略奪者との対決(1)


 八嶋は、直轄チームのほうを見やり、色のない唇を開いた。


「鈴置さんのいる『シマ』って、いつも楽しそうね」


 課業時間中に賑々しく話している面々を眺める顔は、全く楽しそうには見えなかった。


 美紗は、「普段は、もう少し静かなんですけど」と相槌代わりに応えながら、相手の様子をうかがった。腕を組んで立つ八嶋は、苛立っているようにも見える。

 渉外班への異動を打診されたらしい自分と、現在その渉外班に在籍する八嶋。彼女のほうにも、何らかの話が入っているのか……。


「直轄チームって、どう?」

「どう、って……」

「仕事、面白い?」

「……私には、少し大変で……。でも、とても勉強になります」

「今の配置、気に入ってる?」


 無遠慮な口調に気おされるように、美紗は思わず頷いた。美紗より少しだけ背の高い八嶋は、ふうん、と険のある相槌を打つと、わずかに身をかがめ、すっと顔を寄せてきた。


「そりゃそうよね。日垣1佐のすぐ下にいるんだから」


 美紗は思わず息を飲んだ。にわかに胸が苦しくなる。


「……どういう、意味ですか」

「言った通りの意味だけど? 距離が近くて、羨ましい」

「どうして、そんな……」

「鈴置さんのポストは、本当は、今年の春に新設される予定だったんだよね。話だけは二年ぐらい前から出てたから、正式にポストができたらそこに異動したいと私も思ってたんだけど……」

「八嶋さんは、直轄チームを希望されてたんですか」

「そう。日垣1佐に近いところで仕事したかったから」


 美紗は、目を見開いたまま、沈黙した。盆休みに入る少し前にエレベーターホールで日垣と話していた八嶋の姿が、頭に浮かんだ。

 やや険悪な雰囲気で対峙していた二人。あの時、自身の頭を日垣の胸に寄せていた八嶋が彼に伝えた言葉は、何だったのか……。



「それがいきなり、予定が半年以上前倒しになって、新設ポストに情報局外の人が就くなんて。いくら予算取りの調整がついてたからって、あの異動は不自然じゃない?」

「でも……」

「学部卒で留学経験もないのに、いきなり直轄チームに入って幹部並みの調整業務だなんて、普通ないでしょ」


 不躾な言葉が矢継ぎ早に問い詰めてくる。美紗の経歴を承知しているあたり、八嶋はいろいろと嗅ぎ回っていたのかもしれない。


「あの人事、日垣1佐のトップダウンで決まったって聞いたけど、元から近しい仲の人を連れてきたってトコなのかな」


 統合情報局の最終的な人事権を握る日垣が、別部署にいた鈴置美紗を引き抜く形で異動させたのは、否定しようのない事実だった。しかし、それより過去に、二人の間に接点など全くない。

 そう言おうとした美紗は、八嶋の顔が憎悪に歪むのを見た。


「どうやって日垣1佐の『お気に入り』になったの? 私のほうが、……先だったのに」


 怒鳴りつけたいのを我慢しているような気配。続きの言葉を聞くのが恐ろしくて、美紗は思わず半歩後ずさった。


「あの……、私、そろそろ戻らないと……」

「日垣1佐とは、どういう関係?」

「そんなの、何も……」


 週末のバーでひとときを共に過ごす今の関係を、「何もない」と言い切れるのか。実のところ、自信はなかった。

 美紗の想いを知らない日垣貴仁にとっては、確かに「何もない」のだろうが……。



 うろたえる美紗の返事に、八嶋は、「そう……」と呟き、にわかに奇妙な笑みを見せた。


「じゃあ、私があなたの席に座りたいと言っても、特に問題ないわけね」


 美紗は、肯定も否定もできずに、身を固くした。いつもの店の奥まった場所にあるテーブル席の光景が、脳裏に浮かんだ。


 静かに瞬く夜の街。

 マティーニと水割りのグラスを優しく照らすキャンドルの光。

 目の前に座るのは、職場では決して見せることのない和やかな笑みを浮かべる彼……。



「八嶋さん、どうして……」



 どうして、知っているの?



 そう言いそうになって、美紗はぎゅっと唇を引き結んだ。


 いつもの席に二人でいるところを、たまたま店に来ていた八嶋に見られたのか。それとも、二人の関係をいぶかしんだ彼女が、日垣か美紗のどちらかの後をつけ、店の中にまで入り込んで様子を窺っていたのか。


 そんなはずはない。有り得ない。


 冷たい何かが背筋を流れ落ちるような気がした。鋭い光を放つ釣り上がった目が、瞬きもせずに美紗を観察している。


「どうしてって、さっき言ったでしょ。あなたの席、前から狙ってたって」

「でも……」


 あの席に、八嶋香織が座る。遠慮を知らない瞳が、日垣貴仁を間近に見つめる。躊躇を知らない唇が、想いのままを彼に語る……。



 そんなの、嫌だ



 

「鈴置さんがよければ、私に場所を譲って欲しいの」


 水割りのグラスを傾ける日垣は、時折気恥ずかしげに前髪をかき上げては、差し向かいに座る八嶋香織を、静かに見つめ返すのか。夜景を臨む窓ガラスに、二人の横顔が並んでぼんやりと映るのか……。



 絶対に、嫌だ



 突き上げるような嫌悪感が、不快な幻影を振り払った。


「……誰の席になるかを決めるのは、八嶋さんでも、私でもないと、思います」


 自分でも驚くほどきっぱりとした口調だった。美紗は、両手を握りしめ、激しい鼓動に息が乱れそうになるのを堪えた。

 八嶋の表情が一瞬強張る。しかしそれは、すぐに嘲りの色へと変わった。



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