第3話ぼくをおまわりさんが殺した秋の始まり
朝晩よく冷え込むようになった。
毎日パトカーさんの周りをうろうろしていたぼくも、寒さに少しは足が渋る日もあるかと思っていたが、そんなことはなく、今朝もパトカーさんに会いに交番に来ていた。
パトカーさんは、ゆっくりと濃くなっていく秋の気配に、すこし寂しそうで、ぼくはもっと長く一緒にいたいと思うばかりだ。
ただでさえ、おまわりさんは、パトカーさんの扱いが雑で、しょっちゅう汚したり、鍵を閉め忘れたりするのだから…ぼくがきちんと見張っていないといけない。
なのに、今日はおまわりさんがパトカーさんに乗り込んで、いつまでもごそごそやっている。早くどこかに行ってくれないと、パトカーさんに触るたびに、またなにか、がみがみ言われてしまう。
交番の中で電話が鳴る。
おまわりさんがパトカーさんを降りて、交番の中に入っていった。
きっとまた、どこそこのおばあちゃんが、孫の話をしにおまわりさんに電話をしているのだ。きっと、しばらく帰ってこない。
ぼくは、植え込みの隙間から出て、パトカーさんに挨拶をした。
ボンネットに触ると、朝の警邏を済ませたのか、パトカーさんの熱がてのひらへと伝わってきた。
最初はいつもの通り、パトカーさんに触ってしあわせになっていたのだけど、さっきおまわりさんが出て行ってから、あのひとは鍵をかけていなかったことを思い出した。
パトカーさんの中に入れる誘惑は、ぼくをふらふらとドアに向かわせた。
パトカーさんのドアを開こうと、ドアグリップに手をかける。途端、ぱちっと小さな静電気がぼくを噛んだ。
パトカーさんは少しびっくりしたらしい。
ぼくも少し眉をひそめたけれど、靴を脱いで、パトカーさんの中に入り込む。
日差しであたたまったパトカーさんの中は、とても気持ちよくて、ぼくは膝を抱えて、しばしその心地よさを楽しんだ。
ふと、助手席を見ると、壊れてしまったらしい無線機のコードがぞんざいに放り出されている。
そういえば、先日おまわりさんが、断線したからと機材を取り寄せていた。さっきまでごそごそやっていたのは、これを修理していたというわけだ。それなら、キーがACCに入っているのもわかる。でも、キーを挿しっぱなしにしていくなんて、やっぱりおまわりさんはそそっかしくていけない。おまけに、使ったものも散らかしっぱなしだ。
不要になったものをそのまま置いておくなんて、きっとおまわりさんの部屋も、そんなようなものがたくさんで汚いんだろう。
…ちょっと軽蔑する。
断線した場所を確認したかったと見えて、コードは途中で切られ、更に外皮が剥がれ、中の配線が見えていた。
ぼくは、正常な無線機をソケットから引き抜き、コードだけのものをそこに差し込んだ。
映画で見るような大きなショート音はしない。
けれど、ぼくがその剥き出しの配線に触れるやいなや、ぼくの左手には、弾かれたような強い痛みと焼け付くような熱さが食らいついた。
「ヴッ…ア゛ァッ…」
パトカーさんの電力が、ぼくになだれ込み、しかとその牙で咬みついてきたのだ。
二度、三度と、左手に配線を押し当てる。
「イ゛ッダッ…!ァグゥッ…!パトカーさん…イッダイ…焼け…ア゛ゥッ…!」
繰り返すたびに、皮膚は火傷を起こしていく。ずっと続けたら、いずれ皮膚と皮膚が溶けてくっついてしまいそうだ。
「ふーっ…ふーっ…」
心臓がどきどきしている。すごく痛くて、涙が出そうだった。
パトカーさんの中にあるバッテリーが、こうして外に電気を漏れ出させ、ぼくの体に傷を作るのだ。そう思うと、ぼくはやめることなどできず、泣きながら、ぜえぜえと息をつき、左手に配線を押し当て続けた。
脂汗が額に浮く。
あたたかいパトカーさんの中なのに、背筋が寒くてたまらない。
パトカーさんにあたためて欲しい。
