第51話 抜歯
肩に、噛み跡がある。
それは、肩だけによらず、首や二の腕、上腕、胸や腹、足に至るまで、その丸く紫に変色した痕を残している。
彼の噛み癖は、一向に収まる気配がなく、俺が何度か、「見えるところにつけるな」と、妥協案を提示しても、それを忘れて、繰り返している。
じきに夏がくる。
腕をまくるだろうし、ネックウォーマーも外す日があるだろう。
その時に、こうも鬱血痕を残していては、本来の業務に支障をきたすだろう。
第一、未だ、町内の皆様の認識、すなわち、「気さくで優しく、頼れるおまわりさん」のレッテルを、返上しかねない事案である。
そうなる前に、何かしら手を打って、彼に思い知らせてやらなければなるまいと、俺は考えていた。
結論は、単純明快で、彼の歯を抜いてしまえば、当分噛むこともできないし、俺がどの程度、その行為に困っていたのか、彼に伝わるだろう。そういう算段であった。
そうして、彼を椅子に座らせ、手足を縛り、動けなくして、今に至る。
恫喝して、彼を従わせるのは、簡単だ。
けれど、そうして彼に、俺の望みを叶えさせたところで、俺に残るものと言えば、じっとりとした罪悪感と、彼が納得云々を放棄し、怯えて従うという、望まない結果だけだ。
そんなことをして手に入れた従順さに、何の価値があろうか。
俺は、彼の顔に鼻先を近づけ、じっと、彼の目を見た。
黒い水面が揺れて、草葉の隙間から覗くように、長い睫毛の縁取りをしばたたかせ、俺を窺った。
「噛み癖が治らないからね」
彼の頬を撫でる。
手のひらに擦り寄る、彼の頬はいじらしい。言葉にならずとも、彼が俺に、ごめんなさい、と、言っている気がする。
右手にぶら下げたペンチを持ち直し、彼の小さな前歯に当てた。
「あ…」
「よく覚えていられるようにね」
あやすように、声は穏やかだ。
手足があたたかく、しあわせな気持ちだった。
硬いペンチが、彼の前歯を挟む。
「ぎ…」
彼の殺した悲鳴。
がくがくと揺さぶりながら、前歯を引き抜く。
途端、どぱっ、と、傷口となったそこから、血が溢れ、一瞬、彼を溺れさせる。
「ア…アァ…」
歯抜けの彼も、それは可愛らしく思えた。
隣を無くして、頼りなく傾いた前歯をペンチで掴む。
みちみち、と、歯茎と、神経だかがちぎれる音がして、彼の前歯が、床に落ちて転がった。
肉のついた歯を拾い上げ、俺はそれを口に含む。
彼の味を、すっかり歯でこそげてしまいたかった。
抜いた歯を見失わないように、集めてポケットに落とし込む。
「はっ…は…ぁ゛…。ア゛…」
「奥歯は兎も角、悪さするのはね。前の方だから、全部取っちゃおうね」
「ヒャ…ヒャイ…」
前歯四本と、犬歯を二本。それを上下だ。ゆっくりと楽しみながら抜こうと思い、俺はじんわりと口角をあげる。
俺が笑ったのにつられて、彼も微笑んだ。
彼の顎を掴み、薄い前歯をペンチがしかと掴む。
揺らした瞬間から、血液が滲み、隣の傷口が圧迫され、押し出された血潮がどぷりと彼の口から垂れた。
みし、みし、と。
薄い前歯は、容易く外れ落ち、俺はそれを摘まみ取って、口に含む。
ころ、と、飴玉をねぶるように転がしながら、四本目の前歯を抜き取った。
「次、犬歯ね」
彼の歯を二つ、口に入れたまま、俺はそう呟いた。
鼻の奥に、彼の血の匂いがこびりつき、彼を食ったような錯覚。
尖った犬歯に、ペンチが滑る。
歯を欠けさせてしまいたくはないのだ。
服の裾で、ペンチについた血を拭い取り、しかと、硬い両刃で、犬歯を捉えた。
「イ゛…ぎ……」
一本足の犬歯が、彼の唇から転がり落ちる。
それも、やはり口に含み、血を舐めとってから、ポケットに入れた。
上の歯は、次で終わりだ。
掴んだ犬歯を、わざとがくがくと揺らす。
歯茎がたわみ、弛んで、ほろりと、白い犬歯が抜き取れる。
上の前歯を出して、彼がわらう顔は好きだったが、しばらくそれは見られなくなりそうだ。
ポケットの中の六本の歯を、指先で弄び、痛みに呻く彼を、俺は見ていた。
