第48話 結束バンド

失血死を防ぐには、なにが有効だろうか、と、考えていた。

結び目を作る手間が省けるものがいい。そして、彼が身動きした程度では、外れ落ちないものならば、尚よい。

本来の用途にはそぐわない、そんなことを考えながら、俺は一人、ホームセンターの中をうろついていた。

と、いうのも、先日、倉庫の中で、大振りの糸鋸をひとつ見つけたのだ。

板を切るためのそれは、きっと、彼の四肢を切り落とすにも得手で、せっかくの機会を、俺は逃すことなどできなかった。

順繰りに、四肢を切り落とす過程での、彼の悲鳴や、溢れ出る血のにおい。

苦悶の表情と、脂汗。

想像するだに、凄惨で痛ましく、俺にはとても魅力的に思えてならなかった。

パッケージに入った、太い結束バンドを手に取りながら、固いナイロンを手足の肉に食い込ませ、血液にまみれる彼を想像した。

思っていたよりも、結束バンドというものは、長さの種類が豊富で、誰がこんな太さのものをまとめるのだろうか、と思うものすらあった。

俺としては、好都合であったけれど、パッケージの裏面に書かれた、「指など身体の一部を縛らないでください」という注意書きが、ほんの少しだけ、俺の罪悪感を刺激した。

それでも湧き上がる、期待に似た感情を抱えながら、俺はレジを通って、交番へ向かう。

秋の匂いの風が、俺のうなじを撫でていった。


彼は、おとなしくしていた。

浴室の固い床に、ぺたりと尻をつけて、目を伏せている。

俺が彼の頬を撫でると、手のひらに、頬ずりして返してくれた。

これから、激痛に苛まれるであろうことがわかるのに、それでも従順で、俺はそこに、彼の異質さを覚える。

未だに、それは理解できずにいるのだ。

彼が痛みに強いことは知っている。そして、たとい、死んだとしても、また眠りから目覚めるように起き上がることも。

そうは言っても、全く痛みがないわけでもないのだ。

彼の怪異を頂いて、それに近しいものになった俺でも、痛みというのは、それが包丁で指先を切ってしまうようなものでも、御免被りたいことであるのだ。

彼にとって、痛覚とは、どのようなものなのか。俺は、わからずにいる。

それゆえに、彼を責め苛むことで、彼のなにが、そうさせるのかを、知りたくもあるのだ。

彼の二の腕に、結束バンドを通す。

きちきち、と、固いナイロンがすぼまって、彼の腕に食い込んでいく。

ゆっくりと鬱血し、きっと、彼の指先は、痺れてしまっているだろう。

「いいのか」などと、聞く必要はなかった。

これは両者が合意していて、俺がしたいから、彼にする。彼は、それを受け入れて従う。単純な事だからだ。

糸鋸のぎざぎざした刃が、ちょうど彼の肘の上あたりに、最初の掻き傷をつける。

柔らかい肉を引き切ると、彼が呻いて、自由な右手が、傷口を庇おうと、持ち上げられた。

俺は、その右手を、床につけた左膝に敷く。ごろりとした手の骨が、膝の下で転がった。

きし、きし、と、彼の肉を切り裂いて、糸鋸が進んでいく。

引き裂かれていく肉。少しひっかかりのある筋繊維。その下には骨があって、骨はきっと、さながら板を切るように、何度も往復させ、切断しなければならないだろう。

ぞりぞりと往復する、荒い刃の様を思うと、背筋に這い上がるものを感じた。

「ひぎっ…い゛…」

ぽろぼろと涙を零し、顔面をぐしゃぐしゃにしながら、痛みに耐える彼を見て、思ったのは、舌を噛んでしまわないか、だった。

俺は彼の四肢を全て切り取るまで、彼を殺すつもりはないし、舌を噛んで窒息して、なんて、そんなつまらないオチは欲しくないのだ。

轡を噛ませようかとも思うが、それでは彼の声が聞こえない。

ジレンマに駆られながらも、俺は糸鋸を彼の腕に往復させた。

ふっ、と、手応えが軽くなる。

腕の骨は存外に細く、あっさりと切り取れてしまったのだ。垂れ下がった彼の手首を掴んで、繋がったままの肉と皮を、手早く切り離した。

