第25話 ぼくとパトカーさんとおまわりさんとまいご
隣の街には、ぼくがお気に入りのお店がある。
そこは、模型屋さんで、ぼくはあんまりお金を持っていないから、たくさんは買えないけれど、そこにいくとパトカーさんの模型が山積みになっている。
見ているだけで、しあわせになれる、素敵なお店だ。
久しぶりにそこまで遊びに行こうと思って、ぼくは電車に乗った。
切符を買って、改札を通る。駅員さんがいるのが少し怖いけれど、パトカーさんの模型のことを考えると、このくらいへっちゃらだ。あんまりひとのいない、改札口を通り抜けて、階段を上って、ホームにいく。
電車を待ちながら、おまわりさんにメールをした。
今日は電車さんに乗ってきます。
少しして、おまわりさんから、気をつけて、と一言だけ返信がきた。
お昼を食べてから家を出て、隣町に行って帰って、晩御飯には交番に行く。完璧な予定だ。
ぼくはわくわくしながらホームに立っていた。
回送の電車さんが、ごうっと音を立ててぼくの前を通り過ぎていった。風圧に倒されそうになる。
真四角の顔が、ぼくのことをちらっと見ていったのが嬉しかった。
じきに、ぼくが乗りたい鈍行の電車さんがやってきた。
ぷしゅーっと音を立てて、ぼくの目の前で、ドアが開く。電車さんが、「さぁ、乗って!」と、にこにこしながらぼくに話しかける。
ぼくは切符を手に持ったまま、電車さんに乗った。
ふかふかの座席が気持ちいい。目当ての駅まで、十五分くらいだ。
車窓から、どんどん景色が飛んで行く。緑色の山に、田園風景。小さなモンシロチョウが、一瞬だけ見えて、後ろの方に飛んでいった。
もしかしたら、交番のパトカーさんじゃないパトカーさんが警邏をしているかもと、高架の下を走る車さんたちにも目を凝らした。
あれはクラウンさん。十一代目。あれはレガシィ。あれはクラウンさんで、十二代目。みんなパトカーさんと同じ顔をしているし、みんな違う。
一台ずつ、いろんなクセがあって、いろんな性格をしているのを、知らないひとは多い。
みんな忙しくて、すぐ忘れてしまうのだ。目に見えるもので、いきていないものの方が少ないということを。
知らないことは、知ろうとしていないだけだ。
楽しい十五分はすぐに過ぎて、ぼくは電車さんを降りた。
改札を抜けて、模型屋さんに寄る前に、見かけた野良猫を撫でたりする。
散歩をするのも、すてきなことだ。
ゆっくり歩くことは、きらきらしたすてきなものをたくさん見つけることができるから。
駅前の、金属のオブジェが、ぼくを見ている。ねじれた先にある丸い玉が、とてもおいしそうで、すきだ。
ロータリーに並んだ、たくさんのタクシーさんたちに、今日は乗らないよ、と、少し残念な挨拶をする。またの機会に、と、タクシーさんたちが笑う。
路地を駆け抜けるねこ。排気ガスのにおい。どこかの誰かが落っことした、何かのナット。
パチンコ屋さんから抜け出してきた、小さな球を拾って、ポケットにいれた。
開閉するドアの音。車のエンジン音。
音から色が出て、色から音が出る。すてきな絵は、曲になるし、その逆にもなる。
気持ちいい模様の描かれた商店街を抜けて、大通りから、一本外れた道へ。
いつもの模型屋さんに行って、パトカーさんの模型を見せてもらう。
店主のおじさんは、こちらのことに気づいてはいるけれど、話しかけなかったら、絶対に話しかけてこない。
ショーケースの中に、貴金属のように並べられた、きれいな模型。
積まれたプラモデルの、紙の箱。
隙間を縫っていく、古い商品のにおい。
いいな、欲しいな。そう思うけど、精密に作られた模型は結構するので、値段を覚えておいて、お金を貯めてからまた来よう。
じっと、ガラス越しに、パトカーさんの模型を見て、またくるからね、と伝えておいた。
模型屋さんを見た後は、この街のパトカーさんを探して、また散歩をした。
一つ目の白バイさんは、すごくきれいな目をしているから、ぼくは見るたびにおいしそうで舐めたくなる。
救急車さんも、消防車さんも、本当は出動しないほうが平和なのだけど、やっぱり走っていると嬉しくなる。
道を行き交う車さんたちを、歩道橋から眺めるのもだいすきだ。