それは、観ていると形容するほうが的確で、いっそ、観賞していたと呼ぶべきかもしれない。
動けない彼が、苦悶の唸りを上げ、泣きながら、血を吐いている様は、ひどく煽情的だった。
脂汗と鼻水にまみれ、それらが顎を伝い、血潮と混ざり合って、どろりと、彼の膝の上に落ちていく。
フェラチオのあとの、飲みきれなかった精液が、彼の顎を伝って落ちる時にも似ている気がした。
「下ね」
「ヴ…」
上のそれより小さい前歯を、一本だけ掴むのに、難儀した。
その上、こちらのほうが薄く、脆くあるのだ。折れたり、砕いたりしてしまえば、本来のかたちを見ることが難しくなってしまう。
俺は、ラジオペンチに道具を取り替え、その尖った先端で、彼の小さな歯を掴み取る。
きし、きし、と。
滑り止めのぎざぎざが、彼のエナメル質を削りながら、それでも、彼の歯を引き抜く。
「ゔ、ぅぅぅっ……」
ぜはっ、と、彼が、引っかかるような息を吐いた。
それを繰り返すうちに、口に含んだ小さな前歯は、四本になっている。
散らばった歯を、口内で転がし、楽しんだ。
ころころとした動き、彼の血の味、肉の味。
俺の歯に、彼の歯があたり、小さく、かちりと、音を立てるのだ。
噛み砕いた飴玉とも違う、しっかりとした硬さと、重みのある、人間の歯。
彼の歯。
俺はそれが愛しくてたまらなかった。
あと二本。
たった二本で、終わらせてしまうのが、とても口惜しく、けれど、先に進まねばならない。
小ぶりな犬歯を、ラジオペンチで掴む。
揺らし、揺らし、彼の身体に、なるべく長く痛みが与えられるように。
彼がほたほたと、泣けば泣くほどに、俺のこころはあたたかくなっていて、切なさすら覚えていた。
最後の一本は、乱暴に、折り取るように、歯茎から外した。
血反吐を吐きながら、彼が呻いている。
彼も本数を数えていたのだろう。
おわった、と、そう思って、顔を伏せるものだから、飲み込めずにいた血と唾液が、びたびたと、床に垂れた。
その頬を掴んで、顔を上げさせる。
傷口だらけの彼の口内に、指を差し入れ、柔らかい歯茎を、指の腹でぐりぐりと押して遊んだ。
それは、程よく柔らかく、けれどしなやかに固く、俺はそこに、いきり立つ雄の熱を収めさせたくてたまらなかった。
引き抜いた指を口に含む。
彼の血は、俺の上顎に甘く、舌には苦く残った。
浅ましい汁を垂れ流すものを、彼の口におさめる。
阻む固さのない彼の口内は、湿っていて温かかった。
普段なら俺のものに添える彼の手は、不自由なまま、椅子に張り付いている。
けれど、俺のものを押し込まれれば、彼の舌は、ゆっくりと、転がすように、先端をねぶる。
奥へ、入りたいと思った。
彼の後頭部を抑え、深く、彼の咽頭へと、熱を押し進める。
彼が、うっと唸って、嘔吐感からの涙を滲ませ、裏筋に舌をあてがった。
前歯を無くした彼の内側は広く、上顎のおうとつに先端を擦り付けても、俺を痛ませるものはない。
上顎を擦り、その先の、柔らかな部分と、口蓋垂の粘膜を削り、深く繋がる喉へと、ストロークを続ける。
彼の唾液が溢れて、口の端から、血泡となって、垂れていく。
「ふぐぅ…ふっ…ん゛っ…。ぐぅっ…」
腰を動かし、陰茎を抜き挿しするたびに、堪えた泣き声のような音が、彼から零れ落ちる。
未だ止まらない、傷口からの出血と、彼の唾液が、ぬるぬると俺に絡みつき、温かいゼリーの中に挿し入れているような錯覚を憶えさせた。
彼が吸い付きながら、歯茎を使って、俺を締め上げる。
挟み込まれた竿を、その隙間で往復させるのは、腰が震える程に好ましく、俺は何度も、深く息を吐いた。
彼の舌が、熱く絡みつき、カリ首を淫らに撫で回す。
時折、唾液を飲むのだろう。
嚥下する喉が、俺の先端を、一緒に飲み下そうとする。
彼の咽頭深くに、浅ましい欲を押し込んで、吸われるように、射精したかった。
俺の陰茎を、根元まで彼に咥えさせる。
息ができないのだろう、顔を赤くして、彼は、ふうふうと、唇の隙間から酸素を求める。
ピストンに押し出された、口内の血と唾液が、彼の鼻から垂れ、漏れ出す呼吸に泡立っていく。
