第39話 釘打ち
車庫の中に、こんこんと音が響く。
釘が弛み、たわんでしまった本棚を組み直すべく、俺は敷いた新聞紙の上で日曜大工に勤しんでいた。
単純な作りの本棚を、木板の状態に戻し、枠組みし直していく。
一枚板を抜いて、大判の本が入るように調整する。
軽快な音を立てて釘を打ち込むのは、なかなかどうして楽しいもので、真っ直ぐに木片の中に埋まりこんでいく硬い釘を見ていると、わくわくする。
奥まで打ち込むと、釘頭が木材にめり込み、抜けなくなる。
釘抜きを使っても抜くことのできない、その姿を見ながら、俺は彼の身体に釘を打ち込む想像をしていた。
硬い木の板とは違うだろう、柔らかい手応えと、すんなりと皮膚下に喰らいつく鉄釘を思い、よくない傾向だとかぶりを振った。
案の定、聞き慣れない音を聞いて、彼が車庫にやってくる。
俺がなにか作業をしているのに気づくと、近寄り、俺の手元をじっと見ていた。
「おまわりさん、本当になんでもできますね…」
感心した声で、彼は言う。
よくよく思えば、彼は不器用ではないのだけど、できないことがそれなりに多い。
料理は、あまり回数をこなしたことがないと言えど、たとたどしく刃物を扱う姿は、思わずこちらが手を出してしまう程ではある。
工作も嫌いではないようだが、図画工作から技術の授業になると、あまり達者とは言えない。
拙い彼は、単純に経験値が低いのだろうと俺は思っているが、彼自身はどうなのだろうか。
「横から打ち込むんですね…」
「縦に負荷がかかるからね」
もう暫くは使えるだろう状態に組み直した本棚を、車庫の隅に移動させる。散らばった釘を拾い集め、ケースに戻していると、彼が隣にしゃがみ込んだ。
「おまわりさんはやっぱりかっこいい…」
新聞紙の上に残った木板を撫でながら、彼が言う。
彼の薄い手の甲が、木目を撫でる様を、俺はじっと見ていた。
彼が「おまわりさん?」と、訝しげに俺を呼んだ。手を伸ばし、掴んだ手首は、俺の指がぐるりと回り、充分に余る。
驚いた彼が、腕を引っ込めようとするが、固定するようにちからをいれた俺の腕は、彼の腕をその場で固定する。
「動かないでよ」
俺がそう言うと、彼はちからを抜いて、ぺたりと木板の上に手のひらを押し付けた。
彼の手の甲に、鉄釘を立てる。
釘頭をこつこつと、箱屋金槌で叩くと、彼は小さく声を漏らした。
想像した通り、柔らかい肉には難なく鉄釘が埋まっていく。けれど、骨の隙間に挟まってしまい、緩く打ち込むだけでは刺さらなくなる。
金槌で強く釘頭を叩くと、彼の骨と骨の隙間を割り開き、その鋭い先端は手のひらを突き抜け、板に食い込んだ。
「あ゛ぁぁ…!」
彼が悲鳴をあげる。俺は、彼の手の甲に釘頭がめり込むまで、板に打ち付けた。
突き破られた肉からは、滲み出すように彼の血潮が溢れ、ゆっくりと流れて指の間に落ちていく。
俺はもう一本、鉄釘を彼の手の甲に打ち込んだ。
伏せた彼の表情を窺うことはできなかったが、きっと痛みに苦悶を浮かべているのだろう。
「反対も」
俺が言うと、彼はやはり素直に、板の上に手を置いた。
こつ、こつ、と、小さく、ゆっくりと、彼の中に鉄釘を穿つ。
なるべく、ゆっくりとだ。
繊細な手のひらの神経を辿って、彼が自分の中を少しずつ金属が押し進んでいるのを意識できるように。
柔らかな湿った肉を、金属が貫き、摩擦し、貫通すべく押し進む様を。
彼が、感じ取れるように。
両手を板に打ち付けられ、彼は顔を伏せたまま、呻いている。
鉄釘を支える俺の指には、彼の手の甲の骨が、肉が、鉄釘によって押し開かれる、僅かな変化が伝わってくる。
彼はうつ伏せ、後ろ髪からうなじを覗かせ、そこに潜む丸い骨の膨らみを露出させていた。
俺は彼の背中に並ぶ、背骨のおうとつを思った。
うつ伏せるように彼に言い、Tシャツの裾をめくって彼の背中を露出させる。
彼の太ももに腰を下ろし、彼の素肌に指を置いた。
彼の背骨のおうとつが、まっすぐに並んでいる。それはまさしく、以前炭になる程に俺が焼き上げた彼の背の階段であって、俺はこの小さな丸いおうとつを、とても好ましく思っている。
