第11話 顎はずし
テレビの中で、タレントがおいしそうに焼き魚を食べている。
照り焼きなのか、こってりとしたたれがかかっていて、それを箸でほぐして口に運ぶ。
顎肉だとか、カマ、という部分らしい。
ちょうどおなかのすく時間で、ぼくのおなかは、ぐぅ、と、音を立てた。
けれど、ぼくは魚が苦手。というか、魚には当たり外れがあると思うのだ。
例えば、同じお皿のお刺身。
あれも、同じ冊から切り分けられたものであっても、ぼくが食べるまでは、それが当たりなのかはずれなのかわからない。それに、小さな骨が、いつ、ぼくの喉を引っ掻くか、気が気じゃない。
だから、魚を食べるのはおいしい反面、少しおっかなびっくりしてしまう。
それに、あんなものはどこで食べたらいいのだろうかもわからなくて、きゅうきゅう鳴るおなかを撫でて、テレビの電源を切った。
ともかく、いつもの交番でお昼ご飯を食べて、パトカーさんとお話をしようと思って、ぼくは家を出る。
とてもいい天気だ。
すれ違ったトラックの排気ガスが、ぼくにいいにおいを引っ掛けて走っていくから、ますますおなかがすいてしまう。
ガソリンスタンドの前を通る時にする、ガソリンのにおいも、ぼくのおなかをすかせてくる。
ぐうぅっと鳴ったぼくのおなかを、ぎゅっと手で押さえながら、交番までの道を急いだ。
「おはやうございます…!」
ぼくがそう言うと、パトカーさんはあたたかい日光の下でエンブレムをきらりとさせて、挨拶してくれた。
昨日洗車したから、土埃もついていなくて、つやつやのパトカーさん。
とてもきれいなパトカーさん。
ああ、なんてかっこよくて素敵な姿なんだろう。
「あとでゆっくりお話しましょうね…!」
ぼくはそう言って、交番の中に駆け込んだ。
おまわりさんは、ちょっとだるそうにたばこを吸っていた。
交番の中で吸っているのは珍しい。
普段は奥の住居スペースなるところで吸うのに。どうしたのだろう。
「やぁ」
おまわりさんがぼくに声をかける。
「おなかがすきました…!」
そう返すと、おまわりさんはたばこを二口吸って、灰皿に火種を押し付けた。
「俺、今日はあんまり食欲ないから、なんか作って食べて」
また新しいたばこに火をつけている。
白くて細いたばこが、おまわりさんの口と灰皿を往復する。
おまわりさんの口が少し開くと、顎も一緒に動く。
きっとあそこが、おまわりさんのカマだ…。
そう思うと、おまわりさんがすごくおいしそうに思えてしまって、ぼくは台所…ではなく、工具入れからネイルハンマーをひとつ取り出してきた。
おまわりさんの後ろに立って、釘抜きの方を思い切り、おまわりさんの頭の横、こめかみくらいに叩きつける。
「ぎゃっ…!」
髪の毛と帽子にひっかかったような感触がして、おまわりさんは椅子から転げ落ちてしまった。
咥えていたたばこが、床に落ちて跳ねる。
こめかみからだくだく出てくる血を手で押さえながら、ぼくのほうを睨んでいる。
おまわりさんは元々目つきが悪いので、そうされると少し怖い。
「イッ…テェ…。おぁ…お前…」
「おまわりさん…ちょっと痛くしてごめんなさい…。でも、暴れないように…弱ってもらわないと…」
ぼくは、もう二回、おまわりさんをネイルハンマーで殴った。
おまわりさんの目が、一瞬くるっと上を向いて、崩れるように倒れてしまう。
おまわりさんの落としたたばこをつまんで拾い、おまわりさんがするように灰皿でもみ消して、ぼくは一息ついた。
手のひらが少しじんとしていて、むず痒い。
ぐったりしたおまわりさんを、ずるずる引きずって、お風呂場に運ぶ。
モルタルの床に、廊下に、おまわりさんの頭から出た血が、赤く線をひいてしまった。
あとで拭いておかないと怒られてしまう。
でもやっぱり、後のことを考えると、お風呂場以上に適した部屋はなくて、結局いつもここでおまわりさんを食べる準備をしてしまうのだ。
目が覚めて暴れないように、ガムテープでおまわりさんをぐるぐる巻きにする。
どうやったら、おまわりさんのカマだか顎だかを手に入れることができるんだろうと、ぼくは考えた。
ぼくの頭の中でどうしたらいいのか、いろんな方法がぐるぐる回る。顎を切り取って、台所に持って行って…。あぁ、でも、ぼくはフライパンを上手く使えない。戸棚の奥にあった、ホットプレートなら、ぼくでもお肉が焼けるかもしれない。
切り取るにはハサミがいるけれど、小さな文具ハサミじゃきっとそれは難しい。大きなハサミを。かたいものを切るためのハサミを。さっきの工具箱には、いいものがはいっていたじゃないか!