パトカーさん。痛い。もっと。もっとパトカーさんを。もっと。
「うっ……ふぅっ…うぅっ…」
ぽろぽろとこぼれた涙が、体操座りの膝に落ちて、ジャージの生地に吸われていく。
ふと日が翳り、顔をあげる。
膝を抱えて、皮膚を溶かし続けるぼくを、おまわりさんが見下ろしていた。
おまわりさんは、何も言わずに運転席に乗り込んできた。
ぼくを助手席にと押し込み、パトカーさんのエンジンをかける。
「ねぇ、バッテリーあがっちゃったら困るんだけど」
少し怒っているようだ。
「ご、ごめ…ごめんなさ…」
舌が回らない。電気のせいだ。
そういえば、舌に電気を当てていなかった。
ぼくは配線を舐めようと舌を出す。
そうする前に、おまわりさんが、ソケットからコードを引き抜き、ぼくの首根っこをつかんで外に引きずり出した。
靴を履いていないから、地面が冷たい。
パトカーさんは、静かに身を震わせて、この後におこることを待っている。
ばこん、と音を立てて、パトカーさんのボンネットが開く。おまわりさんは、ぼくをつかんだまま、器用にフードステイを立てた。
おまわりさんはぼくを引きずって、ボンネットの中を覗かせる。
中には、パトカーさんのためのあらゆる動力が、配線され、収まっていた。
エンジンは熱くなろうと身震いしている。
「バッテリーあがっちゃうとねえ。こうやってエンジンかけることもできなくなるの。わかる?パトカーさん動けなくなっちゃうんだよ?」
「あ…あぁ…ぁ…」
ぼくは、なんて浅はかだったのだろう。
ぼくの為にパトカーさんは、身を削っていてくれたのだ。
ぼくにパトカーさんの力を分け与えていたら、パトカーさんが動けなくなってしまうのは当然なんだ。
ぼくはとても悲しくて、申し訳なくて、パトカーさんに謝りたくなった。
「ぱ、パトカーさん…ごめんなさい…」
ぼくが、パトカーさんを宥めようと、左手を置いた場所はとても熱かった。
脊髄反射が、すぐにそこから手を離したけれど、既に熱いパーツがぼくのただれた火傷跡を更に焼いていた。
おまわりさんが突然のことに驚いている。
ぼくがエンジンルームの中で一番熱くなるところを触るなんて思わなかったらしい。ぼくは、車にはそんなに詳しくないのだから、どこをどうしたら熱い、なんてことは知らないのだから、仕方ない。
ああ、でも、ぼくはその時、パトカーさんがぼくのために、ぼくにもっときちんと謝りなさいと言っているように思えたのだ。
ぼくは、おずおずとまた左手を差し出し、熱く焼けた鉄板のようなそこに、手のひらを押し当てた。
しゅうっと、静かに皮膚の表面が焼ける音がする。
おまわりさんがぼくの左手をつかむ。
「は、はなし…離してください…!パトカーさんに…ぼくは触らなきゃ…パトカーさんっ…!パトカーさぁんっ…!」
おまわりさんは、僕の両手首をつかんだまま、なんともいえない顔をした。言葉を探しあぐねているのか、斜め下を睨み付けて、少しの間黙ってしまう。
この人はいつもそうだ。
ぼくがしなければならない時に、こんな顔をする。そうして、ぼくの好きになんてさせてくれないのだ。いつも邪魔をする。
「ああ、そうかい」
吐き捨てるように言ったおまわりさんの声は冷酷で、ぼくは、怖い人が苦手だから…萎縮して首をすくめて目を閉じそうになってしまう。
けれど、おまわりさんはぼくの左手を強く掴んだまま、熱いエンジンに押し当てた。
「ゔァァッ…!?ア゛ッア゛ッア゛…!?アヅイッ…!パトカーさんッ…!アヅイィッ…!」
自分の意思で剥がすことのできない力で、手のひらを焼かれていく。
パトカーさんの熱量を、ぼくは手のひら全部で思い切り感じ取ることができる。
逃げ出すことなどできない。
おまわりさんは、一度ぼくの手のひらをエンジンから引き剥がし、肉が過熱され収縮した様を確認してから、また押し当てた。
