第45話 眼球舐めと鼻血

彼を連れてパトカーを降りる。

バスタオルにくるまった彼を、抱きかかえ、人目から隠すように、しけた空気の中を歩いて、交番に入る。

幸い、まだ台風の目の中にいられたようで、雨も風も、しんと静まり返っていた。

彼の服とタオルを、洗濯機に放り込み、俺も制服を脱いだ。

彼の身体も冷えきっていて、白い肩がふるふると震えている。

「すぐわくから、先にシャワー浴びよう」

俺に言われて、彼は浴室へと踏み込む。

スイッチを入れた湯船に、湯が溜まっていく。温かい湯気が、ゆっくりと浴室を満たそうとしている。

その間に、雨で濡れた彼の身体を洗おうと、椅子に座らせた彼の背後にしゃがんだ。

手に取ったボディソープを泡立てて、彼の身体を撫でるように、手のひらで洗う。

肩、背中、胸、腹。足の間も、太ももやふくらはぎまでも。

石鹸の泡によってなめらかに滑る手のひらは、彼の身体のおうとつを、ありありと俺の手のひらに伝えてくる。

「ふふっ…」

彼が、時折、くすぐったそうに身をよじって笑う。

こんな風に、彼の身体を洗うだけの、穏やかなスキンシップも悪くないと、そう思った。

なにをするわけでもなく、布団の中で彼を抱いて、頭を撫でるだけの夜も、いつか過ごしてみたい。

泡にまみれた彼の身体をシャワーで流し、続いて、頭も洗ってやる。

彼の長めの髪は、シャンプーをよく絡ませて、ふくふくと泡立っている。

指の隙間を彼の細い黒髪が、絡みつくことなく滑り、その感触は気持ちのいいものだった。

自分の頭では、こうはならない面白さで、つい、彼の髪を使って、かたちを作って遊んだ。

「変なのにしないでくださいよぉ…」

そう言うけれど、彼も楽しそうな声だった。

リンスをつけ、汗が落ちて指通りのよくなった彼の髪を、手ぐしですきながら、よく洗い流してやった。

つるつるとした黒髪が、俺の手のひらの中で流れるように滑っていく。

そうしている間に、湯船には湯が溜まっていた。

「先に浸かってなよ。濡れてたのは君だし、よくあたためた方がいい」

「ん、はい…」

彼の白い足が、湯船を跨いで、中に入る。

とぷん、と、小さく水音を立てて、彼は肩まで湯に浸かる。

髪の先が、湯の中でふわりと揺れて、身をくねらせるように踊った。

俺も、身体と頭を洗って、そこに続いた。

「ちょっと狭いかな」

「いいですよ…。ぼく、平気です…」

俺の足の間に座った彼の頭を、手のひらでぐりぐりと揺すりながら、温かい湯の中で、ほうっと、息を吐いた。

冷えていた指先やつま先に、体温が戻って、こわばっていたものがほぐれていく。

とぷとぷと音を立てて、湯が揺れる。

身体が揺蕩っているような、穏やかな錯覚に、うっとりと身体を預け、彼の身体に腕を回した。

この身体がつい先ほどまで、俺の下で、パトカーを求めて拙く性を貪っていたのかと思うと、いじらしいような、性を教え込むいたずらの、ものを汚したいような欲求が、ふつふつと腹の奥に芽生えてくるのだ。