ぼくは大急ぎで必要なものを集めた。ホットプレートに、包丁、お肉を乗せるためのお皿。
最後に、工具箱から、枝切りハサミを取り出して、まだ意識を失ったままのおまわりさんの口に突っ込む。なかなかこれは、いい考えかもしれない。
思いっきり力を込めると、ばちんと音を立てて、おまわりさんの頬がざっくりと裂けた。けれど、固い骨に当たって刃先が滑ってしまう。
「がぁっ…!あ゛…あ゛ぁっ…!?」
おまわりさんは、口の中にハサミの片刃を詰められたまま、声をあげている。
ぼくはハサミを反転させて、反対側の頬もばちんと切り裂いた。
ざっくりと口の端を切り広げられたおまわりさんは、ごろんとした歯を露出させて、肉食動物みたいですごくかっこいい。
「おまわりさん…すごく…えっと…。オオカミみたいで…かっこいいですよ…!」
「おふぁへ、ひょんあほひょひへ…」
おまわりさんがしゃべっても、ほっぺから空気が抜けて、なにを言っているのかわからない。
ぼくは、下顎を外すべく、おまわりさんの顎の関節を何度もこじるように、ハサミで突き回した。
おまわりさんは、耳まで裂けた口からぼたぼたと血を吐きながら、ずっと空気の漏れた音をしゃべっている。
なかなか関節が外れない。
ぼくは、おまわりさんの顎をつかんで、思い切り引っ張った。
引っかかっていたものが外れて、おまわりさんの下顎は、喉のあたりで繋がったまま、でろんと垂れ下がった。
これなら、舌ごと切り取ってしまえるかもしれない。
「がぁぁぁっ…!」
おまわりさんが咆哮のような声を上げる。
ぐるぐる巻きの体が、ばたんばたん跳ねて、どうにかしようと頑張っている。もう少ししたら、全部終わるのだから、もう少し我慢をして欲しい。
ぼくは、おまわりさんの顎に包丁を当てて、力を込めて一気に喉と顎を繋ぐ肉を切断した。
びーっと、肉と皮を裂く手応えがする。それが終わった頃には、ぼくの左手には、おまわりさんの顎が握られていた。
おまわりさんは、血の受け皿になっていた下顎をなくしたせいで、服の上に血なのか唾液なのか、液体をぼたぼたと落としている。
すごく呼吸が早いけれど、沢山血を流したのだから、しかたないのかもしれない。
おまわりさんの下顎も、中に残っていた血液をすっかり滴らせてしまっている。
「ああ、おまわりさん…。そんなに苦しそうで…。ごめん、ごめんね…」
頭から流れた出血で、おまわりさんの顔も真っ赤に染まっている。
それでもまだおまわりさんは、こっちをみている。
開きっぱなしの口は、真っ赤になって、何事か呻いているのだけど、ごぼごぼと引っかかったような音で僕には聞き取れない。
自分の顎がきちんと食べてもらえるか心配なのかもしれない。
ぼくは、温めておいたホットプレートの上に、おまわりさんの顎を乗せた。
鉄板にのせた瞬間に、じゅっと音がして、表面に焼き模様につけていく。
照り焼きの作り方がわからなかったので、ぼくは塩胡椒を振って、おまわりさんの顎をじっくり焼いていく。
おなかがすいた…!