「ギィッ…!ガァァッ…!アヅイッ…、パトカーさんアヅイィッ…!パトカーさんごめんなざいィィッ…!」
そんなことを何回か繰り返しただろうか。
ぼくはまた首根っこを掴まれ、地面に放り出された。
皮膚が溶け、中の骨が透けて見えそうなほど、ぐちゃぐちゃに調理された左手を見ながら、ぼくはしあわせな気持ちを感じていた。
左手を見ながら、しあわせを積んでいるのに、おまわりさんはまたぼくの首根っこをつかんだ。
強い腕が、勢いのまま、ぼくの頭をエンジンルームに押し込む。
「ヒギィィッ…!イダ…ァ…ァァ……アヅイッ…!アヅイィッ…イ゛…!」
顔面が焼かれる。
おまわりさんは、ボンネットを使ってぼくを挟み、その上をぎゅっと抑えて重石になる。
ぼくのすぐ近くで、パトカーさんの内部が蠢き、隙あらばぼくの身体を絡め取り、その中に巻き込もうとする駆動音が聞こえる。
だらしなく下半身だけパトカーさんの外へ垂らしながら、ぼくは接する場所全てをパトカーさんに焼かれるままとなるしかない。
体が痙攣する。顔面から引き剥がしたくとも、それはできない。
ぼくの悲鳴は、パトカーさんの動力へと染み込んでいく。
エンジンがかけられたままのパトカーさんの振動。
これが続く限り、温度は上がっていきこそすれ、冷えていくことはないのだ。
けれど、ぼくは、恐れより確信していた。
パトカーさんの熱い抱擁を。
パトカーさんは、ぼくを怒っているのじゃない。
離したくないのだ。だから、きっと、おまわりさんに頼んで、こうやってぼくを抱きしめられるようにしてもらっているのだ。
ぼくは、パトカーさんの中で。目が見えない。
まぶたがくっついてしまったのか。おまけに口もうまく開かない。
鼻はどうなっているのだろう。
ぼくは、パトカーさんの中で、今日至らなかったことを思い出して、切なくなっていた。。パトカーさん。優しいパトカーさんは、いつも口下手で、でもぼくのことをだいすきでいてくれるのに…。もっと、ぼくは、もっと。いろんなことをしらないといけない……
目を開けると、交番の中にある、畳敷きの仮眠室だった。見覚えのある仮眠室。おまわりさんはいつも、ここにぼくを放り込んでいく。
今日は畳に直接じゃなくて、煎餅布団に寝かされている。
自分のじゃない布団のにおいは、とても変な感じがした。
しらないにおいと、消毒された布のにおい。顔には、ガーゼがたくさん貼り付けてあって、とても視界が悪い。腕も、包帯だらけで動かしづらい。
おまわりさんが巻いてくれたのだろう、腕の包帯は、きちんと医療の知識のある巻き方で、やはりあの人はいろんな勉強をしてきたおまわりさんだったのだなぁと思う。ちょっとだけ、おまわりさんのことを評価してあげようと思う。
顔のほとんどを覆っていたガーゼを剥がす。手のひらで触ると、目も鼻も口も、どこもくっついていなかった。
顔面の傷は、ぼくが死んだことによってリセットされていた。
傷のひどかった左手は、元の形状に戻るべく、包帯の下で着々と治癒が進んでいるようだ。
おまわりさんは、今は外に出ているらしい。
ぼくも外に出る。秋のはじまりのせいか、世界はもう、薄墨を塗っていた。
そんな中でも、パトカーさんの赤色警告灯は、目を引く鮮やかさをしていた。
パトカーさんの横には、まだぼくの靴が残っていた。
靴を履いて、パトカーさんのボンネットに頬をつけると、中はもう冷たくて、さっきのような熱量は感じ取れない。
ああ、いつもの冷静なパトカーさんだ。
ぼくは、まだ火照る頬を押し付けて、しばらくそのまま、パトカーさんの静かで落ち着いた鼓動を聞こうと待っていた。
了
初出20160115
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