしたから」

「漏らし…」

「そう」

俺は、そう返して、彼の足に判を押す。

怒ってなどいないし、適当な理由をつけたのが、彼にはわかったようだ。

漠然と、ただ俺がそうしたいのだと、それだけわかれば、彼はいたく従順なのだ。

しゅっ、しゅっ、と、肉を焼き焦がす音が、未だ衰えない雨音の中でも聞こえた。

彼はじっと押し黙って、けれど時折、その噛み締めた歯の隙間から、細く苦悶の声を漏らす。

彼のつま先は、熱せられた金属によって、肉を焼かれ、ゆっくりと様相を変えていく。

たばこの火で焼いた時とは違うかたちの傷痕。高温部を触らないようになのだろう、金属で丸く囲われた中心を、彼の肌に押し付けようと、ぐっとちからを込める。

「ぃ、ぎっ…!く、うっ…」

「パトカーさんのやつだよ」

俺がそう言うと、苦悶ばかりだった彼の表情が、僅かにゆるんで、へら、と、口元が湾曲した。

「ぱとか、さ…」

彼の身体が、シートに向き合って、シガーライターを押し付けるつま先が、タオルに隠れて見えなくなる。

俺は少しだけ残念に思いながら、ソケットにシガーライターを戻した。

「ぱとか、さん…。ぱとかーさん…」

タオル越しに、シートに腰を擦り付け、両腕でシートを抱きしめて、彼が切なそうに鳴いている。

俺は彼の背後に移動し、シートを倒してやる。

「う、あ」

がたん、と、勢いよく倒れたシートに、彼の身体が押し付けられる。

彼の腰を覆っていたタオルをどけて、俺は彼の身体に触った。

「ねぇ、すりつけて、イきなよ。タオルあるから汚れないよ」

「んっ…。いい、いいの…?」

「うん」

俺はこっち使うから、と、彼に聞こえるように言う。彼の双丘を押し開き、閉じた彼の太ももの間に、俺の昂りを押し込んだ。

彼にのし掛かり、腰を動かす。

湿気と汗でぬめった彼の内腿は、存外に心地よく、俺は彼の背中に体重を預け、貪るように彼を楽しんだ。

「あ、う…!ん、っ…おま、わりさ…。ぱとかー、さんっ…」

俺とパトカーに挟み込まれて、彼が呻く。

細い腰がゆらゆら揺れて、パトカーのシートで快楽を得ようとしている。

その浅ましく拙い動きが愛らしくて、シートごと、彼の身体をかき抱いて、腰を振った。

「ぐぅ…くるし…おまわりさ…もっと…。もっとぎゅって…」

「ああ…」

圧迫された彼の肺から、熱い息が吐かれている。

ぐり、ぐり、と、彼の腰が擦り付けられて、少しずつ動きが速くなる。

上り詰めようと、彼が無心に強請っているのだ。パトカーに。

雨音の中で、俺たちは交わった。

ぬるい空気と、体温の中で呼吸して、湿気たまどろみのような快楽を求めて、ひとも怪異も車もごちゃまぜになっている。

ごう、と、唸る風も、車体を叩く雨足も聞こえず、ひたすらに、お互いのいとしいものを貪った。

じっとりと汗をかき、彼から身体を離し、タオルで彼と俺の出したものを拭き取った。

青臭いにおいが、狭い車内に篭っていた。

気がつけば、雨は降っておらず、風もなく、とても静かだった。

「目の中かな…」

嵐の中心部で、ようやく固まっていた時間が、動き出したようだった。

彼は、倒した助手席のシートにへばりついて、うとうとと寝いっていた。

俺はパトカーのエンジンをかけ、ゆっくりと山道を下る。

少し開いた窓の隙間から、情事のにおいが抜けて、残るのは素知らぬ顔をした雨のにおいだった。

湿った空気と、冷たいエアコンの風で、驚く程早く、身体が冷えていく。

「帰ったら風呂…」

人気のない道で、パトカーを走らせながら、彼も風呂に入れなければと思った。

風呂場で彼を洗って、湯船に浸からせる想像をしながら、ハンドルを回す。

再び持ち上がる、じんわりと感じた劣情に、俺はひとの業の深さを感じ、パトカーのハンドルを指でとんとんと叩いた。



2016/09/07

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