締め上げた結束バンドのおかげで、出血は少なく済み、まだ彼は意識を保っている。

今のうちに、もう片腕も落としてしまおうと、右腕へと、糸鋸の刃をたてた。

「ゔっ……うぅっ…」

彼は顔を伏せて、歯の隙間から泣き声を漏らしている。

流れ出た涙が、鼻先へとたまって、雫になって落ちていく。

時折、鼻をすすり、深く息を吐いた。

痛いか、と、尋ねたくなる。

彼に、その口で、痛いと、言って欲しいのだ。痛くしているから、痛いのだと、当たり前の因果関係を確認し、俺が俺の手で、彼に苦痛を与えているのだと。

彼が、呻吟するのを待っている。

それはまるで言霊のようなもので、くちにすることで、俺が満足できるものなのだ。

生肉の上を往復する、荒い刃の感触を、手のひらの内側で楽しみながら、いつ、その為に問いかけようか、迷っていた。

「あ゛、ぁあ、あっ…ぁ…」

糸鋸の動きに合わせて、彼の身体が、 痙攣するように揺れた。

引っ掻かれた骨肉が、削ぎ取られ、溝を作り、脆くなっていく。

骨を切断した瞬間に、肉と皮だけで繋がった腕が、でろりと垂れて、引力に引かれるまま、手の甲が床を叩く。

繋がった肉を、糸鋸で削ぎ切り、両腕を並べて、タイル張りの床に置いた。

腕の無くなった彼を見ている。

彼は俺の視線を受けて、身動ぎした。

短くなった腕が、顔を隠したそうに持ち上げられ、けれど、どこにも届かずに、赤く熟れた切断面が、こちらを向いた。

ぷし、と、小さく音を立てて、彼の腕から飛んだ赤い飛沫が、俺の頬に当たる。

「あ…」

しまった、という表情で、彼の黒いまなこが俺を見上げる。

見開かれた目が、俺の頬をじっと見て、伏せられた。

俺は頬の血飛沫を、指で拭う。ねとりとした彼の鮮血が、指先に絡まって、爪を染めた。

糸鋸を掴んでいた右手はともかく、彼の腕を掴んでいた左手は、すっかり血染めになっていた。

鼻を刺す血肉のにおいが、浴室全体に、澱のように固まっている。

行き場を無くした臭気が、排水口へと流れ、絡まった髪の毛の隙間を縫って、落ち込んでいく。

ぽたり、ぽたりと、排水トラップへ落ちる雫が、区切られた空間で音を立てるばかりだ。

耳を刺すような音の中、俺は、彼の太ももに、結束バンドを巻きつけた。

ちきちきと音を立てて、彼の両脚を締め上げる。

腕のない彼が、圧迫感からか、深く息を吐いた。両腕の断面も、ひどく痛んでいるのかもしれない。

脂汗に濡れた彼の前髪をかきあげ、涙と鼻水にまみれた、彼の顔を、タオルで拭ってやった。

しばし、優しく、血まみれの手で、彼の髪を掻き回し、彼の頬に俺の頬を寄せた。

深い深い、鉄錆のにおい。彼から香る、薄いガソリンのにおい。

彼の血と、パトカーの血のにおい。

白い二本の足が、締めあげられて、赤黒く色が変わっている。

腕よりも、ここに入っている血液は、多いのだろう。

俺は、彼の太ももの半ばを、切断場所に選び、糸鋸を立てた。

手早く済ませてやろうと思い、刃を忙しなく動かした。

「イ゛っ…!ぎぃ…!イ゛ダイ…あ、ぁ…イ゛ダ…」

彼は、悲鳴の合間に、ふいに、声を出して笑った。

「おまわりさんが…いたくしてくれてる…?」

疑問形のその言葉が、俺の耳を、脳を、濃ゆい鉛のようなどろりとした快感に浸した。

「そう、そうだ…。俺が、やってる。痛くしてる…」

心臓が、早鐘のように鳴っている。興奮して、いきり立つものが張り詰めて、痛みすら覚えている。

いとしくて、いとしくて、たまらないのだ。

口に出して言った言葉が、ずるずると、俺を浅ましい思いへと掻き立て、血溜まりの中に座り込む彼に、顔を寄せて、熱く息を吐きそうになる。

それでも、俺は、糸鋸を往復させた。

収縮した筋肉が、傷口から血液を吹き出させる。

鉄錆のにおいの中から、赤い肉が覗き、糸鋸の刃を受け、白い骨を一瞬浮かび上がらせるが、すぐに出血に紛れて見えなくなった。

