第18話 ぱと姦

机の上の鍵を持つ。

鍵と鍵の触れ合う音を聞いて、先程までスマートホンをいじっていた彼が顔をあげた。何も言わずに俺が立ち上がると、ひょこひょこと後ろをついてくる。

「……」

彼の気配を背中に感じながら、俺は交番の出入り口へと向かう。

「どこに行くんですか…!」

無言で俺が振り返ると、弾んだ声がぶつかってきた。

「どこにも行かないよ」

「…嘘だ…!どこにも行かないのに…なんで鍵を…あっ、ガソリンですか…!?連れてってください…!」

ガソリンじゃない、と、制止するも、ガソリンスタンドに行かない、というのは、彼にとって大きな問題ではない。

俺がパトカーを動かすのは、ガソリンを入れに行くか、警邏か、もしくは立ち寄りついでの買い物を近所のスーパーやコンビニで済ませるかだ。

彼にとって、パトカーが動いて、それに乗れる可能性さえあれば充分なので、どれを理由にしたとしても、ついて行きたいと駄々をこねる。

最近では、俺のほうがどうにも折れてしまっていて、スタンドに行ってすぐ帰ってくるだとか、買い物の時はこっそりと乗せてしまう事が増えている。他にパトカーや警官がいることは殆どない片田舎とは言え、他人の目が気にならないわけではないのだけど。

が、不思議なことに、彼を乗せていても、近隣住民が見咎めることは無かった。

それこそ彼を視認していないのではないかと言う程、誰も彼を気にしないのだ。徒歩圏内のコンビニに、彼と買い物に出かけたことがあるが、店員が俺に挨拶をしても、彼に視線を向けたことは無いのだ。

時折俺は、彼が俺にしか見えないのではないかと思ってうすら寒くなる。

仮にそうだとしても、彼は俺の目の前に、質量を持って立っているのだけど。

実際、夕方の警邏に行こうと思っていた俺は、このまま暫く彼との押し問答を続けるべきか迷った。

時間は夕暮れ前。所謂黄昏時である。

山が近く、日暮れの早いこの地域では、学生達が下校し終わる少し前だった。多少通勤の人通りが多くとも、皆急いていて、彼が俺以外に見えるとしても気にも止めないだろう時間帯だ。