ひゅんひゅんと通り抜けていく、いろんな車。
みんな違うし、みんなかわいい。
ぼくは、しっかりと歩き回って、かっこいいパトカーさんたちを見て回った。時々、こっそり写真も撮らせてもらった。
コンビニで買ったお茶を飲みながら、休憩をする。たくさん歩いたら疲れてしまったのだ。
スマートフォンの時間を見ると、まだ帰ろうと思っていた時間よりは少しだけ早かったけれど、ぼくは駅に向かうことにした。
また切符を買って、電車に乗る。
がたんごとん。がたんごとん。
気持ちのいい振動と、午後四時の和らいだ日差しが暖かくて気持ちがいい。
疲れていたし、今日は早く起きたから、ぼくは眠たくなってしまった。起きていようとゲームを開いたけれど、重たくなる瞼に勝つことはできなかった。すこしだけ、すこしだけだから。
ぼくが目を覚ました時、周りはひとでいっぱいだった。一時間近く眠ってしまったらしい。
ぼくは、全身がさぁーっと冷たくなるのを感じた。ここはどこの駅だろうか。駅名を確認しなくちゃ。
停車した駅で、ひとの波に押されながら、電車さんを降りる。見えた看板は、この辺りで一番大きな街の名前だった。
乗り換えなくちゃ。
スマートフォンをいじろうにも、ひとの足はとまらない。押されて進められてしまう。どんどんと、改札口の方に。
「あ…う…うぁ…」
改札口の中に押し込まれる。切符を入れていない。サラリーマンのおにいさんの背中にぺったりくっついていたせいで、切符をいれずに改札を通ってしまった。精算もしていない。キセルだ…!とんでもないことをしてしまった。
窓口で、わけを話してお金を払いたい。でも、ひとの波は、そんなことに構わず、ぼくを押し流して、繁華街の方へ向かわせていく。
ぐるぐる入れ替わるひとの顔。誰が誰だかわからない。ひとが。ひとが混ざり合って、ぐにゃぐにゃになる。ぴかぴかするネオン。反射するひとのかお。
背中を押される。立ち止まれない。ぼくは、濁流の中の木の葉のように、くるくると翻弄されて、進んでいく。
ぼくがようやく、自分の意思で足を止めた時は、高いビルに囲まれて、駅の建物が見えなくなってしまっていた。
日が陰ってきていて、空は暗く、街はどんどん明るくなる。金曜日の夜は、ひとがいっぱいだ。
ゲームセンターの前で、高校生がたむろしている。おんなじ制服、おんなじ鞄、おんなじ髪型。
こわい。こわい。こわい。
中学生が、汚い言葉をあげてじゃれあっている。
声変わりしかけた、変な高さの声。
おんなじ鞄に制服。こっちもみんなおんなじだ。
こわい。こわい。逃げなくちゃ…。
ぼくは、とにかく心細かった。ほとんど知らない街で、パトカーさんに会いたい一心で交番を探し回った。
そんな時に限って、スマートフォンのGPSはうまく働かないし、ぼくはこわいひとたちから逃げたくて、めちゃくちゃに街を歩き回った。どんどん暗くなっていく。
とうとうぼくは、繁華街に置かれたベンチに座って、動くことができなくなってしまった。
たくさんのひとが歩いている。誰もぼくを気にしないといい。溶けてしまいたい。もしおんなじような格好をしたひとたちが、ぼくを見つけたら、おんなじようなひとにしようとしてくるはずだ。
いつだって、みんな、おんなじような仲間を増やすために待っている。
ちがうかたちのものを、おなじようにして、安心したいんだ。
「うっ…」
ぼくは、パーカーの裾をぎゅっと握った。
ポケットの中のスマートフォンが、ぶるぶるっと震えた。
表示された名前は、おまわりさん。ぼくはほんの少し安心できた。
「晩御飯、食べにくるんでしょ?」
そのメールに、ぼくは返信をした。
〔まよってしまって、いまどこにいるのかわかりません…。かえれない…〕
送信して、すぐに、おまわりさんから電話がかかってきた。
しゃくりあげそうになる声を抑えて、電話に出る。
聴き慣れたおまわりさんの声が、ぼくの右耳から染み込んで、脳みそを触る。
あったかい安心が、ふわっと広がって、つんとしていた鼻の奥が、ゆっくりと元通りになっていく。
「どこかわからない?駅名は?あぁ、そこか。うん。何が見える?店の名前○○、栄駅前店だな多分。わかった、迎えに行く。あんまり動くなよ。車なら四十分くらいかかるだろうから」