浮き出した彼の脊椎のでっぱりの、ごろりとした感触を指で楽しんだ後、俺は、ここに順繰りに、鉄釘を埋め込んでいくことを決めた。
俺は、彼の腰あたりに、一本目の釘を植え込んだ。
骨を貫いてくれることを期待しながら、強いちからで何度も釘頭を叩いた。
「ぎぃぃっ……。ひィ…あ゛ぁ…」
うつ伏せた彼から、絞り出すような声が漏れる。彼の腰椎を、鉄釘が打ち砕き、もしもその中を走る脊髄を損傷させたなら、彼の身体は不自由なものになるのだろうか。
傷つけられた神経が再生するまで、不随となった彼のことを考えると、たまらなく優しい気持ちになれた。
こっ、こっ、と、彼の体内に少しずつ鉄釘を埋め込んでいく。
どのような痛みが、彼に伝わっているのだろうか。
骨を割き、神経を撫でる悍ましい痛みか、それとも、痺れ、麻痺していくような朦朧としたものなのか。
彼の口から、感想を聞くことなどしないが、俺は彼が十二分に苦しんでいることだけはわかっている。
彼は木板に顔を押し付け、呻いている。俺はそれを見ながら、次の段へと釘を立てた。
薄い皮膚がへこみ、尖った釘先を受けて、傷つき、血を流す。釘頭に槌を落とすたび、それは緩やかに彼の中に入り込み、出血量を増やしながら、深く深く潜っていく。俺は、踏みしめるように、彼の段をあがっていく。一段、一段、鉄釘と共に彼の背を登る。
彼の背を半ばまで登ったところで、俺は彼の髪をつかみ、顔を上げさせた。
彼の首筋に唇を寄せ、囁く。
「伏せたままじゃ、パトカーが見えないだろ」
彼は、一言二言、呻いて、「パトカーさん…」と、愛おしそうな声を出した。
きっと彼には、パトカーのタイヤや、それを車体に繋ぐホイールが見えている。
王冠型のエンブレムを持つ、その高貴な車体の足元を、見上げている。
王の足を、彼は見上げている。
彼が繰り返し、パトカーを呼ぶ、心酔したような、敬愛するような声。
きっと俺には推し量れない、彼の信仰じみた救いの世界で、十一代目クラウンの警邏車両は、間違いなく、彼の王であるのだろう。
その王の前で、磔刑よろしく両手を打ち付けられ、背を嬲られるのは、どのような気持ちなのだろうか。
彼は今、誰に、この猟奇的な行為をされているのだろうか。
俺は、箱屋金槌をくるりと反転させ、釘抜きに使う爪を、肩甲骨の下あたりの、彼の背の窪みにあてがった。そして、少し浮かし、振り下ろす。
「ぎゃっ…」
彼が悲鳴をあげる。
突き刺さった爪を、渾身のちからを込めて引き下ろした。
ぶちぶちぶちぶち
彼の生皮が裂け、ちぎれた勢いのまま、血潮が雫となって俺の顔に飛ぶ。
彼は音にもならない悲鳴をあげた。硬直した喉の筋肉が、声帯をうまく震わせられず、笛のように鳴った。
引き剥がされた生皮が、爪に挟まってだらりと垂れ、雫を垂らしている。
俺はそれを指でこそげ、己の口に押し込んだ。
鉄錆と生きたにおいが鼻を抜け、咀嚼するたびに奥歯の間でねちねちと音を立てる。
まっすぐに伸びた彼の赤い段に、俺は再び鉄釘をあてがった。
剥き出しの肉に、冷ややかな金属片が触れ、彼がびくりと身体を跳ねさせる。
灼熱の線は、彼を苛み、意識が朦朧とするのか、パトカーを見上げようとする彼の頭がぐらついている。
鉄釘を打ち込む。
彼の背が反り、悶える。俺は構わずに、釘頭を叩いた。
いずれ、彼の背骨に沿って、ずらりと鉄釘が並び、浮き出す血潮に埋もれて、見えなくなる。
指を這わせてみれば、確かに、硬く丸い釘頭が、彼の背に並んでいる。
俺は、釘と釘の隙間を埋めるように、新しく鉄釘を植え込んだ。
彼の下半身は、ひくりと動くばかりで、明確に抵抗することはなかった。とっくにそれを指示する神経は断ち切れてしまっているのかもしれない。
彼の背に溜まりきれなかった血潮が、彼の横腹を伝って落ち、新聞紙に座れていく。
俺は更に二度、彼の背中に箱屋金槌の爪を立て、生皮を剥いだ。太く、赤く引かれた彼の道に、黙々と鉄釘を植えていく。赤い池の中に、静かに鉄釘は沈み、彼の体内に向かって、尖った先端を突き立てている。釘頭が出るように打ち込んでいたとしたら、きっと彼の背中は、針鼠のように鉄釘を立たせていたことだろう。
