儚い闇

(本話には間接的表現ながら性描写が入ります。お好みでない方は「全年齢版」

 →https://kakuyomu.jp/shared_drafts/nNnnHG0l5tFy0vlVDbJwBzfdrZWziGwB

にお移り下さい。ストーリーの都合上、前話「時の境界線(2)」と合わせて二話分をひとつにまとめております)

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 フットランプのほのかな灯りが、小柄な身体を静かに横たえる逞しい影を映し出す。骨ばった手が髪を優しく梳き、火照った頬を包み込むように撫でると、美紗は目を閉じて熱い吐息をもらした。


 ひと月ぶりの温もり。

 わずかに触れられただけで、疼きにも似た感覚が胸に広がる。


「美紗……」


 耳に心地よい彼の声が、下の名前を呼んだ。胸の上で握りしめられていた華奢な手は、耐え切れず厚い胸板にすがりついた。それが、肩を伝い、首筋へと伸びる。

 指先に触れた少しクセのある髪の感触は、抑え難い衝動をいっそう増幅させた。


「……き、さん……、ずっと……」



 ずっと、一緒にいて――



 言葉がこぼれそうになる瞬間、瞼の奥に、青と紺の合間のような色がちらつく。



 この街につなぎ留められたことを、

 彼は本当に喜んでいるのか。

 遠い街で悲しむ誰かを、

 彼はこの瞬間にも、想っているのではないのか――。



 身体の中で何かが激しく乖離する。


 求める腕は美紗の意思を無視して太い首元に絡みつき、力を込めて彼の顔を抱き寄せた。小さな唇が、頬に耳に、触れるだけの口づけを繰り返す。

 その間、彼はただ、されるままになってやっていた。温かな沈黙が、ゆっくりと時を刻んでいった。



 やがて、壁にぼんやりと映る影はゆっくりと上半身を起こした。滑り落ちるように首元から離れた手を、大きな手が握りしめる。固く張り詰めたふくらみに触れた胸板からは、早まる鼓動が波打つように伝わってきた。


 美紗は筋肉質の腕の中で掠れた声を上げた。


 浅く、切なげな息遣い。シーツの擦れる音。

 押し寄せる快感に震える身体を、強引に抑えつけ、激しく慈しむ気配。


 それらが部屋の中に満ち、二人をすべてのしがらみから解き放った。熱く固いものが戸惑いと罪悪感を溶かし、激しく締め付ける温もりが理性の欠片を握りつぶしていく――。




 日垣は突然、美紗の一番深い所で動きを止めた。


 組み敷いた細い身体が、わずかに身じろぎ、呻くように悶える。そこからゆっくりと離れた日垣は、肩で大きく息を吐き、ベッド脇のサイドテーブルを見やった。


 内閣官房で支給された携帯端末が、低く無粋な物音をたてていた。


「日垣です……」


 直前の行為を全く感じさせない声が応答する。液晶画面のバックライトが、暗がりの中に引き締まった裸体を浮かび上がらせた。

 美紗は微かに声をもらし、唇を噛んだ。身体の中に残る強烈な快感が、息を詰まらせ、鼓動の音を際立たせる。


「……分かりました。すぐに向かいます。今回の呼集範囲は……」


 電話の相手と二、三のやり取りをした日垣は、通話を終えると、まだ熱を帯びたままの美紗の身体に上掛けを静かに掛けた。そして自身は、床に落ちていたバスローブを手に取り、部屋の入口に近い所にあるバスルームの中へ入っていった。


 ドアの隙間から漏れ出る白熱灯の光が、心地よい暗闇を鋭く切り裂く。


 水の流れる音と身支度を整える物音を、美紗はぼんやりと聞いた。痺れたように脱力していた手足の感覚がようやく元に戻った頃には、日垣はチャコールグレーの背広を着こみ、ネクタイを締めていた。


「N国関連で何かあったらしい。補室(内閣官房副長官補室)の安保関係の人間は全員呼び出しだそうだ」


 美紗は、虚ろな目で日垣を見上げた。喉がカラカラに乾いて、声が出ない。

 日垣はベッドの傍に身をかがめると、乱れた黒髪をゆっくりと撫でた。


「君は朝になるまでここで休んでいればいい。フロントに鍵を返すだけでいいようにしておくから」

「で、も……」

「防衛マターだから市ヶ谷でも何らかの動きがあるだろうが、幹部でない君が真夜中に呼ばれることはないはずだ」


 日垣は、上掛けの上から美紗を強く抱きしめた。そして、悲しげな唇にそっと口づけると、灯りの無い部屋から足早に出ていった。




 いつの間にか、気を失うように眠っていた。


 ふと目を開けた美紗は、ベッドに横たわったまま、シティホテルの無機質な室内を見回した。独りだけの暗い空間は、異様に静かだった。

 ぐったりと重い身体を起こすと、下腹部がつきんと痛んだ。


 上掛けの上に置かれていたナイトウェアが目に入る。美紗はそれで体を包み、ベッド脇の高窓に歩み寄った。遮光カーテンを少しずらすと、眩しい日の光が部屋の中に入ってきた。

 眼下に見える幹線道路には、車がほとんど走っていない。


 美紗はカーテンを大きく開け、疲れたように溜息をついた。「いつもの朝」なら、まだ彼の体温を感じながらまどろんでいる頃だ。昨夜の熱が夢であったかのように、ひっそりとした部屋の空気が寒い。


 あの後、電車もない時間帯に永田町へと戻ったあの人は、徹夜で働いていたのだろうか……。


 そんなことを思った美紗は、はっと目を見開き、作り付けの机の上に置かれたテレビをつけた。


 さほど大きくない画面には、「緊急速報」の文字が躍っていた。


 日本近海の地図と首相官邸の映像が、交互に映し出される。センセーショナルにまくし立てる男性アナウンサーは、日本海の排他的経済水域付近で国籍不明の潜水艦らしきものが「飛翔体」を打ち上げたらしいという内容を、繰り返し伝えていた。



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