おまわりさんは、すぐにぼくがどのあたりにいるのかわかってくれた。
低い声が、ぼくを宥めようと、「大丈夫だから」と、繰り返す。
「あ、あの、おまわりさん…、ご、ごめんなさい…」
ぼくの謝罪の言葉に、おまわりさんは、「気にするな」と言って、通話を切った。
早く来て欲しい。ぼくは、祈るような気持ちでスマートフォンの画面を見ていた。
ゲームをちょこちょこやっている間に、時間は過ぎていく。ひとはどんどん増えて、ぼくは顔をあげることもできない。電池が減っていく。
ぼくは、ゲームをやめて、パトカーさんの画像を溜め込んだカメラロールを見ていた。
パトカーさん。おまわりさん。
はやくきてほしい。
前髪の隙間から、周りをちょっとだけ窺う。
きれいなおねえさんが、男のひとと腕を組んで歩いている。たくさんのひと。
お酒のにおい。大きな声。走るバイクの甲高い音に、ぼくは思わず身体を硬くした。
こわい。こわい。こわい。
いっそのこと、どこかの知らないおまわりさんに職質されてしまいたい。不審者で連れて行かれて、交番の中に入れてもらえれば、少なくともここよりきっとこわくないはずだ。
パトカーさん。パトカーさんに会いたい。パトカーさん…。
ポケットの中に手を入れると、改札口に入れそびれてしまった切符が出てきた。そうだ、ぼくはキセルをしてしまって、わざとじゃないけど、悪いことをしてしまった。もしかしたら、交番に連れて行かれたら、逮捕されて刑務所に入れられて、パトカーさんに会えなくなってしまうかもしれない。
パトカーさん…。つるつるすべすべの、素敵でかっこよくて、優しくて強いパトカーさん。
ぼくは、下を向いて、パトカーさんのことを考え続けた。パトカーさんがいてくれたら、なんにも不安にならなくて済むのに。
革靴が、ぼくの視界に入ってきた。黒い革靴。
「ひっ…」
ぼくが小さな悲鳴をあげると、聞き慣れた声がした。
「きみ、ちょっといいかな」
「おまわりさん…」
おまわりさんは、周りを窺いながら、当然だ。本当は、ぼくを理由もなくパトカーさんに乗せたりなんてしちゃいけないんだから。
ぼくの肩に手を置いて、ぽんぽんと二回叩いた。
「ちょっと、あっちで話を聞きたいんだけど?」
「あ、あ…パトカーさん…パトカーさん…」
おまわりさんに連れて行かれて、ぼくはパトカーさんの後部座席に乗り込んだ。
そうか、これなら、おまわりさんが中で話を聞くためにぼくをパトカーさんに乗せたって周りには見えるはずだ。
おまわりさんは、運転席に乗って、パトカーさんのエンジンをかけた。
「待たせたね。結構道が混んでてさぁ…」
「ありがとうございました…」
「ん、いいよ。帰ってメシにしよう。シチュー作ってきたから」
おまわりさんがアクセルを踏む。
パトカーさんが、よかったよかったと、ぼくに言う。
安心したら、どっと疲れがやってきて、ぼくはパトカーさんの革張りの座席に横になった。
キセルの切符は、明日また駅に行って駅員さんに事情を話そう。
あんなにうしろめたくて怖かったことが、パトカーさんに乗っているだけで、きちんとしたら大丈夫なことに思える。
シートに耳をくっつけると、パトカーさんの振動と、いろんな音が聞こえる。パトカーさんだ。ぼくが一番よく知っているパトカーさんと、それを運転するおまわりさん。
白い手袋が、ハンドルを動かしている。
おまわりさんは、時々、ミラー越しにぼくのことを確認してくれている。安心する。
怖くない視線。
ああ、そういえば、おまわりさんが初めてぼくに話しかけてきた時のことば。
あれも、「きみ、ちょっといいかな」だった。
あの時のおまわりさんは、ぼくのことを完全に不審者だと思っていて…。
そう、久しぶりに聞いたその言葉は、ぼくをごく自然に助けるための言葉に変わっていて、ぼくはなんだか、それがすごくうれしくて、ほわんほわんしたうれしさを抱きしめるようと、身体をぎゅっと丸めた。
窓の外には、きらきらの街頭が流星群みたくすっ飛んでいった。
了
初出20160330
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