早く食べたいけれど、焦ったら生焼けでおいしくないかもしれない。
ああ、でも。でも。
ぼくは、両側に焦げ目のついたおまわりさんの顎をつまんで、かぶりついた。
舌はまだ火が通っていなくて、これは薄く切って焼こうと思って、急いで切り取った。
おまわりさんの歯が並んだ肉をかじる。
食べづらい。
あんまり食べられる肉はなくて、どうにか食べられたのは、頬のところと、舌の付け根あたりだけだった。
でもなるべく残したくなかったので、歯で骨から肉を削ぎ落として、一生懸命食べた。
おいしい。おまわりさんはやっぱりすごくおいしい。
ちょこんと残った舌を、薄く切って塩胡椒を振りなおしてまた焼く。
固めのタンの焼肉に、ぼくは舌鼓を打った。
すっかりたいらげて、おまわりさんを見ると、おまわりさんは壁に背中を預けて目を閉じている。
ああ、冷たくなっていく。
おまわりさんの血だらけのほっぺたを触りながら、テレビでほほ肉もおいしそうに食べていたのを思い出した。
包丁でおまわりさんのほっぺたをそぎ落とす。
さっきみたいに骨がないから、これはとても食べやすそうだ。
一口サイズに切って、ホットプレートに乗せる。
焼けたお肉は、すこし皮っぽかったけど、とてもおいしいものだった。
折角だからもっと他にも食べてしまいたいのに、ぼくのおなかは膨れてしまう。
どこか少し切り取って、あとで食べられるようにしておこうと、ぼくはおまわりさんのからだをぺたぺた触る。
まだぬるい体温が残っている。ゆっくりと体温が剥がれていく。
おまわりさんの制服の袖をまくり上げて、腕の肉を拝借した。
骨に張り付いた肉を、包丁でごりごりやるのは、楽しいけれど大変で、力を入れ過ぎて手首が痛くなってしまう。
ぼくは、その肉を台所に運んで、トレイに乗せてラップをかけた。
なんだかお肉屋さんに売っているようになったので、「おまわりさん」と書いたシールをぺたんと貼り付けた。
「ふふ…おまわりさん肉…。ふふふ…さんきゅっぱーにしよう…」
楽しくなりながら冷蔵庫にしまって、今から片付けをしなければいけないのにげんなりする。
おまわりさんがやってくれないかと思って、動かないおまわりさんを何度か叩いてみたけれど、やっぱりまだ動いてはくれなかった。
「まったく…早く起きてもらわないと困るのに…」
血だらけになってしまった刃物を、水で流して、ホットプレートを洗ってを片付けたら、ぼくはすっかり疲れてしまった。
お風呂場にいるおまわりさんには悪いけど、少し眠りたい。
目をこすりながらガムテープを剥がし終わったところで力尽きてしまった。
おまわりさんの顎の骨だけは、記念に貰っておこうとポケットにいれて、パトカーさんのいる車庫に入り込む。
パトカーさんの横で丸まって眠ったら、もしかしたらパトカーさんが自分で動き出して、ぼくを轢いてくれるかもしれない。
そう思ってちょっとわくわくしながら、ぼくは目を閉じた。
「からだが痛い…」
コンクリートの上で寝たせいで、肩が痛くて目が覚めた。
パトカーさんは、眠った時と変わらず、ぼくを見守ってくれていた。
二時間くらい眠ってしまっただろうか。
ぼくのおなかは少しすいていて、あの残りのおまわりさんを食べてしまおうと思う。
交番に入ると、中からごとごと音がする。
「おまわりさん…!起きましたか…?」
奥の部屋から、おまわりさんがものすごい目つきでぼくを見ている。
マスクをつけたおまわりさんを見るのは初めてかもしれない。
目の怖さが強調されて、おまわりさんって本当に目つきが悪いんだな…と、ぼくはおっかなく思った。
おまわりさんがぼくに近づく。
振りかぶった拳を、思いっきり頬に受けて、脳みそが揺れる。
倒れこんだぼくのおなかを目掛けて、革靴のつま先が二度、三度と食い込む。
「ヴ…ァァ…?」
「お゛まえなぁ゛、おれぁ」
マスクの下は、まだちゃんと治ってないのか、濁った声でおまわりさんが喋る。
おまわりさんの革靴が、またぼくのおなかを蹴って、今度は頭を踏みつける。
「ごめんなさい…!ごめんなさい…!イ゛ッ…イ゛ッダ…頭割れっ…割れちゃう…!」
固い靴底が、がつんがつんぼくの頭を踏む。
「飯づぐれっで言っだけどなぁ゛…!あ゛ー…あ゛ー…」
おまわりさんは、ぼくから足を離して、椅子に倒れこむように座った。
「あ゛ぁ…もうづかれた…。もう…勘弁しでぐれよ…」
机の上のたばこをつかんで、おまわりさんはマスクを下げる。
外した顎は生えてきていて、けれど皮が張っていなくて筋肉が剥き出しのままだった。
下唇もまだ上手く治っていなくて、大きな歯がちらちら覗いている。
煙を深く吸い込んで、だるそうに吐き出すおまわりさんの、真っ赤な横顔が、またおいしそうに見えてしまって、ぼくは目を離すことができない。
咥えたばこで煙をふかすおまわりさんは、かっこよくておいしそうで、いつかおまわりさんの顔の全部を食べてみたいな、と、
ぼくは性懲りも無くおなかを鳴らした。
了
初出20160213
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