そう腹の奥で思いながらも、自分の胸に背中を預け、なにか空想して遊んでいるのだろう、彼の肩を、ねこを撫でるような穏やかさで触っていた。

どちらがよりよい、というわけではないのだ。

俺はこうして、彼と穏やかな惰眠を貪るような時間も好きだし、彼を責め苛むのも、彼を性の捌け口にするのも、どれも好ましく思っている。

それは彼が相手でなければならなくて、恐らく、彼以外の誰も、代替としてあてがうことはできないだろう。

怪異に魅入られた、と言えば、なにかしら言い訳が立つのかもしれないが、俺は俺の意思を持って、彼を持ち帰ったのだ。

一切の言い訳もなく、俺は、彼を自ら受け入れたのだ。

彼がそれをどう思っているのか、どう解釈しているか、俺は未だに彼に尋ねたことはない。

少なくとも、彼があの息づく家に戻る回数が減り、ここで俺と暮らすことを良しとしているのならば、それは少なからず、肯定の意思があるものと捉えている。

濡れ髪の彼の頭を、見下ろしながら、彼がなにを考えているのか読み取ろうと思ったけれど、どうにも、そんなことは叶わなかった。

彼の気持ちが知りたくて、彼の身体を触った。

「ん…」

小さく彼が声を漏らした。

彼の腕を、手のひらを、かたちを確かめるように、握っていく。

薄い胸も、腹も、俺の胸に押し付けた背中も、どれもどうにも頼りないものであって、けれどこうして俺の前にあった。

柔らかな太ももも、ふくらはぎも、足首、いびつに焼かれた痕の残る爪先も、俺が好ましく思うかたちであった。

「おまわりさん…?」

彼が俺を振り返って、黒いまなこで見ている。俺を、見据えている。

底のない黒い瞳を逃さないように、彼の頬を両手で挟んで覗き込む。

赤い金魚がいないか、探した。

深い水面の奥に隠れた金魚を、見つけることは叶わなかった。

彼の水面のような眼球に向けて、俺は舌を出す。

ぬらり、と、彼の瞼をこじ開けて、俺の舌が彼の眼球を這う。

内側にいるものを探すように、彼の何かを探るように。

柔らかく、滑らかな薄い塩味のする、いとしい眼球を、俺は舐めた。

「お、まわり、さん…」

「うん」

返事にもならないような音を返して、俺は彼の眼球を舐める。

いとしい水面が、俺の舌の先に嬲られて、割れそうで割れない甘やかな姿を保っている。

彼のまつ毛が、俺の舌に当たる。

細く連なる縁取りをも、俺は味わった。彼は時折、小さく呻いて、眼球を舐められるあの独特のむず痒さを享受している。

湿気た浴室の中で、俺が彼の眼球を舐める、ぴちゃぴちゃとした音が響いた。

「ぼく、のぼせて、きちゃって…」

舌を離すと、俺に向き直って、彼は言った。上気したように赤くなった頬は、熱く、奇しくも扇情的であって、俺は彼のまぶたに口付けた。

とぷん、と、湯船になにか落ちて、音を立てた。

「鼻血が…」

彼の鼻から、赤い血潮がぽたぽたと落ちて、湯に広がり、薄められて消えていく。彼は、のぼせと酸欠で、ふわふわするようだと、俺に言った。

彼の鼻先に唇をつけて、垂れていく彼の血を舐めた。

舐めた程度では、拭い取れない程に、溢れてくる血を見て、唇をつけて、啜った。

ずる、と、音を立てて、彼の血潮を口に含んだ。

舌の上で、酸味とも苦味とも、それこそ甘味ともつかない、その味を、転がすように味わって、ごくりと、喉を鳴らして飲み込んだ。

「げほっ…」

彼が好むとは言え、俺自身がそれを全て同意できるとは限らず、鼻を抜けた濃い鉄の味と、独特の生臭さに、俺は咳き込んだ。

血にまみれた彼の顔と、その黒いまなこ。朦朧としかけた彼の意識。

今なら、彼を押し開いて抱いたとしても、夢現つの意識の中で、許して貰えるのではないかと、打算した。

鎌首をもたげていたものを、手でしごいて立たせ、彼の腰をそこに下ろさせる。

怪我をするだろうか。けれど、彼の傷はすぐに治る。構いやしないと、狡く考えて、俺は彼の中に身を沈めた。

「ゔ、あ…」

彼が呻いて、俺の胸を引っ掻く。

ちりちりした痛みも気にならず、彼の腰を、浮力を使って上下させ彼の内側の柔らかな粘膜を楽しんだ。

揺さぶられるたびに、彼の鼻からは、ぼたぼたと鮮血が流れ落ち、湯船の中で霧散する。

されるがままに、ぐったりとした彼の身体を使って、俺は彼を貪った。

「ん、ぐ、ぅ…げえっ…」

彼の口から、胃液と未消化の食べ物が吐き出されて、俺の胸にびたびたと落ちた。

揺れる湯の波に流され、湯船の中で彼の血潮と混ざって薄められていく。

湯気に混じって残った、酸いにおいも介さず、俺は続けた。

彼の吐瀉物と、血液の中で、彼とこうしているのだと思うと、恐ろしくしあわせな気持ちだった。

「げえっ、げっ…げっ…。う、げほっ…。あぁ…」

上手く呼吸ができていないのだろう。彼は眉を八の字にし、顔を歪ませて、何度もえずき、吐き、むせながら、俺の楽しみに付き合わされている。

彼の下腹部の辺りから、黄色い液体が流れ、それもまた、湯に溶けて薄まっていく。

きたない、とは、思わなかった。

どろどろと湯船を汚す彼の吐瀉物と体液が、それはそれは心地よかった。

彼のものの中で、彼を犯しているのは、素晴らしく穏やかな気持ちであった。

「おま、わり…さ…」

ちからの抜けた手のひらが、俺に向けられて、届くことなく湯面に落ちた。ぱしゃりと跳ねた水飛沫の先を探って、彼の手のひらを握る。

菓子のような手が、俺の指を弱々しく握り返した。

「もう、済ませるから」

「ん、ん…」

ざぷ、と、湯面が大きく波打つ。

彼を動かすのではなく、俺が身体を動かせば、大きく湯面が波立ち、湯船を乗り越えて、彼の体液を溶かした湯が流れていく。

体液の波の中で、彼を抱いた。

その彼の中で、俺は射精した。どろどろと、自分の吐き出した精液が、俺のものにまとわりついて、そして彼の中にしみこんでいく。

少しでも、彼の内側に、俺のものを、ひとの業をとどめておきたくて、すぐには彼から離れることができなかった。

追い炊きをしていなかった湯は、随分とぬるまってしまって、体温に近く冷えた湯は、俺の身体の火照りを、薄めていってくれた。

そうしてから、ようやく、俺は彼から陰茎を引き抜いた。

収まりきらなかったものがついて出てきて、湯の中で白く、固まりのまま浮かんでいた。

彼の体液の中に、射精したような気分だった。

風呂の栓を抜いて、彼を抱きかかえて湯船から出る。

彼は立てずにいたので、抱きかかえたまま、シャワーで全身を流してやった。鼻血も止まっていたので、濡らした手のひらで、血まみれの顔を拭う。

彼はまだ朦朧としていたけれど、呼吸は穏やかなものに戻っていた。

そうしてから、俺も自分の身体をすすぎ、浴室を出る。

彼の身体を拭いて、俺もそうして、彼と一番時を長く過ごす場所に戻った。

雨戸で外界から切り取られたままの寝室は、どうにも静かで、彼に水を飲ませ、布団に寝かせた後は、彼の寝息ばかりが部屋に残った。

ひゅう、と、風の音が聞こえて、彼の寝息が掻き消される。

俺はたばこに火をつけて、彼の血の味を思い出しながら、苦く甘い煙を吸った。

嵐が過ぎ去るのを待つ、俺はひとりで、じっと、彼の寝顔を見ていた。

彼の伏せたまつげの先の、深い深い水面を、俺はとかく、愛している。




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