けれど、その針は、全て彼の方を向き、彼が身動ぎするたびに、接する筋繊維や脂肪を無慈悲に掻き切っている。
土埃と排気ガスの粉塵のにおいがした車庫は、どっぷりと赤い空気に身を沈めていた。
彼はまだ、パトカーを見ているだろうか。
ぞろりと並んだ鉄釘の群れに、俺は指先を沈める。血潮の中から、硬いものを見つけ出し、爪を立て、揺さぶりながらゆっくりと引き抜く。
「イ゛…。ぎ…ィ…ァ…」
彼が声を漏らして、木板に額を打ち付けた。俺は彼の髪を掴んで、頭を上げさせる。彼にはまだ、王を見ていてもらいたい。
ぬるつく血肉の中から、一本一本、鉄釘を抜き取っていく。
傷口に爪を立てられ、鋭敏な神経を打ち砕こうとする鉄片を体内で揺り動かされる感覚というのは、どのようなものだろうか。想像するだに、俺はぞくぞくとして、彼が身悶える様に濃艶さすら覚えていた。
彼の身体を掻き乱し、異物を取り出す作業は、心が踊るようだった。
血塗りの鉄釘を、新聞紙の上に落としていく。
ちゃりん、ちゃりん、と、小さな音を立てて、赤く、鈍く光る鉄片が積み上がっていく。
爪の中まで真っ赤に染めて、俺は彼の身体から鉄釘を掘り出し続ける。彼が呻き、頭を伏せようとするので、左手でずっと髪を掴んでいた。
ようやく、彼の背に突きたっていた棘を抜き終わる頃には、鉄釘の山は自重で崩れ、平たくなっていた。
残るのは、彼の両手を戒める、四本の五寸釘で、俺はそれを抜き取ろうと、箱屋金槌を持ち直した。
彼の顔が見えた。
涙や鼻水、体液でぐずぐずになった彼の顔に、髪が貼りつき、汚れ、そしてそれは、とても愛らしく思えた。
口の中に入ってしまっていた髪のひとふさを、指でひっかけて出してやる。
彼は小さな声で、「おまわりさん」と言った。
「釘、抜くからね」
「はい゛…」
本来ならば、てこの原理を使う前に、木板が痛まないようになにか噛ませてから抜くのだろう。
けれど、俺は、その負荷がかかる場所を、彼自身の手の骨へと委ねた。
釘頭に爪を引っ掛け、引き抜く。
無理矢理にねじ込んだ爪が、彼の肉をこそげていた。
「ゔ……。ぎぃっ…あ゛、あ゛、ぁ…」
細い手の甲の骨が、みしみしと音を立て、へし折れ、潰れる感触が俺にも伝わってくる。
彼の指が、かっと開き、掴むものを求めて空を掻く。なにかつかんだとしても、きっと彼には、それを握り締める握力は残っていないだろうに。
ずるりと引き抜いた五寸釘も、やはり血塗りになっていた。
釘山へと投げる。少し重い音がした。
右手には、あと一本。同じように、彼の骨を潰しながら引き抜く。
彼は悲痛な悲鳴をあげる。右手が自由になっても動かす気力がないのか、木板に腕を預けていた。
左手も抜いていく。
彼の両手はすっかり破壊されてしまい、治癒するまで、ろくに食事をとることもできないだろう。
きっと、彼の下半身も。
破壊され尽くした背に流れていた神経の束は、細切れになってしまっていて、彼は動くことができないのだろう。
それが治癒するまで、何日ほどかかるのだろうか。
彼を寝かせ、あらゆる日常を俺が世話することを考えたら、矢張り、ぞくぞくと喜ばしい気持ちがこみ上げ、俺は口角をあげた。
彼の衣服を整えると、薄いTシャツがすぐに傷口に張り付いて、赤黒く変わっていった。
彼は焦点の合わないまま、俺とパトカーを目だけ動かして交互に見た。
とろりとした黒い眼球が、眠たそうに見えた。
居住空間に運び込み、丁寧に手当てをして、彼を布団に寝かそう。そして、彼が求めるままに、散々に甘やかして世話を焼いてやろう。
それは彼の王にはできないことで、俺はひとであることに、ほんの少しだけ、優越感を持った。
けれど、聡明なパトカーは、そんな俺の小さな優越感を知ったとしても、いつもと表情を変えることなく、役目が違うのだと笑う。
負け戦をするつもりも毛頭なく、俺は俺のやり方でよいのだ。
抱き上げた彼の身体は、血と汗でしっとりと濡れ、けれど、ほんの僅かにガソリンのにおいをさせていた。
車庫を出る俺の背中を、パトカーが見送るのがわかった。
了
20160709
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