違反切符を切ることがあったとしても、彼に車内で身を低くするように伝えれば、問題ないだろう。

何より、ここから彼に諦めさせる為に割く五分十分を思うと、夕飯に向けて徐々に侘しくなる俺の腹の虫が惜しいと言っていた。

「わかったよ。でも、あんまり目立たないようにしててね」

「わかりました…!」

彼はスキップするような軽い足取りで、パトカーに向かっていった。

あのフットワークの軽さを、是非とも俺が食器洗いを頼んだ時にも応用してもらいたいものだ。

そんなことを思いながら、パトカーの施錠を解くと、彼は靴を脱いで助手席に滑り込んだ。

「また靴脱いでる…」

「パトカーさんに土足なんて…そんな…」

「マットあるから大丈夫だって…」

一言二言交わし、エンジンをかける。

途端、身震いするように、振動が車内に満ちて、パトカーが走りだす準備を始める。

俺がエンジンブレーキを外すよりも先に、彼がシートベルトをつける、かちんという音が聞こえた。


人通りの少ない道ばかりである。

田園風景と、まばらな住宅街。

産業道路の辺りは、トラックや退勤の帰路を急ぐ車が多少。

俺の頭の上の赤色警光灯を警戒してか、一時停止を無視する車もなく、穏やかな警邏が続く。

十五分程、町内をゆっくりと巡っただろうか。そこで俺は、普段なら始終パトカーに話しかけている彼が押し黙っていることに気がついた。

「どうしたの?気分悪い?」

「…えっ、あっ…ぁぁ…ち、違います…!違います…!」

俺は赤信号で停止していたので、彼の方に顔を向ける。

彼は少し俯いて、太ももの上に置いた二つの拳を見ている。

「ああ…」

彼の視線が黒いジャージの股間を辺りを泳いでいて、俺は納得した。

「なんでそんなんなっちゃったの…」

「ち、ちが…あ…。自分でじゃなく…勝手に…うっ…ぱ、パトカーさんの…振動…」

「振動?」

言われて見ると、エンジンから伝わる振動は、相変わらず車内に満ちていて、俺の尻の下も、小さく震えている。どうしたものか、と、俺は少し考えた。

このまま我慢させて、交番に帰ればいいだけなのだが、どうせならもう少し面白味のあることになってほしい。俺の中の好奇心が、ざわざわと鎌首をもたげて笑い始めた。

俺は警邏ルートを外れ、山奥に向かってパトカーを走らせた。

森林浴を楽しむ為にハイキングをする人がたまにいるだろうか、というくらいの然程高くない山だ。

しかし、それなりに鬱蒼と生い茂っていて、ふいに飛び出した梢の枝がパトカーを引っ掻かないか、車幅を気にしながら、ゆっくりと山道を登っていく。

ハイキング客向けの駐車場にパトカーを停める。勿論、あと一時間もしたら日が沈み切る時間に、誰もここに車を停めるひとはいない。

俺はパトカーから降りて、トランクを開けた。

中に常に入れてある機材の中から、救護用の毛布を引っ張り出す。

使う機会がなく、新品でいた毛布をこんな時に使うのも多少気がとがめるが、些細なことではあった。

「後ろ来て。タオルないからこれ敷くよ」

「え、え…?あ、あの…うっ…」

「はやく」

俺が低く急かすと、彼は動きにくそうな足取りで後部座席にうつった。

座席の足元に、彼の靴と俺の靴が転がる。

以前、酔った勢いで彼を弄んだ事がある。今は素面だが、嫌悪感は感じず、思うのは、彼がどんな風に悶えて苦しそうな声をあげるのか、という興味ばかりだ。

うつ伏せて腰を上げた彼の股間をジャージ越しに揉む。

ドアを閉じ、内側から施錠した閉ざされた空間では、殊更アイドリングの振動がよくわかる。彼は毛布をずらして、革張りのシートに鼻先をくっつけていた。

「う…うっ…く…。おま、おまわりさ…」

「うん。すぐ済むでしょ、君」

ぬるぬるしたものを彼にまとわりつかせて、俺は手で彼を包み、自分を慰める時のように緩く動かす。

膝までジャージと下着を下ろした彼に覆い被さり、座席に片手をついていると、彼のにおいがよくわかる。

俺と同じシャンプーだとかに混じって、ほんのりとするガソリンのようなにおいは、どこでつけてくるのだろうか。

彼のものを弄びながら、少しずつ刺激を強くしてやる。指先から、くちくちと、泡立つような粘液の音がする。

具合がいい場所を、痛くないように触られれば、それなりに準備をはじめるもののようだ。

「う…パトカーさ…。毛布…パトカーさんの…。んっ…ふるえて…顔…パトカーさん…パトカーさんきもち…きもちい…」

彼はパトカーに抱かれているのだろう。身体を震わせて、毛布を掴んで息を吐いている。俺はそれで構わない。

彼の手が愛しいひとの肌を触るように、パトカーの革張りのシートを撫で、口づけ、トランクのにおいの染み付いた毛布を握りしめる姿を見て、じんわりとした興奮を感じていた。

んっ、と、彼が鼻にかかったような声を漏らし、収縮した筋肉が、俺の手のひらにぬめる液体を押し出した。

毛布で拭き取ろうかと思ったが、そのぬめりは、別の使い方をすることにした。

「足、閉じてて」

「え…あ、はい…」

困惑しながらも、閉じた彼の内腿にぬめりを塗りつけ、俺はスラックスを留めていたベルトを外し、ボクサーパンツの中をまさぐる。

ゆるく勃起したそれを、ぬめりの残る手で取り出し、刺激し、固くさせる。

彼の閉じた内腿に、滑り込ませ、ゆっくりと腰を動かした。

「このまま、動かないでね」

彼は身体を固くし、言われた通り動かない。腰を押し込むと、つるつるした太ももの肉に挟み込まれ、彼の股の柔らかな肌が俺の先端に小突かれる。

それが存外に具合がよく、俺は彼の腰に片腕を回し、犬のような体勢で腰を振り続けた。

彼はうめき声ひとつ漏らさない。

まるで体温のある死体を抱いているようだと思った。

もし、痴態を晒した罪悪感か絶望感に駆られて、動くこともできずにいるのだとしたら。そう思うと、更に気分は高揚した。

体温のある、絶望した死体を抱く、そんな背徳感が堪らなかった。

彼のものにまた指を絡めて、くにくにと刺激してやる。

「パトカーさんのにおい、好きなんだろ?」

俺が言うと、死体は彼に戻って、シートに顔をくっつけて、譫言のようにパトカーさん、と繰り返した。

彼の身体が、再び恍惚に震え、ああやはり、彼がこんなにもパトカーを愛しているのだと再確認して、俺は妙な安心感を覚えた。

腰のストロークに合わせて、彼のものを弄ってやる。

俺が吐く息と、彼が小さく漏らすうめき声が、パトカーの低いエンジン音に混ざっていく。

まるでパトカーとの、生殖の疑似行為、もしくは、俺と彼がパトカーの内臓のようになったような錯覚が流れ込んでくる。

パトカーの腹の中で、彼は。

これは、もしかしたら彼の中のイメージなのかもしれない。

彼から漏れ聞こえる声は、どこまでも穏やかで、切なさと喜びが含まれている。

じきに、彼が二回目の帳を下ろし、俺も彼の内腿で果てた。

俺も、多く言葉を発する気にならず、毛布で汚れを拭いとって、丸めて座席の下に落とした。

彼はくたりと、後部座席に寝転んだままだった。衣服を差し出しても、どこか呆けたような眼だけを、俺に向けた。

彼の衣服を整えてやって、ようやく、俺は彼に声をかけた。

「パトカーさんは、優しくしてくれた?」

彼は暫し口籠り、目線を泳がせて、唇を開いた。

「…して、くれました…」

ほっこりと耳の先を赤らめた姿は、まるで恋人に抱かれた幸せな女のように思えて、如何に彼のパトカーへの愛情が深いものか知る。

俺は、充足感を覚えて、そうして、安堵した。彼がうっとりとした目で、パトカーに思いを馳せている姿に背を向け、運転席へと戻る。

「帰ってメシにしよう。腹減っただろ?」

彼は、未だ、くたんと後部座席に寝転がっている。走り出しながら、車内にこもったにおいを払おうと窓を開けた。ひゅうと吹き込んできた、山のにおいが、とろみのあるにおいを薄め、流していく。

うつ伏せたままで、彼がぽつぽつと言葉を発した。

「パトカーさんと…おまわりさんと…はるのにおいだ…」

すっかり日は暮れ、暗くなっている。

人通りは更に少なく、田舎の街は眠る時間に向けて静かな活動をしている。

下山し、信号で止まったついでに後ろを見ると、全身にパトカーの振動を受けながら、彼は静かに目を閉じていた。




初出20160305

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