しゃこ、しゃこ、と、固い骨を切る音と、彼の呻きばかりを耳に受けて、意識が混濁していく。

血濡れの刃が、照明を受けて、てらてらと光り、刃を伝って、彼の血液が、タイルに落ちていく。

「ふーっ…ふーっ…」

自分の吐く息が耳障りで、呼吸を止めたい衝動に駆られる。

彼の音だけを聞いていたいのに、俺は。

「おまわり、さん…」

彼が、そう呟いた。

たちまち、朦朧としていたものが晴れていき、濃霧の中にいた思考が覚醒する。

俺は彼に顔を向け、心配そうな、その眉を見た。

俺のことを気遣っているのか、彼の視線が泳いで、けれど、俺を視界に捉えている。

あたたかい血潮が、腹の奥にしみていくような、安心感が湧き立ち、俺は、深く息を吸った。

半ば性急に、彼の片足を切り落とし、俺は、一度、糸鋸を床に置いた。

ずっしりと身体が重く、疲れていた。

ひとの肉を切り落とすことは、腕に重く、だのに、切り落とされた彼の片足は、たまらなくいとしいものに思えていた。

脈動することなく、肉塊となった足の断面から、残っていた血液が漏れ出し、俺の足を濡らす。

まだ、彼の温もりが残っていた。

一本だけ残った足が、指を動かして、四肢のほとんどを削がれた痛みを、紛らわそうとしている。

健気な動きは、鬱血した足の肉の色も相まって、切ないような気持ちを掻き立てる。

「これで全部済むからね」

俺がそう言うと、彼はこくりと頷いた。

断面を空気に晒し、恐ろしく痛むだろうに、彼は微笑んだのだ。

みちり、と、糸鋸が彼の太ももに食い込む。

ぞり、ぞり、と、惜しむように、ゆっくりと、彼の肉を削り取る。

「ふっ…ぐぅ…。うううっ…うっ…」

彼の嗚咽と、肉を削る音がまた始まって、俺は、深く安堵する。

短くなった腕で、頭を抱えようとして、叶わずに、彼はかぶりを振る。

元々体格が大きいほうでない彼が、殊更小さくなっていて、そんな彼に、こんなにも執拗に責め苦を与えている罪悪感が、俺の腹の奥をちくりと刺した。

それもまた、やわやわと解されてしまって、ただ、彼を慈しみ、いたぶる、安らかなものへと変わっていく。

彼の血と脂が、両の手に絡みつき、持ち手を滑らせる。俺はスラックスで手を拭い、糸鋸をつかむ。

しかし、木製の持ち手は、つるりと指から抜けた。

骨を引っ掻き損ねた刃が、ごり、と、音を立てて、斜めに彼の肉を削いだ。「ん、ぅ、おえっ…」

途端、彼の口から、ごぽりと、胃液が吐き出されて、彼の腹の上に、水たまりを作った。

「ゔ、げっ…。うぇっ…げっ…げ…」

俺は黙して、嘔吐し続ける彼を見ていた。今の今まで、堪え続けていたのだろう。

胃の内容物をすっかり吐き出して、彼は顔をあげた。

「ごめ、なさい…」

なにを謝ることがあるのだろうか。

「つづ、けて、ください…」

俺は頷いて、ぬるつく手を服で拭い、糸鋸を掴む。

ほんの少しだけ、やめてやりたい気持ちになりはするのだ。

けれど、俺の腹の奥に沸き立つものが、そうしてはならないと、腕を動かした。

それは、ある種、はじめた者の責任のようなものだ。

俺が全てを開始し、終着点まで運んでいかなければならないのだ。

好奇心による行為全て、一切合切、俺が始末をつけなければならないのだ。

それは、彼に対する敬意であり、俺が俺を赦すための行為でもあるのだ。

視界に入るもの全てが、俺の手によることで、こんな有様を晒し、俺はそれから目を背けることも、投げ出すことも、してはならないのだ。

肉の断面、彼の肌。

血染めのタイルが、脂を張って、てらてらと反射している。

その上を、吐瀉物を孕み、流れていく血の河。

彼の黒い髪が、白い肌が、赤い血潮の上でたゆたっている。

並べられた彼の手足が、じっと押し黙り、蝋細工のように、死肉の色を晒す。

最後の足を切り取り、それが次第に血色を失い、死肉に変わるのを見ていた。

一切が、俺の業だ。

彼は焦点の定まらない目を俺に向けて、薄く笑った。