「ぶ、ふぅっ…。ぶっ…んぶっ…」
わざと緩慢な動作で、彼の顔が汚らしく歪むのを楽しむ。
俺の行動によって、彼がこんな顔をしているのだと思うと、それはたまらなく甘美なものとなって、俺の背筋をくすぐっていく。
「ア゛……」
「もっと奥。咥えて」
「ご、ぉあ…」
きゅう、と、喉が俺を締めつけ、早く中に流し込んでくれと強請っている。
どろどろに汚れた、彼の顔の中で、黒いまなこが、揺れる水面のように瞬いて、俺を見上げた。
「ひどい顔だ」
「ゔ、ゔーっ…」
「すごくかわいい」
ごり、と、彼の咽頭を削り、彼の傷など考えずに、腰を振った。
性行為をするような、粘着質に濡れた音と、肌を打ち付ける乾いた音。
俺はその音を聞きながら、彼の顔を見据えていた。
たまらなく、いとしく、彼が眉を寄せて、必死に嘔吐感を耐えているのだ。
おれのために。
彼の後頭部を掴んだ腕にちからが入る。
奥へ、奥へと、押し込まれた陰茎を、そのやわい壁に強く押し付けた。
ぞくぞくと、身体を震わせ、彼の喉に射精する。
そのまま、数回ピストンをしたものだから、流れ切らなかった精液が、彼の鼻から溢れ出した。
漸く、彼の口腔を凌辱し終わり、陰茎を引き抜いた頃には、彼は鼻と口から、精液と血液の混合物を垂れ流し、呆然としていた。
頭の中に腰を打ち付けられたも同然だろう。
彼の目が、白目を剥きかけ、開いた口からは、舌がはみ出していた。
そのちからない先端から、体液の混ざり合ったものが、糸を引いて、落ちていく。
朦朧としたままの彼の手足の拘束を解く。
解放された腕は、だらりと垂れ下がり、締め付けるもののなくなった両足は、股をさらけて、開いていた。
暴行され、打ち捨てられたような姿は、哀れで、そして愛らしかった。
それをしたのが、俺だという満足感は、言いようもなく、彼が呻き、目を開けるまで、俺は、じっと彼を見据えていた。
「は…う…」
「おはよう」
彼が、じっとりとした目で俺を見る。
「おはやうござ…うっ…」
ごぷ、と、彼の喉が膨らんで、口に当てた指も虚しく、胃に滞留していた、血と精液の混合物を、びたびたと、床に吐き出した。
「げっ、げえっ…。げっ…おえっ…」
腹一杯に、血と精液を飲ませた上、ああも喉を削ったのだ。
彼は、ぜえぜえと、肩で息をしながら、吐き出したものを手に受けて、表情のない顔で、それを見ていた。
「喉が…」
「痛いだろうね」
歯抜けのせいか、それとも口内を乱暴に扱われたせいか、呂律が回っていない。
「片付けて、なにか食べる?」
「あーー……」
ほんとに歯がなくなっちゃった、と、彼は自分の口に指を突っ込みながら、言った。
「噛む場所、気をつけないと、お肉食べるの難儀することになるよ」
「ひゃい…。きをつけまひゅ…」
ふるふると、かぶりを振り、彼が立ち上がる。
抜歯したものを、彼に渡すと、嬉しそうにしていたので、彼の価値観とは、よくわからないものだと再認識した。
血みどろの彼と、床とを洗い流し、遅くなった昼食を、台所で作った。
「今日のおひる、なんでふ、か」
「雑炊。噛みきれないでしょ、それじゃ」
「ん…。いいにおい…」
とろりとした雑炊を、器に盛り付け、そこで、ふと、彼の口に手を伸ばした。
「あ、固くなってる」
「んっ…」
傷口だった歯茎は、すっかりと、その傷を忘れ去り、その下に、小さな前歯を隠し持っているようだった。
「三日くらいかな……生え揃うまで、赤身肉は無しね」
「えぇ…。う…わかりました…。わるいのはぼくだから…」
彼は素直にそう答えて、座卓に座る。
ごとりと、置かれたどんぶりの中身を、スプーンで舐めながら、
「全部生え揃ったら、おにくですね…!」
至極たのしみだと、言った風に。
あの凄惨な出来事を、まさに日常の一部だとするように、嬉しげな声で、そう言った。
了
2016/11/10
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