小さな彼の身体を抱き寄せると、とても軽く、短くなった手足が、俺に向けられた。

その姿が、恐ろしさすら覚える程に愛らしく、俺は身震いする。

彼を腹の上に乗せて、タイルの床に寝転がると、背中がひどく冷たかった。

俺の服も、彼の服も、たっぷりと血と吐瀉物を吸っているのだ。

彼を抱えながら、「ちいさいな」と、独りごちた。

失血と痛みのせいだろう、元より青白い彼の顔は、文字通り血の気が失せて、死体のかんばせのようだった。

ちいさな彼が、俺に向けて、短い腕を伸ばす。

俺はそれを、彼の胴を抱くことで応じる。

生きた温度が、俺の腹の上で、むずがるようにくねって、それを腕の中に収めている充足感。

その体温に、股間の熱を擦り付けたい、浅ましい欲。

彼のハーフパンツをずり下ろしながら、彼は許してくれるだろうか、と、考えた。

彼は俺を許すだろうし、俺はそれを知っている。

打算でなく、彼がそういうものだと知っているがゆえに、俺は、彼に甘えるのだ。

彼になら、倒錯した欲望を曝け出したとしても、受け入れてもらえると。

凝固しかけた血液を使い、無理やりに、彼の中に俺のものを押し込んだ。

彼は、苦しそうに、もしくは痛そうに、くぐもった悲鳴をあげた。

ぐうっ、と、唸り、けれど、俺を拒絶することなく、俺を受け入れた。

彼の腰を掴み、軽い身体を動かして、彼の内側を穿つ。

俺が俺のために彼を使う、暴力ですらある性交を、彼は咎めない。

彼の吐瀉物と、血液に塗れながら、俺は彼を貪った。

混濁した黒いまなこが、俺を見て、他のところへ視線が飛ぶ。

俺を見て欲しい。

こうしているのは俺だ。他のなにものでもない。

「俺を見ろ」

低く出した声に、彼がこちらに視線を向ける。

いつも少し怯えている、彼の目が、俺を見て、俺はそれに満足して、笑んだ。

そうして、彼の身体を楽しみ、俺は俺のこころを満たす。

彼もそうであってくれるといい。

ゆっくりと、体温を失っていく彼の身体を、腹の上に乗せて、俺は彼を寝かしつけるように、背中を叩いていた。

じきに、彼の身体は弛緩して、一切の反応を失う。

軽く冷たい肉についた汚れを洗い流し、軽い身体を拭き、服を着せた。

布団の中に、あるべきように、手足を並べ、彼を寝かせる。

「おやすみ…」

彼は黙して動かない。

俺は、どろどろに汚れた自分の身体を流しに、浴室に戻った。

彼の体液が、まだ浴室に停滞していた。

水で洗い流してしまうのを惜しみ、濃ゆい血の味を、指にすくって舐めた。

鉄錆の味とにおいが、俺がこのことを忘れないように、記憶させてくれる。

身体を洗い流すシャワーは、彼の体温よりも随分熱く、ひとりでは火傷をしてしまいそうだった。

夜の帳は、すっかり下りて、今日の営みを終えた身体は、ひどく疲れていた。

たばこを咥え、火をつける。

燃えさしのマッチが、リンの焼けるにおいを芳しく漂わせ、寝室の空気を変える。

そうしているうちに、音が、戻ってくるのだ。

「おまわりさん…」

意識の死角から、彼が帰ってくるのだ。

眠そうな声を出して、布団から半身を起こした彼が、目をこする。

「ん、おはよう。もう寝る時間だよ」

「あ…はい…。朝じゃなかった…」

ぱたりと、彼が布団に倒れ伏して、じきに寝息が聞こえてきた。

薫るたばこの匂いの中で、彼が息づいて、俺も生きている。

それ以上の安楽が他にあろうか。

深夜の思考は取り留めなく、俺は切り上げて、たばこを揉み消した。

彼の隣に身を横たえて、凄惨な営みを昨日のものとする。

彼と積み上げるすべてのものが、彼の糧になると良い。

眩くような睡魔に、俺は身体を任せて、彼の寝息を聴いて眠る。

何度目の夜か、俺はもう覚えていない。






2016/10/23

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